第58話 殺気
美女さんは姫の騎士団大隊隊長4人を見た。
美女さん「これから言う事は他言無用です」
美女さんの言葉に姫の騎士団大隊長4人は頷く。
美女さん「約束ではありません。秘密厳守です」
秘密を漏らすとそれ相応の罪になると言うのだ。
美女さんの言葉を聞いて姫の騎士団大隊長4人が再度頷いたのを確認すると、白の騎士団団長に向き直った。
美女さん「私が無理な理由は、私が神官という立場だからです」
そう美女さんは神聖魔法を使える。
しかも高位の神聖魔法を。
高位の神官と言える。
美女さんの言葉に姫の騎士団大隊長3人が微かに驚きをあらわにする。
3人というのは有力貴族の娘以外の姫の騎士団大隊長3人と言う事だ。
有力貴族の娘には以前に美女さんの事は話している。
しかし他の姫の騎士団メンバー、特にゴブリンと戦ったあの場に居たものには「いずれ時が来たら話す」とは伝えていたが未だに説明をしていなかった。
その理由は美女さんの立場が微妙だったからだ。
姫の騎士団員、それも初期メンバーは特に信頼している。
しかしどの様な状況で漏れ伝えられるか解らない。
その為に事実を知る人物を最小限に抑えているのだ。
美女さんがそうそう連れ戻されない手筈が整う、もしくはどうにかしようともおいそれと手出しが出来ない状況になるまでは伝えるのを控えていたのだ。
姫の騎士団大隊長3人の驚きが「微か」なのは、ある程度美女さんの正体についての予測をしていた為だろう。
大火傷を一瞬と言える程の短時間で治す魔法の使い手などそうそういない。
しかも美女さんは「神官」と言った。
神官とは神に仕える者だ。
信仰心があれば信者は誰でもなれるが、神官にはそうそうなれるものではない。
神聖職とされ騙るのは許されないのだ。
あそこまでの回復力のある治癒魔法となるとかなりの高位の神聖魔法を使う神官。
それ程の神官なら噂が伝え聞こえてくるだろう。
しかも女性である。
ここまでくれば二択だ。
そして一人は黒髪の少女であり、おいそれと出歩く事が出来るような人物ではない。
そうなると答えは必然的に導かれ、予測が確信に至って驚きを露にしたのだ。
美女さんは姫の騎士団大隊長が理解したのを確認すると「他言無用ですよ」と言った。
白の騎士団団長「それで無理というのは?」
美女さん「神官は殺意などの悪意から遠い存在で無ければいけないのです」
神に仕えているので当然と言えば当然かもしえない。
僕「それなら人を斬ったりするのもまずいのでは?」
美女さん「悪意を持って、となると良くないですね」
そうでなけれ良いと言うのだ。
いや、良いと言うのは語弊がある。
仕方ないと言えばいいのだろうか。
殺生するのが忍びないと動物を殺して食べる事を拒否する人が居る。
じゃあ一体何を食べるのか?
野菜などの植物だろう。
しかし植物だって生きているのだ。
それを動物は忍びなくて植物は構わないというのはエゴイステイックでしかない。
本当に殺生がどうこうと言うなら、どちらも同じように扱うべきだろう。
それで生きていけのかどうかは知らないが、ヤギの乳だけで生きていた人も居たらしいので出来ない事でもないだろう。
―あくまで個人的な意見だけどね!
魔王『誰に対する言葉なんだ』
人の命を奪う事を是とはしない。
しかし何かを守る為や、自分の身を守る為に結果として相手の命を奪ってしまう事もある。
命を軽んじているわけでは無いと言う事だ。
美女さん「もし私の行いに誤りがあれば神の裁きが下るでしょう」
僕「そ…そうなの?」
美女さん「はい」
そういうものらしい。
―神の裁きってそうそう下るものでも無いと思うけど…
そもそも神の裁きが頻繁にあったら人類は死滅してしまうのでは無いだろうか?
