表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名誉のためでなく  作者: ulysses
第2章
18/19

第017話 樹林Ⅱ

 闇のなか、八人の男が漕ぐ折りたたみ式ボートが、鬱蒼とした樹林を割るモンロ河を進んでゆく。残り二人は船首と船尾で見張りについている。

 総勢十人は、ねっとりと肌にまとわりつく湿気に、全身にじわりと汗を浮かべていた。


 暗中を進むのに時間がかかり、深夜になっていた。

 岸からはさんざめく虫や爬虫類、両生類など無数の声が響いており、ボートの上の男たちは異常を感じ取ろうと集中力を最大に働かせて、気配を探りながら進む。

 葉叢の天蓋に遮られ星明かりは届かず、こもった樹林の緑香や甘い腐敗臭が満ちて、くらくらするほどだった。


「スキッパー、そろそろ開渠かいきょに到達します」

「よし、オール停止。どうだ、ストライピー」

「気配はありませんぜ。見張りはお休み中ですかね」

 灰色熊グリズリーの獣人であるアンガス・バーン一等水兵が、五感強化で察知した情報をディラン・シアーズ艇長へ告げる。会話は囁き声で交わされた。


「よし、岸へ寄せろ。下船準備」

 全員が上陸し、魔獣の皮で作られたボートを岸に上げ隠した。それぞれ[雑のう]を背負い、開渠沿いに城壁へ向かう。


 横目に闇のなかで水面がうねる開渠を見ながら、周囲を警戒する。

 開渠は河幅を広げ壁石を敷き詰め、河底を深く浚渫し、巨大なダムとなっていた。城壁の取水部は開渠の幅いっぱいに口を開け、黄色く濁った水を呑み込んでいる。轟々と落ちる瀑布が、周囲の音を圧していて、小さな音は聞き取れない。十人は警戒を密にする。


 落ち葉を踏みしめる音も、枝を振り払う音も、気を遣う必要がないのが有り難かった。

 その分、周囲や頭上をしっかりと見張って移動した。夜闇のせいで、かすかな葉づれも見にくくなっている。歩行には、細心の注意を要した。

 だが、やはり有視界警戒だけでは完全に気配は悟れなかったらしい。


「スキッパー、下がってくだせえ!」

 最後尾で警戒していたゼッド・ヴォーティガン一等水兵が叫ぶのと、地面から二つの影が跳び上がるのは同時だった。中央にいたシアーズは9フィートほど下がり、前をレナード・グリーン兵曹とローナン・キーン二等水兵、二人の見張り員が固める。

 影はフードを目深に被った茶の狩猟服に、全身に葉を纏っていた。短剣をかざし、駆けつけたケンジー・ランドール少尉とゼッドに無言で襲いかかる。


 一方、前方からは、だらしない服装にカットラスを握った二人の男が駆けてきた。アンガスとマルカム・カンモー二等水兵が対峙する。

 アンガスは灰色熊、マルカムは狒々、後方のゼッドは黒狼に半獣人化し鋭い爪と牙を生やした。前方の敵二人は、目の前の獣人の姿にひるんだ。


 後方では、ランドールとゼッドが影と接戦を繰り広げていた。ティム・キャニング士官候補生が遊撃に入るが、手を出す暇がない。ただウロウロして邪魔なので、短剣を防ぎながらランドールが下がるよう命じた。キャニングは悔しそうに俯いた。


 ゼッドと対する影は右の逆手に短剣を構え、駒のように回転する。思わぬタイミング、思わぬ位置から伸びる刃を、両手の爪で弾いていく。喉元に伸びる短剣を、仰け反って避ける。防御のために爪を刃に合わせるのが精一杯のようだ。

 防戦一方のゼッドだが、腹を撫で斬る刃に爪を沿わせ軌道を反らし、左の爪を鋭く突き入れることに成功した。影は回転したまま樹に激突する。痙攣して静かになった。


 ランドールの相手は両手に短剣を握り、神速の突きを放ってくる。ランドールは拳と両腕を魔力障壁で包みガントレット(腕甲)状にし、短剣を弾く。防ぎながら小刻みにステップを踏み、敵に肉薄していく。攻めているはずの影が後退する。

