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小夜子の夏休み  作者: 阿蘭素実史
7/9

そのなな。

 トイレを後にして、どこをどう走ったのかよく分からなかった。一度下の階へ降りて、また階段を上がって。毎日通っているうえ、それほど複雑でもない構造の校舎が、まるで迷路のような錯覚さえ覚えてしまった。

 六年生の教室にも逃げ込んだ。だけどそこで待ち構えていたのは、壁一面に書かれた「タスケテ」という血文字。

 図書室は、読書スペースのテーブルに並べられた辞書がすべて「死」と書かれたページに開かれていた。

 図工教室には、切断された指や手首が転がり、それらがまるで虫のようにうごめき、這いずりまわっていた。

 さらに、家庭科室には火の付いたコンロの上に首つりした人影が、真っ青な顔して何も言わず、恐ろしい形相で私たちを睨み付けてきた。

 その度に悲鳴を上げて、逃げ出した。だけど、それらの部屋から一歩廊下へ踏み出すと、あの人体模型が私たちを追いかけてくる。人体模型は、常に叫び声をあげているにもかかわらず、息一つ乱すことはなく、反対に私たちはもう一歩も走れないほど疲れ切っていた。

 見慣れた学校が、隅から隅までお化け屋敷になってしまっている。どこへ逃げても、まるで「どこにも逃がさない」と言っているみたいで、私たちは疲れと同じくらい全身が恐怖に染まっていた。

 そうして、たどり着いたのは、私たちの教室『五年三組』だった。

 この部屋ではどんな怪奇現象が待ち構えているのか、私たちは怯えていた。だけど、人体模型は何故か部屋の中に入ってこない。せめて、一秒でも休めるなら、そんな風に私も圭介も思っていた。

 ところが、五年三組の教室では、何も起きなかった。ただ、何故か部屋の窓がすべて開け放たれていて、夜空から舞い込んでくる風が、白いカーテンをひらひらとさせていた。

 夏の終わりを予感させるような、少し冷たい夜風が私たちの体を冷やしていく。まるで、私たちの教室だけが、このお化け屋敷の聖域のようだった。

 息を整え、激しく後藤を打つ心臓を落ち着かせていると、私は不意に自分でもよく分からないくらい悲しくなって、泣き出してしまった。

 きっと、緊張の糸が切れてしまったんだと思う。

「ちょっ、どうしたんだよ、小夜子!?」

 小さい頃のわたしのように、わんわん泣いていると、驚いた圭介が私の傍まで近寄ってきた。泣き顔なんか見られたくないのに、圭介は私の顔を覗き込んでくる。

「見ないでっ!!」

 私はそう言うと、圭介に背中を向けた。

 好きな男の子に泣いてる顔を見られたくないって言うのは、女の子共通の想い。圭介はちょっとデリカシーが足りない。だけど、私はそんな圭介のことが好きなわけで……。

「ごめんな、小夜子のこと守ってやるなんて言って、結局逃げるしかできないなんて」

 圭介が言った。きっと、私のことを慰めるつもりだったのかもしれない。だけど、悪いのは私で、謝らなければいけないのも私の方だった。

「私の方こそ、ごめんね。圭介をこんなことに巻き込んじゃって。私が、あんなウワサ話を信じて、雲外鏡にお願いなんてしなければ、こんなことにならなかったのに」

「そういえば、どうして、明日が来ないように、なんてお願いしたんだよ?」

「それは……な、夏休みがこのまま終わらなければいいなって思ったのよ」

 好きな人とずっと一緒にいたいから、なんて言えるわけない。言えないから、雲外鏡にお願いしたんだから。

 だけど、私の声が妙に上擦っていたのを、幼なじみが聞き逃したりなんかするはずがなかった。

「嘘つけ。小夜子ってそんなやつじゃないだろ。どうせ、宿題だってとっくの昔に終わってて、早く二学期が始まればいいのに、って思うんじゃない?」

 私たちの人生はまだ十一年だけど、圭介と過ごした時間はそのほとんどを占めている。そんな幼なじみのことを私は良く知っているし、圭介も私のことを良く知っている。嘘を吐いたって、すぐにバレてしまうのは、当り前のことだった。

