第六話 すれ違う心
聖女機関の一員であるイヴは、灰色の髪をなびかせながら聖都ネハレニアの街中を歩いていた。
「はぁ……」
魔導四輪車と呼ばれる乗り物が道路を走る街中で、イヴは何度目かわからないため息をついた。
目的地はとある宿屋だ。聖女アナスタシアに、そこにいけばフレイルと会えると言われ、今こうして向かっている最中なのである。
(最後の最後に、とんでもないことを……)
おまじない。
聖女アナスタシアにより、フレイル・クラナッハという青年にベタ惚れしてしまうある意味呪いのようなものを身体に刻み込まれた。本当に効力があるのかは知らないが、相手は神のような存在だ。自分の意思に関係なく人を好きにさせる術を知っていてもおかしくない。
「焼き立てのパンがあるよー! おいしいメロンパン売ってるよー!」
パン屋の屋台がある。すごく良い匂いがして、知らぬうちに引きつけられていたらしい。
「おやおや、パンの匂いにつれられてやってきたのかい?」
ふくよかでのっぺりしたパン屋の店主に声をかけられ、イヴは足を止めた。
側には焼き立てのパンが詰めてある台車がある。恐らく、近くで店を構えていて、そこから持ち運んでいるのだろう。
「たまたま通りかかっただけです。悪いのですが、先を急いでいるので……」
「おっと、いいのかい? こんな周りはこんがり、中はふんわり焼けたメロンパン、そうそうお目にかかれないよ?」
「ぐぬ……」
夕飯にはまだ早い。
だが、お昼は列車の中でちょっとしたものしか食べていなかったイヴに、焼き立てのメロンパンはとても魅力的に見えた。
「……仕方がないですね。おいくらですか」
「1つ100イェンさ! やっぱり食べたかったんだねお嬢ちゃん。ちらちら見てたからそうじゃないかと思ったよ」
イヴは店主にお金を渡し、熱々のメロンパンを受け取った。
「毎度どうもー!」
なんとなく騙されたような心地のまま、イヴはメロンパンを片手に歩き出した。
まだ温かいメロンパンを一口かじると、口の中に甘みとパリパリの食感が広がり、飢えていた腹を刺激した。
やはりメロンパンはいいものだ。乗せられて買ったとしても、メロンパンに罪は無い。そう思いつつ、イヴは目的地の宿屋に到着した。
最後の一口を口に放ると、イヴはフレイルが聖女アナスタシアによって飛ばされたであろう一室を仰ぎ見た。
(何階建てだろう)
見上げると、上が見えない。
宿屋というよりは高級ホテルである。
咀嚼を終え、イヴは手を払ってから宿屋に進んだ。
エントランスは絨毯が敷き詰められ、やはりというか高級感溢れている。壁には高そうな絵画や壺があり、受付には綺麗なお姉さん風の女性が2人立っていた。
「あの、すみません」
「はい。ご予約の方ですか?」
「えっと、ここにフレイル・クラナッハという男性客が部屋を借りているはずなのですが」
「ああ、クラナッハ様ですね。VIPルームにご招待させていただきました」
「VIP? まさか……」
聖女アナスタシアの差しがねだろうか。
聖女機関は至る所にネットワークを持ち、権力を有した組織だ。高級ホテルのVIPルームを用意していたとしても、何ら不思議じゃない。
「イヴ・グレイ様で間違いなかったでしょうか」
「……えっと、はい」
聞き慣れないファミリーネームに内心首を傾げながらも、イヴは怪しまれないよう頷いた。
察するに、部屋を取る際にフルネームを要求されたのだろう。それでフレイルは咄嗟にイヴのファミリーネームをグレイにしたと考えれば辻褄が合う。
「それではご案内いたします」
受付嬢に連れられ、イヴは最上階のVIPルームへと向かった。
昇降機に乗り、すぐに建物の最上階へと辿り着く。お金がかかっていそうな最上階の瀟洒な廊下を進み、程なくして目的地へ到着した。
「こちらがお部屋になります。ごゆっくりどうぞ」
言って、受付嬢は去っていった。
