第002話 戦闘
砲術要員は、H.M.S.フラウンダーの両舷に、五名ずつ一列に並んだ。各自が防盾を、甲板のスリットに差し込む。防盾は高さ4フィートの長方形で右上部が四角く切り取られた形をしており、そこから魔術による射撃を行う。内側の持ち手横には、鞘付きのカットラスと戦闘用短杖が収納されている。号令で一斉にロッドを抜き構える。
「火竜の軌跡、射撃用意!」甲板の中央に控えるチェルディッチ砲雷科兵曹が命令する。論理を尊び冷静な、エルフ族の典型でもあるウセディグ大尉と違い、人族とのハーフであるチェルディッチは、戦闘の興奮に頬を染めていた。左舷列の端からかかる、砲術班主任イアン・ストークス水兵長の「構え!」の号令に、一斉にロッドが突き出された。
戦闘用ロッドには火属性の魔石がはめ込まれ、ロッドには戦闘魔術式が刻まれており、意志を込めれば数種類の攻撃魔術が無詠唱で発動する。水属性の海魔相手に火属性では相克で打ち消されてしまうところだが、『火侮水』の効果がデフォルトで装備されているため、水の克制を受け付けない。有効な打撃力となるが、威力の大きさの順に発動から発射まで時間がかかり、術者の魔力も要る。強力な付加効果ゆえに、魔石の崩壊も早かった。
艇首にはウセディグ副長のもと、水雷班三名が同様に戦闘態勢をとっていた。当直の見張り員は、マスト上と操舵室の上両舷に陣取り、警戒を続けている。
「第二戦速、鼻先すれすれだ、操舵長」シアーズは落ち着いた声をかけた。その引き締まった潮焼けした顔は、落ち着き払っている。
「アイアイ、サー」上等兵曹はベテランだ。細かな指示は、却って邪魔になる。オベドは自信たっぷりに、速度指示器を操作し面舵に蛇輪を大きくとる。「おもーかーじ」速度指示器には微速、第一戦速(巡航速度、18ノット)、第二戦速(20ノット)、第三戦速(22ノット)、最大戦速(24ノット)、緊急速度(25ノット)と表示されている。艇が旋回しだすと、司令部への遠話を終えたヘイワード信号長がその間に、ヌージェレン年鑑の希少種の項目で、初めて遭遇した魔獣のシルエットを特定していた。操舵室の窓とドアは開け放たれて固定され、速力が上がると共に吹き込む風に、ページが煽られている。
「スクィドワームです。最大体長35フィート。見たところ、平均25フィートほどです。速度は16ノット」シアーズはそれに頷き、伝声管で機関室に伝える。
「機関長、海魔三頭の迎撃だ。最大戦速も出すぞ」
「アイ、そんな事だと思いましたわい。いつでもどうぞ」ギルダン兵曹の声は、事情を知らせてもらい嬉しげだった。艇内奥深くの機関室では、外の状況を知るべくも無い。舷側が破られれば、逃げる間も無く海水の奔流に押しつぶされる。ギルダンは制御卓の出力桿を握り直し、魔力を強く流す準備をした。
「目標、右端の大きいスクィドワームだ。頭部に波状射撃」シアーズは機関室に通じる伝声管を閉じ、操舵室のドアの外で控えるランドール少尉に命じた。
「アイ、サー! 目標、手前の奴の頭部だ!」チェルディッチ兵曹が、ランドールの命令を復唱する。
海面を切り分け進むスクィドワームは、巨大な節足動物の胴体に、左右に大きく横に張り出した13対の櫂に似た鰭を、オールのように動かして進んでいる。末端は海老の尾鰭のような尻尾である。頭部の上面には大きな飛び出した眼が3つある。顔面中央には、放射状に配列した歯に囲まれた丸い口があり、その周りには体長より長い3フィート程の太さの8本の触手と、餌を捕えるのに使われるコイル状の2本の外肢がある。さらに、6本の羽毛状の感覚器が頭頂から突き出し、感覚器の集合体として敵を探る機能をなしている。
今、三頭の内一番大きいスクィドワームが群れの右端で突出し、中型の二頭が体長の半分ほど遅れて進んでいた。
