第015話 海魔Ⅴ
港町の酒場ではゴードン・リーソーが、配下の真珠穫りたちに状況を説明していた。
「でも頭、俺たちは連れていけねぇって、殺生ですぜ!」
「そうでさぁ、俺たちだって、お嬢のことが心配なんですぜ!」と、わいわい騒ぎ出す。
「うるせぇ! これが『絶対条件』だと言われたら、どうしようもねぇ。バルナバ、後は任せた。行ってくるぜ!」と、配下のまとめ役に命じて漁船へ向かった。
トロール漁船『トーベイ・ラス』では、出港準備が進んでいた。ゴードンが真っ先に伝言を果たしてから、酒場へ行ったためだった。
「『BS』は出港後、沖合にでてから発令する。各自、その心づもりで。ミスタ・グリーン、継ぎ索の準備はできているかね。……、よろしい。ミスタ・リーソーが乗艦次第、発進する」次々と、エムリス・ウセディグ大尉により命令が捌かれる。乗組員一同、隠密作戦だと了解していたが、突然それをかなぐり捨てる命令にも動揺してはいなかった。むしろ、暴れられることに喜んでいた。
ゴードンが桟橋から木製の階段を上ると、階段は船内に仕舞われた。舫い綱が解かれ、収納される。
「出港」と、ウセディグの号令とともに船尾が桟橋から離れると、船は後退しだす。充分岸から離れると、オクリーブ操舵長が船首を回し、外洋へ向けた。
ゴードンは、その漁船らしからぬ整然とした出港作業に、眉をひそめた。だが、驚くのはこれからだった。
船が沖合に出て岸から見えなくなると、ウセディグが命令する。
「バトル・ステイション(戦闘配置)」出港配置に就いていた乗組員は、それぞれの部署に移動する。戦闘員は第三食堂へ降り、防盾を装備する。
甲板に上がってくる物々しい男たちに、ゴードンは唖然としていた。だが、正体を語る物は、どこにも見えなかった。本来の命令では、戦闘時は軍服着用に艦番を表示することになっているが、一切なされていなかった。
「お、おい、一等航海士さんよ……、こりゃあ一体どういうことでぇ? あんたら、スパイか海賊か、この諸島を接収に来た軍隊なのか?」ゴードンはウセディグを睨みつけて聞いた。
「船長からお話しがありますので、それまでお待ちください」
船は岬を回り込んで、アトレウ村沖に差し掛かろうとしていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
シアーズとヤルミは、埋葬式から村へ帰る村民一行と合流した。丘を越えながら、これまでのあらましを語る。
「ヤルミよ、お主の処遇は後ほど決める。儂の家で待っているが良い。ヤロスラヴァ、メトジェイ、連れて行ってやれ」と、グエンコ村長は妻と息子に告げた。
「それで、お主は何をしようと言うのだ。またぞろ、カヌーで後を追おうとでもいうのか。北の沖に行くには、カヌーでは間に合わぬぞ」
「カヌーで間に合わなければ、間に合う船で行けばいい。うちの船を出す。そこで、腕の良い銛打ちを四人借りたい」
「銛打ちだと……、我らに【海の魔物】と戦えと申すか! 命を捨てるなら、自分の命だけにせい! 我らを巻き込むでない!」
「もう、巻き込まれている。医神教会の巡回司祭を獣人族の村の者が拉致し、殺そうというのだ。教皇庁から監察官が来て、異端審問が復活してみろ、その先は想像したくない。それに【あいつ】を退治するチャンスだぞ。ここで、犠牲を断ち切るんだ」
「……。お主、何故そこまでする。そうせねばならぬと、追い立てられているようにも見えるぞ」
「性分かな。魔獣の被害は、できるだけ食い止める。手段があるなら、尚更だ」
「……、仕方が無い。何をするか知らんが、協力しよう。四人じゃな」しばし考えて、
「ルボミール、スヴァトール、マーチェイ。儂と共に来るのじゃ。【海の魔物】を退治する。……、この者たちは、銛打ちの巧者じゃ。儂もまだ、若い者に負けとらん。銛は使い慣れたものでよいかの?」
「それで構わない。できれば、太く穂先の長いもの、それと返しが大きいものが良いが」
「了解した。皆、村へ急ぐのじゃ。【海の魔物】の被害は、今日終わる」
驚いていた壮年の三人は、喜びを顔に表し村へと走って行く。同様に、村民たちも、三人の準備を手伝おうと走り出した。
「どれ、儂らも急ぐとするか」
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「おい、ジェミィ。お前……、何かおかしくねぇか?」
テルースがおずおずと聞く。冷たい、光のない双眸で、ジェミィはテルースたちを見ている。まるで無機質な表情で、彼女を模して造られた人形だという方が、納得できた。
「ジェミィ、何とか言えよっ!」
緊張に耐えられず、犬獣人のアレシュが歯を剥き出して唸る。鼠獣人のボジェクは、虎獣人のテルースの影に隠れている。
突然、ジェミィが詠い出した。それは澄んだ美しい歌だったが、同時に聞く者に虚ろな恐ろしさを感じさせた。