イヴは意を決し、VIPルームなる部屋へと入った。
中に入ると、ぼんやりと窓の外を眺めるフレイルがいた。
イヴがやってきたことに気づいたフレイルは、すぐに表情を明るくしてこちらにやってきた。
「あ、イヴちゃん! よかった、本当に来てくれるのか心配だったんだ」
あまりにも好意的な笑顔を向けられ、イヴは反射的に顔を逸らしていた。
聖女アナスタシアによってかけられた、イヴがフレイルという男性にベタ惚れするというおまじない。その存在のせいで、どこか居心地が悪い。本当にそんなおまじないがかかっているのかは、イヴ自身にもわからないのだが。
「……ちゃんと来ますよ。途中で逃げるとでも思いましたか?」
自然と反発的な声音になり、イヴは自分でも驚いた。
おまじない云々のせいか、咄嗟に警戒態勢を敷いたらしい。
「い、いや、そういうことじゃないんだけどね。ごめん。なんだか怒らせちゃったかな……」
素直に謝罪をするフレイルを前に、イヴは罪悪感を覚えた。
フレイルは何も悪くない。むしろ聖女アナスタシアに巻き込まれた被害者だ。それなのに、人が良すぎる。いつか詐欺師に盛大に騙されそうで心配だが、それよりも――。
「いえ、私の方こそすみませんでした。あなたは私の任務にいわば巻き込まれた立場。上からの物言いをしてしまい、申し訳ありませんでした」
イヴはぺこりと頭を下げた。
フレイルは協力者だ。こちらから頼んでいる手前、相手の立場は重んじるべきだろう。
「気にしてないで。それに、僕にとっても今回の件はチャンスだって言ったじゃないか。僕の夢を叶える、そのための第一歩だってさ」
「夢、ですか」
ふと考える。
イヴには夢というものが無い。聖女アナスタシアの手となり足となり、彼女に隷属する。それがイヴの全てだからだ。
だから、フレイルの想いは、イヴにはよくわからない。夢や目標なんてものは、ただのおまけでしかないのだ。
「ちなみにですが、フレイルさんの夢はどういうものでしょうか。参考までに教えて欲しいのですが」
「知ってもあまりイヴちゃんのためにはならないと思うんだけど……。それでも言った方がいいかな?」
「ええ。出来ればお願いします」
「わかった。でも、笑わないでね?」
「笑いませんよ」
さすがのイヴも、そこまで空気をよめないわけじゃない。
「じゃ、じゃあ……。こほん。僕はさ、アイドルのステージを通して、世界中のみんなを笑顔にしたいんだ。子供っぽいけど、それが僕の夢だよ」
「笑顔に、ですか。それはまたどうして」
「真顔で聞き返されるとすごく恥ずかしいんだけど……。実は僕、子供の頃すっごく貧しい生活をしていてね。笑う事を忘れて、世界に絶望していた時期があったんだ。あの時の僕はこんな世界で生きていたって仕方がないって思ってた。でも死ぬのは怖いからなんとか死なないように生きてきたんだ」
そう言うフレイルの表情は暗い。
余程思いだしたくない過去なのか。それとも、他に理由があるのか。
フレイルは首を左右に振ってから、続きを言葉にする。
「そんな時に、僕はとあるアイドルのライブを見たんだ。たまたま屋外で公演していたから、お金を持っていない僕でも見ることが出来たんだけどね」
「それはまた……。フレイルさんが昔どういう生活をしていたのかは深く聞きませんけど、大変だったんですね」
口では軽く言えることだが、きっとフレイル本人は相当な苦労を重ねてきたのだろう。今ではふっきれていても、嫌な想いをした過去をそう簡単に忘れられるはずがない。
かくいうイヴにも、似たような過去がある。
名もなき頃の、苦しい思い出。それは、イヴがまだ聖女アナスタシアと出会う前の話だ。
「そうだね。あの頃は生きるのに必死だったから。今でこそ大人になって1人でも歩けるようになったけど、子供の時はやっぱり大変だったよ。大変だったけど、そのライブが僕の人生を変えたんだ」