「嘘つくの下手だよな、昔っから。でも、嘘つくんだったら、もう協力できない」

「えっ?」

 今度は圭介がくるりと背中を向けて、そっぽを向く番だった。怒っているような口ぶりじゃなかったけれど、そんな圭介の態度に、私は不安を感じずにはいられなかった。

 そんなはずないのに、何故か置いてけぼりにされてしまうような、少し怖くて、かなり寂しい不安。圭介が引っ越すという話を縁から聞いたときに感じた不安と同じ気持ちが、べったりと私の心を塗りつぶしていく。

 私は、涙を拭いて、固く手を握りしめて、圭介の背中に向かって言った。圭介が私を残してどこか遠くへ行ってしまわないように。

「私が願ったのは……圭介とずっと一緒にいたかったから。好きな人のこと、この先も、何年も、何十年も好きなままでいたかったから。でも、私は昔と変わらない弱虫で、私が圭介のこと好きだなんて言ったら、きっと今のままじゃいられなくなるって思ったの。だからそれが怖くて、雲外鏡にずっと今のままでいられるように、明日が来ないようにって願ったの」

 私が想いを口にすると、圭介は少しだけ振り向いて、目を丸くした。

「私は圭介のことが好き。ずっと前から、私たちがまだ小さかった頃から、ずっと、ずーっと好きだったの。でも、どうして、圭介は私に引越しのこと話してくれなかったの?」

「それは……」

 圭介は少し困ったような顔をして、再び私に背を向けた。

 私と圭介の間に、冷たい夜風が通り過ぎ、沈黙が流れていく。

 もう、心臓が壊れそうだった。こんな形で告白してしまうなんて思ってなかったし、圭介の態度があまりも冷たかったから、私は立っているのがやっとの状態だった。

「嘘なんてつかないで」

 沈黙に絶えられなくなった私が言うと、圭介はおもむろに振り向いた。

「その、小夜子に引越しのことを言えなかったのは……お前、泣いちゃうだろ、さっきみたいに」

 そう言われて、私は少しだけムっとした。でもきっと、引越しの話を圭介の口から直接聞かされていたら、圭介の言うとおり私は泣いちゃったかもしれない。

 だけど、そう思われるのはちょっとしゃくなので、私は強がって見せることにした。

「そんなに簡単に泣かないわよ。さっきのは、その、たまたまってだけ」

「嘘ばっかり。小夜子が泣き虫だってこと、一番知ってるのは俺だから……だから、その、好きな子を泣かせたりするのって、かっこ悪いっていうか、俺っぽくないっていうか、あーっ!! もうっ! 何言ってんだ俺!」

 圭介はがーっと唸って、頭をかきむしると、かなりキリっとした顔つきになって叫んだ。

「とにかく俺は、お前のことが好きだから、言えなかったんだよっ!!」

 その瞬間、私の目の前が何だか明るくなったような気がした。心を塗りつぶしていた不安が、まるで霧でも晴れるかのように取れて、体中が軽くなって浮いているような心地になる。

「じゃあ、私たちって両想いってこと?」

 私がおずおずと尋ねると、圭介は小さく頷いて、少し照れたみたい。

「ん、まあ、そういうことになるかな……」

「なーんだ! あははっ」

 私は急におかしくなって、声を挙げた笑いだしてしまった。

 あんなに、もしも圭介が私のことを何とも思ってなかったどうしようとか、嫌われるかもしれないとか、もう友達でいられなくなるかもしれないとか、色々と不安に思ってたのは、全部取り越し苦労だったなんて、笑わずにいられない。

