表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名誉のためでなく  作者: ulysses
第1章
6/19

第005話 胎動

 早朝の王都ロンディニウムは、季節外れの濃霧に包まれていた。

 ロイヤル・キャヴァリアー通りの角に位置する海軍省。飾り気の無い建物の連なりの中央、海軍本部ビルに【海軍本部委員会】がある。それは、王立海軍の中枢として海軍の軍政・軍令・海事関係の司法を実質的に統括している組織であった。海軍大臣をトップに、官僚が担当する書記官、制服組の将官である第一海軍卿、第二海軍卿、第三海軍卿で構成される。

 また、その下部組織として事務部門の海軍委員会が存在し、艦艇の建造や補修等、艦隊資産を管理している。

 

 ジョナサン・アバスナット・フォーセット提督(海軍中将=エリントワース伯爵)は本部ビル六階の窓から、儀仗任務交替のため、霧深く薄暗い通りを行進する王室胸甲騎兵の隊列を見下ろしながら、これまでの来し方を顧みていた。

 長身のがっしりした体躯、白髪の混じる栗色の短髪、目尻の皺を除けば61歳という年齢を感じさせない童顔に稚気を宿す碧眼が親しみやすさを醸し出し、水兵・士官、人族・亜人族を問わず “ジョニー・D” と呼ばれ敬愛されていた。そして海軍本部委員会で海軍の人事を握る、第二海軍卿の要職にあった。

 

 聖歴1649年、海軍少将だった頃、彼は艦船や設備などの軍備の供給を司る第三海軍卿を努めていた。当時、南海の都市国家ギレミアが抱える私掠船団が大量の魔導水雷艇を保有していた。安価で大量生産でき小回りの効く小型艇は、集団戦法で狼の群れのように獲物に襲いかかり大型艦の天敵とも呼ばれ、帆船商船団の運行に合わせ速度の出せない護衛艦隊の大きな悩みとなっていた。

 フォーセットは3カ月の短期間で、ポムペイリアの海軍造船所を監督し水雷艇への対抗兵器である【水雷艇駆逐艦トーピドーボート・デストロイヤー】の開発を推進した。当時の最新式魔導ケトルと強力な魔導速射部隊を配備した、小型で高速の水雷艇駆逐艦4隻で組織されたH部隊は、私掠船団を追い詰め瞬く間に壊滅させた。彼はその功績により中将へ昇進。北西海と西海の方面司令官を努めた後、南洋艦隊司令長官の任務につき、 聖歴1658年に帰国し第二海軍卿の地位に就いた。

 現在では【水雷艇駆逐艦】という名称は短縮されて【駆逐艦】と呼ばれており、多用途に運用されている。フォーセットの愛称 “ジョニー・D” のDは、駆逐艦デストロイヤーのDである。


 今、フォーセットの広い執務室では男たちが円卓につき、5分前にフォーセットの従僕ケネット曹長が無言で紅茶を配った後に控え室へと退室した時のまま、部屋の主が口を開くのをじっと待っていた。円卓には10脚の椅子が備えられており、5人が着席していた。

 

「大魔嘯が始まる」フォーセットが一言口にし、円卓に歩み寄り上座についた。

「前回から18年ですか、もう少しは余裕があるかと思っていましたが……」動じた風もなく、禿頭で樽のような巨体を椅子に押し込めた初老のチャールズ・ダンダス准将が呟いた。片目は黒い眼帯で覆われている。

 他の4人も同意するように頷いたが、事態を予期していたように平然としていた。

「【北極圏気象観測浮氷基地ズィーブラ】から、連絡が入った。クラーケンの棲み家を中心に、かつてない程の魔獣の群れが這い出し、行動半径を急速に広げていると……。地獄の釜の蓋が開くまで、1年という所か」


 この部屋にいる者は、【ズィーブラ】がただの気象研究観測基地ではなく、浮氷と共に北極海を漂いながら北海の魔獣の監視及び神聖ガリアス帝国への諜報活動を行う海軍情報部の隠れ蓑であるという事を知っていた。また、神聖ガリアス帝国でも確証はないながらも、基地の正体をそう推測していた。


「通常は50年以上の周期で発生する大魔嘯が、前回は27年、今回も18年という短期間で続くという事は、やはり人為的なものと見られますか。前回は、確証を得る事はできませんでしたが……」痩身で黒縁眼鏡をかけ黒髪オールバックの、勤め人のような雰囲気をまとう若いマイケル・パーマー大佐がフォーセットを見た。

