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小夜子の夏休み  作者: 阿蘭素実史
8/9

そのはち。

 なんだかまぶたの裏が眩しい……。

 確か、雲外鏡の鏡を壊した直後、学校だけが地震に見舞われて、私は瓦礫に埋もれてしまった。だけど体のどこも痛くない。すると、ここは天国って場所なのかも知れない。死んでしまった、なんて実感は全然わかないけれど、コンクリートの瓦礫が頭に直撃して、生きていられる人はいないだろう。

 そう思っていたのだけど、だんだんと意識がはっきりしてくると、私は死んでなんかいないことに気が付いた。

 恐る恐る瞳を開ければ、そこは天国の景色なんかじゃなく、屋上階段の踊り場の天井が見えた。

「うそ……。学校、壊れたはずなのに」

 寝ぼけたように、まだ少しはっきりしない意識のまま、頭だけ動かして周囲を見回すと小さな天窓からこぼれる朝日に照らされて、圭介の寝顔を見つけた。

 どうやら、圭介も無事らしい、と分かるとホッとする。ホッとする反面、私は一つの不安にかられた。

 今日は一体何日なんだろう。

 結局、雲外鏡は私の願いも謝罪も受け入れてはくれなかった。とすると、結局また振出しに戻ってしまったのだろうか。

 そう思いながら、私はゆっくりと上体を起こした。リノリウムの床の上で寝ていた所為で、ちょっと体のあちこちが痛い。あと、筋肉痛もひどい。

 だけど、起き上がった私は、そんな痛みなんて吹き飛ぶくらい、驚愕にさらされた。

「ひっ!?」

 私の目の前に静かにたたずむのは、屋上階段の壁にかけられた鏡。

 昔の校長先生がたてかけたもので、大事に大事にしていたおかげで、神さまが宿った。だけどその時、校長先生はもうこの世にいなくて、神さまは校長先生が自分と同じくらい大事にしていた、この学校の生徒たちに恩返しをすることにした。

 そうして、この学校には一つのウワサ話が出来上がった。『深夜十二時。鏡の前で神さまにお願いすると、なんでも願いを叶えてくれる』そんなウワサ話が。

 そう……それは、私と圭介で壊したはずの雲外鏡の鏡だった。

 私は鏡に映る自分の顔が、みるみるうちに青くなっていくのが分かった。すぐさま、傍で眠る圭介を揺り起こした。

「んー、もう朝?」

 と圭介は完全に寝ぼけまなこで、私の顔を見る。だけど、私が言葉にならない言葉で、雲外鏡の鏡を指差すと、圭介の顔もみるみるうちに青くなった。

「どうなってるんだ!?」

 圭介はとっさに右手の金属バットに目をやった。使い込まれた金属バットはあちこちに凹みがあるけれど、明らかにボールを打ち返した跡ではない凹みがある。

 確かに昨日の夜、私たちはこの鏡を壊した。なのに、鏡はヒビひとつない状態で、いつもと変わらない姿をしていた。

「今日は何日だ!?」

 と圭介が私に尋ねた。

「分かんないわよ。カレンダーも時計も持ってないもの」

 私がそう答えると、圭介はおもむろに立ち上がって、鏡を睨み付けるとバットを両手で持ち大きく振りかぶった。

「もう一回、ぶち壊してやる!」

「ちょっと、待って!! 今壊したら、もう二度と雲外鏡に会えなくなる! それに、今日が何日なのか確かめる方が先よ!」

 慌てて私が止めると、圭介は「そうだな」と言ってバットを降ろしてくれた。

 その時だった。突然、階下からこつん、こつんという小さな足音と、誰かの気配が私たちの方に近づいてきた。

「小夜子、俺の後ろに下がってろ」

 圭介は私を庇うように背中の後ろに隠すと、再びバットを構えた。

「先生かな?」

 私が推測を口にすると、圭介は「それはない」と言い切った。

 学校が夏休みとは言え、先生たちはいろいろと仕事があるから、ほとんど毎日来る。私のお父さんが毎日仕事に行くのと同じ。だけど、まだ陽射しの緩い、こんな朝早くから出勤する先生はいないはず。