とも思ったけど、神聖魔法を使う美女さんが言うと説得力がある。
僕「ああそうか、そうなったら神聖魔法も使えなくなるのか」
美女さん「そうかもしれませんね」
そもそも今まで神聖魔法を使える人物というのは過去にもそれ程多くなかった。
そして神聖魔法を使えた者が使えなくなったと言う話を聞いた事が無い。
だから美女さんも「かも」と言う曖昧な言い方しか出来ないのだろう。
魔王『まあ過去に居たとしても秘匿されるだろうがな』
確かに神聖魔法が使えた神官が使えなくなるというのはよっぽどの事だ。
信仰心が無くなるか、神に見捨てられたと言う事なのだ。
それは漏らすわけには行かないだろう。
僕「悪意…と言えば、今までの行動はなぜそれに触れないのでしょうか?」
美女さん「今までの行動?」
美女さんが僕をいじったりする行為だ。
あれを悪意と言わず何と言うのだろう。
美女さん「愛情です」
僕「は?」
美女さん「愛情です」
僕「え?いやあれは…」
美女さん「愛情です」
僕「ソウデスカ…」
美女さんの冗談は対応に困る。
僕と美女さんのやり取りに白の騎士団団長が「仲が宜しい様で何よりです」と笑いながら言った。
他の面々も笑っている。
白の騎士団団長「それで神官の美女殿には殺意を込めると言うのが無理だというのですね」
赤の騎士団団長「しかし美女殿程の使い手なら、剣気も殺意も見分けが付かないのではないだろうか?」
白の騎士団団長「そうかもしれませんね」
美女さん「しかしそれで意味があるのでしょうか?」
あくまで「命の危険」という状況を作り出すという事を考えると少し違う。
似ているならどちらでもいいと思うが、いざそういう状況になった時を考えると「似ている」ではダメなのだ。
「命の危険」を肌で感じる事により、本当にその状況に陥った時に行動できるようになると言うのだ。
―命の危険という状況もあくまで「作る」のであって、偽物には違いないんだけどね
魔王『そうではない殺気をお主がぶつければよかろう』
そうすればそれは本物になるというのだ。
―本物の殺気…難しいな
魔王『難しく考えるからダメなのだ。ただ相手を殺したいほど憎いと思えば良かろう』
―そう言われ居てもなぁ
初めて剣気というのを使った時に魔王に「姫を害する存在と思え」と言うようなことを言われた。
今思えばあれは剣気と言うより殺気だったのだろう。
使い方の解らない僕にわかりやすく説明する為にああいう方法を取ったのだ。
しかし今回は同じ方法を使えない。
アレはあくまで殺気で溜めたものを剣気として使ったようなものだ。
今回はそういうものでは無く、相手の精神に直接叩きつけるような感じなのだ。
じゃあ同じようにして叩きつければ良いと言うだろう。
―簡単に出来れば苦労してないけどね!
魔王『相手を憎む、というのは初歩的なやり方でしかないのだぞ?』
―初歩的?
魔王『使いこなせるようになれば、そんな事いちいち考えなくとも殺気くらい放てるようになる』
―そうなんだ
取り合えずは赤の騎士団団長を憎い相手だと想定してみる。
―…中々難しい。
魔王『気が緩んでいる証拠だろうな』
―そう…なんだろうか?
魔王『姫や有力貴族の娘を娶った所為かもしれんな』
『由々しき問題だ』と言っていた魔王が『そうだ』と何かを思いついた様に言った。
魔王『こ奴(赤の騎士団団長)はその元凶だ』
―元凶?
魔王『こ奴が姫の気持ちを言わなければ、今の状況は無かったやもしれん』
―そうだった!!
いや、姫や有力貴族の娘を妻とした事には不満は無い。
というか満足している。『爆ぜろ』
しかし人の、あの場で姫の気持ちを勝手に言った事に対しては許容できない。
魔王『朴念仁の方が罪だと思うが?』
―…許すわけには行かないのだ!!
赤の騎士団団長にはちゃんとダメだという事をわかってもらわないと、第2第3の被害者が出ないとも限らない。
その事を思い怒りを溜めていく。
その怒りを一度押し殺すと、一気に赤の騎士団団長に叩き付けた。
赤の騎士団団長は僕の気迫に「うっ…」と言うと半歩下がった。
―やったか!