Ibi est haud talis res Atau restat illustr?tus Dyabolum, ex ejusmodi fetore Chikashi gas, cum specie vetus Genie cognoscant, tamen unus prospiciamus in current Wal ru ora features ad admittendum cum et hominem; senes Genie humidum 此 statuitur ut infinita varietas, quae est verum hominis accipiat, nec non habebit per modum veterum genie invisibilem et re. Manere invisibilis vetus genie, ritum, ubi reperirent dominatione dum Ki surculus dolium Koryo odor, Nari locus est rugiet huius prosperum temporum Naru, sermones, hoc posset abiecit vetus Genie. Terra ventus et cancer notitiae, una cum rebus vestris rabbi, una cum vocem Genie Genie, vetus vetera. Damno Dato ad silvam senex est Genie, etiam oppressus eup, sine videns manu rarum, rara silvis adortus eup. terra gelida solitudine Sodorumu nosti quidem vetus genie quis populus ignoramus de Sodorumu. Tari habens talem lapidem engraved marcam insulas, vetus Genie deserto glacies in meridie, Ki etiam mergi vel etiam oceanus, civitatem Tari profunda seabed congelatio, Ki turris catena adhaerente ambagesque resolvit alga et Fuji vase vel etiam, Ya Ki mansi apud multos populos. Vel cognatos erit manent etiam Odomyunisu magnus, senex Genie, ad prospiciamus vetus Genie, prout est populus deserto. Laus! Armon = Detomosu! Nari nosti sicut vetusta Genie surculus fetere. Tari capere tam vetus manus diaboli, ad cervicem tuam, non vidit vetus Genie to, quando vetus marinus Genie, ostium voluntas non obdurabis tuum praesidium Tari. Nari Edarumo rota port? ut perspiciatis Seishin. Ubi Ki sola populus nunc eris locum ubi regulam veteravit prius Genie, Genie absque tam senex: sic ego non dominetur iterum locum humanae dominationis nunc. Nari et rationis venire hiemes aestusque ecce venit post Gureba super hieme, aestate. Igitur, tu non potest expectare elongabit virtutem habet occultum genie vetus taurus fit integrated provisio terram hanc iterum. Tali persona non habebit in mortuus iacentem in aeternum, illis ultra tardus mors sub aeterna sine immensus.
