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過去の精霊  作者: 由城 要
第3部 Elementar story
43/55

第2章 4


 ネオ・オリのゲート前は混戦となった。

この時期には珍しくスコールのような雨が叩き付け、乾いた地面が水と血液で濡れる。相手の勢力に圧される中、一人だけ表情を変えない人間がいた。





  - 幾通りの世界 -





 暗闇に光った銀色のナイフに息が詰まった。それが何なのかを判断し危険を察知するより先に、彼女の手が動いた。私は息を詰まらせ、目の前で起った突然の出来事に硬直するしかなかった。

 あの女がナイフを取り出した。そして、その切っ先は迷うことなく心臓へと向けられた。深々と射し込まれた切っ先から血液が垂れる。私は声を奪われ、呆然とするしかなかった。


「っ」

「な、なに、を……」


 それは私の理解の範囲を超えていた。赤い血を滴らせながら、サーシャ・レヴィアスは自分の胸からナイフを引き抜いた。堰をきって流れ出す、生命の証。鼓動と共に吹き出す様子が生々しく感じられた。

 彼女は痛みに顔を顰めながらナイフを後ろへと投げ捨てた。


「っ、……対価、ですよ」

「た……対価……?」


 人を呼ぼうとした私を片手で制し、彼女は傷口を手で押さえた。指の隙間から零れ落ちる雫が床を濡らす。


「申し出を受けるなら……と、言ったでしょう」


 手を強く握りしめる。すると徐々に吹き出す血の量が少なくなっていった。やがて彼女の指先が乾く頃には、深々と貫かれた刺し傷が、かすり傷程度に変化していた。

 サーシャ・レヴィアスは傷口を撫でながら深く息を吐いた。そして私を見る。深い青の瞳に吸い込まれそうになるほど、彼女の瞳は美しい。おそらくこの女を一生忘れることはないだろう。私はふとそんなことを思った。


「私はルミナリィ……かつてトゥアス帝国が研究していた『不老不死の覚醒者』です」


 ルミナリィ。何処かで聞いたことがある。死ぬことのない人間の創造を目指した禁断の計画。隣国の途方もない研究の話は、この地方では昔話のように伝わっている。

 だが、あの計画は失敗に終わったはずだ。帝国はあの悪夢の一夜によって滅び、そして……。私はそこまで考えて、ふと顔をあげた。サーシャ・レヴィアスは不敵に笑う。


「ルミナリィはどうやらあの一夜も乗り越えられるようですね。……信じますか?国王陛下」

「……」


 私は静かに彼女を見た。もう傷口は殆ど消えている。指先についた大量の血液だけが夢の跡として残っている。

 外から聞こえる喧噪が、私を喚んでいた。それでも私はまだそこへは行けない。聞きたいことがある。まだ頭は全てを理解していないが、ただ一言だけ聞きたいのだ。


「……何故?」


 私の問いはただそれだけだ。彼女はふと口元を緩めると肩を竦めてみせた。


「飛ぶ鳥に風を与えただけです」

「……。相変わらずお前は掴みどころがないな」

「簡単に掴まれては、飛ぶのも這いずりまわるのも大変でしょう?」


 目を見開き、そして細める。

 ああ、そうだったな。私は高みを行き、お前は大地を這いずり回る。預言書を彼女に渡したときから決めていたことだ。


「そんなことを私に言って良かったのか?」


 サーシャ・レヴィアスは静かにこちらに背を向けた。


「ええ。この戦い、ルミナリィとして全力を尽くしましょう。……ですから、貴方がたとの縁もこれっきりです」


 老いることも死を恐れる必要もない。その力は戦いの中で脅威になる。手に入れれば切り札となり、相手のものになれば悪魔のカードとなるだろう。……だから彼女はどこにも居つかない。ふらりと思い出したように現れ、そして去っていく。

 扉の向こうに去っていく背中に私は静かに呟く。


「助力、感謝する。……武運を」


 この戦いが我々の最後となるだろう。彼女はいつか去っていく。









 地面が小雨によって湿り始める。濡れた砂の感覚は心地いいもんじゃない。足音を立てながら、俺は背後を振り返った。

 あの化け物女の指示で、俺とアイルークは都近くの丘で待機することになった。丘と言ってもただの砂の山だ。ゴロゴロ転がる砂利の間に枯れた草が揺れている。後ろには城下の様子が見えた。

 普段は旅人や商隊が行き来するゲートも閉め切られている。都の内部に軍がたむろしている。そしてゲートの外では、前線に立つ部隊とブルネラ率いる辺境民族の一派が睨み合いを始めていた。

