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名誉のためでなく  作者: ulysses
第2章
13/19

第012話 海魔Ⅱ

 スケラグス諸島の最西端、ゼント島。そこでは真珠採取に従事する少人数の人族が、昔から住む獣人族との微妙な緊張状態の中で暮らしている。

 祖末な木の桟橋につけた『トーベイ・ラス(H.M.S.フラウンダー)』では、シアーズが補給係のグリーン兵曹と底引き網や消費した物資の仕入れに行くことになり、残った乗組員のうち水兵たちには、片舷ずつの半日休暇が与えられた。


「そこ、腐ってるみてぇだ、気ぃつけぇよ」丸太の上に板を渡し、ロープで固定しただけのボロボロの桟橋を歩きながら、マーク・ベスト 二等水兵が仲間に言った。猪首で横に広い体躯の人族の航海員兼応急修理員で、ドワーフ族を巨体にしたような印象を受ける。王都東部の貧困地区エンズバウ出身で、幼少の頃から港湾労働者に混ざって働いてきた、下町訛りが抜けない24歳の若者だった。左舷班の水兵の一団の、先頭を歩いている。今日は左舷班が午後直から第二折半直まで(12時〜20時)の半日上陸休暇を貰い、気の合った仲間と一杯やりに行く途中だった。


 港内配置では通常の当直時間は変更されており、午前直から第一折半直(8時〜18時)まで勤務し、夜間は警衛当直員以外は勤務外となる。それでも船外に出る事はできないので、船に残っている右舷班には、明日半日の休暇が待っている。上陸に関しては、両舷合わせて十名まで許可して希望者を募ったところ、初日の左舷班で五名、翌日の右舷班も五名と丁度分かれたのでそのまま許可された。そして、上陸中には軽く耳目を開いて、ついでに情報収集をする事も命じられていた。


 一行はマーク・ベスト、ヒュー・ライノット、ジョン・スピラーン、ダミアン・ヘイの人族にドワーフ族のターロック・エイルウィンを加えた二等水兵組である。本来なら気のいいダグザ・オェングスも一緒に行動するのだが、最近は常にふさぎ込み誰とも付き合いを断っていた。

「ダギーも来れば良いのにのぉ……」仲の良いエイルウィンが嘆く。

「五名までってことだから、仕方ないさ。それに、ヘイワード爺さんが何度話そうとしても、突っぱねてんだろ? でも、あいつのこと、どうしたもんかなぁ」苦労人のヘイワード 一等准尉をも拒絶するとは、一体何が合ったのか。

「俺たちじゃあ、何もできねぇ。艇……船長に話して貰うっきゃあねぇよ」

 一行はぬかるんだ通りを渡り、傾いた酒場の看板が揺れている建物の、壁の塗りが剥げ床板に穴が開いたポーチを上った。


 酒場の店内は薄暗く、目が慣れるまで数瞬の間が必要だった。四十人ほどで一杯になりそうな空間は、四人掛けの丸卓テーブルが七つと十人が座れるカウンターで占められている。壁の小棚では灯り魔術ではなく、いくつかまばらに置かれた油皿の灯心が、心もとない灯りを放っている。安煙草と獣油の煙りの臭いが漂い、あちらこちらで褪せた壁紙の穴から壁板が覗き、床はすり減って木目が浮き上がっていた。木材は漂白されたように、真っ白になっている。なんとも裏ぶれた店内の侘しい佇まいに溶け込むように、襤褸ぼろ同然のシャツを纏った無精髭の男たちが八人、背を丸めて陶器のコップを覗き込んでいた。古い魔導蓄音機からは、『四月の思い出』という曲が雑音混じりに流れ、その流麗な調べは店の雰囲気と対照を成していた。

 ベストたちは、隅の丸卓に空いている椅子を一つ加えて座った。男たちは、黙って目で追っていた。


「あんたら、今日入ってきた漁船の漁師かい? 『丸鋸鰯亭』へようこそ」声を掛け、コップの五つ乗った盆を手に、痩せた初老の男がカウンターから出てきた。よれよれの白いシャツとスラックス、腰に黒いエプロンを掛けている。薄くなった髪と丸眼鏡の悲しげな顔に、貧相な口髭が余計に物悲しさを加えている。

「あんた、店の親父さんかい? まだ、注文してないぜ」

「この店で出せる酒はこれだけさ、済まんね」と言い、コップを並べる。コップの中では、ツンと刺激臭のある白い液体が揺れている。ダミアン・ヘイが取り上げ中を覗き込み、恐る恐る一口飲み下す。

