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次郎と愉快な家族たち

 山本次郎(18歳)には、二人の母がいる。


 一人は、年甲斐もなくまだ腰に刀をぶら下げて、睨みをきかす怖い女だ。


「年寄りは隠居しろよ」と彼が母に言ったら、これ幸いと旅に出て行った。次はいつ帰って来るのか、誰にも分からない。


 おかげで次郎の父親は、一人官舎でやもめ暮らしの羽目になる。


「親父も苦労するよな」


 そう言って、うすらデカイ男を見上げると、困ったようなフリをしながら、実は余り困ってないだろうという笑みを浮かべるだけだった。


 とことん、母に甘い男である。


 次郎は、上手に父に似ることが出来なかったため、背が伸びなかった。


 母より少し高いくらいなので、同世代の男から見ると見事なチビだろう。


 隣の学術都市に住む彼の兄もデカイので、次郎は見上げて話す羽目となる。


 首の痛くなる家族だ。


「そんじゃ、親父。オレ、しばらく隣行ってくっから」


 母に旅立たれた寂しい父を、次郎は容赦なく置き去りに家を出た。


「ハチ、行くぞ」


 茂みに向かって呼びかけると、ひょこひょこと山追やまおいの獣が現れる。


 茶色くて、耳がとんがっていて、顔が長い。しっぽも長くふさふさした、四足の動物だ。


 普段は、前足を片方持ち上げて歩くが、走らせるととんでもない速度を持つ、次郎が生まれた時からの相棒である。


 袴に草履、腰には日本刀。


 バッサバサの黒髪は短めでざんばらな上に、いつも連れているのは山追。


 チビではあるが、そんな非常に個性的な姿をしているので、都でも学術都市でも顔はよく知られていた。


 だが、彼を呼び止めるのは、なかなか難儀なことである。


 何故ならば、道を行く次郎はほとんど走っているからだ。


 隣の学術都市まで、大体半日の距離をその半分以下の時間で駆け抜けてしまう。


 速く走る方法と、長く走る方法は違う。


 速く走る方法は、母に習った。


 長く走る方法は──リクに習った。


 あの坊主頭の男は、年の割りにいい足腰をしていて、身体をぶらさず走り続けられる化け物だった。


 その技を習得したおかげで、次郎はただ身体の疲労を犠牲にすれば、速くへ行くことが出来ると分かったのだ。


 だから、彼にとって学術都市など、ちょっと「隣」まで出かける気分で行けるようになった。


 まめにそこに行かないと、問題を起こす人間がいたからだ。


「次郎~!」


 とろけるような愛を込めて、名を呼ばれる。


 いつの間にか、山本家の連中と同じアクセントで呼べるようになっているその声の主は。


「おっす、ロジア」


 彼女の部屋に行くや、濃厚な抱擁を受け、頬に何度も口づけられる。


 子供の頃から慣れていることのため、次郎は無抵抗にそれを受けるクセがついていた。


 やたらと頬に口紅をつけられるのだけは、玉にきずだが。


 これが、もう一人の次郎の母。


 学術都市で学問を教えている頭のいい女性なのだが、次郎が余り来ないと、学生をほったらかして追いかけてくる病気があるので、こうしてマメに顔を見せに来るのだ。


 ロジアは、顔の火傷の跡をひっくるめてもいい女だが、同時に悪い女でもある。


 大体、付き合ってる男たちが悪い。


 次郎は、彼女と同郷の男たちは、全員いけすかないと思っていた。


 何もかも、肌に合わないというか。


 イーザスとは、ふとしたはずみに殺し合いになりそうだし、カラディにはおととい来やがれと怒鳴りたくなるし、ヘリアは何を考えているか分からない。


 もう一人いるらしいが、おそらくやっぱりロクでもない性質だろう。


「いまから兄貴んとこ行ってくっけど……変な悪だくみはすんなよ」


 べたべたの口紅を拳で拭いながら、次郎はロジアの頬にひとつ唇を返す。