テルース、アレシュ、ボジェクは、体から生気が抜けて行くのを感じていた。生きながら死んでいくような感覚だった。
その時、軋るような咆哮がすぐ近くで上がった。
ジェミィは滑るように船尾に移動すると、海に身を投げた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
アトレウ村をカヌーで出た五人は、沖に停泊する漁船へ向かった。出来るだけ急いで漕いだため、皆びしょ濡れになった。
舷側から張られた救助用ネットに手を掛け、よじ登る。カヌーは放棄した。村長曰く「また作ればよい」とのことだった。
甲板には、屈強な男達が軍用の防盾を傍らに待機していた。その他の男たちが、救助ネットを取り込む。そんな男たちから離れ、真珠穫りの頭ゴードン・リーソーが立ち尽くしていた。
「これは、どういうことかの。お主らは、何者なのじゃ。真珠穫りの頭よ、お主は存じておるのか?」
「いや、村長さん。俺もさっぱり呑み込めねえんだ。エルフの兄ちゃんに聞いても、船長さんが説明するとだけよ」
シアーズは、乗り込んだ島の者に告げる。
「我々は、武器を持ち、魔獣に対抗することができる者たちだ。島に対して、どうこうする積もりはない。目的は、司祭と娘さん、できれば不良青年たちの保護。それと、魔獣の殲滅だ。これは、俺たちの独断によるおせっかいだ。付き合ってくれると、ありがたいね」
「確信犯的自暴自棄……。人族では俗に、『破れかぶれの鬱憤晴らし』と呼ばれる行為ですね。興味深い」
ウセディグがそう呟くのを聞き、シアーズと乗組員たちはにやりと笑う。島の男たちは、面食らったようにそれを見る。
「まあ、よいわ。それで、どう動くのじゃ」
「まずは、テルースたちのカヌーを探す。早急に保護しなければ、司祭と娘さんが危ない。魔獣の警戒は平行して行い、保護が終了後、近くにいるであろう魔獣を探し出し、攻撃する。あんたたちは、ミスタ・ウセディグに従ってくれ」
副長を、傍らに呼ぶ。
「彼らに指示をしてくれ、銛の投げ手だ。持参の銛に仕掛けを頼む」
「了解しました。それでは、こちらへ」船尾へと村の四人を案内する。
「ゴードンさん、あんたには水先案内を頼む。ブリッジへ行こう」
* * * * * * *
武装した男たちを乗せたトロール漁船『トーベイ・ラス』(H.M.S. フラウンダー)は、午後の海を、北へ針路を取った。陽のあるうちに、カヌーを発見したかった。魔獣との夜間戦闘は、できれば避けたい。
「日が長くなったのが、ありがたいですな」緊張し、気がせくブリッジに、ヘイワード信号長の長閑な声が拡がる。
シアーズは、我知らず強ばっていた肩の、力を抜いた。まったく、いつも信号長には頭が下がる。
「ミスタ・リーソー、予想針路の確度はどれくらいかな?」
「船長さんよ、テルースって奴も、漁(猟)師の端くれだ。囮もいることだし、岩礁なんかの障害物のない開けたとこで、【海の魔物】と戦いてぇはずだ。下手に物陰なんかを利用しようとしたら、陰から出た途端に死角から来た【奴】にばっくりだからな。何か強力な武器があるって話だから、間違いねぇだろう。カヌーで行ける理想の場所は、ここだ」
海図台の上に広げられた、スケラグス諸島の海図の一点を指す。ゼント島北方25マイルの地点。岩礁の多い海域にぽっかりと開いた、丸い空白。
「おあつらえ向きに、水深もそう深くない。さしずめ円型闘技場といったところか。まずは一直線にそこへ向かおう。第三戦速、針路5-1-4」と、オクリーブ操舵長へ号令する。
「アイ、第三戦速、針路5-1-4、サー」
ジリリンと、速度指示器が鳴る。
* * * * * * *
一時間後、22ノットの速度で目標海域に近づいた。幸いにも、急行中に魔獣と遭遇することはなかった。
機関室ではギルダン機関長が、長時間の高出力運転に、思案顔で魔導シリンダーを見詰めている。マスト上と操舵室上では見張り員が周囲を警戒し、戦闘員はいつでも戦えるよう待機している。ブリッジでは無駄口を叩くものもなく、戦闘の役に立てるため海図をチェックしている。
その時、海上にぽつんと浮かぶ黒い点を、見張員が発見した。
「よし、信号長。カヌーへ呼びかけてくれ。刺激しないよう、戦闘班は待機のまま。操舵長、ゆっくり近づけてくれ」
「アイ、サー」
船はゆっくりと、舳先を向けるカヌーへ近づく。幾つかの人影が立っているのが見えた。……、四人、一人足りない!
