第1章 2
幼い頃から夢見、そして少年だったあの日、決意した。あれから幾つかの季節が過ぎ、今に至る。あの信念に嘘偽りは一欠片もない。それでも、胸の奥に潜む煮え切らない感覚を何と呼ぶのだろう。
釈然としない気持ちと、不透明な自分の行く先に、今はため息が止まらない。
- 戦士の苦悩 -
西日が庭園に差し込んでくる。テレジアの愚痴に付き合わされた僕は、軽い疲労感を感じながら庭園の椅子に腰を下ろした。先の王の趣味で城塞の上につくられた庭園は、砂漠のこの国には珍しく緑一色に染まっていた。花の季節はこれからで、今は葉が生い茂っている。
椅子に腰を下ろすと、まるで庭園が空中に浮かんでいるような錯覚を覚えた。おそらく王はそれを考えて庭に手を加えたのだろう。
「はぁ。……ため息しか出ませんね」
独り言のように呟くと、そんな僕を笑うように庭の木々が揺れた。
最近、陛下の問題行動や発言が目に見えて増えてきた。先ほどのようなやり取りもここ数ヶ月で何度も繰り返している。
自分の意見を持つようになったと言えば聞こえはいいけれど、問題はそこからだった。
『フリッツ。定例議会での、緑地開発の計画だが……なぜあんなに進度が遅いのだ?』
『ああ、あの件ですか。原因は人材育成とコストのためと聞いていますが……』
緑地開発は、砂漠に囲まれたこの国の急務だった。担当者もそれを重々承知している。それでも遅れが出ているのは、国が提示した方法が数百年前の知識を利用した、より高度な開発方法をとっている為だ。担当者もその部下達も、緑地開発という言葉から学ばなければいけない。
それでも、陛下が担当者の気持ちを理解するのは不可能だった。
『……人材育成に何故そんなに時間がかかる?子供に教えるわけでもないだろう?』
『それはそうですが……』
緑地開発は陛下自身が考えた、この国にとって最も必要な政策だった。他の国に依存しきっているネオ・オリを立て直す為に、国内での自給自足を可能にすること。
勿論、僕もその考えに異論はない。それでも、陛下と衝突することが多いのは、まだ若い陛下の考え方のためだった。
『一日は一体何時間あると思っている。資料も目を通したが、大の大人が理解するのにさほど時間はいらないと感じたのだが?』
『陛下。担当者も進捗状況を理解しています。陛下が直接口を出せば、圧力を感じる者もいるでしょう』
『では、ただ黙って亀の歩みを見ていろというのか?』
僕は夕暮れに染まり始めた空を見て、大きくため息を吐いた。釘を刺しておきたいという陛下の気持ちも分からなくはない。それでも、最近の陛下には焦りや怒りといった様々な色が見える。
父君の意志を次いで国王になってから、3年。まだ僕の胸の辺りまでしかなかった小さな少年は、もう青年と呼んでもいいくらいに成長した。目線が確実に高くなり、声変わりも終わった。今では『少年王』と呼ぶ声も減ってきている。
「……反抗期、ですかね……」
その一言で済ませてしまうのは簡単だった。自分も似たような時期を体験している。自分や周りに対して、意味もなく苛立ちを感じること、そして燻る何かをぶつけたくなる欲求。
それでも陛下のそれは、僕や世間一般の子供とは違うのだ。王の一言は、国の言葉となる。不用意な行動や発言は極力控えさせなければ。押さえ込めば押さえ込むほど反抗されるのは承知の上なのだが……。
「はぁ……」
何度目かも分からないため息が漏れる。もし陛下が普通の子供ならば、多少のことは許される。しかしそう出来ないのは、彼にとって一番の不幸なのかもしれない。
☆
