第一話 出会い
灰色の髪をした痩身の少女が、儚げな瞳を窓の外へと向けていた。少女の周りに他の乗客がいないのは、彼女が近寄りがたい雰囲気を放っているからに他ならない。
「……はぁ」
何度目かわからないため息を、少女は遠慮することも無く吐く。
もちろん、少女とて好きで哀愁を漂わせているわけではない。つい数ヶ月前に自身の身に降りかかった災事を思い出すたびに、否応なく口から出てしまうのだ。
「聖女様ににどう説明すればいいのか……」
魔導列車のレールを全ての都市へと巡らせることに成功したトリコリア地方では、都市間の移動手段のほとんどがこの魔導列車への乗車となる。現在、少女もその魔導列車に乗り、トリコリア地方の中心地の1つである聖都ネハレニアへとむかっているところだ。乗車から3時間の時を経ているため、あと数十分もすれば立派な外壁が見えてくることだろう。観光目的であればはしゃぐ場面であろうが、今の少女にそれだけの余裕はなかった。
『――長らくのご乗車、ありがとうございました。当列車は間もなく聖都ネハレニアへと到着します』
車内に車掌のアナウンスが鳴り響いた。
もう間もなく目的地へと到着するという事実に、少女は苦悩を深めるばかりだ。心なしか脂汗も出ているような気がして、いよいよ冷静さの最終防衛ラインすらも飛び超えてしまいそうである。
「いっそのこと召集を無視……? いやいや、それじゃ私の身が危ないし……。聖女様に正直に事実を話したら……それも私の身の危険が……」
少女はぶつぶつと呪祖のように言葉を呟きながら、来るべき絶望への備えをする。
「どこかに逃げ道は……いや待てよ、そもそも逃げるという考えが……って、正面からどう説明するんだ。最悪、門前払いに……まあ、それでもいいんだけど――って、うわぁ!?」
少女の呟きが途切れ、列車が大きく揺れた。
明らかに尋常じゃない揺れに、少女はすぐさま立ち上がり状況確認を開始した。
「何事だよもう……」
これ以上面倒事を増やさないでくれよと念じながら、少女は愛用の刀を手に取った。列車が緊急停車したところを見るに、十中八九魔物の襲撃だろう。あまり目立ちたくもないが、ここで燻ぶっているわけにもいかない。
「魔物も空気読んで欲しいよ」
口では嫌そうに言っていても、少女の中にある正義感が怠慢を許さない。事件が起これば、事態解決のために少しでも尽力するのが自分の務めだと自負しているからだ。
『ご連絡いたします。当車両は現在、魔物の襲撃を受けています。ですがどうかご安心ください、すぐに守護兵が撃退いたします。それまで動かずに待機をお願いします』
車掌のアナウンスに車内がざわつき出した。
列車が魔物に襲われるといった事例は、頻繁にではないが多々起こることだ。故に、守護兵という連中が車両に常に乗車し、列車を守っているのだ。
「……やっぱりか」
ぼやきつつも、少女は立ち上がった。
魔物となれば、尚のこと自分の出番だ。
「お嬢ちゃん! どこへ行く気だい!?」
少女が事態を確認するために違う車両へ移ろうとしていたら、背後にいた細身の青年が慌てた様子で声をかけてきた。黒色の髪に、優しそうな顔。その表情から、こちらを心配しての行動と見てとれる。年端も行かぬ少女が刀を持って出ていこうとしているのだ。危険だと呼びとめても不思議じゃない。
「えっと、ちょっと加勢にですね」
「加勢にって、君はまだ子供じゃないか! それに、アナウンスにもあっただろう? 動かずに待機していれば、守護兵が魔物を追い払ってくれるさ!」
「はあ……。まあ、確かに追い払ってくれるかとは思いますけど、ここでじっとしておくのもどうなのかなって思いまして」
