真夏のクリスマス
「そういえば、今日はクリスマスだったか」
どこか能天気な声に、油で真っ黒になった指を服の裾で拭いて振り返った。
不時着して数日が経ったのは分かるが、俺は特に日付を気にしたことは無かった。それよりも、やるべきことが多過ぎて……。
「あん?」
「この十年、言えなかったんだがな。実はオレの家はクリスチャンだったんだ」
海軍では、陸軍とは違い――いや、内務省のお達しもあるので、どちらかと言えば、外国語の用語や知識の習得を残している海軍の方が異質なのかもしれないが――、ある程度の自由で広い視点でのものの見方が許されている。
しかし……。
「営巣にぶち込まれるぞ」
機体の下に潜っていたので、身体の節々が凝っている。伸びをしたり、首をこきこき鳴らしたりしてから、俺は相棒の操縦士へと向かい合った。
「生きて戻れたらな」
赤道付近の三十度を越える中でも、飛行帽を取らずにういる相棒の相模二飛曹に、仏頂面を返せば――。
「生きて戻れたらの話だな」
と、皮肉をたっぷりと込めた笑みで鸚鵡返しに迎え撃たれた。
白い砂浜に、椰子の木、青い海と……まあ、真っ黒なナマコがあちこち這っているのはご愛嬌と言ったところか。内地では、めにしたことも無いカラフルを敷き詰めたような南洋の海岸。
とはいえ、内陸部も草木は生い茂っているものの、真水には苦労するような小さな島だ。
走れば、一時間もせずに一周してしまうような小さな無人島。
人工物は、俺達が乗ってきた零観一機のみだ。
それも――。
「直りそうかい?」
飛行機と電線を繋ぐことで上空でも談が取れる飛行服。その上だけを肌蹴て、黄ばんだランニングを陽光に晒しながら相模が訊いてきた。
「なんとも……」
手持ちの、必要最低限とさえいえないような工具――鉄の棒と、その辺で拾った丁度良い形の石ころなんかを放り投げながら俺は答える。
うん? と、俺よりは機械に詳しくない相模が首を傾げたので、ぼやきも混ぜて答えた。
「コイツの星型エンジンは、奇数個のシリンダーが順繰り回ることでプロペラの軸をまわすように出来ているンだ。それを二列に配して出力を得ている」
「ほう」
気のない合いの手を無視してそのまま続ける。
「シリンダーの爆発の順番が狂ってもプロペラは回らンし、シリンダーだってひん曲がれば使い物にならん」
そもそも、航空機というヤツはかなり複雑で精密な機械だ。自動車なんかの比じゃない。それを、無理から戦闘に突っ込み――戦闘用にするための改良を施してはいるが――、荒っぽい使い方をするんだから、長持ちなんてするはずもない。
こんな文明のカケラもないような島で修理なんて出来るはずがないんだ、本来は。
「じゃあ、野垂れ死にか」
あまり深刻そうじゃない、というか、どちらかと言えば楽しそうに相模が言うので、俺は眉間に皺を寄せた。
「そんな顔をするなよ」
一拍もしないうちに相模にそんなからかいを言われたが、それでも俺はコイツほど能天気には慣れなかった。
「軍艦時代からの仲じゃないか」
どんな仲だ、と、心の中だけでつっこむ。
ただ、まあ、しかし、巡洋艦でペアを組んでから、その巡洋艦が輸送作戦で沈み、近くの飛行場も建設出来ないような小島に転戦させられ、偵察任務中の不意の接敵で落とされる――イチかバチかで雨雲に突っ込み、無人島に不時着できたので落とされたとも言えないが――まで、ずっとの付き合いだ。
でも……。
元々は良い学校を出た会社員で、恐慌で軍に入ったという相模は、どこか俺達とは違っているように感じていた。なんていうかな、浮世場慣れしてるって言うか、達観してるって言うか。
俺は……、食えない農家の次男坊なので、どうもそこまで開き直るって言うか、あっけらかんとは生きられない。
「しかし、小石沢は、よくそんなことが出来るな」
「あん?」
