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小夜子の夏休み  作者: 阿蘭素実史
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そのよん。

 深夜に家を抜け出すのは、これで二度目。とんだ不良娘になっちゃった、なんて思ってる余裕もない。早く『お願い』をキャンセルしてもらうよう、もう一度鏡の神さまにお願いしないと、また八月二十九日を繰り返してしまう。

 だけど、結論の出ていないナゾも残っていた。

 どうして、私と縁だけがそのことに気付いているのか、ということ……。

 もしも、神さまが私の「明日が来ませんように」というお願いをかなえてくれたんだとしたら、私も縁も同じ日を繰り返していると言う認識がないまま、八月二十九日を繰り返してもおかしくない。でも、それを考え始めたら、なんだか想像がふくらみ過ぎて、背筋が凍りつくくらい怖くなって、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまいそうだったので、止めにした。

 とにかく、鏡の神さまにもう一度お願いすることが、最優先。

 私は寝たふりをして、あの日と同じ動きやすい恰好に着替えると、リビングの傍をすり抜けて、夜の街へと駆け出した。何回やっても、両親を騙してるみたいで、気分のいいものじゃなかった。

 そうして、全力ダッシュで夜の学校に到着すると、すでに縁が正門の前で待っていた。

「お待たせっ。って、何その恰好……」

 縁の姿を見るなり、私は思わず笑ってしまいそうになった。何故か、縁は学校指定の体操服ジャージを着込んでいたからだ。動きやすい服装、とは言ったけれど別に体操服を着て来るとは思っても見なかった。

「だって、動きやすい服、これしかなかったんだもん」

 と、縁はちょっとだけ頬を膨らませる。

「それに、こんな真夜中だもん。誰も見てないよ、小夜ちゃん以外。それより、こんなもの持ってきたんだけど」

 縁はズボンのポケットから、手のひらサイズの小さなペン型懐中電灯を取り出した。そういえば、前に忍び込んだ時、校舎の中が真っ暗だったこと、懐中電灯を持ってくれば良かったと後悔したことを、思い出してしまう。

「縁はしっかりしてるね……」

 私が少しだけ自嘲気味に呟くと、縁はきょとんとして小首をかしげた。

 正門は、あの時と同じように鎖で固く閉じられている。私たちでは飛び越えられそうもない。まして、運動がちょっと苦手な縁はなおさら無理っぽい。

 ひとまず私は縁をともなって、裏門の方へ回った。破れたフェンスをくぐり、裏庭に忍び込んだ私たちは、校舎内に入れる場所を探す。ここもやはりあの日と同じように、校舎の前側の廊下に面した窓の鍵が、一か所だけ開いていた。

「誰が開けたんだろうね」

 私が縁に尋ねる。縁も知っているはずがない。「さあ分かんないよ」と言いつつ、今度は縁が先に窓を開けて校舎内に忍び込んだ。

 校舎内は真っ暗。縁の持ってきてくれたペン型懐中電灯が、私たちの行く手を心細い光で照らした。

「うちのお父さんが好きな、スパイの映画みたい」 

 少しわくわくして来たのか、軽い足取りで階段をのぼりながら、縁が言う。意外と、怖いもの好きなのかもしれない。

「私は、スパイ映画っていうより、ホラー映画みたいな感じがするわ」

「ホラー映画?」

「ほら、よくある、学校の怪談をテーマにした映画よ。人体模型が動き出したり、音楽室のベートーベンが睨み付けたり、夜な夜な勝手にピアノの音が鳴ったり……」


 ポロン……。


 突然、校舎の奥からピアノの音がした。私たちは足を止めて、顔を見合わせた。


 ポロン……。


「Cマイナー。私、絶対音感があるんだ」

 と青い顔した縁が言う。

「へ、へぇー。そうなんだ、知らなかった。すごいねー。私、音楽苦手だから、あははは」

 私も青い顔をして笑う。

 夏休みのこんな時間に、校舎内に誰かがいるなんて、ありえない。そう、これは空耳。風の音がピアノの音に聞こえただけ。


 ポロン……。


 違う、あれは確かに鍵盤の音。風の音じゃない、っていうか風は吹いてない。

「い、急ごう。もうすぐ十二時になっちゃうよっ」

 真っ青な顔になった縁が、同じように青い顔した私の手を引っ張って、階段を駆け上る。

 結局あの日と同じように、私は息を切らせながら、階段を駆け上る羽目になってしまった。そうしてたどり着いた屋上階段の踊り場は、あの時と同じように、鏡だけが月明かりに照らされていた。ピアノの音はもう聞こえてこない。

 やっぱり空耳だったのか、と息を整えてから、私たちは鏡の前に立った。

 鏡に映り込むのは、私と体操服姿の縁。縁の方が私より、少し背が低い。でも、鏡は大きくて、私たちの姿をすっぽりと収めてしまう。

「あと三十秒……二十秒……」

 縁が腕時計を見ながらカウントダウンする。刻々とその時が迫るにつれて、緊張感が増してくるのを覚えた。

「五、四、三、二、一……」

「神さまっ! どうか時間を元に戻してください!!」

 私はあの時と同じように胸の前で両手を合わせて、祈るような気持ちで願い事を叫んだ。

 辺りは静まりかえっていて、私の声だけがエコーがかったように反響する。

 次の瞬間。ぐわんっと、鏡に映る私たちの姿が歪んだ。まるで、鏡が湾曲したみたいになって、ぐるぐると像が渦を描く。やがて像が元の通り落ち着きを取り戻すと、そこに映ったものに、私と縁は目を疑った。