バルハラとディルクのいる屋敷を出たのは、日が暮れ始めた頃だった。勿論すぐに城に戻るつもりはない。どうせなら城下を見てこようと、ディルクの着替えを借りて簡単な変装をした。頭からフードを被り、いかにも部族の子供の格好だ。護身用にと、バルハラからは訓練用の槍の予備を渡された。
屋敷の裏から外に出る。裏道を真っすぐに横切ると、すぐに表通りだ。
「……」
キョロキョロと辺りを見回し、行き交う人の群れを目で追う。髪を隠したのは正解だった。王族特有のこの榛色の髪は目立つ。
そして城下に下りても私が国王だと気づかれない理由がもう一つ。私は外部の人間との接触を極力控えている。先ほどのような個人的な謁見は別として、国民の前に姿を表して演説したりなどは絶対にしない。
王位継承時、私はまだ子供だった。そして当時、国の情勢は芳しくなかった。国に対する誇りがあるとはいえ、子供が何を言ったところで、国民の不安は拭えない。そのため、情勢が安定するまでは、王位継承はおろか、父上の死や兄上が敵国にネオ・オリを売ろうとしたことも口止めされた。
「……さて、どうしたものか」
行き先を全く考えていなかった私は、目の前を通り過ぎていく人の群れを前にして腕を組んだ。こうして久々にフリッツ達の目を盗んで外に出たのだから、城下の様子を見て回るのも悪くない。
情報を集めるには、まず人の集まる場所に行くこと。時折手紙のやり取りをする情報屋のメイの言葉を思い出す。メイ曰く饒舌な人間は酒場に集まるらしい。……いや、酒が人を饒舌にするのか。
辺りを見回し、酒場の場所を探す。勿論国王としてこの城下の大体の地図は把握している。この国は旅人の往来こそ多いものの、部族の風習や気候のせいもあって定住する人間が少ない。街の外観が変わることも少なく、通りの建物はどの店もある程度の歴史を持っている。
そして勿論、酒場というとこの城下には数軒ほどしか存在しない。この通り沿いにも酒場があるが、あそこは数年前の嫌な思い出があり、かつフリッツ達がよく通っている。あの店は除外した方がいい。
「……すると、あの路地の奥が近いか」
表通りから枝分かれする無数の路地。細かい通りは名前すらなく、先は殆どが行き止まりとなっている。酒場はその行き止まりの場所にあった。
表通りを横断していたとき、ふと何処からか声が聞こえてきた。こんな場所で騒動か。部族同士の小さな喧嘩は日常茶飯事だが、様子は喧嘩とは違っているようだった。
声を頼りに、私は別な裏路地へと足を向ける。野良猫しか行き来しないような細い壁と壁の隙間を縫っていくと、小さな空間が現れた。瓦礫やゴミが捨て置かれた場所の前で、言い合いをする者達がいる。
「やあっと見つけたぜ、子猫ちゃん。ご主人様がお待ちだぜ?」
「え……あ、あの……」
数人のガラの悪そうな男達に囲まれている、一人の少女。困惑した表情で男達を見つめると、隠れるように服のフードをすっぽりと被る。
「ひ……人違い、です……」
「この期に及んで嘘をつくんじゃねぇ。そのローブを着た女のガキっつったら、この世界全て探してもお前一人くらいのもんだ」
「ち、違います……これは、その……」
男達の間から僅かに見えた少女は、身の丈に合わない長く黒いローブを羽織っていた。袖も長いようで、手首の辺りで折り返している。
黒いローブは、魔術師の衣装。城の魔術師も同じようなローブを着ていたことを思い出す。話に寄るとあれは魔術師の正装らしく、普段から着るものではない。
「いい加減に、俺等についてこい。お前のご主人様は随分熱心にお前のことを探しているらしくてな……お前を連れて戻れば褒美を出してくれるそうだ」
「わ、私は……も……戻りません」
少女の姿がはっきりと見えた。大人達に囲まれ、蛇に睨まれた蛙のような瞳で怯えている。茶色の髪は毛先が僅かに赤く、瞳は宝珠のように大きく丸い。目尻に涙を浮かべながら、彼女は男に腕を掴まれ、首を左右に振っていた。