「限りなく黒に近い灰色という所だな。ズィーブラには人為操作の痕跡調査を命じた。格言使い(プロバブ・エランド)からは、情報は来ているか?」

「今はまだ。流すべき情報が、手元にないのかも知れませんや。せっついてみますか?」  

 帝国内部の情報提供者に問い合わせてみるかと不本意そうに、白髪混じりなボサボサ頭のトマス・エイベルが聞いた。猫背でだらし無く型崩れした制服を着込み、無精髭を生やし労働者にも見えるが、目だけは炯々と鋭く光っている。制服の袖には3本の金線が巻かれており、中佐と分かる。

「いや、彼の身を危うくするような接触は控えよう。帝国軍の動向と諜報活動の監視、情報分析を強化する」中佐はフォーセットの答えの【彼】の部分にニヤリとし、満足そうに頷いた。格言使いからの重要情報は、常に簡潔で分野が多岐に渡り性別を判別させないもだったからだ。プロファイリングにより壮年の知識人で男性の可能性が高いと分析結果が出ているが、特定ができていないため性別不明とされていた。


「前触れは始まっているようです。滅多に現れないスクィド・ワームが3体出現し、巡視部隊が仕留めました。哨戒トローラー H.M.S. フラウンダー、ディラン・シアーズ少佐です」髪が薄く痩せて鶴のような、修行僧じみた厳しさを感じさせるビクター・マリアット中佐が口を開く。

「シアーズ、聞き覚えがある……。【マクフィー・ダンサー事件】の当事者が、シアーズだったな。血縁者か?」准将が尋ねた。

「息子です。7年前巡視部隊に配属され、この4年、先任将校として哨戒艇隊指揮官を努めています。非常に優秀ですが、ストレスの兆候が出始めています」

 フォーセットは頷き、「帝国の出方を見るためにも、池に石を投げ込む必要がある。哨戒トローラーなら所属を変えても位置的に目立たず、艇体もトロール漁船と変わらんから隠密作戦には適任だな。シアーズも哨戒任務から外せば、精神的にも回復が見込めるだろう」すでに報告を受けていた提督は、H.M.S. フラウンダーを猟犬として使用する事を決めていた。


「しかし、大魔嘯に帝国相手の諜報任務では、過去の経験から過剰反応の危険性はありませんか?」最後の一人、30代半ばの外見に似合わぬ落ち着きと、細身ながら引き締まった体躯を感じさせる平服の男が懸念を告げた。6フィート半の身長をスッキリとした上等なスーツに包み、背筋を伸ばして座る男は茫洋とした表情で、澄んだ眼差しをフォーセットに向けた。

「シアーズには、乗り切って貰うしかない。時間も人手も足りないのだ、手持ちの資産で遣繰りするだけだ」スーツの男が頷くのを見て「巡視部隊の司令官は、サイモン・ビューロー准将だったな。シアーズと艇の転属命令を出してくれ。ごねるようなら見返りに、男爵には何か餌をやってもよい。所属はマリアット中佐、君の【魔研】のプリム(ゼル)の施設でいい。運用と訓練はダンダス准将の【特殊舟艇作戦部】だ。細部はそちらで詰めてくれ」


 新たな手駒の手配が進み、議題は大魔嘯への供えと欺瞞工作、各港湾都市部などの防衛・避難計画の見直しへ移って行く。

 この非公式な集まりは、海軍の部局間を越えた、軍人および外部の識者を要員とする【10人委員会】。数代前の第二海軍卿が組織した、二重スパイを管轄する小さな諜報連絡調整チームが発祥の秘密防諜組織であった。そのメンバーは厳正な審査により(ふるい)にかけられ、利権に聡い貴族や他国の潜入工作員などを排除するため、その存在は徹底的に秘匿されている。その為、メンバーは数人という時代もよくあった。

 現在は組織を引き継いだフォーセットを筆頭に、6名の士・将官で活動していた。上部組織はなく、ただミネルヴァ連合王国国王にのみ報告義務があった。一度入れば脱会は許されない程、厳しい戒律で統制されている。実際に作戦を遂行する者も、自分がどこからの指令で動いているのか知らない場合も多々あった。

