第61話 相談内容
寝室の扉をノックすると部屋の中から「はい」と殿下の声が聞こえた。
「僕です」と伝えるとすぐに扉が開いて殿下が「どうぞ」と僕を寝室に招きいれる。
部屋に入ると大きなベッドあった。
魔王『寝室だから当たり前であろう』
―魔王が変な事を言うから変に意識してしまうんだよ
まさか魔王が言うような事は無いとは思うけど。
『そうだといいな』という魔王に「無いよ!」と言う。
しかし一体どんな相談なのだろうか。
殿下は「どうぞ」と小さな丸テーブルの椅子の一つを僕に勧める。
僕が座ると殿下は用意されていたお茶を淹れてくれた。
殿下「気持ちが落ち着くお茶らしいですよ」
僕「へ、へぇ~」
そんなことを言いながら殿下が僕の前にカップを置いた。
そのカップにお茶が注がれる。
僕は気持ちが落ち着くならとお茶に口をつけて―
僕「っ!」
いつも飲んでいるお茶、姫が入れてくれるお茶よりもものすごく熱くてびっくりする。
カップから口を離したその反動で、お茶が少しこぼれて太ももあたりに染みを作る。
僕「熱ぁっ!!」
こぼれたお茶の熱さに立ち上がる。
その拍子にテーブルにぶつかってしまい、テーブルの上にあった様々な物が倒れる。
殿下が「大丈夫ですか?」と心配そうにこちらを見ている。
僕は手を振りながら「少しこぼしただけです」と伝える。
殿下「熱すぎたんですね…すみません」
僕「気にしないでください。溢したのは少しですし、熱かったのも一瞬だったので」
「ほっとけば乾くでしょう」と言う僕に「せめて拭き取りましょう」とタオルを手にこちらに来る殿下。
僕は「自分でやるので大丈夫ですよ」と殿下からタオルを受け取ろうと一歩を踏み出―
した所で足元に転がった小さな銀のつぼ(砂糖入り)を踏んでバランスを崩しかける。
しかしこの程度で転んだりはしない。
僕は姿勢は怪しかったものの何とか倒れずに踏みとどまる。
―耐えた!
僕は『ゴゴゴゴ…』という効果音が聞こえて来そうな絶妙な立ち方のまま、転ばなかった事に安堵していると―
魔王『一度目な』
―は?
見ると僕にタオルを渡そうとしていた殿下がバランスを崩しており、僕の方に突っ込んで来ていた。
―なんと!!
どうやら僕が踏んで転びそうになったあの小さな銀のつぼ(砂糖入り)が原因らしい。
僕が踏んで弾いた小さな銀のつぼ(砂糖入り)が殿下の足元に転がっていったようだ。
そしてそれを踏んだ殿下が体勢を崩して僕に突っ込んできているというのだ。
いつもの僕なら体勢を崩して倒れてくる殿下一人くらいなら支えることも可能だ。
しかし今の僕は同じ使い手なら背後にもう一人の僕が見えるであろう、というとても芸術的なバランスで立っているのだ。
どう考えても受け止めることは出来ない。
しかし仕方無い状況に倒れる事を前提に殿下を受け止め―
ようとした所で殿下が自力で体勢を立て直そうとした。
小さな銀のつぼ(砂糖入り)を踏んでいる足とは逆の足で踏ん張ろうとする。
その結果、小さな銀のつぼ(砂糖入り)「もう(砂糖入り)はいいよ!」の上で片足立ち状態になってしまいバランスを完全に崩す。
そのまま殿下が受身が出来ないような姿勢で倒れこみそうになった。
―このままだと殿下が怪我をするかもしれない
僕は咄嗟に不安定な姿勢から倒れこむ殿下に横から飛び掛る形で抱きつくと、頭を打たないように腕を回す。
そして飛びついた勢いを使って殿下を抱えたままベッドへ倒れこむ事により大惨事を回避したのである。
そして前回の冒頭へと進む。
――――――――――
今度はお茶をこぼす事無くテーブルの上に置く。
殿下「すみません。入れ慣れてなくて…」
そう言いながら殿下は床に転がる小さな銀のつぼを拾っていた。
僕「いえ、こちらこそ部屋を汚してしまってすみません」
殿下「気にしないでください」
殿下が笑顔でそう言うと「今度は飲める温度で淹れますね」とお茶を淹れなおしてくれた。
殿下がお茶を淹れているあいだ、特に話す事を思いつかず無言になる。
―何か気まずいんですけど
魔王『なら話しかければよいではないか』
―何を?
魔王『自分で考えろ』
結局、気まずい空気のまま2人分のお茶の用意いし終えた殿下が椅子に腰を下ろす。
無言の僕に首をかしげた殿下は何かを思いついたらしく「ああ」と頷くと、自分で入れたお茶を一口啜り僕に微笑んだ。
殿下「今度はちゃんと飲めますよ」
僕「え、あ、いや、それで黙ってた訳じゃ無いですよ」
殿下が「相談内容」を言うのを待っていたのだ。
殿下もそれが分かったのだろう。
頷くと気を引き締めた顔をした。
殿下「相談と言うのは僕の婚姻の話です」
僕「婚姻?」
殿下「はい」
―よ、よかった!
