七話
いつものように伸吾との他愛も需要も無い馬鹿話しを終え、時刻も24時を過ぎようとしている頃に帰る時まで喧しい我が悪友を送り出して布団に着く。
それが、いつもの何ら代わり映えの無い俺の一日の終わり……の、はずだった。
だが、どうやら今日はそんなノーマルな一日の終了を神は許してはくれないらしい。それを見事に打ち砕いてくれたイレギュラーたる存在の乱入により、俺の平凡たる日常に狂いが生じていた。
半ば強制的に我が家へコンニチハを果たしてしまった見覚えの無い少女は未だその瞳を開くことなく、俺のマイ・布団で汗一つかかず、寝息一つ立てずに体を仰向けに横にしている。
そんな中、情けない男の代表と見れよう俺と伸吾はその少女をただ見ていることしか出来ず、突っ立って下に位置する寝顔が何とも可愛い女の子を凝視していることしか出来ん状態だ。が、この無言空間も時間にして約2分後には、伸吾の一言で終わりをとげた。
「なぁ…拓…この子…」
「なんだ?」
「マジで可愛いな…」
はいはい。そうですね。
「そういえば店員が腹が減っているんだろうと言っていたな」と、伸吾の言葉をスルーする俺。
「こんな子が彼女だったらなぁ〜」と、さらに俺の言葉をスルーする伸吾。
一発殴って目を覚まさせてやろうか…。
「冗談だって。この子起きた時のために何か軽いもの作ってくるわ。台所借りるどー♪」
そう言うと伸吾は女の子を気遣ってか足音を極力抑え台所へと姿を消した。こういうときはこいつの意味の無い明るさが救いになるな。
自分の体が凝固していることにようやく気がつき、ゆっくりと音を立てないよう注意しながら少女の隣に位置する場所へとアグラで座る。
しかし…先ほど伸吾の言葉を華麗にスルーした俺だが、確かに滅茶苦茶可愛い子だな。迷子だろうか? いや…迷子ならば警察が動いているはずだろうな。見る限り歳も俺とそう離れていない印象を受ける。うーん…そうなると…。
知ったこっちゃねーや。
考えても無駄だ無駄。この子が起きた時に事情を聞くのが一番早いな。
そう自分の中で安楽的な思考をまとめ、何を思ったのかその子の顔面を真上からまじまじと見つめてしまった。
「!!」
計算されたような見事なタイミングで、俺が少女を見つめたのとほぼ同時にその相手の目蓋のシャッターが開いた。咄嗟に少女から自分の顔面を退け距離を取る。完全に不意をつかれた…とりあえず何か言ったほうがいいよな。そうだよな?
「あ…その…こんにちは」
こんにちは、じゃないだろ俺!
「…………」
いや……何か反応してくれ。恥ずかしさで死にそうだ。
「あー、ここは俺の家だ。君が倒れたんでとりあえず勝手に運ばせてもらった」
「…………」
少女は体を起こさず、一度首から上を左右に振り場所を確認すると、今自分でもどのような表情を作っているのかわからない俺へと大きな瞳を向けてきた。
「お…おはよう?」
頼むから何か言葉を発してくれ。俺もそろそろ限界だ……
「……りゅう」
ようやく待望であった言葉が少女から聞けたわけだが……「りゅう」? ……へ?
と、俺がステータス異常『放心』にかかってしまっている間に、目の前の少女の上半身が勢いよく立ち上がり、俺の右腕へと体を押しつけて来た。街で時折見かけるカップルで歩いている女の方が男の片腕にからみついているような、そんな体勢だと思ってくれりゃいい。
……なぜ?
俺とこの子は初対面だ。うん、間違いない。それが何故このような体勢に!? いや、まぁ嬉しくないと言ったら嘘になるけどさ。いきなりこんな攻撃をされるとは思いもしないだろ?