フラウンダーは右旋回する。オベドは取舵に10度当て直進とし、スクィドワームの触手が届かないぎりぎり前方を横切ろうと、艇を突入させる。標的が近づき、艇の左舷側に魔法陣が並んで出現した。ランドールが発射命令を出し、チェルディッチが叫ぶ。
「射撃開始!」同時にストークスが曳光火炎弾を発射。その着弾点を目標として、次々と魔法陣の中心から火炎弾が発射され、撃ち込まれる。
魔獣の悲鳴が響き渡り、三回の斉射後、艇は離脱した。
爆炎が消えると、スクィドワームの触手は3本がちぎれ飛び、2本が傷つき、目が一つ潰れていた。紫色の体液を撒き散らし、苦痛に身を捩っている。
「もう一度行こう、操舵長」
「アイ、サー」冷静に会話をする二人を、キャニング士官候補生は呆然と見詰めていた。さっきから恐怖でこわばり、身じろぎもできなかった。士官学校で勉強したのに、対魔獣の戦術の授業では教官にも褒められたのに、何で身体が動かないんだろう。何であの人たちは、あんなに冷静なんだろう……。その横をランドール少尉が通り過ぎ、反対舷へ抜け右舷砲術班に号令をかけた。
オベドは再度面舵をとり、艇を右舷方向に回転させると取舵に当てる。速度指示器を最大戦速に合わせるとジリリンとベルが鳴り、艇がぐんと飛び出す。
群れの前方に出ると、第二戦速に戻し更に面舵、大型スクィドワームの前方を目指す。中型スクィドワームは旋回する艇を追い、のたうち回る大型の右方向に引き離されていた。
「水雷班は中型の二頭を牽制。砲術班はもう一度、大型の頭部を狙え」シアーズの命令を、ランドールがウセディグ大尉に伝えると、艇首の副長が敬礼して了解する。
「……あ、あの……どうして、もっと強力な火力で攻撃しないの……」やっと声が出て、状況を記録していたヘイワード信号長に聞いた。
「でっかい魔術は、発動に時間がかかるでしょう。術者の魔力も必要になるし、魔石への負担も大きい。ドライグ・トレイサーなら、ほとんど刻印術式と魔石の魔力で発動できるので負担も少ない。長時間連射しても、魔石の劣化が少ないし……。まぁ、いろいろあって節約、節約でやらなきゃならんのですよ」と、苦々しげに表情を歪めながらも丁寧に答えてくれたが、その内容に困惑する。そんなに、作戦の幅を狭めるほど、軍の内情は厳しかっただろうか。軍事費は国家予算の、結構大きなウェイトを占めているんじゃ……。いや、今はそんな事、考えている場合じゃない。一部始終を、記憶に刻み付けなきゃと、ぎゅっと、両手を握りしめた。
ウセディグ大尉は、水雷班の三名に標的を指示した。
「ブラック一等水兵とファレリー二等水兵は奥側のスクィドワームを、私とカンモー二等水兵は手前のスクィドワームを攻撃する。水竜の赫怒用意」四人は水属性のロッドを構えた。水の魔術式に遅発性の冷気と風の属性を加え、艇首直下の海中に四つの魔法陣が並ぶ。艇が滑るように進み、重なって見えていた二頭のスクィドワームが個別に見えた瞬間、「発射」とウセディグが告げた。
海面下に四つの水塊が形作られ、錐揉み状に回転しながら二条ずつの航跡を引いていく。向きを変えようとしていた二頭の横腹に水塊が激突し、衝撃で胴体がくの字に曲がる。瀑布のように噴き上がり崩れる水塊は霧状となり、付加された冷気と風魔術が瞬時に発動。雷球が発生し、轟音とともに弾けた。海水に電撃が吸収されるため、中規模の攻撃魔術の割に殺傷力は減衰している。だが、打撃力を加算する事でダメージ総量を増やし、一時的に行動不能にする事はできる。麻痺したスクィドワームの、動きが鈍った。
三系統の属性を混合した高度な術式の、冷気と風の属性付加は魔力使用量も大きく、自前の魔力を使用したためチャージする時間を必要とする。水雷班の水兵三名は盾を構え、防御態勢で待機に入った。士官は盾を持たないので、大尉は背で手を組み状況を観察している。
