02
やはり自分の見立てに間違いはなかったんだな。要は浮かれていた。
野球部最初の練習に集まった一年生は五人。うち一人は女の子であるからプレーヤーは四人。野球のスタメンは九人、定員割れだ。
そしてグラウンドは札幌の辺境、土地が余りまくっているらしくラグビー、サッカー、テニス 、軟式硬式野球が同時展開してもまだスペースが埋まらない。毎日だって球を使った練習ができる。
これは、本気であるかもな、スタメン。スタメン、なんと甘美な響き。試合の最初っから出番があり、三回に一度は打席が来る。……最低三回もだ。そのうち一回でもヒットを打てば、どんなに嬉しいことだろう。いつもスコア係だった自分だが、人に斜線を引かせる日が来てしまうかもしれない。あるいはあるいは、後ろが頑張ってくれれば得点が、丸がつくかもしれないのだ。うおお。ホームインしたらベンチの皆とハイタッチとか、しちゃっていいのだろうか。これはスコアシートとオーダーシートはこっそり写メるなりコピるなりしなければ……
などと、本当にどうしようもなく、浮かれていた。
悪いことに初回の練習も、浮かれ心に拍車をかける。春の大会が近いから、今日は挨拶だけ。後日力を見るがてら、実践形式のレクレーションをやるので、道具がある者は用意する旨をにこやかに伝えられ一年は解散。要は問答無用の雑用や怖い先輩方を予想していただけに拍子抜けした。一年を打席にたたせるその懐の深さ、指導者の柔軟性たるや要を天にまで導いてしまいそうだった。
輝ける未来に目がくらみ浮かれポンチになっていた要が急な呼び掛けに答えられず、足をつっかけ、たたらを踏んでもこれは仕方のないことである。
呼び止めたのは、先ほど自分と共に自己紹介していた浅見だった。妄想世界に足払いをされた要の無様な様子に驚いている。
「突然声かけてごめんね瀬戸山君」
要は覚束なかった足取りを整え、エヘンと咳払いしてこっちは寒くて筋肉が固くなるよね、と謎の言い訳をした。浅見はニッコリ笑ってここは山の上で特に寒いからビックリしたでしょ、と応じた。
「ちょっと一年どうしで話そうよ。ウチの図書室、結構立派なんだよ?」
浅見は人懐っこい笑みのまま、慣れた様子でズンズン校舎へ導いていく。自己紹介を思いだし、そうそう彼は坂の上中学からの内部進学生だったなと納得する。あっという間に坂の上高校自慢の図書室へ着いた。
「おお、ちょうどピッタシだなあ」
呑気な声に振り返ってみると、もうひとりの内部進学生、ええと、そう、鈴木だ。彼が民本と川嶋を連れて歩いてきた。
要が名前をウンウン思い出しているその間に浅見は図書室のドアを開けて、背で押さえたまま坂の上高校野球部一年生を中へと促した。
「早速本題に入るんだけど、皆スパイクは持ってきているかな?瀬戸山君は本州から来たそうだし、民本君は寮生だよね?」
浅見が空いているテーブルに着くなり切り出した。
「ないんだったら、中学の野球部で同じサイズを探すよ。サイズがあう保証はできないけど。使うのはレクレーションの日だけだからさ」
なんだか随分な熱のいれこみようだな。レクレーションで結果出せば即レギュラーでもあるのかな、と要はまだ浮かれていた。
「一応持ってきているよ」
「ちゃんとある」
要と民本の答えに浅見がほっと一息つき、続ける。
「僕と鈴木は内部生だから先輩に色々聞いて知っているんだけど、今度のレクレーションはレクレーションじゃないんだよ」
テーブルに漂うなんじゃそりゃ、の空気を振り払うかのように鈴木が大きく首肯する。
「基本的に一年生って夏までは体力作りと雑用だけなんだけれども、今の監督になってからいきなりそれじゃあ可哀想だし、モチベーションも上がらないんじゃないかってことで、入部後の最初だけレギュラー組と勝負させてくれるんだ。今年の一年は皆打者だから、エースと1打席勝負ってね。それでねじ伏せられて、まだボール使った練習は早いよってことになるらしい。新入生が硬式球でやるのは危ないとか、変に期待持たせるみたいで良くないって批判もあったんだけど……」
やっぱりそんなに甘くないんだなと要は肩を落とす。
「ねじ伏せられなかったらどうなんのさ?」
民本が割って入る。確かポニーリーグだかシニアだかで硬式球を経験していたはずだ。
「駄目さ。『今実力があるのはわかったけど、野球は体力勝負』って言われて終わり。今の監督が結果残したもんだから、この方針は変わらないよ」
浅見の答えに 、質問した民本もまあそんなものかと一つ頷く。
「……とにかく、チーム側はそんな考えなんだってさ。でもさ…」
浅見が一旦押し黙り、全員の顔を見やった。ニコニコした笑みをいたずらっ子のそれに変える。
「僕はそれに乗っかかるのは面白くないんだよね。出来れば逆にねじ伏せて、鼻をあかしてみたいんだ。打てなくてもペナルティ無し、こっちはノープレッシャーで相手は打たれたり四球出したら赤っ恥、でもいきなり怪我されたら困る。そこまで厳しい所にはこない。条件は悪くないと思うんだけど、どうかな?」
「どうもこうも、打席に入る以上は打ちに行くよ。当たり前だろ?」
民本の勇ましい答えに要も引っ張られる。
「試合だって色々な状況、思或のなか進んでいくからね。いちいち考えたって仕方ない。ベストを尽くすだけだよ」
三年間試合に出ていない男の台詞である。しかし茶化してはいけない。要は燃えていたのだ。打席すらなかった三年間。無駄に遊んで過ごしてきたのか?否、真面目な要である。練習はしてきた。いつか自分のバットがボールを捉える、その瞬間を夢見て日々振り込んでいる。そして三年越しにチャンスがきた。要の胸を闘志の炎が焼き焦がすのは必然だろう。
浅見はいつの間に用意したのかノートパソコンを起動した。
「ウチの図書室は設備が整っていてね。申請すればパソコンを借りられるのさ。ちょっと待ってね」
何やらパソコンをいじくり回した浅見は、クルッと反転させこちらへパソコンを差し出した。浅見と鈴木以外の三人が顔を寄せあってのぞきこむ。画面には試合が写し出されている。バックネット裏からの視点、ちょうど投球練習している所だ。後ろでファーストがゴロを転がして、二遊三の選手がきびきびと捌いている。そしてネクストサークル近くで色ちがいのユニフォームがタイミングをはかっている。ふむふむ。残念ながら要には攻撃側の高校名はわからない。守備側の方はすぐにわかった。投手の胸にデカデカと坂の上と書かれていたからだ。
「これは去年の奇跡の躍進で道予選に出場したときの映像なんだけど、この投手は当時二年なんだ、つまりは僕たちが対戦する相手で……」
ん?ちょっと待てよ?今何て言った?道予選?
要は自分の聞き間違いだと断定する。
「……見ての通り球が速い。真っ直ぐとスライダーだけで道予選まで来たのは伊達じゃないぞ。動画があるのは地区決勝とこれだけなんだけれども、皆高めのボール球に……」
しかし浅見が無遠慮に要の現実逃避を打ち砕いた。
…………この高校、勉強は出来るけど部活弱い、自分のようなスポーツの神に見放された奴が集まるところじゃねーのかよ!!
要は激怒した。