 自愛主義の強い貴族が多い上級士官や政治家の中で、まさしく彼らこそが王国の砦と言えた。


 

      ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 ミネルヴァ王立海兵隊は、ミネルヴァ王立海軍の管理下にある、水陸両用作戦に主眼を置いた軽歩兵部隊である。一般にはあまり知られていないが、山岳戦と極地戦のエキスパートでもある。海兵隊のモットーは『海へ、陸へ』である。


 中世の艦船では、亜人族との悪化した関係上、乗員は人族とわずかな奴隷亜人のみであった。敵の船体を破壊するような中〜上級魔術を行使できる魔術士は、人族では希少だった為ほんとんど配属されておらず、初期の海軍とは、騎士団および一般兵士の部隊を運ぶ兵員輸送の為の船団であった。この時代の海戦とは兵士を乗せた船同士が遭遇した際に行なわれる接舷戦闘を指す。艦船に攻撃魔術士が配属されて水上艦同士の砲撃戦が行なわれるようになり、海軍が陸上部隊の輸送以外の任務を持つようになると、それらの艦船との接舷戦闘や、目的地での上陸戦闘を行なうために海軍が組織した歩兵部隊、あるいは陸軍部隊を乗り込ませるようになった。これが海兵隊の始まりである。


 聖歴1324年に海上勤務を命じられた『アインズベリ騎士団近衛歩兵連隊』の一般兵士500名により編成された、『デラク・アバルドニー海上歩兵連隊』が世界(ネレイーシス)最初の海兵隊部隊である。


 任務として海上戦での接舷戦闘の他、大国が多くの植民地を抱えるようになると、上陸した自軍を襲撃してきた敵軍や暴動を起こした原地民との戦闘を行い、これを鎮圧した。対艦魔砲術が発達した現代においては主に艦内警備、港湾守備などのほか、水陸両用作戦や強襲作戦など、陸海の兵力を連携した統合作戦が主な任務となっている。


 帆船軍艦の時代、海兵隊を含むミネルヴァ海軍の水兵は原則として志願制だったが、生活環境が悪く過酷な軍艦生活を志願する者は少なく、水兵については強制徴募も行なわれた。これは、士官を長とする数名の下士官兵で編成された強制徴募隊が、港町にいる漁師や農民、浮浪者、亜人などを軍艦に徴募するもので、身元引受のある者や、各職能ギルドに所属する者、商人ギルド所属の商船乗り組み員などを除いて、強制的に水兵として海軍に入隊させられた。強制徴募から数日以内に自発的に海軍の勤務を希望した者は、志願兵としての待遇が与えられた。当時植民地だった辺境都市でも強制徴募は行なわれており、こうした強制徴募兵が不平不満から反乱の温床とならないよう、海兵隊は取り締まりに従事した。海兵隊員は、戦闘中に配置を無断で離れる水兵を射殺する権限を与えられるなど、督戦隊としての任務も担っていた。

 また、別組織である沿岸警備隊が捜索救難任務に特化しているため、海軍が海上での警察権行使を担当しており、海上警備で強行接舷を実施する場合、海兵隊はその中核となって活動する。


 現在のミネルヴァ海兵隊の形式上の最高指揮官である王立海兵隊元帥は、王弟エルジスバロゥ公が務めている。王族による最高指揮官職は形式上の名誉職であり、実際は王立海兵隊総司令官という職名で現役軍人の少将が任命されていた。

 王立海兵隊総司令官は、海軍武官のトップである第一海軍卿の直属とされている。なお、王立海兵隊総司令官は連合王国水陸両用軍指揮官と第1海兵旅団指揮官を兼務する。ただし第1海兵旅団については管理のみの職務で、作戦指揮については他の旅団と同様に担当の准将がおこなう。

 

 聖歴1662年現在、ミネルヴァ海兵隊は以下の部隊を管理している。


 第1海兵旅団(3個戦略奇襲連隊、3個大隊)

 第2海兵旅団(3個海兵連隊)

 第3海兵旅団(3個海兵連隊)

 後方支援連隊(上陸用艦船の運用)

 連合王国上陸作戦軍支援グループ(派遣海兵旅団の司令部機能)

 艦隊防護グループ(艦船・司令部その他の保護)

 第1強襲グループ(特殊機材による上陸支援)