「カハッ! す、酸っぺぇ、臭ぇ、喉が灼ける!」鼻と喉を抑えてじたばたした。じっと見ていた男たちから、笑いが起こった。


「そいつは『鬼トド乳酒』だ。鬼トドの乳に種酒を混ぜて、発酵させたもんよ。強くて臭ぇ酒だから人を選ぶが、馴れれば結構いけるぜ。この島のアトレウ村の獣人族が作ってるんだ」一番歳をくっていそうな、背中までの白髪に皺だらけの厳つい顔に、筋肉に覆われた巨体を椅子に押し込んだ男が言った。

 ベストたちも試しに飲んでみるが、皆、顔を顰めて何とか呑み込んだ。その様子に、また笑いが起こる。一人ターロック・エイルウィンだけは、「ふむ、悪くはないのぉ」と平気な様子で飲んでいる。

「すげぇな、あんちゃん。初めてでそんなにスイスイ飲む奴、今まで見たことねぇぜ。気に入った! ここでの勘定は、俺の奢りだ。お前ぇらも、好きなだけ飲みな!」フラウンダーの一行と、周りの男たちに向かい男は宣言する。店は、歓声に包まれた。


「私はトム・ローガン、店主だ。さっきのは嘘だ、済まんね。ちょっと、あんたらをからかったのさ。生憎あいにくとウィスキーなんぞはここ何年かお目にかかってないが、自家製エールかジンなら出せるよ」眼鏡の店主がくくくと、含み笑いしながら告げる。そのまま『鬼トド乳酒』をおかわりしたエイルウィン以外、一行はエールを注文する。

「俺はゴードン・リーソー。こいつらのかしらをやってる」白髪の男は、後ろの七人の男たちを示し手を振る。「俺たちは真珠穫りだ。前は隣の島の鉱山で働いていたんだが、閉山になってみんな引き上げちまった。俺たちはここが気に入ってな、暮らしはかつかつだが、真珠を穫ってのんびりやってるのよ。この店は鉱夫時代からの馴染みでな」

「俺たちは、トロール漁船『トーベイ・ラス』の漁師だ。網を駄目にしちまって、この島に買いにきたのさ」

「網を駄目にだぁ? お前ぇら、素人か? 何でそんなことになった?」

「エイみたいな魔獣に襲われてよ、網はそいつのひれでズタズタよ。えらい目に遭ったと……」店内が静まり返り、それに気づいたヒュー・ライノットは言葉を止めた。

「お前ぇら、【やつ】に遭ったのか? よく生きてんな……。奴はこの海域を回遊してる、『海の魔物』と獣人族に呼ばれてる化物だ。出遭ったら最後、あの鰭で船ごと沈められちまう。襲われて帰って来た者は、いねぇんだ。俺たちの仲間もな……」


「そうやって縮こまって、これからもずっと喰われ続けるの!? 【あいつ】を倒そうって男はいないの!?」戸口から、いきなりなじるような大声がかかった。そこには、一人の美しい少女がいた。頭には犬耳がピンと立っている。

 栗色の髪が腰まで流れ、面長な輪郭に切れ長の蒼い瞳、高く通った鼻筋、少し大きめの唇。普段なら生き生きと煌めくであろうその双眸は、怒りのためギラギラと光っている。興奮のためか、犬耳が震えている。青いワンピースから伸びた細い両腕を胸前で組み、店内をキッとめ付けている。黙っている真珠穫りたちを見回した後、ベストたちに目を向けツカツカと歩み寄った。


「あんたたち、【あいつ】に出遭っても生き残ったのよね。じゃあ、この人たちより強いか、運が言いかだよね。【あいつ】を、殺してくれないかな。お礼に……、お礼にあたしをっ、……自由にして良いよっ!」必死の形相で叫ぶ。それに慌てたリーソーが「ジェミィ、何を言い出す!? そんなこと許さんぞ!」と、立ち上がる。「お嬢、駄目だ!」「やめてくれ!」などと、周りの真珠穫りも騒ぐ。

 しばし睨みあう、ジェミィとリーソー。そこに、スピラーンが声を掛ける。

「俺たちも、命からがら逃げ出したんだぜ。あんたの体と交換に、気軽にほいほい命かけられるほど、色キチじゃあねぇぞ、俺たちゃあ」ジェミィの血相が替わった。

「意気地なしっ! みんな、それでも男なのっ!」と、涙を流しながら店を走り出た。彼女を止めようと、真珠穫りが数人駆け出そうとしたが、リーソーが「放っとけ! しばらく、頭を冷やさせろ」と言い、止めた。