ヘイワード信号長が魔導拡声器で声をかけようとした、その時……。
海面が切り裂かれ、一条の黒い影がカヌーとの間を走り抜けた。
魔獣の咆哮が響いた瞬間、カヌーの人影が一つ、船尾から海に飛び込んだ。
「ジェミィ! くそっ、駄目だ! なんとかしろ!」
「戦闘班、交戦準備! 応急修理班は救助ネットを下ろせ。操舵長、接舷だ」
口調も、もう構っていられない。素早く船を寄せ、応急修理班の半数がカヌーへ飛び移る。その他は、船尾へ駈ける。
「ロープで誰か曳かれてるぞ! 娘っこも一緒にいる!」ピアース・サビーン 二等水兵が飛び込み、ロープを解く。ジェミィは司祭の頭を、水面上に支えていた。修理班主任のグリーン兵曹も泳ぎ寄り、ベルナールを抱える。
救助作業の間も魔獣は獲物を狙い、二隻を中心に回りを巡っている。
反撃を誘発しないよう、今は攻撃できない。
先にカヌーの三人を収容した修理班員が、ベルナールを抱えるグリーン兵曹、ジェミィを抱えるサビーン 二等水兵が救助ネットを昇るのを手伝った。
「収容完了! カヌーの三人は人事不省、後の二人はぼんやりしてますが、大丈夫のようです!」グリーン兵曹の報告に、
「ミスタ・キャニング、彼らの面倒をみてやれ。操舵長、やるぞ。【奴】の後方から接近。少尉、まずはたっぷりお見舞いしてやれ」
「アイ、サー!」
「ミスタ・リーソー、ここからは俺たちの仕事だ。娘さんの傍に行ってやれ」
「ああ、そうさせてもらう。……、ありがとう」
シアーズは頷いて応えた。
「操舵長、行け!」
フラウンダーは勢いよく飛び出し、魔獣の後ろを追う。
機関が唸りを上げ、両舷の海水が噴き上がる。左に弧を描く魔獣の後方から、逆方向へ弧を描き接近する。舷側に整列する戦闘班の前に、魔獣の姿が捉えられた。
「『火竜の軌跡』、射撃用意!」甲板の中央に控えるチェルディッチ砲雷科兵曹が命令する。左舷列の端からかかる、砲術科主任ストークス水兵長の「構え!」の号令に、一斉にロッドが突き出された。
艇の左舷側に魔法陣が並んで出現した。ランドール少尉が発射命令を出し、チェルディッチが叫ぶ。
「射撃開始!」号令と同時に、ストークスが曳光火炎弾を発射。その着弾点を目標として、次々と魔法陣の中心から火炎弾が発射され、撃ち込まれる。
魔獣の軋るような悲鳴が響き渡り、三回の斉射後、艇は離脱した。互いに反対方向に円を描いて離れる。
「旋回、【奴】が向かってくる鼻面へ突っ込め」
「アイ、サー」
突如、頭蓋を殴りつけられるような衝撃を感じ、シアーズは全身を硬直させた。
脈拍数が上がり、呼吸は激しく空気を求めようとするが、全身の力を込めて反応を抑え込んだ。体を支えるため、艇長席の腕木を掴む。その顔は何も感じさせず、平静だった。
脳裏に蘇ろうとする悪夢に対抗し、目前の戦いに集中する。腕木を掴む手にあらん限りの力を込めたため、血の気が引き真っ白になった。
また、例の【呪い】か!