 左から来る突きに合わせて左腕を払い、影の体勢を崩した。大きく開いた敵の腹に、右の拳が突き刺さる。影は「くの字」に折れ曲がる。思い切り引きつけた左の拳を、抉るように敵の頬に叩き込む。

 激突の瞬間、拳を覆う魔力障壁に過負荷をかけ一気に解放する。ドンという爆音とともに影は頭を仰け反らせ、両腕を広げて地に叩き付けられる。首がありえない角度に捻じ曲がっていた。

 ランドールはにこやかに笑い、左拳を天に掲げた。ゼッドは呆れたように笑い、首を振っている。


 前方での戦いはアンガスとカンモーの二獣人により、あっけなく勝負はついていた。

 太った男は、アンガスの張り手一発で頸が折れた。

 カンモーは剛力を発揮し痩せた男からカットラスをもぎ取り、上衣の首もとを掴み上げて振り回したあと地面へ叩きつけた。

「大人しくしてな。さもねぇと……」と、両手を合わせポキポキと鳴らした。


 キャニングは樹の根元に横たわる影のフードを剥いだ。

「艇長、これを見てください!」

 捕虜を見張るカンモーを除いた一行が集まると、キャニングは死体が見えるよう一歩さがった。


「なんだ、これ……」

 ヒュー・ライノット二等水兵が呻いた。

 小柄な死体は一見、コボルトに見えた。

 緑色のうろこを持ち、頭には角、ドラゴンの血を引く小柄な二足歩行の爬虫類である。毛のない犬に似た頭部は赤黒い血に塗れ、虚ろな両目を開いている。

 だが、その眼球は昆虫の複眼のように見え、長い鼻面の下の顎もまた、昆虫の口器のように二つに裂けたように開いている。

 一同は言葉もなく見詰めた。


 * * * * * * * * * * * * * *


 グリーン兵曹は捕虜を眼前に引き据え、睨みつけた。

「あの化物二体は何だ。白状しなければ、魔獣の餌にしてやる」

 兵曹による尋問の結果、捕虜はサンスといい、船奴隷で組織された警備隊の一員との話だった。ギレミア王国内の水道、道路など各種インフラの整備・補修・警備を行うのが仕事である。


 変異コボルトは一年前のある日、数人の神官に連れられてきた。土を掘った巣穴に潜み、通りがかった獣や魔獣を巣穴に引きずり込んで餌にするので、手間がかからないと重宝していたという。事実、深さ5フィートほどの巣穴の中には、夥しい骨が転がっていた。巣には警報機らしきものがあり、これで二人の警備兵が呼ばれたようだった。

 二カ月に一回、神官が様子を見に来ているが、次は来月だという。潜入中はバレる畏れはないだろう。


 取水口内部の暗渠は、濁った水を沈殿させる貯水プール、浄化魔術の魔石を沈めた浄化槽、落水式上水道起点に分かれており、夜間には警備陣は皆、酒を飲んで寝ている。国内事情や配置なども聞いてみたが、船奴隷には行動範囲に制限があり、港や道路の配置ぐらいしか情報は取れなかった。