「済まねぇな。あいつは、俺の義娘むすめだ。鉱山仲間の犬獣人の娘だったんだが、あいつが小せぇ頃、落盤事故で親が死んだ時に引き取ったんだ。ジョンてぇ真珠穫り仲間の息子と結婚の約束をしてたんだが、二カ月前に【海の魔物】に殺されてよ。この間まで床に臥せっていたんだが、やっと起き出したら【奴】を殺せと言い出したんだ。でもよ、17の生娘があんなことを言うとは……」

「こっちこそ悪かったな、あんな言い方をしてよ」と、スピラーンが謝る。

「いや、はっきり断ってくれて良かった。これでジェミィも、諦めるだろう」

 ローガンが、エールの並々と注がれたコップを六つ持ってきて、「こいつは、店の奢りだよ」と、リーソーとフラウンダーの一行に配った。


        * * * * * * *


 ジェミィ・ビゴー・リーソーは、荒れた岩だらけの岬の先端に向かって走っていた。ビゴーは亡き父の姓だ。本当の父を忘れないようにと、リーソーがミドルネームとして残したのだった。その本当の父にも負けない愛情を注いでくれたリーソーに、今ジェミィは当たることしかできなかった。心の中では黒い怒りが渦を巻いて荒れ狂い、落ち着いて考えることができなかった。


 岬からは、ジェミィの婚約者だった人族のジョン・カドガンとその父であるシミオン・カドガンが、真珠貝採取中に【海の魔物】に襲われた環礁が見える。その環礁の外には真珠貝はおらず、その中だけが棲息場所で採取場だった。

 真珠貝の採取は最低でも二人組みで、片方が防水帆布で作られた潜水服とガラス窓のついた金属製のヘルメットを着用して潜水し、相方は海上で手押しポンプを押しホースでヘルメットに空気を供給するという『ヘルメット潜水』で行われる。

 カドガン親子は、早く結婚する為に少しでも真珠を多く穫ろうと、無理をして連日潜っていた。そんな時、周期外れに突然現れた【海の魔物】に、ジョンは潜水中に、シミオンは小舟ごと襲われたという。

 訃報を聞いた時、ジェミィは哀しみのあまり卒倒し、そのまま床に臥せったのだった。


 岬に佇み環礁を見詰めていたジェミィは、寒さにぶるっと体を震わせた。初夏とはいえ北辺に位置するこの緯度では、冷たい風が吹く。頬を濡らす涙に気づいた彼女は袖でぐいっと拭い、港町に帰ろうと振り返った。

 そこには、六人の特徴的な服を着た若い獣人族の男たちがいた。動物をかたどった模様の狩衣に毛の房飾りや、鳥の羽根、ビーズなどを飾った皮のローブを着ている。リーダーらしき虎の獣人が、一歩前に出た。


「よぉジェミィ、こんな寂しい所で、一人で何している? 俺たちに付き合わないか」

「嫌よ、テルース、あっちに行って。また父さんにどやされるわよ。」

「つれないこと、言うなよ。獣人族は獣人族とくっつくのが、一番なんだぜ。ジョンの奴のことも、却って良かったじゃないか」嘲笑するように言い、一歩近づく。その言い草に、ジェミィは更に怒りを募らせる。カッとなり、犬耳が飛び出て怒りに震えた

「何てこと言うのよ、このロクでなし! 仮令たとえこの世が終わっても、あんたみたいなクズとなんか、お断りよ!」

「何だとぉ、もう一遍言ってみろよぉ、へへへ。お前がどう思おうと、お前は俺の物になるんだ。おい、お前たち、こいつを溜まり場へ連れて行くぞ」ジェミィが後ずさると、テルースの後ろに控えていた獣人たちが返事をして動き出す。


「お前たち、何をしている!」その時、鋭い制止の声が、後ろからかかった。

 獣人族の暮らすアトレウ村と人族の真珠穫りが住む港町は、小高い山を回り込んだ細い山道で繋がっている。岬はその中間地点にあった。その道を上がってきたらしい二人の男が、こちらをじっと見ていた。

 一人は制止の声を発したらしい、6フィート程の長身で、黒いギルシーア帽からはみ出した黒い癖毛に漆黒の鋭い双眸の、若いくせに落ち着いた雰囲気を纏った男。もう一人は中年で5フィート少し位の、小柄で筋肉の固まりに鎧われたずんぐりと丸い男だった。


