第五話 おまじない
フレイルが平静を取り戻すまでに少なくない時を経た。
純白な聖女の部屋で、イヴの隣のソファに座り、現実を受け止めること約半刻。ようやく冷静になってきたフレイルが発した第一声がこれだった。
「……詐欺じゃないんだよね?」
至極妥当な発言である。
聖女アナスタシアと言えば、神のような存在。
信仰を幅広く集め、信者からの祈りも厚い。
そもそも、こうして現世に実体として存在しているのかも不明なお方だ。フレイルがすぐに信じられなくても、文句は言えない。
「信じられないというのなら、信じられるようにしてあげるけど?」
「い、いや、遠慮しておきます……。それに、雰囲気でなんとなく普通じゃないのはわかるので」
フレイルは気持ちを切り替えるかのように顔を両手で叩いた。
「ですが、僕は仕事の依頼ということで聖都にまできたのですが、それと聖女様……それにイヴちゃんは何か関係あるんでしょうか」
「よくぞきいてくれました!」
聖女アナスタシアは勢いよく立ちあがり、仁王立ちする。
「カンパニー、ヴィーナスプロダクション所属の新人プロデューサー、フレイル・クラナッハくん、君をイヴのアイドルとしてのプロデューサーに命じる!」
ビシィ! っと人差し指をフレイルに向け、聖女アナスタシアは宣言した。
目を白黒させ、フレイルは口を開いた。
まさか、聖女アナスタシアから直々に仕事の依頼を貰うとは思っていなかったのだろう。
「し、仕事の話ときいていましたが、まさか聖女様直々の依頼だったなんて……。それに、イヴちゃんが僕のアイドル……?」
「そう! 君は選ばれたんだよ! イヴをどうするかは君の自由さ! まともにアイドルさせてもいいし、フレイルくん専用の性奴隷にしてもいいんだよ?」
「ぶっ!?」
聖女アナスタシアの唐突な発言に、イヴは意図せずに吹きだした。
「な、なんですか性奴隷って! オークの話といい、聖女様は本当にそういう系が好きですね!?」
「大好きだね。聖女だからって、えっちなのとは縁遠いと思うのは間違いだから。むしろ大好物だから。そこんところよろしくぅ!」
ドヤ顔で宣言する聖女アナスタシアに辟易としつつ、イヴはため息を1つ吐く。
「フレイルさん。真に受けなくていいですからね」
「は、はは……。でも、色々と驚いてるよ。聖女様って、凄まじいんだね」
「残念ながら。好ましくない方向にですが」
もうちょっと謹みある御淑やかな聖女様の方が信者のイメージに合っていそうだ。
「でも、いいのかい? 僕なんかが君のプロデューサーで」
「それはこちらのセリフですよ。勝手に決められて、嫌ではないですか?」
「そんなことないさ。さっき聖女様も言ったけど、僕はヴィーナスプロダクションっていうカンパニーの新人プロデューサーなんだ。でも、まだ実績も何もないぺーぺーでね。そんな僕に任せてもらえるなんて、光栄だよ」
「……まじめ、なんですね」
「まじめというか、きっと僕は必死なんだ。プロデューサーとしてのノウハウはカンパニーで叩き込まれたのに、実戦経験ゼロだからね。こういうのもなんだけど、焦ってるのかもしれない」
フレイルは寂しそうな表情を垣間見せ、すぐに凛々しい表情に戻った。
「今回の一件だって、チャンスだと思ってる。僕の夢を叶える、最初の一歩だって、そう感じてるんだ」
「……フレイルさん」
どこまでも、清々しい。
イヴの中を、まっさらな風が通り抜けたような気がした。
フレイルはきっと、自分に素直なんだろう。そして、ひたむきなのだ。少なくともイヴはそう感じた。
「私も任務ですから。それに、あなたとなら……悪くないように思えます」
途中から恥ずかしく感じ、声量が落ちる。
イヴにとって、誰かと何かをするということは未知だ。
