第003話 交替
大型スクィドワームと二頭の中型スクィドワームとの戦闘を終了した哨戒艇 H.M.S.フラウンダーは、戦闘配置を継続していた。
ウセディグ副長が、ヘイワード信号長を助手に砲術員を率いて、波間に浮かぶスクィドワームへと折りたたみ式ボートを寄せた。遭遇報告の少ない魔獣のため、個体情報を記録し、サンプルを採取するためだ。
そして、三頭の中で一番傷の少ない中型魔獣を、魔導装身具により保存魔術を展開して固定化し、腐敗の進行を止めた。ウィンチで曳航し持ち帰るため、ロープで繋いだ。
修理班は損傷部位を調査、軽微な損傷は随時修理するため報告書にまとめ、歪み撓んだ手すりや、灰色の塗装が剥げ下地の赤が目立つ部分など、重度な損傷を応急に修理する。並行して魔獣の血肉に汚れた甲板の清掃を行った。
機関員は、無理をさせた機関の点検を進める。
午後直の四点鐘が鳴る(14時)頃、副長たちが艇に戻り、機関室からの「異常なし」の報告とともに、艇は通常配置に戻され、航行を再開した。
30分後、
「艇長、司令部より連絡です。北緯60.37度、西経1.31度にて H.M.S.マッカレルと会合し哨戒任務を交替、スクィドワームの標本をプリムゼルの【魔獣研究所魔獣対策部生態研究課プリムゼル分室】に引き渡すように、との事です」
ヘイワード信号長が遠話記録を手に報告し、「艇長には、司令官から極上の葉巻が進呈されるそうで」と含み笑いしながら、つけ加える。
「ほう、それ程のご褒美を賜るとは、男爵閣下はご機嫌とみえる……、適当に感謝の言葉でも返しておいてくれ。それより信号長、初夜直だろう。まだ5時間半あるから、休んでおけよ」
航海当直は、午前0時から4時間ごとの6つの時間帯に分けて行われる。1日に当直員が4時間勤務して、8時間休むというサイクルを2回繰り返す。
時間帯ごとに「夜半直(0〜4時)」「朝直(4〜8時)」「午前直(8〜12時)」「午後直(12〜16時)」「第一折半直(16〜18時)、第二折半直(18〜20時)」「初夜直(20〜0時)」となっている。折半直は、同じ時間帯にばかり勤務することになるのを防ぐため、勤務時間をずらすために、夕刻の当直を2時間づつに分けたものだ。
ヘイワードは午前直から、そのまま戦闘配置が解かれても当直を継続していた。
「アイ、これを送ったら、ひと眠りします」と敬礼し、操舵室を出て行った。その時、ちらりとマスト上の見張り員を見ていった。シアーズはそれに気づいたが、何も言わなかった。
オェングス二等水兵の態度がおかしいのは、シアーズも聞いていた。艦(艇)長の中には、何から何まで自分を通させて艦内を掌握しようとする者もいるが、シアーズは自分から口を挟もうとはしない。部下が自分で考えて行動するのを良しとして、自主性に任せていた。手に負えなければ、いつでも頼るよう言っていた。ここは静観するところだった。
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エルフォッド・ギルダン機関科兵曹は、機関室の隅に設けられた工作室、〈船大工小屋〉で、指輪型の魔導装身具を調整していた。
ドワーフ族である彼は、魔工鍛冶師としての能力もあり、乗組員の魔導装身具の調整も引き受けていた。今は、ウセディグ副長と部下の魔導装身具に破損や異常がないか調べ終え、充填箱に入れるところだった。
中程度の魔力量を身に宿すエルフ族と違い、人族と獣人族、ドワーフ族は、一般に魔力はそれほど高くない。一般人では、暖炉や厨房での着火や流水、換気や掃除のための送風など家事を行う程度の、『こうしたい』という抽象的な思念で発動する概念魔術の使用が精一杯で、しかも持続時間は短い。
軍に入隊すると魔力・身体測定、学力試験後に一般兵科と士官候補生に分かれる。公然の秘密だが、人族は家柄も審査基準に加味されており、亜人族はほとんどが一般兵科からのスタートとなる。
訓練所と士官学校では、戦闘訓練に加えて魔力量の向上訓練も行われ、その過程で適正魔術を決定、各科に配属される。またここで、『具体的な効果を想念して発動する』観念魔術を学習する。