男達は少女を力づくでも連れて行くつもりのようだった。悲鳴をあげる彼女の口を手で塞ぎ、体が小さいことをいいことに、大きな麻袋を頭からかぶせようとしている。
「大人しくしろっ!」
呻く少女は抵抗し、涙が頬を伝った。私が傍観していられたのはそこまでだった。
「……お前達、何をしているっ」
口をついて言葉が出てきた。細い路地裏に声が反響する。男達はハッと顔をあげ、こちらを振り返った。しかし、私の姿を見るとすぐにその顔が緩む。
なんだ、ガキか。誰かがそう言った。私はその言葉に眉根を寄せる。
「ガキは下がってろ。ヒーロー気取りは痛い目見るぜ?……あぁ?なんだその目は」
「……低能な者に何を言っても言葉が通じないようだな」
仕方ない。私はそう呟いてバルハラから渡された槍を握った。部族のしきたりでは、正式に槍を交えるには名乗りが必要になる。しかし、こういった低俗な輩にそんな礼儀は必要ない。
男達は素手だった。数は4人。一人は麻袋のせいで両手が塞がっており、残り3人も武器は見当たらない。
「チビはさっさと下がって……ぐはぁ、っ!」
背中を向けた一人に、槍の柄が当たった。何処にとはあえて言わないが、以前バルハラから教わった、男を相手に戦うときに最も有効な手段の一つ、だそうだ。卑怯極まりないが、私とて自分の力量は把握している。相手の数を減らす為には不意打ちでもなんでもしなければならない。
悶絶し転がる一人を見て、男達の目の色が変わった。
「やる気か、このチビが!」
2人の男達がこちらに向かって駆け出してくる。咄嗟に一人に向けて槍先を放った。男は寸でのところでそれを避けると、もう一人が拳を顔面へと突き出してくる。
戦士のようなキレのよい避け方は出来なかった。ギリギリのところでかわすと、相手の服の胸元を掴んで足をかける。肩で相手の体を後方へと押しやった。僅かな力だが、相手はバランスを崩して倒れる。
「んがっ」
運良く、路地の壁に頭がぶつかったようだった。男はうめき声をあげたあと、ガクリと気を失う。しかし、安堵するにはまだ早かった。急に肩を強い力で掴まれ、後ろを振り向かせられる。もう一人が私の襟首を掴み、ギリギリと締め上げた。
「このガキ……!ふざけたことしやがって……っ!!」
「ぐ……」
殺気の籠った視線を睨み返し、私は槍を握りしめる。しかしそれもすぐに私の手を離れた。呼吸が出来ない。視界の端で、少女が何かを叫んでいる。
やはり私には無理なのか。息が苦しくなる。視界が霞み始める。こんなところで、と噛み締めた歯の内側から言葉が消える。
しかし、その瞬間。
「待ちなさい」
強くはなかったが、はっきりとした声がその場に響いた。男は僅かに襟を締め上げる手を緩める。僅かな空気で喘ぎ、朦朧とする頭で声が聞こえた方を見る。
通りからは光が射していた。それを背に浴びて立っているのは、黒髪の女だった。どこかで聞いた声だと思う。
一瞬の瞬きの間。そんなことを考え、そして我に返った。
「……子供相手に大人げないことを」
射るような瞳で投げかけられた視線。それはつい数時間前に辺境の通行許可を願いにきたあの男の付き人だった。名はシエルラといっただろうか。
私を掴み上げた男は、頬をひくつかせながら笑った。
「今度は女か。下手に手出しするなよ。このガキみたいになりたくなきゃな」
男の言葉に、シエルラは静かに笑った。右手に持っていた銀色の光を放つ得物を男に向ける。
「ご忠告どうも。……口で言っても分からないなら、教えてあげましょうか」
その武器は、古の武器によく似ていた。