「全速。総員、耐衝撃防御」操舵長に命じ、魔獣を睨む。反対方向の円を描き終わると、真正面に軌道を変更し、一直線に向かい合う。相手を叩き潰そうと、同時に速度を上げる。脳裏がどす黒く渦巻き、視界がぼやける。駄目だ、今は! 意志の力を総動員する。
互いが巨大な飛沫を上げて、衝突コースを突き進む。
もはや、引き返せる地点は過ぎた。誰もが無言で、ただじっと爆音の中で、破滅の瞬間を待つようだった。
もうすぐ激突というとき、あわてたように魔獣が跳躍するが、それはタイミングを逸した頼りないものだった。
「制動、停止!」船尾ノズルからの推進流を停止し、船首下部の船首ノズルから爆発的に噴出する水流により、船は強制的に停止した。皆、強烈な反動に体を持って行かれそうになる。
魔獣は、フラウンダーを飛び越える。その広い下腹がさらけ出された。
* * * * * * *
「投擲準備、構え。……、投擲」
ウセディグの命により待機していた、アトレウ村の獣人たち。魔獣に向かって驀進する船尾にて、彼らは銛を抱えて無言で蹲っていた。すでにここまでの戦いで、船の男たちへの疑念はない。ただ己の為すことを為すのみ、と覚悟をきめていた。
緊急停止の衝撃をこらえ、ウセディグの号令で立ち上がり構えたところへ、【海の魔物】が下腹を見せて頭上を飛ぶ。
号令一下、一斉に渾身の力で四本の銛を投げ放つ。一直線に唸りをあげて飛ぶ銛は、狙い過たず魔獣の腹を喰い破り、深々と貫いた。
グエンコ村長たち四人の脳裏に、犠牲になった村人の面影が蘇る。
「思い知れ、悪魔め」
苦痛に咆哮をあげ、空中で身を捩った魔獣は、行き足をなくし海へ落ちる。
「両ウィンチ、ロック解除。ワイヤ、リリース」
ウセディグの命で、二基のウィンチのワイヤが繰り出される。ワイヤの先はロープに繋がり、その先は決して外れないように銛の後端に取り付けられ、魔獣へと繋がっている。
一基のウィンチにつき二本の銛。魔獣はがっしりと捕らえられた。
* * * * * * *
「操舵長、後進、半速」
シアーズはそう命じ、魔獣の動きを目で追う。ワイヤは猛烈な勢いで繰り出されている。船が後進し始めると、事前の打ち合わせ通りウセディグはウィンチをロックし、ワイヤは固定された。
ワイヤはすぐぴんと張ったが、同じ方向へ動いている為、それほど衝撃はこなかった。
そのままウィンチを始動させる。ワイヤは、どんどん巻き取られていく。
「ウィンチ、始動。ワイヤ、異常なし」
「よし、停止だ。機関反転、前進、第一戦速」
「アイ、サー」
魔獣の速度が、緩慢になる。自由になろうと右に左に身を捩り、刃状の鰭でロープを切断しようとするが、勢いを殺され反転することもできなかった。
船が前進し始めると、巻き取り速度に加え逆方向に牽引されることで、海面を引きずられ始める。なすすべもなく、跳躍も鰭での攻撃も封じられた。
厄介な攻撃なら、攻撃できなくすればいい。前回の交戦後、如何に対処するか頭を絞り、練り上げた作戦だった。
その時、ブリッジにキャニング候補生が入って来た。
「艇長、カヌーの三人なんですが、ポケットにこんなものが入っていました」と、ポテトの麻袋の口を開いて見せる。中には、回収したガリアス製の爆裂丸が入っていた。
「二十四個もありました。どこから手に入れたんでしょうか」
爆裂丸を見詰めていたシアーズは、思いついたことがあり、船尾伝声管に近寄る。背筋を脂汗が流れる。数歩の距離が、辿り着けないように思えた。
「さあな。それより丁度いい。闘術班で、カットラス投げの一番旨いのは誰だ」
「ストークス水兵長です、サー。あいつは、近接戦闘のエキスパートですから」と、ランドール少尉が答える。シアーズは伝声管の蓋を上げながら、
「では、これを渡して艇尾へ行かせてくれ」
* * * * * * *
イアン・ストークス水兵長は、後ろ向きに引き寄せられる魔獣を睨む。