「そんなことはしなくてよ……次郎の言いつけは、ちゃんと守りますわ」


 うっとりと見つめられ、次郎は「ほいほい」と手を振って彼女の部屋を出た。


 ロジアがいるのは、学問所の西棟だ。


 学術講師の揃うそこは、学生も熱意溢れる学者肌が多く、次郎が出入りするには一番不似合いなところである。


 だが、次郎はさっぱり気にしない。


 そのまま棟を飛び出すや、風のように辻をふたつ横切る。


「あ、ジロウ兄さん」


「にいちゃーん!」


「おっす、甥っこども!」


 兄貴の息子二人が駆け寄ってくる。


 イムスは14歳だが、もはや身長は次郎と同じほど。


 もうまもなく追い抜かれるだろう。


 ルーデは11歳。


 こっちもにょきにょき育っている。


 この二人の上と下に、女が一人ずついる。


 四人兄弟と、その母まで入れていつも騒がしい家だ。


 兄の分まで、他の連中がしゃべっている騒ぎだった。


「よぉ、兄貴」


 道場から出てきた男が、次郎の兄──リリューである。


 ずおおおおお。


 見上げる時に、そんな擬音語をつけたくなるほどデカイ。


 次郎が父を見上げる音は、「ごごごごごご」だろうか。


「よく来たな……稽古をしていくか?」


「おっす、よろしくお願いしぁっす!」


 兄と道場に一礼して、ざくざくとはだしで木の床を踏みしめた。


 だが、道場は──無人ではなかった。


 女が二人、いまから打ち合いをするようで、呼吸を合わせている。


 そんな大事な一瞬を、邪魔するほど野暮ではなく、次郎は壁に背をつけてその様子を見ることにした。


 ひゅっ。


 空気は、同時に動いた。


 カァンと、固い木剣が渇いた強い音を立てる。


 気迫いっぱいに打ち込むのは、若い女。


 それを、余裕を持って受け流す初老の女。


 どちらもこの国らしい褐色の肌と、茶金の瞳。


 だんだん、打ち合う速度が上がって行くが、先に息切れしたのは若い方だった。


 頃合いだな。


 次郎は、息を吸う。


「やめっ!!」


 その肺にたまった息で、どでかい声を発する。


 ぴたっと、女二人の身は止まった。


 さすがは、基礎訓練は欠かさない二人である。


「「ありがとうございました」」


 当たり前のように交わされる、双方の終わりの礼。


 親子でも、ここでは当然の行動だった。


 そう、彼女らは母娘なのだ。


「久しぶり、エンチェルク姐さん」


「ジロウ、元気そうね」


 エンチェルクは、母が山基流道場を開場した時からの、初代組の一人だ。


 母を除けば、最初にして最強の女性剣士と言っていいだろう。


 それは老いても変わらず、忙しい仕事に身をおきながらも、こうして時間を作っては精進に励んでいる。


 世間では、貴族の正式な妻ではないということで、彼女についていろいろ言われることもあるが、次郎含めて道場の関係者全員、どうでもいいと思っていた。


「次郎兄さん、こんにちは」


 母を追い越そうと剣を持てば、いい太刀筋を見せるが、それが終わるや、ふにゃっとした声になり、次郎の気合を削いでしまう娘がいる。


 ショーノだ。


 エンチェルクと同じ肌と瞳の色を持つ、典型的な都人の彼女は、いい意味でも悪い意味でも、いまひとつエンチェルクにも山基流にも染まっていない。


 子供の頃からの付き合いのおかげか、彼女もまた『次郎』と発音出来る人間だった。


「よぉ、ショーノ。あんまり伸びてねぇな」


 自分より低い頭を、くしゃくしゃと撫で回す。


 結んでいる彼女の癖っ毛が、それに合わせて派手に乱れる。


「あー……兄さんやめてー」


 暴挙を止める言葉さえ、気が抜けそうだ。


「せっかくジロウが来たのなら、手合わせをお願いしたかったわね」


 エンチェルクが、少し残念そうに言う。


「今なら、手合わせできるぜ?」


 木剣を取ってこようか?