 特殊舟艇作戦部(特殊部隊)


 実際の作戦行動は派遣された旅団の司令部・部隊長の指揮下で行う。大規模な上陸作戦で派遣される部隊の編制は次の通りである。


 第1海兵旅団

   第40戦略奇襲連隊

   第42戦略奇襲連隊

   第45戦略奇襲連隊

   第1魔杖速射兵大隊

   第29砲兵大隊

   第24工兵大隊

 後方支援連隊

 連合王国上陸作戦軍支援グループ

 艦隊防護グループ

 第1強襲グループ


 第1海兵旅団は大規模上陸作戦に派遣される。第2・第3海兵旅団は、中・小規模な作戦や艦上警備などの任務に就く部隊である。


 

      ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 海軍省の一角、海兵隊本部ビル二階の『特殊舟艇作戦部』司令官の執務室に、チャールズ・ダンダス准将が、ぶつからないように禿頭をかがめるように入って行った。身長8フィートの大樽のような巨体から細い手足が突き出しており、皺の多い一見オーガのような凶悪な面相に、知性がきらめく右目が輝いている。左目は黒い眼帯に覆われ、その他の部分は無数の傷が走っている。毛皮の衣を着せ、棍棒をもたせればどこから見ても魔獣だが、れっきとした人族である。16歳で海兵隊に志願してから40年、現場で数々の激戦を生き抜いてきた。現在は『特殊舟艇作戦部』の部長を努めている。

 

『特殊舟艇作戦部』は潜入・偵察・奇襲・後方撹乱などを任務とする特殊部隊である。  

 入隊するには海兵隊上級訓練コースを修了後、更に選抜コースに合格する必要がある。様々な舟艇操縦のエキスパートであり、海中や沿岸での隠密活動を主任務とし、密林・砂漠・寒冷地へも赴く。編成は4個中隊とされており、中隊毎に担当が分かれている。部隊のモットーは「力と知恵を」である。

 

「セラァグァ大尉、ウィッツボード海兵隊基地へ戻るぞ。明日0900に出発する。フィリア中尉、明日から3日間の予定はキャンセルしてくれんか」デスクについていた、若い猪獣人の副官と人族の中年の女性秘書に声をかける。

「それと、シガルソン大尉と秘話通信チームを招集だ。基地でブリーフィング後、プリムの【魔研分室】へ魔研の調査官に偽装して派遣する。C任務と伝えてくれ」

「准将、基地で “訓練” をする時間はありますか?」セラァグァ大尉が嬉しそうに聞いた。毎日山のような書類に埋もれ、デスクワークの不遇をこぼしているのだ。ニヤリと笑って准将が「儂が(しご)いてやってもよいぞ。だが、まずは作戦立案だ。骨子を整えたら、基地で作戦メンバーと細部を詰める」


 しばらく後、彼らはフィリア中尉が入れてくれた紅茶を飲みながら、討論していた。

 セラァグァ大尉が「最大の難点は、隠密に情報を収集しつつ帝国にそれを気づかせて、こちらは気づかれた事を気づいていないと思わせなければいけない点ですね。シアーズ少佐は、この “業界” では言ってみれば素人ですから、うっかりと悟られかねません。漁船員としての演技も、どこまで通じるか。下手な事をした場合、泳がせるのをやめて問答無用で沈められます」と言った。

「その点は、収集する情報の種類が魔獣絡みのもので、漁にも影響する事柄だから不自然さは無いのではないですか? それに、狙いはクラーケンの棲み家に “ちょっかいをかけて迷惑を引き起こすクソッタレども” なのでしょう。襲ってくるなら、こちらが潰してやりましょう」と上品に紅茶を啜りながら物騒な事を言うフィリア中尉。セラァグァ大尉は冷や汗をかいている。

「懸念といえば懸念なのは、ディラン・シアーズ少佐が【マクフィー・ダンサー事件】のデイビッド・シアーズ船長の息子だという事だ」


 セラァグァ大尉とフィリア中尉は目を見張った。

「今回、たまたまこの時期に希少魔獣のサンプルが手に入った。魔研の状況調査に協力しても不自然さがないし、中央から調査員が派遣されるのも自然だ。偽装もしやすいし、全てがおあつらえ向きだ。だが、その当事者が彼だとは……」


 執務室内を、沈黙が支配していた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