今までずっと1人で歩いてきた。聖女の使徒となってからも、一匹狼を貫き通した。だからか、誰かと一緒に事を成すということが、イヴにとって新鮮で仕方がない。
「ありがとう。僕も精一杯頑張るよ」
「はい。頑張りましょうね」
真正面からフレイルと見つめ合う。
自然と、お互いの右手が伸びていた。
フレイルの男性らしい大きな手を握り、彼の熱を感じる。
すると、フレイルのやる気と熱意が伝わってきた。
「――しっかしアレだねぇ。聖女を前にして2人だけで喋るとか、中々罰当たりなことしてくれるねぇ」
気付けば、聖女アナスタシアはニヤニヤと笑いながらイヴを見ていた。
咄嗟にフレイルの右手から手を離し、イヴは対面に座る聖女アナスタシアの方に向き直る。
「……申し訳ありません」
「謝らなくていいんだよイヴ。むしろ私の思惑通りって感じだから。もっと仲良くなってくれると私としても楽しめ……もとい、嬉しいんだけどねー」
「そうなんですか? というか、今不穏な雰囲気を感じたのですが」
「ううん? なんのことかな? 私全然わからないなぁ?」
急にとぼけ出す聖女アナスタシア。
こうなっては追求するのは不可能だ。どうせのらりくらりとかわされるのが落ちだろう。
「まあいいです。どちらにせよ、私はあなたの命に従うだけだ」
イヴは淡々と言い切った。
何と言われようと、誰と組まされようと、結局は聖女アナスタシアがイヴの全てだ。彼女に命を救われてから、イヴは聖女アナスタシアに忠誠を誓うと決めた。彼女のために生きると決めた。それ以外は、些細な事でしかない。
「その忠義心は見上げたものなんだけどね~」
聖女アナスタシアは一度首をカックンと落とし、顔を上げた。
「ま、イヴはこれで根はいい子だからさ。よろしくお願いするよ、フレイルくん」
「はい、任せてください! イヴちゃんを立派なアイドルにしてみせます!」
「うんうんその意気だ」
腰に手をあて、ふんふん頷く聖女アナスタシア。
この任務の目的は、自分でやって確かめろとの御達しだ。
任務の到着点が不明で不安がないとは言わない。だが、今までそうしてきたように、忠実に聖女アナスタシアの命令をこなす。それが、イヴがイヴである証であり存在意義なのだ。彼女がやれというのなら、それをやるのがイヴの使命。今更逃げ出したりはしない。
「じゃあ、頼んだよ。それと、報告は定期的にね」
「了解しました」
イヴはソファから立ちあがり、愛用の刀を手に取った。
次の任務は荒事ではない。
聖女機関の一員となってから、聖女の使徒となってから、ずっと戦闘関係の任務をこなしてきた。今回に限っては、この刀の使用頻度は減るだろう。それはつまり、イヴの最も得意とする分野を利用できないということでもある。
(関係ない。荒事じゃなくとも、アナスタシア様の意思に従うだけだ)
イヴは小さく息を吐くと、刀を腰に差した。
「フレイルくんの出口はこっちね」
言って、聖女アナスタシアは光の扉を造り出した。
「あの、ちなみにこれはどこへ出るのでしょう?」
「出たらわかるよ。イヴにもそこに向かうように言っておくから大丈夫。安心して」
「わ、わかりました」
素直に従うフレイル。
やがて光の先へフレイルは消えた。
「――さて」
フレイルが部屋からいなくなって、再度イヴは聖女アナスタシアと2人きりになった。
この瞬間を待っていたかのように、聖女アナスタシアはイヴの頭に手を乗せた。すると、次の瞬間、光がイヴを包み込んだ。
「イヴには特別なおまじないを付与したからね」
「特別なおまじない、ですか?」
嫌な予感がし、イヴは咄嗟に聞き返した。
聖女アナスタシアの表情が愉快そうな時は、総じてイヴにとっていいことがない。
「そそ。さっきのはねぇ……イヴがフレイルくんにベタ惚れするおまじないでっす!」
「……えッ!?」
珍妙な声を上げたイヴは、しばらくの間呆けたまま固まってしまうのだった。