「僕だって何かしたいとは思うよ! だけど、相手は魔物だ。危険すぎる。ここは大人しく――」
『ギィヤァァァァァァァァァアァ!!』
青年の言葉を遮るように、列車の外から魔物の方向が聞こえてきた。
耳をつんざくような雄叫びに、少女は顔をしかめる。青年もまた、驚き腰が引けていた。
「この雄叫び……ワイバーンみたいですね」
「ワイバーン!? 危険度Aの魔物じゃないか! どうしてこんな都市近辺に……!」
「やっぱり私は行きます。止めても無駄ですよ。というか、止めても行きますけどね」
「ちょ、待つんだ! お嬢ちゃん!!」
背後から聞こえる青年の声を無視しつつ、少女は先頭車両へと向かった。
一般的に、守護兵は前と後の車両に詰めている。状況を確認するには、そこに向かうのが手っとり早い。
「魔術や剣戟の音……。交戦が始まったみたいだ」
少女は急ぎ先頭車両へと向かう。
その途中。他の車両の乗客は皆、車掌の言葉を信じて待機していた。誰もが一時的な災害と認識しているのだ。守護兵がやられるとは微塵にも思っていないのだろう。
(まあ、それが普通だろうけど)
だが、物事に絶対はない。確立100%などという事象は存在しないのだ。
「先頭車両についた、けど……」
誰もいない。守護兵は全員外か。
少女は逡巡することもなく扉を開け放ち、列車の外へ出た。
辺り一面荒野が広がっており、遠く離れた場所に緑色の山々が伺える。左を見ると、聖都ネハレニアの外壁が小さく姿を映しており、この場所が都市周辺だということは紛れもない事実であった。
「魔術で動きを抑え込め! 狙うは翼だ、落ちてきたところを仕留めろ!」
守護兵のリーダー格が、5人の仲間に指示を出していた。
確かに、ワイバーンの弱点は翼。そこに魔術を叩き込めれば、敵はたまらず地に落ちる。
「それも、1体や2体ならよかっただろうけど……」
残念ながら、ワイバーンは群れで行動していた。目視だけで見ると5体。まだどこかに潜んでいるかもしれないから確定数ではないが、残念ながらこの数ですらすでに少なくない。
「隊長! 魔術が当たりません!! あれだけ素早く動かれては……!」
「くそ! 何故こういう日に限って魔術部隊がいないんだ!! 天は我々を見放したとでもいうのか!」
宙を舞うワイバーンの動きに翻弄され続ける守護兵達。どうやら今日に限って魔術師が乗っていなかったらしい。普通の武芸者の魔術程度では、ワイバーンの動きに魔術を合わせる事は難しいようだ。
「このままではなぶり殺しです! 隊長、何か策はないのですか!!」
「あればとっくに指示している! 幸いここは聖都付近、援軍が来るまで耐えるんだ!!」
「しかし! この調子では全滅する方が先です!」
「諦めるな! 我々の背後には守るべき民が大勢いるのだぞ!」
言い争う守護兵達を尻目に、少女は愛刀を抜き放った。そんな彼女の存在に気づいたのか、守護兵の数人がギョッとした眼で見てくる。
「ここで何をしている! 危険だ、下がりなさい!!」
「大丈夫です。こんな姿でも立派に戦えますので」
「そういう問題ではない! 我々は危ないと言っているんだ!」
「それはあなた方にも言えることでは? とにかく、この場は私に任せてください」
少女の有無を言わせない迫力に、守護兵のリーダーは口をつぐんだ。恐らく彼は悟ったのだろう。目の前の少女が、ただの子供ではないということを。
「いいんですか隊長? あの子、戦う気ですよ」
「お前は気付かんのか。あの少女が放つ異様なオーラを」
「オーラ? いえ、私にはさっぱり……」
「ここはあの子に任せてみよう。だが、危なくなったらいつでも援護できるよう構えておけよ」
「はあ、わかりました」