 足を止めてそれを見つめる俺に、先を行くアイルークが笑った。


「……なんだ、リリィが気になるのか?」

「別に。あの化け物に命令される軍の奴らに同情してただけだ」


 あの女にコキ使われてみれば分かる。そう言って吐き捨て、再び歩き始める。しかしアイルークは足を止めたまま、他人事のように口笛を吹きながら都を眺める。


「いやぁ、流石リリィ。あれが全部彼女の駒か」


 駒。ふと引っかかる言葉に俺は足を止めた。何処かで聞いた言葉だ。


「……それがどうした?」


 くだらないこと言うヒマあったら歩け。俺はそう呟いて歩みを再開する。雨が徐々に強くなってきた。足場が悪くなると体力を奪われる。

 アイルークは肩を竦ませると、砂山の上を見上げて呟いた。


「あ、ストップ」

「あぁ!? テメェはつまんねぇことばっか言ってないで、さっさと足を……」


 振り返り凄みをきかせたその瞬間。俺は首筋を切り裂くような風が通り過ぎたのを感じた。まるで刃物を押し付けられたかのように背筋が凍る。

 息を飲むより先に飛び退る。水分を含んだ砂に体勢を崩しかけた。


「!?」


 振り返り上を見上げると、さっき俺が立っていた場所に地面から緑色の何かが突き出ていた。アイルークは口笛一つ吹くと、一歩分後ろに下がる。


「なっ……」

「やっぱり力はヴァルナのを受け継いでるみたいだ。……ね、マイ・リトルガール」


 地面から突き出したのは植物の蔦だった。それが地面の中に潜ると、今度は砂山の頂上に人影が現れる。ガキみたいに小さな背格好。痩せた体の上に纏うのは、漆黒の黒いローブ。

 目深に被ったフードの中から声が聞こえる。


『……何をしに来た……』


 何処かで稲光が瞬く。その刹那、フードの中に少女の顔が浮び上がった。一瞬で思考と記憶が一致する。自然過ぎて気付かないほどに。


「アラセリ……!」


 アイルークが目を細めた。獲物を見つけたように、唇を舐める。


「……へぇ。噂には聞いてたけど、本当に子供の頃のままじゃないか。驚きを通り過ぎて感動だよ」

『……』


 アラセリはアイルークを冷ややかな目で見つめ返す。姿形はガキのままだ。だが、あの内気で暗かったあいつが、こんな殺気立った目をしていたか。確かにネクラだ何だと陰口を叩かれてはいたが、誰かに対して怒りを表す奴じゃなかった。

 どうゆうことだ。俺は警戒態勢に入りながら、アラセリを見る。アラセリははっきりと俺を見つめ返してきた。


『……何故、此処に来た。何故、今更此処に来た……っ』


 言葉と共に、瞳が大きく見開かれる。瞳の色に吸い込まれるかのようだった。真っ赤に染まった両目が俺たちを射る。息が詰まるような圧力が体を押しつぶそうとしていた。


「っ……、なんの、ことだよっ」

『今更っ、今更……』

「あの目を見て分からないのか、フレイ。彼女はサーティに支配されてる」


 魔術師と精霊の力は常に釣り合った状態でなくてはいけない。もしも精霊の方が力が強ければ術者は取り込まれてしまう。

 赤い瞳でこちらを睨むガキの姿は、確かにアラセリではない。それは勿論分かってるんだよ。分かってんのに……!

 アラセリ……いや、サーティが右手を翳すと、地面から魔力の放出を感じた。アイルークが横に避けるのを視界の端に捕えながら、俺は叫んだ。


「ヴァルナぁああっ!!」

「!」


 俺の足下から円を描くように、あの鋭利な蔦が伸びてくる。串刺しにするつもりなのか。俺は咄嗟にヴァルナを呼んでいた。

 この間から知らぬ存ぜぬで通すんじゃねぇよ、このチキン野郎!

 棘のように突き出した蔦が、ターゲットを見失った。少し離れたところにいたアイルークが珍しく関心したように斜め上を見上げる。


「ヒュー。これはこれは……」


 アイルークの目の前にはいつの間にか巨木が立っていた。ヴァルナがようやく腰をあげたらしい。俺は体ごと樹木が押上げ、木の枝の上にいた。背後でヴァルナが悪そうな顔で呟く。


「……此処は環境が悪い……」

「ふっざけんな!テメェの尻拭いくらいテメェでしろ!!お前のガキだろっ」


 だいたいこの反抗期蛉人の親は誰だ!

 ヴァルナはため息をつくと、木の上からアイルークを見下ろした。いつの間にか奴の隣にもフィオが現れている。フィオの方は相変わらず主人に対して過保護だ。蛉人ってのは偏ったヤツしかいねぇのか。

 ヴァルナはフンと鼻を鳴らすと、真下に視線を下ろす。するとあの尖った蔦が再び俺を狙ってきていた。咄嗟に避けようとしたが、次の瞬間、蔦が空中で折れ曲がった。見えないガラスに阻まれたかのように、一定の場所から先に進めなくなる。

 ふと見ると、フィオがこちらに向けて手をかざしていた。隣のアイルークはサーティを見つめながら笑う。


「久々の再会、感動の抱擁といきたいところだけど……キミにその気はないのかな?マイ・リトルガール」

『……お前もか……今頃来ても、もう遅い』


 サーティの姿が浮び上がる。今のアラセリの容姿とそう変わらない年頃の、ガキだった。地面につくくらい長い髪と、真っ白な肌。赤い瞳が一輪の花のように映える。

 キッと殺気立った目が叫ぶ。


『私がどれだけ待ったか、お前達に分かるものか……待ち続ける辛さがお前達に分かるものか!』


 ヒステリックに叫ぶ声。煩いだけのはずの言葉が、やけに突き刺さってくる。俺は奥歯を噛み締める。精神を共有してるせいでヴァルナの思考がもろに流れてくる。

 頭の中にあの夢が浮び上がる。コイツはヴァルナにとって駒だった。自分の配下にするための、ただの駒だった。そう思わなくてはいけなかった。


『夜の寒さも、絶望を唄う暗闇も……』


 花が泣く。風に弄ばれながら。


『信じて待とうと、そう思ったのにっ』


 マズイ。心の中で俺が呟く。

 僅かな動揺が伝わってきた。感情の強弱は力のバランスを崩す。俺はとっさに木の幹を掴んだ。


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