第二話 灰色の戦神
聖都ネハレニア。
聖女機関と呼ばれる大陸最高の意思決定組織の本部が存在する都市で、人口も多く、中心街はいつも混雑している。生活水準も小さな村や町に比べて高く、裕福な人間が多いのも特徴だろう。
「2年ぶり、か」
イヴは辺りを見渡しながら、懐かしい聖都を歩く。
中心街の中央にそびえ立つ巨大な聖堂が、聖女機関の本部だ。そして、イヴの目的地でもある。
列車から下り、青年フレイルとも別れ、イヴは聖都を1人歩き中心街までやってきた。昼過ぎの喧騒は、イヴの耳にはやけに騒がしく聞こえてくる。都市なんて久しぶりだから、祭りでもあっているのかと疑いたくなる騒々しさだ。
「お嬢ちゃん歩きかい? 大変だろう。乗っていくといい」
路肩に魔導四輪車を止めたタクシーのおじさんが、窓から顔を出し声をかけてきた。
列車という移動手段が確立され、魔導四輪車の需要もだいぶ減ってはきたが、だからといって絶滅したわけではない。小さな村や町にはレールは敷かれていないし、都市内や限定的な場所に赴く際はやはり魔導四輪車などの交通手段が必要になってくる。貴族なんかは専用の魔導四輪車を所持しているし、需要がなくなることはまずないだろう。
「いえ、今回は遠慮しておきます。目的地もすぐそこですから」
「おっとフラれちまったか。ま、気をつけてな」
「はい。ありがとうございます」
仕切り直し、イヴは歩みを再開する。
タクシーのおじさんには悪いが、目的地の大聖堂はすぐそこだ。歩いて数分の距離にタクシーを使うのも気が引ける。
そして、数分後。
イヴは目的地である聖堂へと辿り着いた。
聖女機関の総本山。ネハレニア大聖堂。
王都にある王城と違い騎士団などは駐屯していないが、代わりになるものは存在する。聖女を守護し、機関の手足となり行動する"聖女の使徒"と呼ばれる集団だ。1人1人が一騎当千の猛者で、誰も彼もかなりの実力者である。おかげで、この場所に手を出そうと考える輩はイヴが知る限り存在しない。
「ようやくついたけど、どう言い訳すれば……」
大聖堂の敷地内に入り、悶々と頭を悩ませるイヴ。
上手い言い訳がまだ出来あがっていない。このままでは本部の奥に進めないかもしれない。それは非常に困るのだが、だからと言って召集を無視するわけにもいかないのだ。
「――止まれ!」
大聖堂の奥へ進むための扉。それを守護している衛兵にイヴは案の定止められてしまった。
「この先は立ち入り禁止だ。聖女様への祈りならばこの講堂でするがよかろう」
「いえあのですね、私はこの奥に用事がありまして、出来れば通してくれると嬉しいなって思うのですが」
「この先は関係者以外立ち入り禁止だ。貴様、まさかそのナリで賊ではあるまいな? 残念だがいくらか弱い少女であっても、ここを通すわけにはいかない。さあ、帰った帰った」
「そこをなんとか……」
「あまりしつこいと武力による排除をせねばならんぞ。私に剣を取らせるな」
「す……すみません」
やっぱりダメだ。このままじゃこの堅物はどいてくれそうにもない。正面突破は諦めて、他の手を考えるしかないのだろうか。
イヴが困っていると、背後から大きな影が現れた。
身長2メートル近くありそうな巨体に、ムキムキのマッチョボディ。背には戦斧を携え、どう見ても武芸者である男がその大きな手を衛兵の頭に置き、トントンと叩く。
「まあまあいいじゃねえの。こんな可愛い子が言ってるんだぜ? 聖堂見学くらいさせてやってもバチなんかあたりゃしねえって」
「で、ですがグレオ様、ここは神聖なる場。どこの誰とも知れぬ輩を入れるわけにはいきません」
「だーかーら、この俺様がいいって言ってんだよ。それとも何か? お前ここで死んどくか?」
巨大な男の怒気に、衛兵が身を竦ませた。