戦闘科に配属された者は、属性魔術式を刻印された戦闘用短杖を支給され、長時間の魔力使用が可能になる。海軍の場合は火・水・風の三本のロッドが支給され、陸軍ではこれに地属性が加わる。属性毎にロッドが用意されるのは、魔石の混在が相互の共鳴を引き起こし、魔力の放出が早められるとともに崩壊が早くなるためだ。
一属性しか付与されていないロッドは戦闘員には不評であり、自身の魔力と魔術を付加して複数属性魔術を発動することが、非公式にではあるが認められている。
その際、増えたといっても微々たるものでしかない魔力を増幅するのが、魔導装身具である。属性魔石を、魔力を通さないクロマ鉱の開閉可能なケースで覆い、汎用魔術式を刻印した金、銀、ミスリルなどのネックレスやピアス、指輪などに加工する。所持者の血液を一滴、台座に垂らして個人認証を設定する事で使用可能になり、発動させる魔導装身具の数だけ属性を付加することができる。といっても、普通は魔石自体が希少鉱石なので、多量に所持する事は価格の面からいっても無理である。
ディラン・シアーズ艇長は、四属性を一つずつ、四個所持しているが、彼にしても贈られたものや父の形見などの他は、自分で買ったものは火属性のもの一つであった。しかし、三属性を使用する水雷員には特別に、裕福で多量の魔導装身具を所持するウセディグ副長が、航海中に限り貸し出している。
使用した魔石の魔力は減少し崩壊も進むが、属性魔石の欠片を敷き詰めた『充填箱』に、その属性に合った魔導装身具を収め、魔力を吸収させることで充填し崩壊を抑えることができる。
刻印される独特の魔術式や『鍛冶の神ゴウーニュ』に祈りを捧げながらの魔導装身具の製作は、本来ドワーフ族のみの技術であり、ウルカン王国内でのみ使用されていたが、連合王国誕生の際、使用者を軍人のみに限定することで技術供与された。一般への浸透による犯罪の増加、大規模化と、国外への技術流失を恐れたためである。
現在では多少規制が緩み、軍以外では、合法的な依頼ならどんな些細な仕事から魔獣討伐まで請け負う、准軍事組織でもある【特殊技能者斡旋組合】の、ミネルヴァ国籍のAランク以上のメンバーに魔導装身具を一つ、王宮からの貸与という形で所持が許可されている。
ちなみに、エルフ族が使用するのは精霊魔術といい、契約した精霊へ願うことにより魔術が発動するのだが、軍人となると、他種族との連携が必要になるため、概念魔術と観念魔術を学ぶことになる。その結果、精霊との契約は切れ、エルフ族の軍人は、軍属の間は精霊魔術が使えなくなってしまう。そのため、エルフ族の軍人は非常に少ない。冷静さと洞察力、論理的思考などを買われて、彼らは参謀職や管理職、研究職を命じられることが多い。哨戒艇の副長を勤めているエムリス・ウセディグ大尉は、異色の人物と言えた。
乗組員から頼まれた魔導装身具を、更にいくつか点検し充填箱に納めたギルダン機関科兵曹は、機関室をみていたターロック・エイルウィン二等水兵を休憩と食事に行かせた。
ギルダンは、戦闘配置が解かれた後、魔石機関の点検報告を手に、艇長室に降りたときの事を思い出した。
「……、実質的な損害は、ほとんどありませんでした。通常の戦闘中でも、もっと大きい損傷を負う場合もありますので、今回負った被害は許容範囲内です。何を気に病んでおられるか、不可解です」
「ありがとう、副長。だが、通常の戦闘機動ではなかった、という事だ。……、いや、聞いてくれ。今回は、俺の作戦ミスだ。この艇の性能に胡座をかいて、油断したのだ。舵頼りの機動が、敵に付け入る隙を与えてしまった……。まあ、これで自信を喪失したなんて言う積もりは、ないさ。ミスをミスと認めただけだ、戒めにな」
「アイ、確かにこのバアさんのベッカー・ラダーは重宝しますで、多用したくなりますわ。8の字に大回りをせんで、時間と勢いを生かせますからのお」
「ヒット&ウェイの戦法は変わらんが、舵頼りは戦術の一つくらいに考えておこう。今まで使用していた幾つかの機動パターンを組み合わせて、新しく戦略の幅を広げようか」
