第1章 4
人は壁を背中にすると安心するんだってさ。そして壁を目の前にすると集中するとも言う。頭を使う人間はせまい場所がお似合いなんだろう。アタシみたいな野蛮人は地平線を見てた方が好きなんだけどね。
つまりどうゆうことかって?世界は何処までも果てしなく広いって話さ。
- 完璧の真逆 -
槍を回転させ、先を地面に向ける。柄の残像が円を描く。そして次の瞬間にサーシャ・レヴィアスの体が傾いた。倒れるような錯覚を起こすほどに低い姿勢で相手への距離を縮める。早い。しかし、驚くべきはそこではなかった。
追いかけていた傍観者達の目が瞬時に見開かれる。
「っ!」
小さな体が飛び上がり、上空から振り下ろすように槍を叩き付ける。ライムントはその攻撃を一瞬受けようとしたが、すぐに身を引いた。激しい土ぼこりをたてて、地面に槍の後がくっきりと残る。僅かに舞い上がった砂の中で、再び槍が回転するのが見えた。
「……!」
視界が悪くなった瞬間、大きな打撃音が聞こえた。顔を上げると風が視界を開いていく。
私はハッとした。あの女の槍が右後方からライムントの脇腹を突く形で攻撃を当てている。そして相手の反撃も気にせず懐に飛び込んだ。
思わず声をあげそうになったが、それよりあの女の方が早かった。
「っ」
左腕で槍を防ぎ相手の左脇腹に打撃の一発。急にライムントの動きが鈍くなったようにも感じられた。辺りが徐々にざわめきに包まれ始める。
ふと頭の中に姐さんの言葉が過る。
『アンタもジャンもフリッツも、案外馬鹿だねぇ。彼女は底なしの化け物じゃない。おそらくアンタ達が思ってるほど強くはないよ』
酒の香りの充満するあの酒場で、姐さんは素面と変わらない瞳でこう言い放った。
『持つべきものを持ってるんだとアンタ達は思っているんだろうけどね。むしろ欠けてるんだろうさ』
サーシャ・レヴィアスの横顔が笑う。口角が上がるのを私ははっきりと見た。
『何が、だって?そりゃ一言で言い表すことは出来ないよ。……まぁ、でもその欠けてる部分に賭けてみな。きっと面白いものが見えるよ』
防戦一方だったライムントが体勢を立て直した。それでもあの女の攻撃は止まない。まるで初めて槍を手にした子供のような、メチャクチャな打撃。勢いと力任せで相手の反撃を全く考えていない。
「はぁっ!!」
槍を振り下ろすと同時に発せられる声。同時に私は思い出した。この動きとこの攻撃の仕方。バルハラとディルクのようだ。
(あの子らと同じ攻撃て……もしかして……?)
試合の場では基本が大切になる。それは部族の中で強ければ強いほど当たり前のことだ。槍術では相手の攻撃を受け流し、自分が攻撃へ転じる過程が重要になる。
しかし、まだ槍を覚えたての子供達はそれを理解していない。故に戦士から見れば無謀にも思える攻撃ばかりを繰り出してくる。通常ならばまだ体の出来ていない子供の攻撃をかわすのは簡単なことだ。しかし、あの女は違う。
力もスピードも戦士に劣らない。例えばそんな子供がいたとしたらどうなるだろう。
(もしかして……わざと基本を無視することで、ライムントの攻撃のリズムを崩した……?)
いや、そんな無謀なことをするわけがない。上手くいかなければ相手に攻撃をかすめ取られ、立場が逆転してしまう。そんな馬鹿げたことをするような人間では……。
「!」
欠けている。欠けているのはどの部分か。事を有利に動かそうと思う常識か、それとも相手の攻撃に対する恐怖心か。確かに一言で言い表すことが出来ない。だが確かに彼女は欠けている。人間にあるべきものがごっそりと抜けているのだ。
ある意味化け物だ、と私は心の中で呟いた。たしかに私達は過信していた。あるべきものが存在してこその強さだと思っていたが、そうではない。欠けているからこその強大さ。それに圧倒されていたのかもしれない。
(でも……思った通り、オジジ達は認める気がないのんね……!)