それだけ、この男は底知れぬ力を持っているということなのだろう。そのことを衛兵も知っているから、ビビっているのだ。
「わ、わかりました。グレオ様がそうおっしゃるのなら、ここは身を引きます」
「そうそうそれでいいんだよ。というわけで、見学の付添人は俺だ。行こうか、お嬢ちゃん」
「あ、はい」
予想外ではあったが、イヴは無事に聖堂内に入ることに成功した。
しかし、まさかこの男に助けられるとはイヴも想定していなかった。
「お嬢ちゃん、名前は?」
「イヴといいます」
「へえ、いい名前だ。それで、"どうしてそんな姿をしているんだ?"」
「ッ!?」
咄嗟にイヴは半歩下がった。
この男、まさか正体に気づいているとでもいうのか。
「おっと、やっぱりだったか。どうしてお前が女に、しかもこんな可愛子ちゃんになっているかは知らねえが、霊王の気配だけは消えてないぜ。気付くやつは気付くだろうよ」
「そう、でしたか」
イヴは咄嗟に刀に伸びた手を戻し、1つ息を吐いた。
「聖女の第6使徒、グレオ・フレアドル。もしくは戦斧のグレオ。お久しぶりですね。あなたと会うのはいつぶりでしょうか」
「さあな。お互い任務やらでこっちには戻ってきてなかったからなぁ。で、お前はどうして戻ってきたんだ?」
「聖女アナスタシアに呼ばれたからです。ここに来たのは2年ぶりですけどね。それまでは例の魔王指定された人物を追っていました」
「ああ。お前さんはその件だったか。ま、荒事はお前が適任だろうしな。でも、2年ぶりってこたぁ、お前魔王を倒してから報告に戻ってなかったのか? 確か第三魔王が消えてからもう3ヶ月だよな?」
「そ、それは……」
イヴは口を閉じた。
確かに、イヴが聖女機関から魔王認定を受けた魔族を倒したのは3ヶ月前だ。グレオのいう通り、本来ならその時点で聖都に戻り、聖女に報告をしなければならない。それをしなかったのは、事情があったからだ。
「この身体になったのが、その時だったからです。魔王の最後の悪あがきで、死の呪縛をこの身体に受けました。ですが、霊王の加護のおかげで術が弱まり、死ぬことはまのがれたのですが……」
「何故か女になっちまった、と」
「はい。ずっとこの呪いの解呪の方法を探してはいたんですが、中々見つからず……」
「で、女になっちまったから聖都に戻るに戻れなかったってーわけか」
「理解が早くて助かります」
グレオはやれやれと肩をすくめると、腕を組んだ。
聖堂の中は限られた人物しか入ってこれないため、廊下に人の気配はない。階を上るにつれ、さらに人がいなくなる。機関の人間でも、実際に聖女に会ったことがあるのは彼女の使徒である12人と、その他の重役数人だけだ。
「で、霊王の力が消えたわけじゃないよな?」
「そちらは問題ありません。健在です」
「ならいいじゃねえか。お前の価値はそれだろ。例え女になったからとはいえ、それだけで聖女様がどうこう言うとは思えねえけどな」
「そうだといいんですけどね。あの方のことだから、何を言い出すことか……」
聖女アナスタシアは、性格が気まぐれでやんちゃなのだ。そして、使徒の中でいじられ役は決まってイヴであった。そのせいでイヴは聖女に対して並々ならぬ恐怖を抱いている。女になってしまったことで、彼女が何を言い出すかが、怖くてたまらないのだ。
「戦神のリーンハルトもこうなっちまったらアレだな。威圧感もクソもねえな。今なら俺でも勝てちまうんじゃねえか?」
急激にグレオから殺気が溢れ出る。
イヴは負けじとその気配に反応し、殺気を殺気で打ち消した。
「……試してみますか?」
「……いいや。止めておこう。戦神の名は俺にはまだはええみたいだ」
「そうですか。いつでも受けて立ちますよ」
「ったく、見た目はガキなのに、オーラだけは変わってやがらねえなおい」
グレオは頬をかき、ため息をついた。