少女が前に出るのと同時に、守護兵達が後方へと下がった。納得いかない兵もいるだろうが、隊長命令だ。従わざるを得ないだろう。
年端も行かぬ少女が前線に出てきたからといって、ワイバーンの動きに躊躇いが出てくるはずもなく、相変わらずの機動力で少女を翻弄している……ように周りからは見えたことだろう。
槍のように尖った尻尾に、飛び爪と呼ばれる攻撃手段を持つワイバーンは、魔物の中でも脅威である危険度A。並大抵の武芸者ではたちまち喰われるのがオチだ。そんなワイバーン5体を目の前にして、少女は怖い程落ち着き払っていた。
「早速で悪いけど……さようなら」
低い声音で呟いた直後、少女は刀を横に一閃した。
次の瞬間、空気が振動し、空を飛んでいたワイバーン5体の身体が真っ二つになっていた。何が起こったのか、見ただけでは判別がつかない攻撃。要は特殊な波動を刀に乗せて飛ばしただけだが、彼らにそれは理解できないだろう。
一瞬のうちに絶命した5体のワイバーン全てが、肉片となり地に落ちる。その様子を、守護兵達はただ呆然と眺めていた。
「あ、有り得ないだろ……」
「隊長、これは……っ」
「一体、何者だというのだ……」
ざわめき出す守護兵達のことなど我関せずの少女は、ふぅと一息ついて刀を鞘に収めた。これしきのこと、少女にとっては軽い運動程度でしかないのだ。一々反応されても困る。
「すみませんけど、後片付けはお願いしますね。私は車内に戻って発車を待ちますので」
少女の淡々とした態度に、守護兵達は眉根を寄せた。これだけのことをしておいて、見返りも求めない姿勢に困惑しているのだろうか。それとも、あまりにも呆気なさ過ぎて未だに実感がないのか。残念だが、相手の心のうちまでは少女にも読めない。
「ま、待ちなさい! 君、一体何者だ?」
隊長格の呼びとめに、少女は列車付近で立ち止った。
だが、何者だと問われても、まともに応えられぬ理由が少女にはある。さらにいえば少女は今、混迷の悩みを抱えている最中だ。ここで問答するよりか、少しでも長い時間を精神統一にあてたいというのが心情だった。
「私はただの旅人です。特に何かあるわけではないですよ」
「まさか! 危険度Aのワイバーン5体を、一撃で葬れる武芸者などそうそういるはずがない!」
「いますよ、これくらいならたくさん。世界は広いですから」
それだけ言って、少女は列車の方へ向き直った。
だが、背後から気配を感じ、咄嗟に振りかえろうとした瞬間。衝撃は、思わぬ方向から飛んできた。
「危ない!!」
「……えっ!?」
正面の、列車の入り口。そこから、先程少女を呼びとめた青年が飛び出し、突撃してきた。
「い、いきなり何を……っ」
背後の気配に気を取られていた少女は、青年のタックルの下敷きになってしまった。
幸い、怪我はない。だが、青年の身体のせいで視界が狭く、先程の妙な気配の原因を探れない。早くどけといわんばかりの勢いで、少女は青年の身体を押し、身体の自由を取り戻した。
「どうしてこんなことを……って、その背中、どうしたんですか!」
「は、はは……。かすり傷、だよ」
平気そうに言うが、青年の背中には何かで切り裂かれたような傷跡が出来ていた。
「本当は無傷の予定だったんだけど、掠っちゃったみたいだ。実はもう一体空にワイバーンがいてさ、君に向かって攻撃してきたもんだから咄嗟に身体が動いたんだ」
「なら、その傷はさっきの……。私を庇って負ってしまったんですか……?」
「そんな大層なものじゃないよ。というか、君なら多分避けれてたよね。ごめん。余計なことしたみたいだ」
「いえ……」
少女が気配を感じ取っていたのは事実だ。ワイバーンの飛び爪攻撃も、恐らくは避けていただろう。
「すみません、今は先にあっちを仕留めます」