「なんだよっ、そこ笑うとこじゃないだろ!?」

「ごめんごめん。なんだか嬉しくて安心したら、笑いが込みあげて来たの」

「ったく、泣いたり笑ったり忙しいやつだなぁ」

 圭介はちょっと呆れ顔だったけど、圭介も心が軽くなったみたいだった。そんな圭介に私は教室の掛け時計を指差した。

「とにかく、今日を終わらせる。もうすぐ、雲外鏡が現れる時間よ」

 時計の針は、もうすぐ深夜十二時を指し示すところだった。いつまでも、この教室に隠れているわけにはいかないと、圭介も頷く。

 だけど、教室から一歩出れば、またあの人体模型が猛然と私たちを追いかけてくるだろう。鬼ごっこを続けるには、もう時間も体力も残っていないし、何度もどこかの部屋に隠れたとしても、イタチごっこになるのは目に見えていた。

 形勢逆転しなきゃいけない。

 私たちは、教室を出る前に作戦を練った。そして頷きあうと、私は教室のドアの隅に、圭介はドアの正面に立った。

「いち、にっ、さん!!」

 圭介の掛け声で、私はドアの端を掴み勢いよく引っ張った。

 ドアが開くと、そこには待ち構えていたかのような人体模型が仁王立ちしていた。だけど、私たちの予想通り、人体模型は教室の中に入ってこようとはしない。どうしてなのか理由は分からないけれど、それを逆手にとった。

 圭介は教室と廊下の境目で、大きく金属バットを振りあげた。

「気持ち悪いんだよお前っ! どっか行けーっ!!」

 渾身の叫びと共に振り下ろされたバットが、人体模型の頭を吹き飛ばす。胴から離れた頭は、ポーンと弧を描くと、廊下の反対側の窓ガラスを突き破り、そのままグラウンドの方に落下していった。一方頭を失った胴は、しばらくの間フラフラと彷徨うように辺りをうろついたかと思うと、空気のなくなったバルーン人形のように、へなへなと廊下の真ん中で崩れ落ちてしまった。

 圭介が廊下に出て、バットの先端で人体模型をつついてみる。だけど、人体模型は動き出さなかった。

「ねえ、圭介。大丈夫?」

「ああ、大丈夫。もう動かないみたいだ」

 と言う圭介の安全宣言を信じて、私も廊下に出た。

 派手に割ってしまったガラスのことも、壊してしまった保健室の人体模型のこともどうだっていい。明日が来るなら、先生に怒られるのだって、お父さんとお母さんに叩かれるのだって平気。

 それよりも、明日が来なければ、意味がなくなってしまう。

 圭介は引っ越さない。学校も元通りになる。だけどその代り、私たちが両想いだったってことも、圭介は忘れてしまう。だから、どうしても、今日を終わらせなくちゃいけない。

「行こう……雲外鏡をぶっ飛ばしに」

 圭介が私に手を伸ばした。私はそっとその手を取った。手をつなぐのは初めてじゃなかったけれど、それは私たちがもっと小さなころの話で、久しぶりだからなのか、それとも両想いだと分かったからなのか、なんだかとても緊張した。