戦闘後概況報告を行っているシアーズ艇長とウセディグ副長と一緒に、司令部に提出する報告書をまとめていた。結論を記すときになってシアーズが自分の作戦ミスを主張し、ウセディグが疑問の声をあげていた。
報告書の作成が終わり、艇長室から退出するとき足を止め、ウセディグが言った。
「司令のアラ探しで有能な指揮官が失脚するのは、部隊にとって重大な損失です。内省は重要ですが、身を守る事も考えていただかなくては、困りますね」
「ありがとう。俺の身を心配をしてくれるとは、君はとてもいい人だよ」
「ご承知の通り、私は人間ではありません。それは、私にとっては遺憾で的外れな表現ですね」と言って出て行った。確かに口の端が上がっていたように見えたが、やはり気のせいに違いない。
「さて、改めて、済まなかった機関長。無理をさせた」
「気にせんで下さい。魔獣が三頭もいれば、スピード重視の短期決戦を選択するのは、当たり前でさぁ。今回のは、些細なトラブルですわい。機関室は、いつでも期待に応えますで、任せて下され」
あれが、艇長のいいところだ。きちんと反省ができて、他人を労える指揮官は、軍では少ない。だから、この艇の乗組員も艇長を信頼しているのだ。もっとも、艇長が着任した当時のこの艇は、反抗的な問題児の吹き溜まりで苦労したろうがの、とギルダンは思い出し微笑いをした。
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哨戒艇 H.M.S.マッカレル艇長、カーシー・ロックウェル大尉は艇長室で、副長であるデニス・ドジソン中尉と、長い昼食をとっていた。
「デニス、シアーズの艇の亜人どもは、こちらには靡かないのか。いつまで、奴の失脚を待てばいい」と、ロックウェルが不機嫌に言った。
「少佐は、あいつらに随分と受けが良くて、なかなか思うように踊ってくれません。今、仕込んでいる奴も、どうにも腰が重いもので、もう少し様子を見るという事で待っていただけませんか」
「俺は、あの優等生ヅラが気に食わないんだ。亜人なんぞにいい顔して、上層部にもゴマを擦りやがって……。本来なら、俺が少佐になってしかるべきなんだ! 糞忌々しい」
ドジソンは、ロックウェルを宥めながら、豪勢な料理を堪能する事に注意を向けていた。
「いろいろ仕込みには元手が掛かりますので、また、例の取引を……」
ロックウェル家では、祖父であるイアン・ロックウェルが、騎士に叙任されていた。毛皮商人として財をなし、教育機関や孤児院、救貧施設など慈善事業への多大な寄付をした、人格者として尊敬される祖父に与えられた栄誉であった。
騎士には、王室騎士団である勲爵士団に属するものと、地方領主が抱える下級勲爵士がある。
また、それとは別に、騎士に叙任される事が勲章授与にあたる制度がある。主に文化・芸術・学術・経済面などで著しい功績があった者に対し、内務卿の推薦により、外国籍の者に対しては外務卿が推薦して、国王に代わり宰相が授与する。その場合、騎士の称号は一代限りで、世襲することは許されない。
高潔な人物だったイアン・ロックウェルだが、自分の息子の教育には失敗し、放蕩三昧の息子コリンの代には、すっかり財産も使い果たされ、今ではコリン・ロックウェルは会計事務所の事務員として暮らしている。家の没落を見ずに亡くなった祖父は、幸せだったとも言える。
しかし、特権意識と過去の栄光への執着を身に染ませたその孫カーシー・ロックウェルは、市井を嫌い海軍へ入隊し、華々しい戦果と英雄になる夢を追っていた。今、彼は単調な、辺境の海の哨戒と部下の亜人を酷使する戦闘、誰にも注目される事のない状況に、苛立ちを募らせていた。自我は肥大し、ドジソンの追従に、手も無く乗ってしまうのだった。今では、軍の物資を横流しし、要所に賄賂をばら巻き、贅沢な日常を送っていた。
昼食を終えたロックウェルは、艦橋に上がった。操舵室が同時に指揮所である哨戒トローラーのフラウンダーと違い、H.M.S.マッカレルでは上甲板の檣楼内最上部に指揮所が設けられている。その露天指揮所では、春とはいえ向かい風を受けて肌寒さを覚えた当直員たちが、熱いココアを飲んでいた。直下には、前面に装甲窓を備えた操舵室があり、今は装甲は降ろされている。
