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小夜子の夏休み  作者: 阿蘭素実史
6/9

そのろく。

 裏口に回って、フェンスの破れたところを潜る。この抜け道を教えてくれた圭介は「秘密の近道を、こんな風に使うなんて思わなかった」と、声を躍らせた。圭介は、少しだけワクワクしてるような感じだった。

 男の子は探検とか冒険とか大好きだ。私には、わざわざそんな危険を冒すことに興味は惹かれないのだけど、夜の学校に忍び込むというのは、大人たちに怒られるようなことで、スリルを感じてしまう。そういうスリルが、圭介をワクワクさせるのだと思う。

 そんな冒険者な圭介を従え、私は校舎の前側に周った。いつも通り、廊下の窓が一つだけ開いたままになっている。

「誰か、鍵をかけ忘れたみたい」

 と私が言うと圭介は訳知り顔で少しだけ笑った。

「この窓、ネジが半分壊れててグラグラしてるんだ。だから、外側からガタガタやれば、鍵が外れちゃうんだよ」

「じゃあ、誰かが窓を外から開けたってことなの?」

 そう尋ねると、圭介は「それは分からないよ」と言いながら窓を開き、桟に足をかけると身軽に校舎内へと飛び込んだ。

「だって、先生がカギをかけ忘れただけかもしれないし、この窓のこと知ってるやつは多いから、誰かがイタズラで開けたのかもしれないし。もしかしたら、小夜子みたいに雲外鏡ってやつにお願いに来たのかもしれないし」

 名探偵のような推理をしながら圭介は、窓から身を乗り出して私に手を伸ばした。私はその手を掴んで、校舎内へと飛び込んだ。

「考え出したら、キリがないよ。それに、俺たちは窓を開けた犯人を捜しに来たわけじゃないんだ。さっさと、鏡の所まで行こう」

「それもそうだね」

 私たちは離れないように同じ歩幅で、暗い廊下を月明かりの薄い光を頼りに、屋上階段目指して歩きはじめた。

 校舎の一階は、職員室や保健室などの特別な部屋が連なっていて、ちょうど校舎の中央部分には、普段私たちが出入りに使っている昇降口があるけれど、そこは夏休みなのでシャッターが降ろされている。そして、昇降口の向かいには、上へと続く階段がある。圭介を含めて、男子たちがこの階段の手すりを滑り台に使っては、先生たちに怒られていた。だけど、誰もいない夜の校舎は、そんないつもの喧騒など無縁なほど静まり返っていた。

 階段を上がれば、そこは教室が立ち並ぶ。今は空き教室もあるけれど、私の両親が子どもだったころは、どの教室にも子どもがいっぱいだったらしい。二階からは、東側と西側の突き当りに特別教室がある。

 二階の特別教室は音楽室だ。暗くてよく見えない廊下の先にあるその教室から聞こえた、ピアノの音が私の脳裏によみがえった。

 誰もいないはずの音楽室から聞こえる、ピアノの音。


 ポロン……。


 それは徐々に近づいてくる。


 ポロン……。


「小夜子、俺から離れるなっ」

 ピアノの音を耳にした圭介は、私を庇うように音楽室の方向に向かって、バットを構えた。


 ダーン!


 聞こえてくる不協和音。と、同時にヒタヒタと迫りくる足音と唸り声。この前と同じだ。私は怖くなって、圭介の後ろに隠れた。

「来るなら来い、オバケヤローっ!」

 圭介が威勢よく叫ぶ。すると、まるで圭介の声に驚いたかのように、ピタっと足音と唸り声が止まった。急に耳が痛くなるような静けさが、かえって不気味さに拍車をかける。

 次の瞬間、私たちの目の前に驚くべき光景が広がった。


 ベタベタベタベタっ!!