本当に告白されたらどうしよう、とそればかりを考えて居たのだ。
『残念だったな』と笑っている魔王に「うるさいよ!」と返す。
そもそも魔王が変な事を言うからこんな目にあったんだ。
魔王が僕の反応に含み笑いしているのが無性に腹立たしい。
しかし今は魔王への追及は置いておいて、殿下の話を優先する。
僕「まだ相手も決まっては…決まったんですか?」
殿下「はい」
僕の言葉に頷く殿下。
しかしその顔には何ともいえない表情が浮かんでいる。
僕「相手に不満でも?」
殿下は首を振ると「いいえ…」と言った後で、さらに否定の言葉を重ねた。
殿下「いえ、嫌とかそういう事では無く―」
そう言うと殿下は黙り込んでしまった。
僕は殿下の言葉を待った。
しかし中々次の言葉が出てこないようだ。
僕「…結婚自体が嫌なんですか?」
殿下「いえ、国王という立場を考えるとすべきだとは分かってます」
「わかってます」
必要性は理解しても、という所なのだろうか。
魔王『他に娶りたい者が居るのではないのか?』
―じゃあその相手とすればいいのに
魔王『王の婚姻は自由にはならん』
王族の婚姻とは基本的に本人の意思とは関係なく、国益と絡むのが基本だ。
第一王女も隣国との国境強化を図るために隣国の国王と婚姻を結んだ。
前国王の第三王子は自国の大貴族の娘を王妃に迎えて貴族達の支持を集めた。
姫に関してはそういう公益とは無関係に本人の意思の元で婚姻を結んだが、僕と姫の婚姻が特殊すぎるのだ。
魔王『だから欲しい相手は妾として迎えるのだがな』
―なるほど
でももしかしたら相談と言うのは"それ"なのかもしれない。
殿下は聡い人だ。
どう立ち振る舞う事が王族として正しいのかをはっきりと理解し、そうあろうと頑張っている。
しかし理解はしていても人としてやはり気持ちは無視できないのかもしれない。
殿下「分かってはいるんですが、何と言うか―」
僕「他に好きな人でも居るんですか?」
殿下「僕がここで婚姻を―は?」
殿下の台詞を遮って言った僕の言葉に殿下が目を丸くする。
僕「他に居るから嫌なのでは?」
殿下「いえいえいえいえ、そういう事では」
片手を前で振りながら否定する殿下。
あからさまに「そういう事」のようにしか見えない。
僕「そういう人が居るなら翁に言ってみたらどうですか?」
殿下「え、いえ、だからそういう事では―」
王族の婚姻がそうだとしても、本当に好きな相手が居るなら翁も無理に誰かを宛がおうとはしないのでは無いだろうか。
魔王『王族の婚姻はそんな単純なものでは無いと思うがな』
―言ってみないと分からないじゃないか
魔王『言えない理由があるのではないか?』
―言えない理由?
魔王『言ってはいけない相手、とかな』
言ってはいけない意相手とはどういう事だろうか?
好きになってはいけない相手?
う~ん…
僕「もしかして姫が好きだとか?」
僕の言葉に殿下が「は?」と言ったまま固まった。
図星かもしれない。
僕「いくら殿下でも姫は渡せません。申し訳ないですが」
それに殿下と姫は姉弟なのだ。
魔王が『面白いからこのまま放置しておこう』とか言っている。
しかし本当に殿下が姫の事を好きだとしたら、面白いとかそういう問題じゃないのだ。
殿下「あの…一体何をどう勘違いされると、僕が姫姉さまを好きだという話になるのでしょうか?」
僕「あれ?違いました??」
殿下「ええ、全くの見当違いです」
「確かに姫姉さまは好きですが」と言う殿下。
しかしそれは姉弟愛であって、恋愛感情では無いというのだ。
殿下「それに僕は姫姉さまが若を選んで、若がそれに応えてくれて本当に嬉しいんです」
殿下が素敵な笑顔でそんな事を言う。
そんな無邪気に言われると何かテレる。
―姫はさすがに無かったか、となると―
僕「有力貴族の娘?」
殿下「ぶっ」
殿下は飲もうとしていたお茶に咽た。
―あたったか!