哨戒艇 H.M.S.マッカレルは、一軸推進の砲艇である。戦闘甲板が広くとられ、大口径の火属性魔術での砲戦用に使われる戦闘用長杖の取り回しや、砲術員の編成、移動が楽に行えるようになっている。全長191フィート、全幅29フィート、排水量474トンと細長い艇体で最大速力は20ノット、士官兵員あわせて59名が乗り組んでいる。
巡視部隊では最大の戦闘艦であり、先任であるシアーズを差し置いて下位のロックウェルが艇長に任命されたのは、司令官であるサイモン・ビューロー准将の専横によるものだ。下級貴族である男爵の位にある彼は、常に昇位を狙っており、また身分に拘るため平民出身のシアーズより、同じ平民でありながら祖父が騎士であるロックウェルを贔屓していた。
「波が立ってきたな。航海士、会合は予定通りか?」艦橋での彼は、自信にあふれた態度である。
「はい、艇長。明日、午後直の二点鐘(13時)頃に、視認できる予定です。今夜半より、少々風が出て雨も降りそうなので、明日は視認性が落ちます。見張り員には注意をしておいた方がよろしいかと」
「分かった。信号長、後で注意をしてくれ」
予報通り、夜半直の四点鐘(2時)頃から、強風により海面がうねりだし、時に雨がぱらつくようになった。荒天の場合、露天艦橋はずぶ濡れになる。防水コートの隙間から入り込む雨滴に辟易しながらも、何事もなく時間が過ぎていく。
見張り員は油断なく周囲を警戒し、艇内業務は滞り無く進んでゆく。哨戒航海中はこの退屈な時間と、突発的に起きる危険の繰り返しである。血気盛んな者も、ゆっくりと摩耗していく。それでも己を保ち、戦う意志を失わない者たちが、王国の安全を守っていた。
夜が明け、哨戒艇 H.M.S.マッカレルは、すっかりうねる灰色の世界と化した北海に乗り出した。
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午後になっても、天候は回復しなかった。
暗い灰色の雲が垂れこめ、波は大きくうねり、強風が索にあたり甲高い唸りをあげている。
「間もなく会合点です、サー」キャニング候補生が告げる。
「見張り員に、注意を促しましょうか」と聞くチェルディッチ兵曹に、
「いや、気が緩んでいる者はいないだろう。それより、引き継ぎ用の『哨戒記録』だ。会合したら、渡してくれ」と、シアーズは答え、郵袋を渡した。
程なくして、右舷の見張り員、ハリー・ゲリン二等水兵が艦影発見の報をあげた。
灰色の空と、同じ色の海にまぎれ、灰色の艇体が波にもまれ、輪郭がぼやけている。
「遠話受信。〈──任務交替。引キ継ギ後、帰港セヨ。往路異常ナシ〉との事です」
「いつもながら、味も素っ気も無いな。キーン、応答してくれ。操舵長、寄せてくれ、郵袋を渡す」ヘイワード信号長の部下、ローナン・キーン二等水兵がシアーズの言葉をマッカレルに伝えた。
二隻の軍艦が舷を寄せ、哨戒記録を入れた郵袋が投げ渡された。
マッカレルの艦橋では、ロックウェル大尉が、無言でじっとフラウンダーを見詰めていた。いや、艇ではなく、シアーズ少佐を見ていた。視線に気づいたシアーズが目を向けても、目をそむけず、ただ、じっと見ていた。
ため息をついたシアーズは、待機状態だったオベド・オクリーブ操舵長に指示を出した。
「行こう、操舵長。針路1-3-0、目標、プリムゼル」
「アイ、サー。とーりかーじ、よーそろー」速度指示器がジリリンと鳴った。
哨戒艇 H.M.S.フラウンダーは、後ろに魔獣の標本を曵き、母港プリムゼルの軍港を目指し、帰路についた。
【時鐘】
4時間の勤務時間で、30分毎に決められた点数鐘を鳴らします。
例えば、夜半直(午前0時〜午前4時)では
午前0時・・・・8点〈交替時間〉
午前0時半・・・1点
午前1時・・・・2点
午前1時半・・・3点
午前2時・・・・4点
午前2時半・・・5点
午前3時・・・・6点
午前3時半・・・7点
午前4時・・・・8点〈交替時間〉
午前4時半・・・1点
となり、これが繰り返されます。