 静寂を打ち破るように、廊下の壁や窓一面にに、無数の真っ赤な手形がスタンプされていく。まるで血まみれの手が、助けを求めるかのように見える。

「な、何だっ!?」

 さすがの圭介も驚きを隠せなかった。少しばかり声が動揺している。

 手形がスタンプされるのとほぼ同時に、再び足音と唸り声が私たちに近づいてきていることに気付いた。とっさに「逃げよう!」と言ったのは私が先だった。

 逃げると言っても、どこへ逃げたらいいのかなんてわからない。校舎の構造は五年間の学校生活で、目を閉じていても歩き回れる自信だってあるけれど、何処へ行けば安全なのかってことは、私にも圭介にもわからなかった。

 だから、とにかく私たちは二階の廊下を音楽室とは反対側の、西側の突き当りへと走った。

 一年生と二年生の教室を通り過ぎて、西側の突き当りにあるのは理科室。薬品庫には鍵がかけられているけれど、授業をする教室側は鍵がかかっていない。

 私たちは迷うことなく、理科室の中に飛び込んだ。

「ドア閉めてっ!!」

 私が叫ぶのと同時に、圭介が勢いよくドアを閉める。すると、足音と唸り声が理科室の扉で止まった。

「どうなってんだよ。これも、鏡の神さまのしわざなのかよ?」

 顔を青くをする圭介。

「多分。雲外鏡の力だと思う」

 と私が応えると、圭介は苦笑いしながら「趣味悪いなあ」と言った。

 見回す理科室は、ツンと鼻を刺激する薬の匂いがするほかは、とても静かだった。ここで私たちは、何度か化学の実験やカエルの解剖を行った。教室には実験テーブルが並び、窓際に手洗い場、奥にはフラスコやビーカーなどの実験器具を片づけておく戸棚と、ホルマリンに漬けられた生き物のビンが飾られた棚がある。

 足音と唸り声から逃げきって、ほっと一息付いたのもつかの間。突然、そのホルマリン漬けのビンの一つが、何の前触れもなく棚から落ちて、派手な音を立てて割れた。

 ビンの中のヘビの死骸が、シューっと独特な鳴き声を上げながら動き出す。私たちは、心臓が飛び出るくらい驚いた。多分、私も圭介も悲鳴を上げたかもしれない。

 更に、カエルの入った瓶が、トカゲの入った瓶が次々と割れて、そのどれもがまるで生きているかのように動きだし、私たちの方に、じりじりとぬめぬめと近づいて来た。

 そしてトドメに、みんなが気味悪がるから、理科の先生が戸棚の奥に仕舞い込んでいた、頭がい骨の模型が勝手に動きだし、戸棚から飛び出してきた。

 カタカタカタっ、と下あごを鳴らしながら、フワフワと宙を舞うようにこちらに近づいてくる、骸骨の模型。

「逃げようっ」

 今度は圭介が先に言った。そして、くるりと反転すると、先ほど閉めた理科室のドアに手をかけた。

「な、なんだあれっ!」

 勢いよくドアを開いた圭介が叫ぶ。私も思わず目を丸くしてしまった。

 暗がりになった廊下の奥から、こちらに向かって走ってくる人影。そのフォームは、まるで陸上選手みたいだったけど、姿は人間ではなかった。皮膚はなく、赤黒い筋肉と、白い靭帯がむき出しになった、不気味な姿。そう、正確に言うと、それは保健室に置かれていた人体模型だった。

「うおぉぉぉぉぉぉ!!」

 足音と唸り声の正体が人体模型の発した声だったと、納得している暇なんてなかった。猛スピードでこちらにダッシュしてくる人体模型。背後では、シューシュー、ペチャペチャ、カタカタと音を立てながらじりじりと迫ってくるホルマリン漬けと骸骨の模型。