「何だよ、見かけない顔だが、関係ない奴は引っ込んでな。痛い目をみるぜ?」と、テルースは手下に顎をしゃくる。五人の獣人が下卑た笑い漏らし、二人に走り寄る。

 ジェミィがとっさに声を上げようとした瞬間、声を呑んだ。

 ずんぐりした男が、その見かけからは信じられぬ速度で、一瞬のうちに獣人の目の前に移動し、一人を蹴り跳ばす。同時に横の獣人の喉首を、ガッキと左手で掴み振り払う。背後に転がり咳き込む獣人に目も呉れず、次の男の胸郭を正拳で突く。獣人は吹っ飛び、胸を抑えて必死に息をしようとしている。

 隣では、すっと近づいた長身の男が正面の獣人の鳩尾みぞおちに膝蹴りを叩き込み、小柄な男が背後に転がした獣人がふらふらと起き上がり、再度襲いかかろうとする首筋に手刀を見舞った。最後の一人は、一瞬で四人が行動不能にされた早業に固まっていた。

「さて、これ以上やるなら手加減抜きだが、どうするかね?」と、小柄な筋肉男がにこりと笑いながら聞いた。

「ちっ。今日の所は、引き上げてやる。ジェミィ、俺はあきらめないからな。……、おい、そいつらを連れて、後から来い。まったく、使えねぇ」と、テルースは一人で山道を上って行った。後ろからは、残った一人に助け起こされ、互いに支え合ってよろよろ歩く獣人族の男たちが続いた。

「どこでも、チンピラの捨て台詞は一緒ですな」と、小柄な男が笑った。

「お嬢さん、大丈夫でしたか? 私はトロール漁船『トーベイ・ラス』の船長、ディラン・シアラーです。彼は、甲板長のグリーン。よろしければ、お家までお送りしましょうか」と、長身の男が言った。


 この時、シアラー(シアーズ)とグリーンは港町の船具屋ではトロール漁に使う底曳きドラグネットが手に入らず、山を越えた所にある獣人族の住むアトレウ村へ行った方がよいとの言で、山道を上がってきたところだった。

 アトレウ村に住む獣人族の祖先は、英雄戦争の時代に戦争を避けて南の地からスケラグス諸島に渡ってきたと伝承されている。

 聖歴1400年頃までは、諸島全体で約25,000人が暮らしていた。狩猟や魚漁などに従事し、その他には猟・漁具の作成、カヤックなどの小舟の組み立て、織物が彼らの主な工芸であった。 狩人は木製の狩猟帽を被り、その帽子はカラフルなデザインでアシカの震毛や羽毛、象牙などが飾られた。また、女性はパルカと呼ばれるアザラシの皮をなめして毛を裏に貼り付けたフードつきの短い防寒着を作り、その他にもライ麦やビーチグラスで籠を編み上げるという豊かな文化があった。

 しかし聖歴1630年頃、人族の山師が訪れ、ついで私設鉱山の操業が始まると一気に諸島の人口は増えた。この鉱山の所有者はその来歴が全く不明だったがミネルヴァ、ガリアス両国に顔が効き、双方に鉱石を販売することで開発権を得ており、その利益は莫大なものだったという。鉱夫とその家族、飲食業者や慰安施設関係者などが住み着き、やがて乱伐、乱獲により山林や動物、海洋資源などが枯渇した。

 また一方で、人族の持ち込んだ様々な疾病により獣人族の数は激減し、聖歴1650年頃にはスケラグス諸島全体の獣人族の数は1,600人程になっていた。現在、アトレウ村の住人は、214人である。温厚な民族だが、衰退の原因となった人族へは、不信感が強い。

 スケラグス諸島では、鉱山の閉鎖による関係労働者の退去により各島の住居や施設は放棄され荒廃しているが、その反面、自然はゆっくりとだが回復の兆しを見せていた。


 ジェミィは、これだけ強い彼らなら【海の魔物】を殺せるのでは、と期待を抱いたが『丸鋸鰯亭』での漁船員との会話から、彼らには頼んでも無駄だと思った。ならばアトレウ村へ行って、テルース以外の獣人に頼んでみようと決めた。

「いいえ、あたしはアトレウ村へ行くので、結構です。あなた方も村へ行くんですか? なら、案内しますけど。あたしは、ジェミィっていいます」と、船長の申し出を断った。

「それならば、村の六神教会の伝導所に案内して貰えますか? ベルナール巡回司祭に会いたいのです」

「え、新しい司祭が来ているんですか? ドミニク巡回司祭が次の村へ行ってから、まだ誰も来ていないと思っていたんですけど」

「船具屋の話では、先週の始めに来たそうです。しばらく武神教会からは来ないそうですね。ドミニク司祭に、何か失態があったとか。アトレウ村の伝導所は、しばらくは武神教会を除いた五教会で巡回するのだそうです」三人は、山道を歩き出しながら話を続けた。