両肩を回し、両の手指を解し、腰を回す。準備運動が済むと、傍らのカットラスを取り上げ、鞘を払う。柄の後端、リングにはロープが通されている。とても長いロープで、ループになって後甲板中に流れている。そのループには、爆裂丸の入った麻袋も繋がれていた。ロープの重量などで、軌道が狂う場合がある。静かに計算する。
魔獣はもがき、海面を叩く轟音と共に、飛沫を高くまき散らしている。まだ30ヤードは離れている。ウィンチの巻き上げを停止する。
ストークスは、カットラスの切っ先を魔獣に向け、目を瞑り深呼吸。しばしの精神統一の後、目を見開き、右手を左腕と交叉させ限界まで後方へ。ヒュッと息を吸い込み、止めた瞬間、右腕はさっと右方向に振り抜かれた。
カットラスは真っすぐに飛び、魔獣の尾の付け根に、鍔まで深々と突き刺さった。ストークスは、莞爾として笑った。
* * * * * * *
「クレーン、上げ」ウセディグの命で、ニール・ベーコン機関科一等水兵が、クレーンを立ち上げる。先端のフックには金属のリングが吊り下げられ、その中をロープが通っている。リングが持ち上がるにつれ、ロープも張っていく。
それは麻袋に連なるループであり、張って行くにつれて麻袋は持ち上がり、魔獣へ向けて滑って行く。そしてクレーンは最大まで立ち上がり、麻袋は遂に魔獣の体と接触した。
「グリーズ、用意はいいな」ストークスが、背後に聞く。
「アイ、バッチリでさぁ」戦闘用ロッドを構えるアンガス・バーン 一等水兵。答えるが早いか、魔法陣が展開する。
ストークスがウセディグに目顔で確認し、頷くのを見て取り、命じた。
「射て」
魔法陣の中心から『火竜の軌跡』が発射され、麻袋に突き刺さる。火炎弾は爆ぜ、中の爆裂丸に引火する。
次の瞬間、耳に轟く轟音と、目も眩む閃光とともに、大爆発がおこった。
アンガスが火炎弾を発射した瞬間、ウセディグの連絡でウィンチのワイヤをリリースし、船を全速発進させた。
多少は離れることができたためか、後方から突き上げるような衝撃をくらったが、皆よろめいただけで済んだ。
海面には、吹き飛ばされた魔獣の体の破片が舞い落ち、飛沫を上げている。
魔獣の状態を確認するため、ロープ部分が消し飛んだワイヤを後ろに曳き微速で旋回した。
【海の魔物】は、体の後ろ半分がごっそりと無くなっていた。千切れた内臓が体外へ垂れ、周りの海面は真っ赤に染まっている。
言葉もなく、惨状を見詰める。
魔獣は微かに身じろぎし、這うように向きを変える。
「まだ、生きてやがる……」
誰かが、呆然と呟く。
回頭を終え、動かない体を捩り、じりじりと近づく。
見えない退化した濁った白い眼で、こちらを睨む。
ああ、分かっている。お前は最初から、俺たちを敵と認識していた。だが、この間は俺を見逃した。お前のその執着は、本当にお前自身のものなのか……?
船への道半ばで、魔獣は力尽きた。皆が見詰める中で、その体から感じられた凶悪な気は虚ろになり、力の抜けた体はごろりと裏返った。抜け殻となり、波間を漂っている。
そのうちに、沈んでいくだろう。
「損傷報告……。信号長、副長に引き継ぐように言ってくれ……」激痛に苛まれていた心身を、意志の力で押さえ付けていたシアーズは、意識を失い崩れるようにして倒れた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
魔獣討伐から二日が経ち、シアーズはすっかり回復して、グエンコ村長の家にいた。
あの後、ウセディグ副長の、エルフの精神感応術を使用した治療を受けたが、丸一日昏睡していたのだった。船内業務は滞り無く進み、覚醒してから半日静養したシアーズは、正午前にアトレウ村を訪れた。テルースたち三人は、昏睡を続けているそうだ。
「体はもう、大丈夫なのじゃな。礼を言わせてもらうぞ。お主たちのおかげで、【海の魔物】の脅威は取り除かれたわい。ヤルミも立ち直り、漁の下働きからやり直す。何か礼をしたいが……」
「あんたたちも戦ったろう。俺たちだけの力じゃないさ」