赤の騎士団団長「その…なんかすまなかった」
僕「は?」
赤の騎士団団長「いや、何故か誤っておかないといけないような気がしたのだ」
魔王『まあ、いまのは殺気ではなく怒りだしな。違う反応が来ても当然だな』
―そう思うなら最初に言ってよ!
魔王は「赤の騎士団団長の勝手な行為」に対する怒りを引き金に憎いという感情に持っていけ、言いたかったらしい。
それを僕がそのまま怒りとして放ったので、飽きれてものも言えなかったようだ。
―なんかごめん。
僕は赤の騎士団団長を前に目を閉じる。
そして頭の中でイメージをする。
憎い相手、憎い相手、復讐したいくらい憎い相手…
そうなると想像するイメージは一つしかない。
姫が殺される。
有力貴族の娘が殺される。
妖精少女が殺される。
美女さんが返り討ちにする。
―復讐する相手が居なくなった!!
魔王『…美女はこの際、外しておけ』
姫が、有力貴族の娘が、妖精少女が殺される。
いやそれだけでなく自由を奪って暴行された上で殺害される。
そしてその遺体をさらに穢す。
魔王『…目の前の相手がそれを行った』
どす黒い感情が湧き上がる。
魔王『目を開けたら、目の前の奴にぶつけろ』
僕は下を向いて目を開ける。
そして目線を上げて目の前に居る奴を見ると、どす黒い感情を一気に叩き付けた。
次の瞬間には無意識に剣を抜いていて、向かってきた剣を受け止める。
「ガキッ!」という剣を受け止める音に我に返る。
それは相手もそうだったのだろう。
赤の騎士団団長は僕に向かって振り下ろした自らの剣を驚いたように見ていた。
赤の騎士団団長の剣は僕と美女さんの剣に遮られていた。
赤の騎士団団長が動くのと同時に美女さんも剣を抜いて赤の騎士団団長の剣を受け止めたのだろう。
結果的に僕と美女さんの剣がクロスしながら赤の騎士団団長の剣を受け止める形となった。
赤の騎士団団長「あっ…申し訳ない」
赤の騎士団団長はそう言うと剣を引いて一歩下がり剣を鞘に納めた。
それを見て僕と美女さんも剣を納める。
美女さん「この手は使えませんね」
僕「え?」
美女さん「刺激が強すぎます」
僕「はぁ…」
美女さんは少し笑うと赤の騎士団団長に「どうでした?」と聞いた。
赤の騎士団団長「気が付いたら剣を抜いてました」
美女さん「無意識に?」
赤の騎士団団長「ええ、今思い返せば無意識とは言えあの殺気に打ち込むなど無謀な行為でした」
冷静になって考えれば逆に切り殺されるだろうとう程の殺気だったらしい。
しかし殺気を認識する前に体が動いていたそうだ。
美女さん「白の騎士団団長はいかがでした?」
白の騎士団団長「お恥ずかしながらです」
そう言って肩をすくめる白の騎士団団長は自分が倒した椅子を直している所だった。
どうやら僕が殺気を放った瞬間に座っていた状態から咄嗟に立ち上がって下がると、剣の柄に手を当ようとしていたらしい。
美女さんが有力貴族の娘を見ると、有力貴族の娘は恥ずかしそうに下を向いた。
そして「腰が抜けて今すぐ動けません」とつぶやいた。
他の姫の騎士団大隊長も異口同音に有力貴族の娘に同意する。
美女さんは姫の騎士団大隊長達に「そのまま安静にしていれば動けるようになりますよ」と言うと僕に向き直った。
美女さん「そういう状況です」
赤の騎士団団長「しかしあの殺気はかなりのものですが?」
だからかなり本物に近い状況を作り出すと言うのにあっているのではないのか?と言うのだ。
しかし美女さんは首を振った。
美女さん「刺激が強すぎます」
赤白両騎士団団長ほどの者でもああなのだ。
しかも端から見ていた姫の騎士団大隊長ですら腰を抜かしたのだ。
美女さん「人を斬った経験が無い、しかも若い女性となると…」
白の騎士団団長「一瞬で意識が刈取られるだけで済めばマシな方ですかね」
場合によってはそれこそトラウマを与えるだけだろう。
赤の騎士団団長「殺気を抑えると言うのは?」
赤の騎士団団長の言葉に美女さんは「できますか?」と僕を見た。
僕は首を振るう。
僕「まだ毎回出来るかもわかんない状態です。慣れるまで威力を抑える事も出来るかどうかわかりません」
美女さん「やはり今すぐ行うのは無理ですね」
白の騎士団団長「そうなると若が使いこなせるようになったらこの方法でやるとして、それまでは別の方法でとなりますかね?」
僕「別の方法とは?」
白の騎士団団長「日々の訓練を通して覚悟を持り、賊討伐などで実践を経験する…くらいしかありませんよね」
僕「時間の無駄…とまでは言いませんけど、結局はそういう方法しかないとわかっただけですか」
美女さん「まあコレばっかりは仕方ないのかも知れませんね」
そう簡単に解決できるようなら、そもそもこのような話し合いを設ける必要すらないのだ。
少なくとも殺気について進展があったので無駄では無かったと思いたい。
ただ『殺気の調整』というのはどの様に訓練すればいいのだろう?