 まさか、あの人体模型がまた動き出したのだろうか。それにしては足音はゆっくりしていたし、不気味な雰囲気もない。

 やがて、足音は階段を一歩ずつ昇って、私たちのすぐ真下までやって来た。

「おはよう。圭介くん、小夜ちゃん」

 場違いなくらい明るい笑顔と声で、ひょこっと姿を現したのは……。

「縁っ!?」

 私と圭介はほぼ同時に声を挙げた。私たちの前に現れたのは、クラスメイトから「座敷童ちゃん」とニックネームで呼ばれる、私たちの親友、静沢縁だった。

「どうして、縁がここに?」

 と言う私の問いかけを遮るように、圭介が「今日は何日だ!?」と縁に尋ねた。すると、縁はニッコリとほほ笑んで、

「今日は、八月三十日。おめでとう。これで昨日は昨日になったんだよ」

 と言った。

「でも、昨日、俺たちが鏡を壊したら、地震が起きて学校が崩れたはずなのに、どうして学校も鏡も元通りになってるんだろう? もしもまだ二十九日を繰り返してるなら、分かる。でも、今日が三十日っていうなら、元通りになってるなんて、おかしいじゃないか」

 圭介はちらりと、雲外鏡の鏡を見た。確かにあの時、学校は崩れ去った。私たちの頭の上に瓦礫が降り注ぎ、私はそのまま意識を失ったのだ。なのに、崩れたはずの学校も、壊したはずの鏡も、私もいつもと変わらない姿でここにある。

 その疑問の答えは見つかりそうにもない、そう思っていたのだけど、意外な人が私たちにその答えを教えてくれた。

「それは、すべて神さまの見せた幻だからだよ」

 と、縁が訳知り顔をして言う。

「学校が崩れたのも、鏡を壊したのも、人体模型や怪奇現象も……同じ日を繰り返していたのも全部、幻だったんだよ」

「ど、どうして、縁がそんなこと知ってるのよ!?」

 私は思わずすっとんきょうな声を挙げてしまった。

「だって、私がそうするように鏡の神さま、つまり雲外鏡にお願いしたからだよ」

「えっ!?」

 得意げに語る縁に、私と圭介は声を揃えて驚いた。

「だって、二人を見てると、やきもきして仕方なかったんだもん。圭介くんは小夜ちゃんのこと好きで、小夜ちゃんは圭介くんのこと好きなのに、お互い素直にならないから。なかなか言い出せないまま、二人が遠く離れてしまうなんて、親友としては放っとけないでしょ?」


 ことの次第はこうだ。

 縁は、私の気持ちと圭介の気持ちの両方を知っていて、私たちのためにある作戦を立てた。

 私が圭介の引越しを知って、雲外鏡にお願いする前の日、つまり八月二十八日の深夜十二時、縁は一人で校舎に忍び込んだ。

 私が初めて深夜の校舎に忍び込んだあの日、壊れかけの窓の鍵が開いていたのは、私より前に校舎に忍び込んだ誰かが居たってことの証拠だった。あの窓の鍵が簡単に開くことを私は知らなかったけれど、縁は誰かから聞いていたのだと思う。

 そして、校舎に忍び込んだ縁は、ウワサ話を頼りに雲外鏡を呼外部リンクび出して、私と圭介のことをお願いした。

『なんとかして、夏休みが終わる前に、二人を素直にさせたい。きっと圭介の引越しのことを知れば、必ず小夜ちゃんは願い事をしに来るハズだ。その時に小夜ちゃんを困らせて、圭介との距離を近づけて、お互いに告白外部リンクするように仕向けて欲しい』

 それが縁の願いだった。雲外鏡は縁の願いを叶えることにした。

 次の日、私が雲外鏡に『明日が来ないように』とお願いした。そこで雲外鏡は、私に永遠に同じ日を繰り返す幻を見せる術を仕掛けた。

 そして、同じ日を繰り返していることに気付いた私は、何の事情も知らないフリをした縁と一緒に、雲外鏡にお願いをキャンセルしてもらうようにお願いした。雲外鏡は私たちに、怪奇現象を見せて怯えさせ、追いかえした。

