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過去の精霊  作者: 由城 要
第1部 Marginal man story
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第1章 3


 フェオール様、とその女はそう言った。何処で気づかれたのかは分からない。髪の色か、それとも顔か。漆黒の瞳に吸い込まれるような錯覚。

 ただ一つ分かることがあるとすれば……彼女は、強い。ただ、それだけだ。





  - 学者連合の女 -





 彼女が路地に一歩足を踏み出した瞬間、私を掴んでいた男の視線がそちらに移った。襟を離した男は、腰に下げていた短剣を構える。おそらくそれで十分脅しになると思ったのだろう。しかし、シエルラは眉一つ動かさなかった。

 男がしびれを切らして向かっていく。彼女は刃を風のようにするりと交わすと、男の背中を右手でトン、と押した。まるで遊んでいるかのような、余裕の動き。


「っ……このアマ!」


 短剣を構えて飛びかかってくる男。闇色の瞳でシエルラは路地の奥に視線を向ける。見ると、仲間の一人が無理矢理少女を袋に詰め込み、逃げ出そうとしていた。

 思わず腰を浮かせる私に、シエルラが制止の右手を差し出した。そして次の瞬間、飛びかかってきた男の手首を蹴り上げ、短剣を宙に放る。そして右手に持っていた銃口を奥へと向ける。


「ひぃっ!!」


 轟音と共に麻袋の縄が切れ、仲間は震え上がる。シエルラは右腕を掴んだまま苦悶している男と、恐怖で腰を抜かした仲間を一瞥し、私の背中を押して小声で言った。


「フェオール様。……彼女を連れてお逃げ下さい」

「!……何故」


 私はハッとしてシエルラを見上げた。いつ私の正体に気づいたのか。髪の色か、それとも顔を覚えていたのか。しかし、問いかけるより先にシエルラは首を横に振った。


「……ゆっくり話をする暇はなさそうです」


 見ると、先ほど私が相手をした男達が目を覚ましていた。どの瞳にも怒りの色が宿っている。私はシエルラを見上げて頷くと、少女の右手を掴んだ。恐怖でガクガクと震えている指先。私は引っ張り出すようにで路地の入り口へと向かう。

 ふと、シエルラがこちらに背中を向けたまま言った。


「……ああ、フェオール様。今回の件は私個人が手を出したことですので」


 私は彼女の背中を振り返り、そして頷く。つい数時間前に『観察以外の行動を取らない』と約束したばかりだが……今回は仕方がない。騒ぎの一端は私にもある。


「……分かっている」

「ありがとうございます。では……騒ぎにならない程度にしましょうか」


 最後の言葉はおそらく男達に向けての発言だったのだろう。私は脅されていた少女の手を掴んで走り出す。女一人をあの場所に置いていくのは気が引けたものの、何処か確信のようなものが私の中に存在していた。

 あの女は強い。そしてその予感は、後に間違いのないものだと証明された。









「ハァ、ハァ……ま、待って」


 逃げるように細かな路地を曲がり、大通りを通り過ぎた。居住区の辺りまで来た時、手を引いていた少女がガックリと膝をつく。手が離れた瞬間、私の足も止まった。


「ちょっと……まっ、て」

「あ、ああ……すまない」


 心音が跳ねるように音を刻む。此処まで逃げてきて、やっと私は自分も恐怖していたことを実感した。体に力が入っていたのか、背骨や肩が痛む。

 呼吸を整えながら顔をあげると、少女は頬を桃色に染めながら大きく呼吸を繰り返していた。表情はまだ子供らしさが残っていて、黒のローブとは不釣り合いに見えた。丈の長いローブの裾が揺れる。