そして、2人は思い出話も程々に聖堂を上り、聖女がいる部屋へと辿り着いた。
聖女の部屋周辺は神聖な雰囲気を余すことなくかもし出していて、いやがおうにも背筋が伸びる。大陸最大の信奉を集める聖女アナスタシアご本人が、目の前の扉の先にいるのだ。一生を尽くしてもお目にかかれない人がほとんどなのだ。緊張しない方がおかしい。
「じゃ、俺は聖女様に用はねえから。ま、聖女様だってバカじゃねえ。すぐにお前だって判ってくれるさ。てなわけで、しっかりいじられてきな」
「最後の一言は、余計です……」
去りゆくグレオを律儀に見送り、イヴはすぅーっと息を吸った。
聖女アナスタシア。聖女機関の実質トップのお方で、天の御使いといわれている人物だ。長年この聖都におられるのだが、未だに若いお姿のままである。それも、彼女が天族と言われる所以だろう。
「よし」
意を決し、イヴは扉を開けた。
中は神聖神域とでも表現すればいいのか、真っ白な空間だった。
何度か訪れたことがあるが、やはり未だに慣れない。
イブはゆっくりと奥に進み、聖女を捜した。
まさか出掛けているのだろうかとも思ったが、すぐに考えを改める。
「――やっほ、ようやく来たね」
唐突に声がかけられ、イヴはひっくり返りそうになった。
「アナスタシア様……」
いつの間にか、さっき通ってきた場所に聖女アナスタシアが立っていた。
真っ白なドレスに真っ白な髪に真っ白な肌。一目見ただけで人間離れしていることがわかる。この人は普通の人とは違う。高貴なお方なのだと誰もが跪くであろうオーラを纏っている。
「とにかくまずは座って? 話はそれからしよっか」
「わかりました」
いわれるがままにイヴは指示されたソファに腰を落とした。
聖女アナスタシアもまた、イヴの対面に座る。これで向かい合う形になった。
「君の噂は聞いてたよ。第2使徒、灰色の戦神リーンハルト・クリューガーくん」
「やっぱり、耳に入っていましたか」
聖堂内でグレオとその会話をしていた時点で、聖女アナスタシアの耳には入っているだろうと思ったが、案の定だった。
「今はイヴって名前なんだっけ? どうしてイヴなの?」
「それは……適当です。男の頃の名前では怪しまれるのでそう名乗るようにしました」
「ふ~ん。ま、いいけど。それで、どうして君が私に呼び出されたかわかる?」
「それは……。報告を疎かにしていたから、ですか?」
「それもあるね。だけど、本題は別にある」
「……新しい任務、ですか」
「そうだね。察しがいい子は好きだよ」
「あの……」
イヴは遠慮がちに口を挟んだ。
「私はまだ、使徒であってもいいんでしょうか。こんな姿になってしまって、その資格があるのかどうかわからないんです。霊王の力は、まだ残ってはいるんですけど、それでも私は……」
膝の上で拳を握りしめ、イヴは自身の悩みを打ち明けた。
姿が変わり、性別も変わってしまったイヴ。それは、彼女にとって、存在そのものが変わってしまったと感じるには十分な要因だった。
聖女の第2使徒、灰色の戦神リーンハルト・クリューガーは魔王との戦いによって死んだ。そう言われても、何ら不思議じゃない状況なのだ。
「君の価値を決めるのは私だよ。でも、そんなに不安だというのなら、少しテストをしてみようか」
「テスト、ですか?」
「そう。君の二つ名は灰色の戦神。戦うことが君の仕事だったよね」
「それは、アナスタシア様がそう決められたので」
「だからさ。君が少女の姿になったとしても、力は失われていないんだろう?」
「はい」
「なら、私にとっては十分なんだよ。それでも自信が無いと言うのなら私に見せて欲しい。君の力を」
「それでテストということですか」
「そういうことになるね。――てなわけで、いってらっしゃい」
聖女アナスタシアが指を鳴らすのと同時に、イヴの認識していた空間が反転した。