「りゅう」
俺の腕に絡んでいる可愛らしい少女はまたも俺の顔を見つめ、表情をピクリとも動かさずにお決まりになりつつある単語『りゅう』とだけ口に出す。
今わかったことだが、瞳の色も日本人であるとは思えない色をしている。どう見ても黒ではないその色は鮮やかなブルーであった。
「…………」
悲しきかな、異性との接触がほとんど皆無であるヘタレ(むろん、俺だ)はこの状況に思考がストップしてしまい、ステータス異常が放心から石化へと変わってしまった。
右腕外側に感じる柔らかな二つの突飛物の感覚が嬉しい限りであるが、これがさらに思考の急停止に拍車をかけてしまっている。いや、嬉しいけどな。
と、この体勢のまま時間がどれほどたったのかはわからないが、ようやくこの拷問なのか楽園なのかわからない摩訶不思議な状況を終わらせてくれる救世主が光臨してくれた。ナイスだ!
「…………」
「し…伸吾」
そいつは片手に卵がゆを持ち、俺とその隣で俺を見つめている少女のことを、まるで家に帰ってみたら宝石を物色中であった泥棒と対面してしまった時のような表情でいつもの1.5倍ほど目を見開き凝視してきた。
「友よ……君はもう俺とは違う世界へと旅だってしまったのね……。へへへ……裏切りって……辛いもんだな……」
バッドだ!
「落ち着け。何故こうなったのか俺にもわかってないんだ」
「料理…簡単な物だけどここ置いておくよ……お幸せにな……」
ここで目にうっすらと聖水を浮かべ、背を向けてしまう勘違い野郎一名。
「まてまてまて。違うんだ」と、その行動を静止させる俺。
「何が違うっていうのよ!私というものが有りながら!」と、バカ。
「誤解を招くようなことを言うな。いいからそこに座れ。頼むから一人にしないでくれ」
と、俺達のグダグダな会話を尻目に当人である少女は俺へと向けていた顔を机に設置された卵がゆへと移動し、そのまま目線を放さないで固まっていた。
「……食っていいぞ」
何も言わないでいるといつまでも見つめていそうなので俺が小さく少女へと声をかけた。
「……食べていい?」
「腹減ってんだろ?」
この問に少女はコクリと一度頭を上下させ、再度俺の方向へと目線を移して来た。むろん、まだ腕を掴んだままである。
「りゅう、食べない?」
さっきから気になっていたのだが、『りゅう』とは俺のことなのであろうか?
「俺はもう夕飯はすました」
そう俺が言うと、次に少女は俺達のやりとりを涙目で見つめていた伸吾へと瞳を移した。
「えんじ……作った?」
「はい?」
さすがの伸吾もこれには動揺を隠せなかったらしい。『りゅう』の次は『えんじ』か。
誰?
「これ、えんじ、作った?」
再度確認を求められたこの言葉に、伸吾は俺の耳元へと口を近づけてくる。
「おい、えんじって俺のことか?」
「多分……」
伸吾よ、その反応は普通だ。誰でもそうなる。いきなり初対面の相手に勝手に名前を付けられるなんてのはまず人生では無いだろうからな。
「えんじ?」
と、少女がほんの15度ばかり顔を右へと傾ける。
「あ、お……おう! 俺が作ったんだ。たんとお食べ♪」と、反射的に顔を素早く少女の方へと向け、伸吾が明るく反応。
「えんじ、食べない?」
「君のために作ったのさ。さぁこれを食べて俺と共に素晴らしい家庭を築こうじゃないか!」
「?」
表情一つ変えずに伸吾のアホを凝視する少女。
「ごめんなさい。俺が悪かったです……」
しばらく見つめ合っていた二人であったが、伸吾のほうが先に音を上げ視線をそらした。よくやった!
「腹減ってるんだろ?いいから食いな」
そう俺が言うと、少女はスルリと俺の腕から放れ、一直線に湯気立つ卵かゆへと移動していった。あの状況が開放されるのは少しばかり残念だったが……いや、俺も男なんでな。