 少女が頭をあげると思いがけなく顔が近づいて、私は視線を逸らした。しかし少女は私の様子に気づかないようで、ほっとした表情を浮かべる。


「あ……もう、大丈夫かな……」

「あ、ああ。おそらくは」


 置いてきたシエルラのことが頭を過ったものの、不安はすぐにかき消えた。彼女のあの素早さといい、男相手に物怖じしない態度といい、おそらく心配はいらないだろう。

 それよりも、今は目の前にいるこの少女に聞きたいことがあった。何故男達に追われているのか、そしてその魔術師のローブのことも。

 私は広場を指差して、少女に問いかける。


「休まないか。……話を聞きたいのだが」

「え?あ……あの……」


 困ったように眉根を寄せる少女。私は彼女を見下ろす。手荒な扱いをされていたとはいえ、彼女はあの男達の探し人らしい。咄嗟に助けに入ったものの、事情が分からなければ腑に落ちない気分だ。

 詰問されると思ったのか、少女の瞳に怯えの色が浮かぶ。私は慌てて、話を遠回りに持っていくことにした。


「いや、尋問するつもりはないのだが……それより、そち……いや、お前、名は?」


 少女は私の目をじっと見つめ、しばらく何かを考えているようだった。やがて瞳が上がり、彼女は言う。


「……アラセリ。アラセリ・リンドヴルム……」


 呟くような小声で、アラセリはそう言った。周りに聞こえていないか確認し、そして私に向かって深々と頭を下げる。


「あの……さっきは、ありがとう。でも……これ以上は何も言えません」


 疑問はいくつもあったが、質問よりも先に拒絶されてしまった。私は会話に詰まって彼女の服装を見る。魔術師のローブ。そういえば、あの男達はアラセリに対して、『ご主人様が探している』と言っていた。何処かの貴族仕えの魔術師だったのだろうか。

 考え込む私の顔を覗き込む、アラセリの瞳。


「あの……」


 顔の近さに一瞬鼓動が大きく脈打つ。まるで犬か猫を相手にするかのような距離だ。


「あの……ご、ごめんなさい……」


 しかし返ってきた言葉は随分と違ったものだった。私は一呼吸置いて、アラセリを見る。どことなくふわふわとした印象の少女だと思った。声は小さく、伏し目がちで、魔術師のローブも着ているより着られているような感じがする。それでもどことなく目が離せないのは、風に舞う花びらのように目を離すと何処かに消えてなくなりそうな……そんな雰囲気のせいかもしれない。

 私はため息をついてアラセリを見る。


「……旅をしているのか?」


 このくらいの質問ならば可能だろう。アラセリはきょとんとした顔をしたあと、小さく頷いた。こんな小さな少女が一人旅。謎は更に深まっていくばかりだ。


「アラセリは魔術師か?」

「えっと……一応、魔法は仕える、けど」


 アラセリが言葉を濁す。どうやら魔術師に関することは聞かれたくないらしい。彼女の表情を見ていると、まるで弱いものいじめをしているような気分になる。私はそれ以上踏み込んだ話をすることが出来ず、小さくため息を吐いた。

 すると、今度はアラセリがぱっと顔をあげた。


「あっ、えと……貴方の、名前は?」


 顔を覗き込むようにして問いかけられ、私は自分が名乗っていないことに気づいた。あの場所でシエルラが私の名前を何度か呼んだが、どうやらアラセリには聞こえていなかったらしい。

 名乗るべきか。一瞬不安が頭を過ったが、すぐに通り過ぎた。


「……フェオール」

「フェオール?」


 何か引っかかる表情を浮かべたものの、アラセリは何度か私の名前を口にするうちに忘れてしまったようだった。私は内心でため息を吐く。私の正体に気づかれなかったことに対する安心と、気づかれなかったことに対する複雑な感覚。メイに昔言われたことだが、旅人というものは立ち寄った国の国王の名前にさほど興味を持たないらしい。

