第016話 樹林Ⅰ
南半球の星たちの輝く下、トロール漁船『トーベイ・ラス』(U.S.S.フラウンダー)は、南洋バルトゥハン海を航行していた。漆黒の海面に、白い航跡が尾を曵いている。
速力は経済速度を無視した、第三戦速(22ノット)を維持している。
昨夜、船籍を隠した補給船により、補給品とともに大量の動力用魔石を受け取ったためだ。大魔嘯まで時間の余裕はない、ということだろう。
操舵室では、船長と一等航海士が海図台を囲んでいる。
海図台は暗幕で覆われ、二人は上半身を突っ込んでいる。暗幕の中はランプ(魔導照明具)で照らされている。覆われているのは、操舵員や見張りの夜目を守るためだ。
南海の熱気が籠り汗だくになっているが、気にした様子もなく、二人は海図の一点を見詰めている。
南緯18度49分0秒、東経169度8分0秒──その座標に位置する、エルムガ島。
周囲は珊瑚礁がぐるりと囲み、内海を形作っている。珊瑚礁は数カ所が途切れ、回廊となっていた。そのせいで、島への行き来はルートが限られている。
20エーカーほどの島は3分の2を密林に覆われ、北部には標高2400フィートの休火山が聳え立つ。その東部に存在する、海岸線を含む約7エーカーという島のほぼ三分の一の面積を有する都市。自然の混沌から守るように、密林側を聳える巨壁が囲っていた。
また、海岸線に沿ってはいくつもの砦が築かれ、海からの脅威に対して監視をしている。更に、監視艇が内海を巡回しており、外界に対して徹底的な警戒がなされている。
それが、人口25万人の都市国家『ギレミア』。
別名『私掠都市』である。
二人は、昼間の作戦計画立案作業を思い出していた。
* * * * * * * *
「ジョニー・Dの私掠水雷艇団駆逐以来、完全に鎖国しているからな。正面から行っても、入港はできまい。やはりこの、都市の背後を流れるフレヌン河を利用するしかないだろう。幸い川幅も水深も充分ある大きな河だ。ほぼ上流まで行けるはずだ」
漁船や貨物船などの生活物資の補給の船すら、自国のものでなければ入港できない。他国の船であれば、掠奪の対象ということになるのだ。
国家の収入源が、『私掠船免状』を発行された『海賊』たちによる納貢だというだけある。
夜間に河口から進入、上流へさかのぼったあと少数部隊により『ギレミア』に潜入するという作戦をたてた。
「はい、艇長。問題は、河の見張りと潜入方法ですが」
「古い資料だが、補給品に入っていた。生活用水として河の水が引き込まれ、下水として海に排水されている。その取水溝から進入するとして、問題は見張りだな。倒すとしても警戒されてはまずい。情報収集が目的だし、殺すのもな」
「魔獣の襲撃の痕跡を残し、捕虜にしますか。情報を聞き出せますし」
「その線だな。潜入隊を編成してくれ。俺も同行するからな、艇を頼む」
その他、諸々を話し合った。
ディラン・シアーズ少佐……………隊長
ケンジー・ランドール少尉…………副官
ティム・キャニング士官候補生……捕虜護送要員
レナード・グリーン補給科兵曹……補佐
アンガス・バーン一等水兵…………闘術員
ゼッド・ヴォーティガン一等水兵…闘術員
マルカム・カンモー二等水兵………闘術員・捕虜護送要員
ヒュー・ライノット二等水兵………見張り員
ジョン・スピラーン二等水兵………見張り員
ローナン・キーン二等水兵…………遠話・遠視員
結果、荒事に向いた闘術員と注意力の鋭い見張り員、連絡係として遠話士のチームが編成された。
ティム・キャニング士官候補生はマルカム・カンモー二等水兵と共に、河川を監視している見張りを倒して情報を聞き出したあと、捕虜として艇へ連れ帰る係だ。
