04
4月の北海道はまだ寒く、運動には不向きなコンディションだ。グラウンドの隅々には、長く厳しい冬が爪痕を残すがごとき白い雪がこんもりと見られた。アップをするそばから冷たい外気で冷やされ、体の中心部は火照っているが四肢と頭は寒いという不思議な現象に要は戸惑う。
冷静になるにはちょうどいいか。要はひとりごちた。昼休みのことである。川嶋さんに話しかけたところ、時間を吹っ飛ばされた。差し入れの特製ドリンクは自信作だったのか、内容成分と効能をとんでもない熱意で説明されたのだが、あまりの豹変ぶりにビックリした。 線が細い彼女がそこまでスポーツに入れ込むとは思わなかったが、野球に対する情熱を感じる。何とかして期待にこたえたい。しかしだからといって闇雲に力んでも駄目だ、頭は冷静に。落ち着いて作戦を実行するんだ。
ランニングとダッシュ、円になっての準備運動を終え、グラブとボールを準備しに戻ったベンチで一年生は示しあわせるように彼女のスクイズボトルを取り出した。キャッチボール、ベースランニングまでがアップで、その後一年生は春大会のため上級生のサポートに回る手筈だが、今日は新入生に上級生とのレベル差を叩き込むレクレーションが行われる。
いよいよ勝負の時間がくるのだ。要は気合いをいれ半分ほど残した特製ドリンクをゴクリとやる。隣の浅見もイッキに飲み干した。民本は今から緊張してどうするんだよと苦笑いしながらチビりと嚥下、鈴木は練習30分前に全部飲みきったのだろう、しばし中を確認するように振っていたが、やがてあきらめボトルに額を当て祈っていた。
時間的にあの大演説をきいたのは要だけだろう。しかしマネージャーの粋な計らいに誰もかもが燃えている。相変わらず刺すような寒さだったが、それでもなお心は熱かった。
浅見がグラブとボールを引っ付かんでバシリとならした。
「瀬戸山、僕とキャッチボールしよう。タミーは明とやってくれ」
要はよっしゃと答え、守備手袋を巻き付けると、思い出のグラブに、旧友に教えられた通り薬指と小指をいっぺんにねじ込んだ。人差し指は外に出している。要にとっては、遊び以外で初めての硬球だからである。
浅見は短い距離を優しいペースで放ってきた。乾いた寒空にピシャリと皮の音が響く。気温の低さもあってジンジンした痛みが来る。浅見が手に息吹き掛け暖めながら、グラブを上げた。ナイスキャッチ、瀬戸山。
要も真似しゆったりと投げ、利き手をハー、と暖めた。寒さでかじかんだ指が膨らむような、くすぐったい感覚が昇ってくる。パシッ!ナイキャー浅見。
いよいよアップが終わり 、監督が集合をかける。レクレーションの説明、一年生は守備につかせず打撃のみ行う。一打席、通常のルール。ボール判定はキャッチャーが行い、フェアファールアウト判定は一塁側にいる監督が行う。ピッチャー四死球出すなよ、キャッチャー判定ひいきするなよ、後輩の前でエラーするなよと冗談を飛ばし、真面目な顔であくまでレクレーションだから怪我しないようにと注意。質問はないか、どうせないだろ、と監督が結んだとき、川嶋さんが挙手をした。
「スコアブックをつける練習をしたいのですが、よろしいでしょうか?」
監督はちらりとマネージャーを見やり
「いいけどやり方わかるか?マネージャー経験なかったよな?」
「大丈夫です。勉強してきました」
「フーム、じゃあやってみようか。ちょうどいい、俺おっさんでカウントとか忘れるからな。部のシート使っていいから後で提出してくれ」
「ありがとうございます。机と椅子をバックネット裏に持っていっても構いませんか?」
「好きにしていいよ。よーし川嶋の用意ができしだい始めるぞ」
大変なことだ、川嶋さんがバックネット裏、キャッチャーの真後ろに来ることになった。あそこまでしてもらったんだ、無様な真似はできないぞ。要は武者震いした。