「人生をですか……。それはまた大きく出ましたね」
イヴにとっての救いの手は聖女アナスタシアであったが、フレイルにとっての救いの手はアイドルだったんだろう。だから、そのアイドルという存在に関わりたくてプロデューサーの道を選んだ。そんなところか。
「まあ、実際にプロデューサーっていう道を進もうと思ったのもその時だったしね。偶然の出会いなんかもあって、新米だけどこうやってプロデューサーになれた。感謝してもしきれないよ」
「プロデューサー1人1人がギルドを持つんですか?」
「そういうこと。まあ、僕はまだ何も持ってないけどね。だから、こうやってイヴちゃんとやっていけるのは凄く嬉しいんだ」
純粋な笑みを向けられ、イヴは居心地が悪くなった。
イヴにとってのアイドルは、聖女アナスタシアから命じられたからだけのものに過ぎない。だが、フレイルのそれは、イヴの何倍以上もの想いが込められている。彼の真剣な気持ちを踏みにじっているようで、あまりいい気はしなかった。
「私も、頑張ります」
「はは、ありがとう」
表面上だけでも、熱意は出しておいた方がいいだろう。
フレイルは良い人だ。それに、なんだか懐かしい香りがする。今日あったばかりなのに、他人という感じではないのだ。
理由はイヴにはわからない。あるいは聖女アナスタシアならわかるのかもしれないが、訊いても間違いなく教えてくれないだろう。
「それにしてもこの部屋、なんだかいい匂いがしますね」
イヴはやけに甘ったるい風な部屋を見渡しながら、物置の上を物色し始める。
「あ、ああ……。そうだね」
「どうして歯切れが悪いんです? って、これは――」
イヴはベッドの横にあった物置の引き出しを引っ張りだし、言葉を失った。
その引き出しの中に、妙なモノが入っていたのだ。
「……これはいわゆる、ゴムというやつですか」
「は、はは……」
「よく見ればベッドも1つしかありませんし、なるほどそういうことでしたか」
イヴは小さな袋に入ったそれを元に戻し、ふぅとため息をついた。
「あの、僕もどうかなって思ったんだけど、聖女様の力でここに飛ばされたし、イヴちゃんもここに来るって話だったから……」
「別にあなたを責めているわけではないですよ。待ち合わせ場所をここにしたのはアナスタシア様のいたずらでしょうし。深く考えないように」
「そういうことなら……」
「それに、行為自体をする気がなければこの部屋は宿としては申し分ないですから。まあ、ベッドは1つしかないので寝ずらいかもですけどね」
そこはベッド自体が大きいので何とかなるだろう。
「え……ええ!? まさか一緒のベッドで寝る気かい!? そ、それは色々まずいような……」
「私と一緒じゃまずいですか。それじゃあ、私は椅子で寝ますけど」
「い、いやダメってわけじゃないんだけど……。イヴちゃんが嫌じゃないのかなって」
「私は構わないですよ。別に何かが減るもんじゃないですし」
「そ、そうなの?」
「ええ。というかただ寝るだけなのに、何をそんなに慌ててるんです?」
「い、イヴちゃん、無防備すぎるよ……」
そう言われて、イヴは首を捻った。
確かにここはいわゆるラブホテルだ。だが、イヴにもフレイルにもその気はない。なら、何も問題はないはずだ。
「それに、おまじないというものが本当かどうかも確かめたいですし」
聖女アナスタシアにかけられたフレイルにベタ惚れするというおまじない。その効果があるのかないのか、確かめるには絶好の機会だ。
「おまじない?」
「はい。なので、できれば一緒に寝てもらえるとありがたいです」
「そ、そうだね。これも仲を深めるためだよね。僕も覚悟決めないと……」
フレイルは何かを決意するかのように深呼吸し、
「わかった。今夜は一緒に寝よう」
「ええ。よろしくお願いします」
こうして、イヴはフレイルと一夜を共にすることになるのだった。