艇は、傷を負った大型スクィドワームの前方に差し掛かる。チェルディッチの号令で、右舷列のアンガス一等水兵が初弾の曳光火炎弾で教導し、次々にスクィドワームの頭部で爆炎が上がる。更に2本の触手がちぎれ、残りは傷ついた3本とコイル状の2本の外肢となった。その時、スクィドワームが尾を振り上げ、海面を叩き始めた。
海面が沸騰し、煽りを受けた艇尾が持ち上がりノズルが露出した。オベドが速度指示器を微速にする。機関に無理な力をかけないためだ。乗員は、必死で手すりにしがみついた。泡立つ海面に推進力が中和され、行き足が止まった。
「防御!」ランドールが、後甲板に待機している修理班に叫ぶ。彼らは、防御も担当している。主任のグリーン補給科兵曹が「障壁展開!」と部下に号令する。砲術員が構えた盾の表面に、緑色に光る障壁が現れた。そこにスクィドワームの触手が激突する。魔獣が纏う魔力と魔術障壁が干渉し、弾き合う。砲術員は足を踏ん張り、耐えた。触手が遠ざかる。
「格闘戦用意。操舵長、尾鰭を止める。合図したら離脱だ」
「アイ、艇長」シアーズは伝声管に向け「機関長、合図したら、ありったけの出力を頼む」「アイ、準備万端、整っとります」そしてキャニングを、伝令として艇首へ向かわせた。
「闘術員、格闘戦用意! 砲術員、闘術員の後方で援護!」ランドール少尉が命令する。闘術班にも所属する四名が前衛、残りの砲術員六名が後衛という隊型で集合した。射撃だけでは、肉薄された場合、魔獣に押し切られ艇が損傷する危険がある。
前衛の、人族のイアン・ストークス水兵長、ジョン・ベケット一等水兵、獣人族のアンガス・バーンおよびゼッド・ヴォーティガン一等水兵はロッドを防盾裏の固定具に収め、代わりに鞘付きのカットラスをロッドの隣から外し腰に装着した。ベケットが防盾を束ね、修理班員のピアース・サビーン二等水兵に渡した。
後衛の、人族であるヒュー・ライノット、ジョン・スピラーン、ダミアン・ヘイ、ロディ・タナー、ハリー・ゲリン、ジェイ・ダフの六名の二等水兵たちは戦闘用ロッドを構え直した。アンガスとゼッドが獣人化し、身構えた。
迫る触手を睨み据えながら、ランドール少尉の命令をチェルディッチ兵曹が号令する。「後衛、十秒間射撃、開始! 前衛、身体強化!……射撃中止! 前衛、前進!」頭部を攻撃され勢いの削がれたスクィドワームの触手が、甲板に侵入する。
正面から振り下ろされた触手の衝撃を、灰色熊人は腕を交差させて受けた。筋肉が膨れ上がり震え、歯を食いしばり耐えた。踏ん張った足をバネにして押し返し、巨大な掌と爪で抉り、弾き返す。隣では黒狼人が、鋭い牙でコイル状の外肢の先端を噛みちぎっている。ベケットは拳を魔力障壁で包み篭手状にし、蠢く触手を殴りつけている。魔獣の魔力と干渉した反発力が打撃となり、触手の体組織を破壊し押し返す。ストークス水兵長は斜に構えて一気に触手に躙り寄り、体を右にずらしながら左手で触手をいなす。右手に刃状の魔力篭手を発動し、掬い上げるように斬りつける。傷つき、更に叩き付けてくる触手を体を開いて躱し刃を下に、円を描くように走らせ切り裂く。右方向から襲い来る別の触手を、ストークスはするりと半身で躱した。結局、カットラスを使用する者はいなかったが、携行しない者はいない。魔力が尽きた時の頼みの綱なのだ。
飛び散る魔獣の血液や肉片で足が滑り、避けるのが間に合わず触手に跳ね飛ばされる者がいても、肉体強化の効果で衝撃は弱められ打撲や擦り傷で済み、再び戦列に加わる。
「前衛、後退! 十秒間射撃、開始!」命令で闘術員が下がり、爆炎が魔獣の頭部を包む。射撃が中止され、闘術員がまた前に出る。それが三度、繰り返された。