 鏡に映ったのは、不思議な格好をした見知らぬ女の子だった。

 背格好は私たちと変わらないけれど、見たこともない顔は少しばかり青白く、長くて黒いツヤツヤの髪には榊の葉のかんざしを差し、神社の巫女さんを思わせるような赤と白の和服を身に纏っていた。

「まったく、身勝手なものよな……」

 鏡の女の子が、ふぅ、とため息交じりに言う。

「あ、あなたが、鏡の神さま?」

 と尋ねたのは縁だった。縁は私の腕を強く握りしめて、恐怖のあまり声が震えていた。

「左様。わらわの名は雲外鏡(うんがいきょう)。そなたたちが、鏡の神さまと呼ぶ者じゃ」

 ずいぶんと古臭いしゃべり方をする、鏡の神さまこと雲外鏡は腰に手を当てて、ふふんと少しだけ自慢気だった。

「か、神さまっ。お願いします。時間を元に戻してくださいっ」

 私はもう一度雲外鏡にお願いをした。すると、雲外鏡は眉をひそめる。

「わらわは、そなたの願いを叶えてやったというに、今度はそれを取り消せと申すのか?」

「そうです。お願いしますっ」

「明日が来ぬようにしろと言ったかと思えば、今度は元に戻せとな? なんと身勝手なことを」

「身勝手なのは分かってます。だけど、このまま今日を繰り返し続けたら、みんな困ってしまうんです。だから……」

「だから、それが身勝手と言うのじゃ。わらわは、身勝手な人間が心底嫌いでの」

 私の言葉を遮るように言った雲外鏡の顔が、意地悪そうに歪む。

「そういう人間には、神罰を与えてやろう。己の身勝手さを、その身で知るがいいっ!!」

 高らかに雲外鏡が叫んだ瞬間、鏡がピカっと光った。まるで、カメラのフラッシュのように目の前が真っ白になって何も見えなくなる。

『愚かにして身勝手なる人間どもよ。わらわの怒りを思い知れ! もはやお主たちの時は戻らない。邪魔だてをすると言うなら、神罰を下してやろう。さあ、わらわの(しもべ)たちよ、この娘たちをここから追い出すのじゃ!!』

 頭の中にこだまする雲外鏡の声。トドーンと、雷のような音がしたかと思うと、眩しい光の渦がまるで突風のように私たちを踊り場の反対側まで吹き飛ばした。

 光の収まった鏡の中から雲外鏡は消え、尻もちをついた私と縁の姿だけが映し出されているだけ。一体何が起きたのか分からなかった。だけど私たちを包み込む静けさは、あまりに不気味だったので、私は縁の手を取って、すぐに立ち上がった。

 その時だった。再び校舎の奥から、ピアノの音が聞こえてくる。


 ポロン……。


 さっきと同じ、Cマイナー。

「小夜ちゃんっ」

 ぷるぷると震えながら、恐怖に顔をひきつらせた縁が、私の腕にしがみつく。私も怖くて縁の腕にしがみついた。


 ポロン……。

 

 音はだんだんこっちに近づいているみたいだった。私たちは、踊り場の隅に固まって、そこから動けなくなった。


 ダーンっ!!!!

 

 突然の不協和音が、まるで私たちの耳を引き裂くように響き渡ったかと思うと、どこからともなく無数の気配が湧きあがる。いくつものパタパタと忙しない足音。いくつもの獣のような「うおぉぉぉぉぉぉ」という鳴き声。

「に、逃げようっ」

 と言い出したのは縁だった。私は頷くと、縁の手を引っ張って階段を駆け下りた。一番下まで駆け下りて、あの鍵の開いた窓から外へ出る、後はフェンスを潜り抜けて、学校から出ればいい。十分くらいの道のり。

 私と縁は無我夢中で走り抜けた。その間も、背後から、前方から、四方八方から、気配と足音、それに鳴き声が私たちに迫ってきていた。間違いなくそれらは、私たちを探してる。

 これが、雲外鏡が言っていた神罰なんだろうか? 

 分からないけれど、恐怖のあまりそれ以上何も考えられなかった。

 何とか無事に学校の敷地から這いだすことが出来た私たちは、それでも怖くって、私の家まで全力疾走で駆け抜けた。

 ようやく、我が家が見えた時には全身の力が抜けて、思わず玄関先に座り込んでしまった。ずっとつないだままだった手はぐっしょりしていたし、夜風が心地いいくらい首元に汗をかいていた。

「きょ、今日は何日だろう……」

 息を整えながら私が言うと、縁はまるで酸素不足の金魚のように夜空に向かって、口をぱくぱくさせながら、「分かんない」と言った。

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