「小夜子、こっちだ!!」

 と、圭介が指差したのは、理科室の傍にある階段だ。校舎の中央階段より幅が狭く、屋上には通じていないけれど、逃げる道はそこしか残されていなかった。

 私たちは頷き合わせると、階段を一気に最上階まで駆け上り、廊下を中央階段に向けて走った。だけど、人体模型も私たちの後を猛然と追いかけてきた。

「そこ! トイレに逃げこもうっ!」

 視界にトイレを見つけた私が叫ぶと、圭介は少しだけ困ったような顔をした。

 さっき、理科室に逃げ込んだ時、ドアを閉めると人体模型の足音はピタリと止んだ。どうやら部屋の中までは追いかけて来られないみたいだ、と思ったから、トイレに逃げ込もうと言ったのだけど、問題なのは、トイレの入口にに扉があるのは女子トイレだけだった。

 男の子の圭介にとって、女子トイレに入るのは、いけないこと。反対に私も男子トイレに入ることは出来ない。そういうのが、マナーって言うんだ。だけど、今は緊急事態。私は圭介の背中を無理やり押しながら、女子トイレに飛び込んだ。

 予想通り、人体模型の足音がぴたりと止む。どうして、部屋の中まで追いかけて来られないのかはよく分からなかったけれど、私たちはほっと一息ついた。

「まさか、俺が女子トイレに入るなんて……」

 圭介の男子としてのプライドは、少しだけ傷ついたみたいだけど。

「まあまあ、誰にも言わないから」

 と、圭介の背中をぽんぽんっとたたきながら、私は洗面台の鏡の前に立ち、少し汗で額に張り付いた前髪を整える。ついでに、呼吸も整える。

 だけど、安心したのもつかの間だった。

 突然、鏡に映る私の隣で薄らともやのようなものが浮かんだ。そのもやは次第に像を結んだ。

 白いブラウス、赤いプリーツのスカート、まるで縁みたいな前髪パッツンのおかっぱ頭をした小さな女の子。

 私は思わず「ひゃっ」と悲鳴を上げた。私の悲鳴に気付いた圭介も、鏡の方を見て、驚きの声をあげた。

「なあ、この学校に、トイレの花子さんっていたっけ?」

 そう言いながら圭介が、ごくりとつばを飲み込む音が聞こえた。

「もー、嫌なこと、思い出さないでよ……」

 トイレの花子さん、と言えば全国の学校のトイレに出没する有名な怪談。だけど私の知る限り、私たちの学校にはそういった怪談はない。だけど、鏡に映った女の子の姿は、トイレの花子さんそのものだった。

 私たちの視線は、花子さんに釘づけになった。

 同じ鏡に映った女の子でも、雲外鏡のようにしゃべりだすこともない。ただ虚ろな瞳で私たちを見ている。

 ふいに、花子さんがトイレの奥の方をゆっくりと指差した。

 私と圭介は揃って、女の子が指差す方向に顔を向けた。青い扉の個室が五つ立ち並ぶトイレ。電気の灯らない所為で、一番奥の個室は真っ暗だった。

 と、何の前触れもなく、その扉がバタンっ! と派手な音を立てて開いた。


 クスクスクス……。


 笑い声と同時に、私たちの頭の中に小さな女の子のような花子さんの声が響く。

『ねえ、おねえちゃん、おにいちゃん、いっしょにあそぼう。くびしめごっこがいい? くびつりごっこがいい?』

「どっちもイヤだねっ!」

 圭介が扉の開け放たれた個室に向かって叫んだ。

『じゃあ、おえかきしよう。あたし、あかいえのぐなら、いっぱいもってるよ』

 花子さんがそう言うと、洗面台の蛇口が勝手に開き、そこから真っ赤な液体が勢いよく吹き出した。それが血だと分かった瞬間、私は悲鳴を上げて洗面台から飛びのいた。

「くそっ、ここもかよっ! 小夜子、逃げるぞっ」

 バットを構えつつ圭介がトイレの入り口の扉を後ろ手に開いた。

 私に続き圭介が、振り返ることなく廊下へと逃げ出す。すると、それを待ち構えていたかのように、廊下の先で佇んでいた、あの動く人体模型が再び、「うおぉぉぉぉぉぉ」と獣のような叫び声をあげながら、こちらへと猛然とダッシュして来た。

 万事休す……そんな言葉が私の脳裏をよぎった。

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