「謙虚も過ぎれば、何か裏があると思われるぞ」
「取引がしたいのさ。言い渋っていた、前回の大魔嘯の時のことだ。聞かせてくれないか?」
「……。ううむ、致し方ないかの。よいか、信じる、信じないはお主の勝手じゃ……」
* * * * * * *
かつて、この隣の島に鉱山があったのを、お主も知っておるじゃろう。
ミネルヴァともガリアスとも、どちらとも取引して大規模に採掘しておったが、経営者は、まったくの正体不明じゃった。名前のみ、ラーシュ=ヨーアン・ヴォールファートと知られておったが、誰も見た者はおらんじゃった。
大魔嘯があったのは、儂らがカヌーで『鎧かます』を穫っていたときのことじゃった。魔物の侵攻は、こちらには滅多に来ぬからの、儂も含めて皆、暢気なものじゃった。
漁の最中、小型の魔物たちがすぐ向こうを、ものすごい速さで通り過ぎたのじゃ。儂らは、あわてた。儂らに気づかぬはずが無い。もっと大きな魔物の群れが、来るかも知れぬ。すぐに漁網を浮き樽に縛り、急いで逃げ出したのじゃ。
儂のカヌーが、殿じゃった。様子を見ながらじゃったので、儂のカヌーが遅れだした。皆を先に行かせ、儂は近くの島に向かった。
それはこの島の隣、鉱山があったラァディ島での、儂が入ったのは、島の裏側の目立たない、岩肌に囲まれた小さな入り江じゃった。急いでカヌーを引き上げ、儂は岩山をよじ登った。
頂上あたりで休んだ儂は、周囲の海を見渡した。幸いな事に、魔物たちの群れはおらなんだ。張り出した岩で右の視界が遮られておったので、少し移動して回り込んだ。
そこには、儂が入ったのとは別の大きな入り江があった。奥は洞窟に繋がり、入り江自体は網で封鎖されておった。大きな生け簀のようなものじゃ。
その網の一部は開かれており、先ほど見た魔物の群れが、丁度戻ってくるところじゃった。
その群れ以外にも、無数の魔物が泳いでおった。小さなものから中型位のものまで、様々な種類の魔物が、隙間がないほど蠢いておった。
警備員らしき者たちが巡回しておったが、鉱山の警備隊の制服を着ておった。彼らがこの魔獣を飼っているのは、間違いないのじゃろう。魔物たちも、懐いておるようじゃった。
しばらく見ていると、洞窟の奥から見慣れぬ一団が出て来た。彼らは神官のローブを纏っておったが、我らのものとも六神教会の神官のものとも、全く違うようじゃった。
まるで、昔語りに旅人が告げた『リスル教団』の神官の着る、使徒のローブのようじゃった。
彼らは、黒い首輪を嵌めた、二十人ほどの一団を連れておった。男も女も、獣人やエルフ、ドワーフたちじゃった。彼らは奴隷じゃった。儂は、怒りで拳を握りしめた。
だが、見つかれば何をされるか……。儂には、村民を治める義務がある。
結局、ただ見ているしかできなかったのじゃ。
更にその後から、奴隷たちを追い立てるように、フードを被った者たちが表れた。
そいつらは、禍々しい空気を纏っていて、歩く格好もぎくしゃくと慣れておらぬようで、とても人間とは思えなかった。
その異形どもを、顔をさらして指示を出していた男も、始終薄ら笑っていて、なんとも気味が悪い男じゃったのう。
だが、心臓が凍ったのは、次の瞬間じゃった。
薄気味が悪いその男が異形の一団に命令すると、そいつらは奴隷たちを生け簀に投げ込み始めたのじゃ。
悲鳴が上がり、抗う叫びに泣き声。異形たちの唸り声、魔獣たちの上げる喜びの咆哮……。今でも夢に見るわい。体中が汗で濡れ、胸が早鐘を射つようじゃ。
すぐに奴隷たちは、一人もいなくなった。
魔獣たちは、まだ騒いでおる。
その時、指揮をしていた男が、はっきりと儂を見た。
そして、顔中を歪ませて、醜悪な笑みを浮かべたのじゃ。
その後のことは、よく覚えておらぬ。気がついたら、村にいた。寝床の中で、震えておった……。
そのすぐ後じゃ、鉱山の警備隊が大魔嘯のはぐれ魔獣を退治したと評判になったのは。
彼らが、魔獣を見た村の者に対しての、辻褄合わせをしたのじゃろう。