話の途中だったが、少女は再刀を抜き、空中のワイバーン目掛けて先程と同じように一閃した。ワイバーンは、見えない斬撃を空中で避けようと身体を捻ったが、無駄に終わった。さっきと同じように、少女のその攻撃でワイバーンは真っ二つになり、先の5体と同じく絶命した。
「やっぱり、すごい……」
納刀する少女を見ながら、青年は感嘆の声をもらした。
ワイバーンを倒した少女は、青年の元へ戻るとすぐさま傷の様子を確認した。見た目ほど酷くはなさそうだが、放っておけば大事になる可能性もある。応急処置はしておいた方がよさそうだ。
「とりあえず上着脱いでください」
「き、急にどうしたの?」
「手当をするんです。服を着たままじゃ出来ません」
「わ、わかった」
青年は少女に言われた通りに上着を脱ぎ、上半身をさらけ出した。青年の身体が以外にも逞しく鍛えられていたことに驚きつつも、少女は腰の袋から塗り薬を取り出した。
「この塗り薬を傷口に塗って……――、ガーゼを当てて……――、最後に包帯を巻いて……――」
座る青年に対し、テキパキと中腰で応急処置をしていく少女。これくらいなら慣れている。造作もないことだ。
「……よしっと。これで終わりです。薬で血は止めましたが、ちゃんと医師から見てもらってください」
「君ってこういうことも出来るんだね。手際が良くてびっくりしたよ。でも、なにはともあれ、ありがとう」
青年は上着を着直した。
「どういたしまして。でも、もう危険なことはしないでくださいね」
「ははは、肝に銘じておくよ。本来ならその言葉を君に返したいところだけど……君ってすごく強いんだね。ワイバーンを瞬殺するところ、ここから見てたからわかるんだ」
「あの後、私を追ってきてたんですね。まあ、あれくらいなら余裕です。だって私は……っと、この先はあまり公言してはいけませんでした」
「? 何のことだい?」
「こちらの事情です。それはそうと、そろそろ車内に戻った方がよさそうですね。立てますか?」
「うん。大丈夫だ」
「では、戻りましょう」
言って、少女は座っている青年に手を差し伸べた。
「えっと……」
「どうかしましたか?」
「どうして僕に手を?」
「あなたが立つときのために手を貸そうかと思っただけですが、不用でしたか?」
「……ううん。なんというか、君って優しんだなぁって思って」
「面と向かって言われると、照れるんですけど……」
少女は青年の真っ直ぐな瞳から目を逸らした。
自分は、優しい人間なんかじゃない。現に、少女は青年を騙している。自身が真っ当ならば、青年の言葉も正面から受け止められただろうが、今の少女にそれは出来ない。
「……」
「な、なんですか人の顔じろじろ見て」
「あ、ごめんごめん。最初ホームで見た時から思ってたんだけど、やっぱり可愛いなぁって」
「か、かわ……っ」
「でも、きっと笑顔はもっと素敵だと思うな」
青年の言葉に、少女は一歩後ずさった。
少女は慣れていない。そういう言葉を言われることに慣れていないのだ。だから、どう反応すればいいのかが判らない。
「ご、ごめんね。そこまで驚かれるとは思ってなくて」
「こ、これは驚いているというわけではなく……。それにしても、よくそういう言葉をサラッと言えますね……」
「思ったことを口にしただけだよ?」
「……そういうところがってことなんですけどね。まあいいです。ここにいては守護兵の邪魔になります。後片付けは彼らに任せて戻りましょう」
「わかったよ。っと、そうだ。まだ名乗ってなかったね。僕はフレイル・クラナッハ。君は?」
「……イヴ、です」
「イヴちゃんだね。よろしく」
「はい、よろしくお願いします」
お互いに握手し、2人は一緒に車内に戻るのだった。