「ドミニク司祭は、獣人族の土着神を侮辱したので、追い出されたんです」

「君は、アトレウ村の人ではないのですかな?」アトレウ村の住民に対しての言い方が気になったグリーンは、彼女に聞いた。

「あたしは、港町の真珠穫りの娘です。父さんは長よ。父さんは人族で、あたしは養女なの」納得したグリーンは頷いた。


 六神教会──人族の信仰する武神ダグザ、愛神ネリラ、商神ポルド、医神ファサ、農(牧)神クワラ、猟(漁)神アボルの六柱の神々をそれぞれ祀った教会を統括する、世界中で信仰される宗教組織である。都市には六神の各教会が、町から村には六教会のいずれかが、辺境の集落には伝導所が神の愛を広めている。亜人にはまた彼らの神々がいるのだが、人族の街で暮らす亜人はコミュニティの便宜上、それぞれ教会の信徒として所属している者も多い。逆に辺境の亜人集落などでは、伝導所での布教は大抵、住民に無視されている。

 教会に所属する神官の位階は、修道誓願を立てて修道院にて禁欲的な信仰生活を送る「修道士」、主教・司祭の許で奉神礼の補佐をする「輔祭(輔祭、長輔祭、首輔祭)」。ミサを執行し、洗礼などの秘跡を与え、説教をするなど教会の儀式・典礼を司る「司祭(司祭、長司祭、首司祭)」。修道司祭からのみ任命される高位聖職で、教区の長としてこれを統轄する「主教」、各方面の長たる「大主教」、教皇庁でそれぞれの教会の長を務める「総主教」が存在する。

 司祭としては、各地の伝導所を定期的に巡回し布教を行う巡回司祭、修道士が司祭に任じられた修道司祭、街の教会で礼典執行や信徒の指導にあたる教区司祭がある。巡回司祭は各方面を国をまたいで巡回し、神の愛を説く。各国を通過する性質上スパイにもなり得るが、発覚した場合は教会の宣誓により即座に破門されることになる。破戒者は教皇庁内赦院より派遣される監察官により拘束され裁判を受け、懲罰院にて勤労と奉仕の苦行を生涯送ることになる。それは周知され、各国は巡回司祭の行動を規制することはない。

 教会の総本山は大真洋の中央諸島に位置するマイエリン島のラテラヌス教国にあり、教皇庁は五教会のトップである総主教評議会が統括している。そして全て教会の長である教皇が永世中立、博愛を世界に説いて崇敬を集めている。


 アトレウ村までは一時間ほどかかったが、馴れない山道にもかかわらず漁船の二人は疲れた様子を見せなかった。ジェミィは彼らを伝導所まで案内し、そこで別れた。二人が伝導所に入ると、白いローブを着た男が六柱の神像が祀られた祭壇に跪いていた。戸の開く音に立ち上がり振り返ると、「ようこそ、伝導所へ。お見かけしない方々ですが、何かご用ですか?」と微笑んだ。腰までの銀の髪を背に流し、細い眉に柔和に細められた橙色の瞳が物問いたげな色を浮かべている。まるで美しい女性のような、儚げな雰囲気を纏っていた。

 シアーズは何度か口にし、少しずつ馴染んできた偽名を名乗った。

「初めまして。私はトロール漁船『トーベイ・ラス』の船長、ディラン・シアラーです。こちらは、甲板長のグリーンです。実は、トロール漁に使う底曵き網を駄目にしてしまいまして、こちらのアトレウ村の漁具を譲っていただけないかと思い、紹介のお願いに参ったのです」

「これはご丁寧に。私は医神ファサに仕える巡回司祭、ベルナール・ギイと申します。なるほど、このスケラグス諸島の獣人族の方々が作る漁具は、なかなかに良い物ですからね。かしこまりました、村長むらおさのお宅へご一緒しましょう。譲っていただける網があればよいですが、無ければご婦人たちに組んでいただく事になります。それでよろしいですか?」

「結構です。よろしくお願いします。こちらは些少ですが、諸神様がたにお供えください」と、金を包んだ封筒を渡す。

「これはこれは、早速お供えいたしましょう。あなた方と船の皆様に、諸神様がたの祝福を」とベルナールは右手で空を丸く切り、祝福を祈願した。封筒はそのまま、神像の前の鉢に入れた。


 その時、外が騒がしくなり怒号が聞こえた。それに抗う少女の声も。三人は外へと急ぎ、戸を開けた。


※ドラグネット……底曳き網。根こそぎさらうことから「一斉検挙」のスラングにも。

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