 彼の申し出に、エンチェルクとショーノは一度顔を見合わせて、残念そうな顔になる。


「今日は、あんまり時間なくて……もうお迎えが来ると思うの」


 娘は、母と二人分の木剣を抱えて片付け始める。


 ああ。


 お迎え。


 それは──面倒くさいのが来る、ということ。


 十分に理解した次郎は、苦い顔を二人に見せてやった。


 あいつがくるんだな、と。


「忙しいのは、エンチェルク姐さんだけだろ? ショーノは置いてったらどうだ?」


 そんな次郎の提案は、しかし、即刻却下されることとなった。


「帰るぞ、ショーノアオルティム」


 道場の入り口から、クソ生意気な声が聞こえてきたからだ。


 次郎が振り返ると、長い茶髪を後ろで束ねた、いかにもお貴族様のおぼっちゃんが、立っているではないか。


 今日は、父親の方はいないようだ。


「よぉ、ロアッツ。お迎えか? ショーノは置いてけよ、後でオレが送ってやっから」


 次郎は、彼に向かって軽く言い放った。


「お前に、ロアッツなどと短い名前で呼ばれる筋合いはない。帰るぞ、二人とも」


 即座に斬り返される言葉に、次郎は片目を閉じる。


 呼ばれるのもイヤ、ショーノを置いていくのもイヤ。


 そういうお答えらしい。


「ロアッツミーニアリステ……ここでは身分は関係ありません。年上の相手に『お前』は許されませんよ」


 エンチェルクが静かに諭す言葉に、彼はフンと鼻を鳴らした。


「そういう話でしたから、僕はこの建物の中に、この通り……一歩も中に足を踏み込んでおりませんよ、母上。父上と客人を、これ以上待たせないでいただきたい」


 ああ言えば、こう言う。


 屁理屈のためによく回るその口を、縫い付けてやりたい気分を隠さないまま、しかし、次郎はロアッツに向かって笑みを浮かべてやった。


「ショーノお姉さまが、何か言いたそうだぜ」


 顎で、奥にいる彼女を差す。


 二人ともエンチェルクの子であるが、順序から行けば、ショーノの方がひとつ上なのだ。


 弟は、まったくエンチェルクには似ず、父親に似たようだが。


 そんな減らず口の塊である弟に対し、彼女は。


「ロアッツちゃん……私のことは『姉さん』って呼ばなきゃダメでしょ?」


 まこと気の抜ける注意を、ゆっくりと投げるつわものなのだ。


 その瞬間のロアッツの唖然とした顔と、エンチェルクの微笑みを見たら、次郎でなくても爆笑したくなるだろう。


 げらげらと腹を抱えて笑う次郎は、彼に命を奪われんばかりの睨みを投げつけられた。


「いいからさっさと来い!」という捨て台詞と共に、彼は表に停めているだろう荷馬車に戻ってしまう。


 おっかしな家族だぜ。


 思う存分笑っていた次郎は、上からゴツンと一発やられる。


 これから手合わせをする相手である、兄のリリューだった。


「お前は、軽すぎる」


「兄貴が重すぎるんだよ」


 父親は忙しく、母親は放浪癖がある次郎からすれば、兄のリリューとロジアが本当の父母のようなところがあった。更に、そこに伯母や従姉や門下生など、大勢の中でもまれて育ったのだ。


 だが、それらの人の中にもまれるのは、彼にとっては愉快な事が多かった。


 嫌味を言い合う相手であっても、こうして楽しい気分を味わえるのだから。


「ごめんね、次郎兄さん……またね」


「今度は手合わせをお願いね」


 ロアッツにつむじを曲げられた母娘は、詫びの言葉を残して道場を出て行く。


 ぺこりと一礼する二人に、軽く手を上げて見送った。


 シンと、道場には再び静寂が訪れる。


「さあて、静かになったし……兄貴、やろうぜ」


 無駄にでかい兄を見上げながら、次郎は笑顔を浮かべた。


 またも楽しい時間が、始まるのだ。


 笑顔になって然るべきだろう。


「……お前は、母さんに似たな」


 苦笑しながら、兄は目を細めてそう言った。


 少し──羨ましそうに見えた。


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