「死体は埋めて、衣服をちぎって撒いておこう。あとは地面を荒らしておいて、獣に襲われて喰われたように見せかけるんだ」

 シアーズの命令で、二体の死体を森の中へ埋める。シアーズは情報を取った後の捕虜を艇に連行する際、変異コボルトの死体も一体、艇に持ち帰らせることにした。

 戻った彼らは地面を踏み荒らし、携帯口糧を少量撒いておく。獣がきて、足跡をつけてくれるだろう。


 装備を整え直した一行は、1時間ほどで城壁へと着いた。

「ではカデット(候補生)、カンモー。俺たちが潜入して1時間待機、騒ぎが起きなければそのまま捕虜を連行してくれ」

 轟々と音を立てる取水口横の扉を開け、内部を伺う。問題ないと頷くアンガス・バーンに続き、潜入組は次々と扉を潜っていった。

 あとには、ティム・キャニング士官候補生、マルカム・カンモー二等水兵、猿ぐつわに後ろ手で縛られたサンスが残された。


 * * * * * * * * * * * * * *


 明け方の樹林は静寂のなか、遠くから聞こえる鳥の声がかすかに響く。

 キャニングとカンモーは変異コボルトの死体が入った袋を引きづり、後ろ手に縛られた捕虜のサンスを連れて、上陸地点へと戻った。葉叢に隠してあった折りたたみ式ボートを引き出した。


「変な事を考えやがったら、分かってるだろうな?」

「……」

「よし、準備できた。行くよ、ミスタ・カンモー」

「アイ・サー。ほいじゃ、押し出しますぜ」


 朝もやの漂う水面を櫂で乱しながら、ボートはゆっくり進んだ。

 櫂が水面に滑り込むときのちゃぷんという音がリズミカルに繰り返され、船尾のキャニングは睡魔が忍び寄り、瞼が重くなるのを感じた。

「候補生、寝こけて落ちないでくだせえよ」カンモーが船首から、含み笑いで言った。


 キャニングが真っ赤になり言い返そうとした瞬間、カツンという音とともに、右舷に突き出た櫂に当たった矢が、跳ね返った。ボートの中央では、鈍い音がしてサンスの胸に矢が突きたった。

 驚きで固まっていると、カンモーが叫んだ。

「候補生、伏せなせえ! 急げ!」


 慌てて身を伏せるキャニングは、その瞬間、サンスの喉を矢が貫いたのを見た。ゴロゴロと喉を鳴らし、白目をむいたサンスはボートから転げ落ちた。水柱が上がり、黄土色の水面にその身は消えた。

 その間も、無数の矢が風切り音をたてて飛んでくる。しばらく耐えていると、矢の嵐は止んだ。キャニングは身を起こし、周囲を伺った。


「候補生、だめだ! 危ねえ!」

 同時に一本の矢が、キャニングの肩を貫いた。

 その勢いで、上体が押される。ボートの舷側に倒れかかるが、そのままくるりと乗り越えてしまう。盛大な水飛沫を上げ、頭から水面へと呑み込まれた。


「ミスタ・キャニング! くそっ」

 カンモーはキャニングを追おうとするが、再び矢雨が射られる。

 いつしか矢は火矢へ代わり、ボートの内張りを焼き始めた。

 カンモーは携帯小杖を抜き出し、腕だけを舷側から出し手当たり次第に乱射した。岸の葦や樹々の枝が弾け飛び、矢雨が止む。


 ボートを舐める火勢は、激しく強くなっていく。変異コボルトの死体を入れた袋も、黒煙をはきながら炎をあげていた。

 右方向の岸の奥、樹々の生い茂る向こうから、低くドロドロと響く太鼓が鳴りだす。

 太鼓は一つ、二つと増えていき、その響きは威圧を含んで鳴り渡る。

 熱さに耐えられず、カンモーはボートの左舷側から脱出した。


 数フィートを潜水で進んだカンモーは、頭を水面に出し波をたてないよう静かに水面を割っていく。ボートと炎を盾に、対岸からの視線を遮って、なんとか左岸に辿り着く。

 匍匐前進で葉叢を潜り、身を隠した。


 幸いにも、二人とも雑のうは背負ったままだった。候補生も無事ならば、救急セットで止血くらいは問題なかろう。

 捜索するにも敵対勢力の勢力圏内で、単独で動き回ることはできない。艇へ戻って救出部隊を編成しなければ。

 カンモーは大きく息をすると疲れた身体を起こし、密林のなかを慎重に移動し始めた。



※開渠……地上に造られ、蓋掛けなどがされていない開放状態の水路。明渠めいきょとも呼ばれ、単に「水路」と呼ばれることも。また、水路を開削する行為を指すこともある。【⇔暗渠】

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