僕個人としてはそれも考えていかないといけない。
とは言え方針は決まった。
決まったと言うよりは結局は無難な形に落ち着いたと言うべきだろうか。
赤白両騎士団団長には賊討伐の話があったら同行させて欲しい旨を伝える。
後で殿下にも伝えておかなくてはいけない。
赤白両騎士団団長にお礼を言って会議は終了した。
因みに腰を抜かした姫の騎士団大隊長4人の話である。
話し合いが終了し赤白両騎士団団長が退室した後もすぐに回復する事は無かった。
安静にしていたら大丈夫らしいのだが、椅子に座っているのが安静にあたるのあろうか?
その事を口に出したら美女さんが「じゃあ空の館へ移動しましょう」と言った。
空の館ならすぐそこだしベッドもいくつかあるので安静に出来るというのだ。
僕もその案に賛成をする。
美女さん「じゃあお願いします」
美女さんはそう言うと「準備をするよう伝えますので先に行きますね」と部屋を出て行こうとした。
それを僕は「いやいやいやいや」と引き止める。
僕「どういうことなの?」
美女さん「はい?」
僕「お願いって?」
美女さん「姫の騎士団大隊長4人は動けません」
だから僕が連れて来いと言うのだ。
美女さん「私も指示を出したらすぐに戻ってきますよ」
僕「僕が4人を運ぶの?」
美女さん「若以外に誰かいますか?」
―ソウデスヨネ
空の館に入れる男性は僕か殿下くらいだ。
殿下に頼めるわけが無い。
なら答えは一つしかないだろう。
美女さんは「すぐに戻るのでお待ちを」と言うと出て行ってしまった。
僕は姫の騎士団大隊長達に「僕が嫌なら誰か呼ぶけど?」と聞いたが、全員が「かまわない」と首を振った。
4人全員では無いが以前にも僕に運ばれた事があるというのだ。
―そんな事あったっけ?
魔王『この前のゴブリンの時の事だろう』
―ああ、なるほど
まあ本人達が気にしないというのならいいんだけどね。
逆に僕の手を煩わせて申し訳ないというのを笑って「気にしないように」とだけ伝えておく。
美女さんは宣言どおりにすぐに戻ってきた。
空の館の入り口近くの部屋に4人を連れて行けばいいらしい。
途中に居る姫の騎士団員にはどう言えばいいのだろうと思ったら、「もう説明はしております」と美女さんが言った。
手回しが早い。
美女さんの指示の元で姫の騎士団第一大隊隊長から順に連れて行く。
途中で警備をしている姫の騎士団員に会うも、美女さんの説明のおかげで特に何も言われなかった。
あえて言うなら全員運び終わった後で「お姫様抱っこが羨ましかったです」と言われた程度だ。
姫の騎士団大隊長達は半時(約1時間)もしないうちに回復し、各自自分の持ち場へと戻っていった。
2話に渡って引っ張っておきながら進展無しとか…
どういうことなの?
この問題についてはまたいつか機会があれば、と言う事になりました。
伏線?いいえ先送りです。
誤字修正
城の騎士団団長 → 白の騎士団団長