不意に変わった話題に首を傾げれば、相模は飛行機を指差した。
ああ……整備塀でもない俺が、どうして発動機を弄れるのか、って話か。
「田舎の農家では、次男は長男の奴隷なんでね。工場の募集につられて上京したのは良いが……、なんのことはない。どこまで言っても安月給さ」
冗談めかして答えれば、ははん、と、微妙な愛想笑いが返って来る。
「じゃあ、オレ等が死んでも、さして悲しむ連中もいないわけか」
はっきりと言葉にされると、気持ちの良いものではないが、まあそうなんだろう。相模も、休暇で帰省するようなヤツじゃなかったし、良い人の当てもないんだろうから。
「ははは、じゃあ、もっと気楽に行こうぜ」
返事に詰まる俺に、相模はニカっと笑って来たが……。
「修理をお前が変わるならな」
と、返せば、機械には詳しくないヤツは苦笑いで下がって言った。
正直――、手持ちの食料も、スコールで補給した水も、かなり乏しい。そもそも燃料だって残りは三分の一程度だ。おおよその位置は分かっているつもりだが、味方の基地の方向を誤れば帰りつけるだけの残燃料じゃない。
ヤンキーと遣り合っているこの海だから、軍艦の一隻でも通るかと期待していたが、この五日で訪れてきたのは海鳥だけって言う、な。
海水で手と顔をざっと洗い、再び作業に戻ろうとした時――。
「おうい!」
修理を手伝えないせいか、どこか遊び半分というか、飽きて構って欲しい子供のような相模が大声を上げた。
「なんだよ!」
下手に手伝われた方が時間が掛かってしまうのはわかってはいたが、だからといって横で遊んでいられるのも癪だったので、怒声を返す俺。
そんな俺に、ひょい、と、投げつけられたのは――。
「クリスマスプレゼントだ」
斑点が浮かび、丁度飲み頃になった椰子の実だった。
ふう、と、短く溜息をつく。
「とっとけよ。貴重な食料は」
「職業軍人のオレ達に、明日なんかねぇよ。今日のうちに楽しんどけ」
椰子の実を見れば、頭頂部がナタで削られ、あと一突きでココナッツジュースが吹き出るようになっていた。これでは、保存の仕様もない。
「ったく」
と、悪態をつくが、正直、腹は減っているので、ありがたくココナッツジュースを飲み干し、中の白い果肉も齧った。
相模は――、適当に島や浜辺を物色して、一息つく度に、食えそうなものを持ってきてくれた。
そして、更に二日後――。
「ほんとに飛ぶのかぁ?」
操縦席に乗り込んだ相模が、発動機を回そうとする俺に声を掛けてきた。
「これでダメなら、あとは泳ぐしかねぇよ」
「二人揃って鱶のエサだな」
「縁起でもない」
電力が無いので手動での発火だ。一度や二度の失敗は織り込み済み。もう、かれこれ一時間ほどは試行錯誤しているだろうか。
もう一度。
……もう一回。
まだまだ。
「なあ」
飽きてきたのか、相模が操縦席から声を掛けてきた。
「なんでそんな一生懸命になるんだよ?」
無視してもう一度、発火を試みる。
そんなの、自分でも分かるか。
いつの間にか流れ着いた先が軍隊で、食うためにはやるしかないって状況だった。生き抜くためには、やるしかないことだらけだった。
消去法かもしれないが、それでも、俺は……。
ガン、と、シリンダーの一つ目が動く音がした。
ガンガン、と、手作業ゆえの不安な音が連続して響き……。
「お?」
驚く相模を他所に、後部座席に飛び乗る。
発動機の音は、充分に出力の上がったバババ、という音に変わっていた。
「形はどうあれここま来たんだ。なら、最後まで業を尽くすだけだ」
修理がなって嬉しいのを隠すように仏頂面で言えば、相模はにやりと……。どちらかといえば、線は細い男の癖に、微笑みはまるで悪魔のように凄みがあり――。
相模は、飛び立つ瞬間、なにか言ったように聞こえたが、発動機の音にかき消されて俺には聞き取れなかった。