「ふっ!」
攻撃が次々に決まっていく。屈強なライムントでも相当のダメージがあるんだろう。辺りがざわめきに覆われる。戦士がただの旅人に圧されている事実に。そしてそれは徐々に不穏な空気を纏い始める。
判定は未だに出ない。
「くっ……」
攻撃を受けたライムントが唸る。あの女は僅かに眉を動かした。オジジ達はひそひそと口元を隠して何かを話している。おそらくこの事態をどうするか、話し合っているのだろう。けれど老人達の判断は鈍く、いつまで経っても答えが出ない。
その間にも、一方的な戦いが続くにも関わらず。
「っ」
私は奥歯を強く噛み締めた。
☆
老人達が顔を顰めて何かを話し合っている。おそらくこの勝敗についてなのだろう。素人が見ても私の優勢は理解出来るはずだ。しかしそれを認めようとしないのはルヴァの戦士としてのプライドだろうか。
私は視線をライムントに戻した。
「っ……いつから、婚儀から殺し合いになったんでしょうねっ……」
「お前がそれを……言うか」
槍先が弾き返された。あれだけの攻撃を受けてまだ余力があるとは。あの老人達が彼を婚約者と決めた理由も分からなくもない。これだけ屈強な戦士の血筋を取り入れることが出来れば、次の族長もさぞ立派な人間に育つ事だろう。
私は大きく槍を振り上げた。するとライムントの体が動く。おそらくこちらの作戦を悟ったのだろう。攻撃が受け流された。しかし反撃に出るまでの時間が遅い。やはり疲労が溜まりつつあるのだろう。
槍を弾き、私は相手の目を睨みつける。
「貴方の強さ、そして戦士としての格も認めましょう。……負けていただけませんか?」
私は横目でテレジアさんを見た。拳を握りしめ、今にも割って入ってきそうな勢いだ。ライムントも同じように彼女を見る。しかしため息をつきつつも、口にした答えは否だった。
「……悪いが、私にも立場がある」
「……。……分かりました」
相手に接近し、槍先を振り上げる。すると狙っていたかのように左から攻撃が襲った。鈍い打撃音と共に、体のバランスが崩れる。おそらく殺すつもりで放った一撃だろう。
右手から槍が落ちた。膝が崩れそうになる。私は目を瞑り、そして静かに左手に意識を集中させる。衝撃に一瞬遠のいた意識を引き戻した。
「!」
崩れ落ちる膝を留まらせるように、左手がライムントの槍を掴んでいた。一歩足を前に踏み出すと、すぐに力が戻ってくる。端から見れば一瞬よろめいた程度にしか見えないだろう。
息のつまる一瞬。私はライムントの槍をその手から奪い取った。おそらく最後の力を込めた一撃だったのだろう、槍を奪うのに力は殆ど必要なかった。
私はその槍先を地面に突き刺す。そしてテレジアさんに視線を向けた。
テレジアさんは我に返ったような顔をしたが、すぐに私の行動の意味を理解し声をあげた。
「こたびの婚儀は、私テレジア・ケベリ側の勝利ね!長老方にはご理解をいただきたい!!」
老人達は顔を顰めた。その中の一人がテレジアさんの言葉に首を横に振る。周りの見物人達の中から、ため息が聞こえた。一族の若人達だろうか。
確かに今回の婚儀に私のような部外者を入れたこともある。それを引き合いに出されればこちらの意見を押し切るのが難しい。テレジアさんは老人の長い長い説得を全て聞いた後、両の眼を見開いて叫んだ。
「ああ、分かたね。けどライムントが負けたことも事実。一体……一体、いつからルヴァの民は負けすら認めぬ驕心者となったっ!!」
テレジアさんの言葉に砂漠はシンと静まり返った。彼女はつかつかと儀式の円の中に入ってくる。私は肩をすくめて場所を彼女に譲った。
テレジアさんはライムントを見上げて言う。
「ライムント。……アンタはどう思てる」
彼は静かに息を吐くと地面に転がった私の槍を手に取った。横目で私を見、そしてテレジアさんに視線を戻す。
「多少疑問はあるが……負けたことに変わりはない」
「おう。答えとしては満点ね」
テレジアさんは一族の方を振り返り、そして声をあげた。
「我々は三大部族の一つに数えられる、誇り高き辺境の部族ルヴァ。私はこの一族に生まれたことを誇りに思てる。オジジ達の言う誇りも大事にしていきたい」
しかし、昔のやり方が全て正しいとは言えない世の中になってきた。部族と国との関わり方も変わり……他の少数部族の力も上がり始めている。そのままではいられない。時代の並に乗れなければその部族はやがて廃れていくだろう。
「けれど……全てを生かすことが可能ではないね。オジジ達も大なり小なり同じことはあたはずのん」
テレジアさんはライムントから槍を受け取り、そしてそれを太陽に向けて掲げた。
「我らがルヴァの停滞に対して、メティスカは更なる繁栄を極め、ゲイツは新しい流れに乗り始めている。動かなければ何も変わりはしない!」
彼女を族長代理とは誰が言ったものか。私は苦笑した。親の七光りの割には彼女は堂々としすぎている。そこに男女の差別は必要があるのだろうか。
彼女は族長としてのルヴァの未来を考えている。まだ誰も見ていないずっと先を。
おお、と誰かが鯨波でそれに応えた。すると、徐々にではあるが同じ声が増えていく。やがてそれが歓声になるのに時間はかからなかった。時代が新しい族長を求めている。性別や力に関わらず、新しい時代の波を乗り越える確かな意志を持った彼女のことを。
テレジアさんは顔を顰め合った長老達に視線を戻し、そして再び声をあげた。
「だが!勿論何もかも捨て去るわけじゃない!今回の婚儀は我々の非礼もある……よってこの婚儀は……」
私は肩を竦めてため息を吐いた。なんとなくこうなる予感はしていたが、しっかりと報酬が出るのならば文句はない。
「延期ね!」
テレジアさんの声が空に燦々と煌めく太陽のように弾ける。