シアーズは戦況を見守りながら、額の汗を拭うのを我慢した。少しでも不安を感じているように見られる訳にはいかない、部下の集中力を乱してしまう。平静の仮面のもと脳裏の片隅で、現在の状況を招いた自分の選択を悔やむ。艇を危機に陥れたのは自分の采配のまずさか、最近の阻止行動の順調さに慢心があったのか。一瞬、奥歯を噛み締め、背で組んだ腕の、汗まみれの手の平を拭いそうになった。いや、今はそんな事を考えている場合ではない。後悔や分析は、後でいい。皆の命は、タイミングを計る俺の、一瞬の判断力にかかっているのだ。
艇首から尾の動きを冷静に観察し、攻撃点が確認できる瞬間を待っていたウセディグ大尉は氷精の矢で、魔獣の尾近くの体節の隙間を狙撃した。咆哮と共に、神経に刺さった氷の矢に尾が硬直する。スクィドワームは上半身を仰け反らせ咆哮し、海面の騒擾が治まった。
「今だ!」「アイ、全力発進!」シアーズの合図と同時に、一気に艇が驀進する。機関室では魔導シリンダーが唸りを上げ、ギルダンが出力桿に魔力を流し込みながら魔石を睨み、ターロックが配管や圧力計のチェックに飛び回っていた。通常は緊急速度が出力の上限となっているが、今は機関の限界一杯の出力を絞り出している。長時間続ければ故障の可能性が跳ね上がったり、後でオーバーホールが必要になったりする。最悪の場合は、魔導シリンダーが割れるか運転の最中に魔石が崩壊しきってしまう危険がある。「ばあさんよ、保ってくれよ!」呟いたギルダンは、『鍛冶の神ゴウーニュ』に加護を願った。
H.M.S.フラウンダーは、魔獣の左方向に抜けようとひた奔る。十分な距離がとれると、第一戦速へと速度を落とした。ほっとする間もなく、「操舵長、後方へ回り込む用意だ。少尉、砲術班を再編成して、体側の鰭を集中攻撃する。あれだけ傷ついていれば、反撃も少ないだろう。愚図愚図していると、あの二頭が抱きついてくるからな。ハーレムのお誘いはありがたいが、体力が保たんから遠慮したい」無理矢理放った品のない冗談に、艦橋の誰かが調子の外れたような笑い声を上げた。
艇は面舵で旋回し、スクィドワームの横を尾鰭の方向に進む。決して、触手の攻撃範囲には入らない。
「左舷列、射撃開始!」魔獣の体側に沿って、尾鰭に向かい真紅の射線が突き刺さる。櫂状の鰭が裂け、砕け飛び散っていく。尾の神経を麻痺させられ、触手の大部分を失い傷ついたスクィドワームは、反撃を封じられ身を捩っている。推進力を失えば、最後に残された体当たりの手段をも奪うことができ、麻痺から覚めて動き始めた二頭の中型スクィドワームにも、余裕をもって対処できる。その身に集中攻撃を受ける大型魔獣を中心にして、噴き出す血液により紫に染まった海面が広がっている。
尾の先を通り過ぎると、二頭の中型魔獣が艇に向かい動き始める姿が見えた。
「操舵長、反転して、大型の左側を頭部方向に。少尉、右舷列は中型を、左舷列は引き続き大型の鰭を狙え。……よし、行こう。操舵長、中型に波を喰らわせてやれ」
「アイ、サー!」オベド一等兵曹はニヤリと笑い最大戦速に上げ、大型魔獣の横を中型目指して進む。
「全員、慣性に備えろ!」
この戦闘では軌道を描いて方向転換するより高速で旋回できるので、常に回頭点で速度を落とし、最小の半径で旋回できるベッカーラダーの特性を生かした直線機動を行っていた。しかし今回は、中型魔獣にまっすぐ突っ込んでいき、直前で大きく面舵をとった。艇体が横滑りし、衝撃波で大きな浪が立った。その圧力を二頭の魔獣に叩き付け、よろめかせる。「起立、構え!」膝をついていた砲術員が立ち上がり、瞬時に構えた。第二戦速に落とした艇が大型魔獣と中型魔獣の間をすり抜けながら「射撃、開始!」、両舷からドライグ・トレーサーが雨霰のように、それぞれの標的に降り注いだ。