 ようやく屋上階段にたどり着いた私たちは、ゆっくりとその一段一段をのぼりつめ、ついに雲外鏡の鏡の前に立った。

 時刻は、深夜十二時ちょうど。

 これまでと変わりなく、鏡はまるで澄んだ水面のように、圭介と手をつなぐ私の姿を映し出した。

「出てこいよ、雲外鏡!」

 声を張り上げる圭介。しばらくすると、鏡に映る像がみるみるうちに、ぐにゃっと歪み、それが収まると同時に私たちの姿が消えてる。

「なんじゃ、騒々しいの……」

 心なしか面倒くさそうな顔つきで現れた雲外鏡は、圭介を見るなり、

「ほほう、そなた一人では無理を悟り、助っ人を呼んだか。わらわの手のものどもを破るとは、褒めて遣わすぞ」

 と、ずいぶん上から目線な口ぶりで言った。

「やっぱりあのお化けや人体模型は、あなたの仕業だったのね!?」

「左様。そなたをここに近づけさせぬための結界じゃ」

 私の問いかけに頷く雲外鏡。

「フンっ! あんなの結界なものかよっ。さあ雲外鏡、小夜子にかけた呪いを解きやがれっ!!」

 圭介は雲外鏡を恐れることなく言い放った。だけど雲外鏡は取りつくしまもない。

「呪いではない。願いを叶えてやったのじゃ。明日が来ぬようにと願ったのは、その娘。今さら反故にせよとは、筋が通らぬ話よな」

「ごめんなさい。こんなことになるなんて思ってなかったから。反省してます! だから、願い事をなかったことにしてください!!」

 嘆願してみたものの、雲外鏡はやっぱり納得なんかしてくれない。

「言葉では何とも言えるもの。人間とはまことに身勝手なものじゃ。反省と言うなら、永遠に繰り返す日々の中で、永久に苦しむと良いのじゃ」

「そんなっ、お願いしますっ、神さまっ」

「ええい、くどいぞ!! いい加減にせぬと、また、わらわの手の者を差し向けるぞ。もしかすると、もうそなたたちは時間を刻むことすら出来ぬようになるかもしれぬな……。黄泉の国には時なぞないのじゃからなっ!!」

 鏡の中で雲外鏡が右手をかざした。

 すると、それまで静かになっていたはずの校舎が、再び騒がしくなる。獣のような唸り声、でたらめにかき鳴らされるピアノの音、悲鳴にも似た金切り声、水の音、足音……。それらが、ひとまとまりになって私たちの方に近づいてくるのが分かった。

 私は圭介の手を強く握りしめた。そうしていないと、恐怖に頭がおかしくなってしまいそうだったから。

「どうじゃ、諦めて帰り、大人しくここから立ち去り、二度と来ぬと誓うなら、命は助けてやろう」

「警告って訳かよ」

 雲外鏡の言葉に、圭介はちっとも恐れることなく言い返す。

「だったらどうだというのじゃ?」

「だったら、こうしてやるよっ!!」

 圭介は右手に持ったバットを大きく振りかぶった。そして、勢いよく鏡に叩きつける。ばりっ、と裂けるような音がして、鏡の表面に無数のひびが入った。

「や、やめるのじゃっ、何をするのじゃっ!!」

 雲外鏡が明らかに慌てていることに気付いた私は、圭介と頷きあって手を離した。

 そして鏡の両側にそれぞれ駆け寄ると、「せーの!!」の掛け声とともに、私たちは鏡を壁から取り外し、踊り場の床に強く叩きつけた。

 今度はガラスの割れるような派手な音が鳴り響く。当たりに粉々になった鏡の破片が散らばって、同時に私たちに迫ってきていた音や声は、ぷっつりと途絶えてしまった。

「や、やったのか!?」

 圭介が辺りを見回す。気配もなくなり、しんと静まりかえった校舎。私たちは雲外鏡をやっつけたのだろうか? 私が「わからない」と首を左右に振ったその時だった。

 ゴゴゴっ、と何処からともなく地鳴りのような音が鳴り響いてくる。やがてそれは、私たちの足元を激しく揺らし始めた。

「地震!?」

「違う。地震じゃない! 見て見ろ、街は揺れてなんかないっ」

 私の問いかけに答えた圭介の視線は、階段下の窓から見える、街の景色に向けられていた。私たちはぐらぐらしているけれど、街はいつもと変わらない夜の景色。どうやら揺れているのは、この校舎だけみたいだった。

「早く、逃げなきゃ!!」

 叫んだけれど、無駄だった。足元の床が崩れ落ち、天井が頭上から降ってくる。「小夜子っ、掴まれっ!!」と伸ばした圭介の手を掴むことも出来ず、私は目の前が暗転するのを感じた。

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