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シアーズは操舵室の艇長席で、ゆっくりとパイプを吸っていた。
乗組員にも喫煙を許可する。
島に近づけば禁煙令を出さなければならない。煙草の臭いは、案外と遠くまでも届くものだからだ。
高い気温と湿度により、じんわりと汗がにじむ。
赤道が近づいたころには、乗組員は思い思いの薄手の服装に着替えていた。
北半球の高緯度から六日間で3500マイル余りを走破し、艇は目的地までは目と鼻の先だった。幸い魔獣の襲撃もなく、順調な船足だった。
うまく時間を調整して午後十時を回ったころ、島を取り巻く珊瑚礁に着いた。
海面に突き出た岩塊に隠れ、灯火管制を行い、動力を落とし錨泊する。見張り員を岩塊上に配置し、監視を行った。
80分ほどすると、監視艇が内海を巡回していった。30分待ったあと見張り員を回収し、微速で環礁を回り込む。陸へと向かい、目的の河口を目指した。
そこではマングローブが立ち並び、さざ波の音とともに月明かりにシルエットを描き、ザワザワと葉を鳴らしている。
川幅は広く、70フィート近くある。豊富な水量は、この程度の島の河には多すぎるほどだった。水深も十分にあり、船底が着床するおそれもない。
入り組んだ河の水量が多いのは、一年中スコールが多いことからか。
しばらく進むと、鬱蒼と繁る樹木が天幕のように頭上を覆う。星さえも見えないほど多種多様な常緑広葉樹が密をなして階層的に広がり、その高さは100フィートにも及んだ。
視界は闇に閉ざされた。
艇はゆっくりと河をさかのぼる。
灯火管制のため窓を締め切っているため、艇内は蒸し風呂のようになっていた。風も止んでいるため、窓を開け放ち闇に沈んだ操舵室でも、汗がとまらない。
甲板では夜目が利く獣人族の乗組員が見張りについている。艇首から舷側、艇尾まで並んだ彼らの小声の伝達を頼りに、艇は航行していた。
取り囲む樹林からは、様々な生き物のたてる鳴き声、茂みを動く音、捕食するものされるものの音が、密やかに鳴った。
ほぼ島を縦断する長さのフレヌン河は、二つの支流を持っている。
一つは中ほどで分かれ、海へと向かうロソト川。二つ目は、上流で分かれ『ギレミア』へ向かうモンロ河。市壁へと至る場所は浚渫、拡張され貯水運河となっている。
モンロ河の分岐点までは、河口から21マイルほど。微速前進(4ノット)で約五時間かかる。
朝の七時ころ、息の詰まる河旅は終わりを告げた。
分岐点の上流100ヤードに錨を降ろし、休む間もなく岸から入った場所で枝を伐採する。艇の上部構造物を、落とした枝で覆う。川面まで垂れている葉叢を寄り合わせ、緑のカーテンを作る。
艇がすっかり隠れるのに、二時間を擁した。
「潜入班は、初夜直(20時)にて行動開始。装備と体調はしっかりと整えておくこと。待機の者は警戒を厳にして、艇を守ってくれ。解散」
シアーズの下令とともに、それぞれの持ち場へと散っていく。
港内配置により非番の者は熱いねぐらへ、当直の者も蒸し熱い部署で青息吐息だった。甲板が配置部署の見張り員と舷門当直員のみが、多少はましだった。
夜になり、潜入班が招集された。
装備は携帯用小杖、ナイフ、医薬品キットやサバイバル用品、潜入時用の既製服や靴などの入った雑のう、戦闘用杖の一式を携える。
戦闘用杖は別れる際に、帰還するキャニングたちに託すことになる。
「副長、艇を任せる。出発」
一行は折りたたみ式ボートに移乗し、夜の河へ漕ぎ出した。
エルムガ島の地図を『資料設定』に掲載しました。