大型のスクィドワームは、触手をもがれ鰭を失い満身創痍で、もはや死に体の姿をさらし、周囲を自分の体から流れ出す紫に染めて、わずかに身じろぎをしている。中型の方も傷を負い、怒りを込めた勢いで再び動き出す。
大型魔獣の頭部を過ぎたフラウンダーは、攻撃力を失った敵から脅威判定を外し中型スクィドワームへと目標を変えた。一旦体勢を整えるため、取舵で中型の背後へ回り込む進路をとる。艇首のキャニング候補生が、崇拝するような眼でシアーズを見詰めていた。ああ、やめてくれ、俺をどうしようというんだ……。
「砲術班に、もうひと仕事だ。消耗の少ない人員を左舷に集めて……」とシアーズが言いかけた時、艇の動きを追っていた中型魔獣の感覚器がぶるりと震えた。触手がうねうねとうねり、紫の海面に引き寄せられていく。
二頭の触手は、波間に漂う大型スクィドワームの胴体に伸びていく。傷を探り当てると、粘着質の湿った音をたてながら潜り込んでいく。大型魔獣は苦鳴を上げるが、触手は構わずにブチブチという音と共に身を引き裂いていった。二頭の触手はたちまち紫の血に塗れ、狂奔を始める。
コイル状の外肢は肉を抉り、口に運んでいく。獲物に成り下がった者の咆哮と、餌にありついた捕食者の唸りが海上に響き渡る。艇上は、沈黙に包まれていた。
「本能より食欲が勝ったのだ。この間に消耗した魔力を回復できる」ウセディグ副長が、吐きそうな青い顔で魔獣の狂宴を見ているキャニングに告げた。
「本能ですか?」まただ。僕は、質問してばかりだ。何も知らないんだと、唇を噛んだ。
「いきなりこの艇を襲ってきたきたのは、『メイルシュトロームの魔石』に惹かれての事だ。あの魔獣は、間違いなくクラーケンの棲処に巣食う、海棲動物が魔獣化したものだ。魔力を纏っていただけで、属性攻撃をしてこなかったのが、証拠だ」
シアーズは操舵室で、大型スクィドワームの断末魔と、群れのリーダーだった海魔を貪り喰う中型スクィドワームを見詰めていた。『メイルシュトロームの魔石』は、モスケネス海の底に棲むクラーケンの魔力が、少しずつ漏れ出して海底の岩に蓄積されたものだ。その魔力で魔獣に変化した海棲生物が、故郷の波動を感じとり惹かれてきた。
だから北の海魔は魔石機関を搭載する艦船を、軍港を、漁港を襲う。守るためには、軍艦のために魔石が要る。そして魔石があるから魔獣が来る……。これではまるで、出口のない堂々巡りだった。それでも常に、誰かが魔獣の犠牲になっている。
海魔の襲来の理由は、公表されていない。大規模な漁法に従事する者がいなくなり、魔石利用反対の機運でも高まれば、軍事力の低下を招くからだ。『メイルシュトロームの魔石』と魔石機関は大変有用な技術なので、国益や国防のためにも使用をやめる事はできないのだ。この海の向こうに、油断のならないあの国がある限り。何も知らなかったあの頃は、ただ海魔を憎んでいた……。
「艇長、紅茶をどうぞ」いつの間にか考えに没頭していて、ヘイワード一等准尉がマグカップを差し出しているのにも気づかなかった。戦闘配置中で、厨房は閉まっているのだが。怪訝に思いながら飲もうとすると、ラム酒のきつい臭いが鼻を刺激した。「作戦行動中ですが、まあ、いろいろ考え込むより勢いはつきます」と微かに笑う信号長。感謝の笑みを浮かべマグを飲み干すと、食道をカッと灼いて胃に落ちていった。ともかく、今は仕事を片付けるのが先だ。
「操舵長、取舵で回り込む。少尉、砲術班の準備を。候補生を……ああ、いたか。副長に氷魔術で援護をするよう伝えてくれ。……さあ、行くか」パン!と、手を鳴らす。
「とーりかーじ、よーそろー」オベド操舵長は、舵輪を回した。
情勢と乗員の紹介回の後編でした。
次回、『第003話 交替』