「ゴホゴホ…」と殿下は咽ながらも「違いますよ」と否定の言葉を言った。
殿下「前にお話しましたが、有力貴族の娘相手にそういう感情はありません」
僕「じゃあ―」
殿下「先に断っておきますが、美女さんも妖精少女も違いますからね!」
殿下が僕の言いたい事を先回りして否定する。
僕「さすがに妖精少女は無いですね」
―幼すぎるし
殿下「あ、いえ、別に妖精族とかそういう種族の話では…」
魔王『ほう…』
あたふたと否定する殿下。
国王という立場からすると仕方無いとしても、殿下個人がそういう種族差別…とは少し違うだろうけど、そういう事を考える人では無いという事は知っている。
だから僕は頷いた。
僕「わかってます。ただ婚姻の相手としてはまだ幼すぎるな、と思って」
殿下「あ、え、ええそうですね」
僕「となると―」
殿下が身を固くする。
僕「姫の騎士団員の誰かとか?」
殿下「違います。そうでは無くて―」
殿下がすこし落ち着きをなくして来た。
僕は「他に誰か…」と考えていたがぱと顔を上げた。
その動きに殿下がビクッとする。
僕「そうでは無くて?何ですか??」
殿下「は?」
僕「殿下がそう言ったので、その続きはなんだろうと思って」
そう言うと殿下がほっとした様な、残念の様な微妙な表情をしながら「ああ、その事ですね」と言った。
魔王『なるほどな…』
―ん?どうしたの?
魔王は何も言わず『なんでもない』という雰囲気だけを伝えてきた。
なんだんだ一体。
殿下「相手の方たちについてちょっと」
僕「何かあるんですか…相手の方"たち"?」
僕がそう聞くと殿下は頷いて「3名の后候補者が居るそうです」と言った。
僕「3人…ですか」
殿下「はい」
僕は黙って殿下の次の言葉を待つ。
殿下「その3名の中から后を選んで欲しいそうです」
僕「選ぶ…どうやって?」
殿下「…3名の后候補の方と会って選べと」
殿下はそう言うと深いため息をついた。
僕「乗り気ではない?」
僕の問いに首を振る。
僕「何が問題ですか?」
顔も見ない状態で肩書きだけで選ぶよりいいとは思う。
殿下「3名の方が来るんです」
僕「ああ、直接会って決めるんですもんね」
殿下「しかも長期滞在します」
僕「長期?」
殿下「長期です」
僕「どれくらい?」
殿下「半年になるかか一年なるか…」
僕「いつまでかもわからないんですか?」
殿下は頷くと「誰かが后候補として決まるまで滞在する事になるようです」と言った。
ある意味、もう逃げようがないようだ。
僕「どういう方たちなのかは分かっているんですか?」
殿下「簡単なものなら」
そう言うと殿下は説明してくれた。
海に面した南国の第三王女。
わが国と面していないがそれほど遠い国と言う訳でも無い。
国交を結べば海に関する莫大な恩恵を得られるはずだ。
北国の筆頭貴族の娘。
貴族とはいえ王族とかなり近いらしく、王位継承権持ちである。
その国に婚姻可能な姫が他に居ないので選ばれたらしい。
少し離れてはいるが珍しい鉱物が取れる鉱山と、それを加工する高い技術を要している国らしい。
隣の国の王孫女。
第一王女とが嫁いだ隣国とは別の隣の国で、現国王の第三王子の娘。
国が接している為、婚姻で結びつけば隣国と合わせて3カ国で強力な同盟が組めるようになる。
その他にも婚姻によって結びつきを強くする事はわが国にとってかなり有意義な国ばかりらしい。
僕は殿下の話を聞きながらふと疑問に思った事を口に出す。
僕「どの国もよく姫をわが国に送り込んできますね」
3カ国は別にわが国と敵対している訳では無い。
しかし確固たる同盟関係を結んでいる、という訳でも無いのだ。
そういう国に姫を送るというのは、ただで人質を送るようなものではないのだろうか?
僕「それともこの国は人質にならないような相手と思われているとか?」
いつでも滅ぼす事は可能な弱小国だと思われているのかもしれない。
殿下「さすがにそれは…無いんじゃないでしょうか」
それならなぜそんな弱小国にわざわざ姫を行かせるのか、という話になる。
そんな事をせずとも従属なり同盟なりを結ぶように仕向ければいいだけの話である。
僕「なら、体のいい厄介払いとか?」
殿下「翁は情報通りなら姫君も僕の后として問題ない、と太鼓判を押してましたし」
翁がそう言うならそうなんだろう。
殿下「どうやら3人とも美しく気立てがいいそうですよ」
僕「なら良かったじゃないですか」
殿下「そう、ですか?」
僕「だって問題があって他国から帰された姫君とか、高齢すぎるお婆ちゃん相手だと困るでしょ?」
殿下「それは…そうですけど」
まあそんな相手を翁が選ぶとは思えないけどね。
今回の3人は婚姻関係を結んだ事の無い姫君たちらしい。
僕「しかしそうなるとやっぱりよく送り込んできますよね」
大事に育てた姫を本当によく他国に送り込めるものだ。
僕がそう感心していると殿下が「―――かです」と呟いた。
僕「え?」
殿下「原因は若です」
僕「へ?」
何で僕のせい??
殿下が何を言っているのか、意味が分からなかった。
殿下「原因は、若、です」
しっかりはっきりと言われた。
言われたとしても意味が分から事には変わりが無かった。