 思えば、困り果てた私に「圭介くんに相談しよう」と持ちかけたのは、縁だった。私は縁の勧め通り、圭介を頼って力を貸してもらうことにした。

 そして、圭介と一緒に再び夜の校舎に忍び込んだ私は、次々と巻き起こる恐怖現象に耐えられなくなって泣き出した。その結果、私と圭介はお互いに好きと言うことを告白した。

 縁の願いは、ついに叶えられたのだ。

 真実を知った私の頭に一つの疑問が浮かんだ。

「でも、私が鏡の神さまのウワサを知ってるってこと、縁はどうして知ってたの?」

 私がウワサ話に疎いのは、縁も良く知ってることだった。鏡の神さまのウワサ話のことなんて、あの学級新聞を読むまで知らなかった。

「あの記事書いたの私だもん。ほら、タイトルに『わらしちゃんの怪奇特集』って入ってたでしょ?」

 縁はずいぶん前から、この計画を練っていたみたいだった。つまり、私はずっと前から、縁のてのひらの上で転がされていた、ってことになる。

 真実を知ってしまうと、目の前の座敷童のような親友の愛らしい笑顔が、どこか黒々としたもののように見えてくるから、ちょっと怖い気がした。

 だけど、縁には感謝しなきゃいけない。

 縁は私たち二人の気持ちを知っていて、気持ちを伝えられない私たちの背中を押してくれたんだ。

 ちょっと怖い想いはしたけれど……。


 八月三十一日。

 夏休み最後の日がやって来た。すっかり秋の気配が近づいてきた朝、私はいつもより早起きをした。九月一日からの学校に間に合わせるため、圭介が引っ越すからだ。

 見送りに行けば、きっと泣いてしまうかもしれないと思ったけれど、見送りに行かないなんて出来るわけもなく、私は一番お気に入りの服を着て、圭介の家に向かった。

 圭介の家では、すでに引越しのトラックは出発した後で、あとは圭介と圭介の家族を乗せた車が、転居先へ向かうだけだった。圭介のお父さんとお母さん、それにお兄さんは、私が見送りに来るのを待って、わざわざ出発の時間を遅らせてくれたみたいだった。

「さよならは言わないよ」

 ちょっと恥ずかしいのか、車の外で私を待っていた圭介は、車の中で待機する家族に聞こえないように小さな声で言った。

「言うと、もう会えないってこと、認めちゃうような気がするから」

「でも、新しい街は、ここからずっと遠い所にあるんでしょ?」

 私が問いかけると、圭介はこくりと頷いた。

 宇宙に行っちゃうわけじゃないから、この地球にいる限り、どこにいたって会いに行くことは出来る。電車や、バスや、飛行機を使えば。だけど、小学生の私たちには、それらを利用することは難しい。

「今は簡単に会えないかもしれないけど、大きくなったら、その、俺が小夜子を迎えに行くから、その時まで待っててほしいんだ」

 圭介は、あの時教室で告白したときみたいに、ちょっと顔を赤くしていた。

「大きくなったらって、どのくらい?」

「中学……高校……大学生かな。俺にも分かんないけど、絶対迎えに行くから。約束」

「針を千本も飲ませる趣味はないけど、約束守らなかったら、許さないわよ」

 と言いながら、私は小指を差し出した。

『ゆびきりげんまん、うそついたら、はりせんぼんのーます、ゆびきった』

 私たちは声を揃えてゆびきりした。この先何年したら、私たちが再会するのか分からない。でも、圭介は約束を必ず守ってくれる。だって、圭介は私のヒーローだから。

「それから、これ新しい家の住所と電話番号。向こうに着いたら、すぐ手紙書くから」

 ズボンのポケットから圭介が取り出したのは一枚のメモ用紙だった。圭介らしいぶっきらぼうな文字で、私の知らないアルファベットの街の名前が書いてあった。

「うん。私もすぐ返事書くね」

 私はメモ用紙を受け取りながら、笑顔で言った。

 別れのその瞬間が来ても、私は不思議と泣き出すことはなかった。寂しい気持ちはあったけれど、圭介を笑顔で見送りたかった。もう、好きな人の前で涙を流すのなんて、ゴメンだ。

「じゃあ、行くよ」

 そう言って、車に乗り込む圭介の方が、ちょっと泣き出しそうに声を上ずらせていた。

 圭介のお母さんとお兄さん私に手を振ってくれる。

 圭介は泣き出さないようにじっと前を見つめてる。

 圭介のお父さんが、車を発進させる。

 圭介を乗せた車は、静かに遠い遠い街に向けて出発した。

 私は、圭介とまた会える日を夢見て、その車が見えなくなるまで手を振り続けた。


【おしまい】

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