次の朝、目が覚めると、儂の家の中に、儂の寝床の上に、血にまみれた黒い革の切れ端が置いてあった。奴隷の首輪じゃった。
誰にも話すな、ということじゃろう。何故、儂を殺さぬのかは、分からぬ。
それからじゃ、【海の魔物】が暴れるようになったのは。【あれ】はあの時、生け簀にいた魔獣の一匹じゃった。監視役、といったところかの。
儂は、【あれ】に関わらぬよう、村民に言い聞かせるほか、なかったのじゃ……。
儂が知っておるのは、これだけじゃ。
* * * * * * *
グエンコ村長の長い話は終わった。
シアーズは礼を言い、尋ねた。
「今更言うのもおかしいが、話してしまってよかったのか?」
「構わぬ。恩には全霊で応える。それに、鉱山も閉鎖されて長い。もはや、よかろう。お主たちの素性も、詮索せぬ。このことは、真珠穫りの頭にも言ってある」
「分かった。こちらからも礼を言う」
「そういえば、爆裂丸はテルースたちが持っていたのじゃな。最初の作戦では、どうだったのじゃ」
「ウィンチで身動きできない所まで引き寄せたら、クレーンで殴りまくり、弱ったら火炎弾を撃ち込みまくる予定だった」
「……」
グエンコは呆れたように黙り込んだ。確かに破れかぶれだ、と思った。
一旦船に戻り、次の日、依頼していたトロール漁網の受け取りをグリーン兵曹に任せ、シアーズは伝導所へ向かった。
「やあ、元気ですかな、司祭さん」
「これは、シアラー殿。その節は、誠にありがとうございました。ジェミィさん共々、お礼を申します。助かりました」
にこやかに話すベルナール司祭の後ろに、生気の感じられないジェミィが佇んでいる。
「彼女の具合は、どうなんですか」
「やはり、あのショックのせいでしょうか、心神耗弱の状態です。話しかければ反応はしますし、筋道は分かるようです。しかし、人間らしい反応が……」
「父親は何と?」
「港より、神に近いここの方が、精神にも良いだろうということで、毎日通って来ています」
「そうですか。良くなるよう、祈っています」
「出港されるのですね」
「はい、夕刻前に出港の予定です。西に戻ります」
実際は南に向かうよう、命令が出ている。
* * * * * * *
魔獣との戦闘のことを含め、村長の話を昨夜、秘話通信で伝えた。
ウセディグ副長による鉱山跡地の調査も空振りに終わり、何の不審な痕跡も発見できなかったことも付け加えた。
一夜明け、新しい命令が来た。
『南方、都市国家ぎれみあヘ向カエ。りする教団ノ影アリ』
「また、大雑把な命令ですな」と、ギルダン機関長。
「対魔獣戦について叱責がないのは、なにか裏があるのでは」
慎重なウセディグ副長らしい疑念だ。
「まあ、俺たちにはどうしようもない。命令通りに動くだけだ。俺たち流にな」
朝食を囲みながらの会議に集まった幹部たちは、副長を除き、にやりと笑った。
* * * * * * *
「また、逢えることもあるでしょう。それまで、お元気で」
「司祭さんも、お達者で」握手で別れを告げるが、ベルナール司祭は握った手を離さない。シアーズがいぶかしく思う瞬間、司祭は手を離した。
司祭の微笑みに応え、浮かびかけた疑問は霧散する。
手を振り、シアーズは伝導所を後にした。
真珠穫りたちにも、別れの挨拶をしよう。
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ベルナール司祭はジェミィと二人、アトレウ村の裏にある小山の山頂に立っていた。
港から出港するトロール漁船『トーベイ・ラス』を見送る。
ベルナールは船を見詰めながら呟く。
「また、お逢いしましょう」
航跡を曳き、漁船は去って行く。
司祭は振り向き、島の裏側に広がる海を見た。
一艘の沿海型セイリングクルーザーが、総帆で滑っている。
この島に向かっているようだ。
* * * * * * *
この夜、ゼント島の工作員ワームウッド(ニガヨモギ)からの定時連絡は、永久に途絶えた。