 黙り込んだ私に首を傾げるアラセリ。私は首を振って余計な雑念を振り払った。


「……フェオール」

「なんだ」


 アラセリは私の顔を覗き込むと、ふわりと微笑んだ。先が赤く染まった髪が揺れる。大きな瞳を細め、アラセリは言った。


「フェオール。……ありがとう」









 記憶の底をかき回すように、様々な回想が頭を過る。わずらわしい思い出を頭から払い落として息をつくと、目の前に草原が広がった。一本だけ続く道を見つめ、相変わらずの田舎っぷりに笑う。

 爽やかな風の吹き渡る季節、この光景は緑に染まる。草木の揺れる音が此処での生活音になる。遠く彼方に飛び立っていく鳥が、羽根を羽ばたかせて上空へと消えていく。


「良い季節だな……」


 肩にかかる髪を弄ぶ風。俺は静かにそう呟いた。この季節は好きだ。暖かくて過ごしやすい。過ごしやすければ、生きていくのに支障はない。此処は、そんな場所だ。

 ふと集落に入った所で足を止めた。視線を横に向けると、見慣れた屋敷が現れる。二階の窓は開け放たれ、カーテンが風に踊っている。窓際の花に水をやっていた女性が、如雨露を片手に深呼吸をした。空気が美味しいとでもいう風に、満足げな表情で肩をおろす。


「嗚呼……本当に相変わらず……」


 女性の視線が草原の先から、屋敷の玄関前に向けられた。目と目が合うのを感じて、俺は笑顔を浮かべて軽く手を振る。その瞬間、彼女の如雨露が手から滑り落ちた。窓枠で跳ね返り、一階へと如雨露が落ちる。地面に叩き付けられる鈍い音。

 サッと青白い表情になった彼女は、まるで助けを求めるように叫んだ。


「え、え、エメリナ様ーっ!!」


 まるで化け物でも見たかのような顔だ。俺はクス、と笑って屋敷に足を向けた。門を開けると、屋敷の中からバタバタと音が聞こえてくる。相当慌てているのか、主の名前を叫びながら走り回っているかのようだった。

 俺は足音が収まるのを確認して、玄関のドアをノックした。昔はこの屋敷も、この扉も、もう少し大きかった気がするが……どうやら、俺は歳をとったらしい。

 ノックの音からしばらくして、はい、と声が聞こえた。ドアが外側に開き、2人の女性が出迎える。片方は先ほど如雨露を2階から落とすほど慌てていた彼女。名は……そう、ファリーナ・ルックバスト。この屋敷のメイドとして働いている。

 そしてもう一人。青白い顔をしたメイドの隣で、曇った瞳を細める壮年の女性がいる。髪を一つに結い、笑い皺のある顔で微笑んでいる。その表情は彼女の一人息子からは想像できないほど穏やかで、優しい瞳だった。

 ゆったりとした動作で、彼女は頭を下げる。


「いらっしゃい」

「……お久しぶりです」


 彼女の名は、エメリナ。この辺りではエメリナ様と呼ばれる、里の族長にあたる人だ。早くに逝ってしまった夫と旅に出た道楽息子の代わりに、盲目ながらこの集落を取り仕切っている。

 ここは魔術師の里。かつて世界にその名を知られた天才魔術師・ファーレン、彼の一族が住む里だ。ここに生まれた子供達は魔術師の中でもエリート中のエリートとして、王族や貴族仕えとなって里を出ていく。


「思いつく限りの人に手紙を出したけれど、まさか貴方が応えてくれるとは思わなかったわ」


 そう言って見えない目で俺を見る。幼少の頃から変わらない。


「美しい人の願いとあれば、いくらでもお応えしますよ。エメリナ様」

「ふふっ……相変わらずのようね。嬉しいわ」


 エメリナ様はファリーナに視線を向けると、客人を出迎える用意を頼んだ。ファリーナは未だ落ち着かないらしく、パタパタとキッチンへ向かっていく。

 メイドの後ろ姿を見送って、エメリナ様は微笑んだ。


「このまま誰も返事を貰えなければ、フレイを捕まえて頼もうかと思っていたところよ。……歓迎するわ、アイルーク」

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