第3章 4
かつては、この里で生きていた子供達。互いを友と呼び合い生きていたあの頃を、貴方は覚えているかしら。最初からそうであったわけではなく、純粋な友情を育んでいた頃を。
今は違う道を行く者達。それでも、誰かが助けを求めたならば、手を差し伸べなさい。そんな魔術師になることを、私は信じていますから。
- 3人の魔術師 -
『フレイへ。元気にしているかしら。少し困ったことがあったので、貴方にも協力を頼みたいと思います。これは族長としてのお願いです』
族長として。どうやらマジな話らしい。里を出てから、あまりあの家に帰った事はなかったが、オフクロから族長として、なんて言葉は聞いた事がない。
眉を顰める俺を、アイルークが見ている。
『貴方に手紙を出す前に、思い当たる限りの子供達に手紙を出しましたが、協力してくれると言ってくれたのはアイルーク以外にいませんでした。それでも、彼だけでは難しいお願いなので、貴方に手紙を書きました』
オフクロの言う子供達ってのは、里を出ていった魔術師達のことだ。貴族に仕えたり、どこかの王族の部下になったり……エリートの道を行ってしまった奴らに、オフクロは手紙を出したんだろう。しかし、魔法以外に興味のない奴らはオフクロの願いに興味を持たなかった。
それで、アイルークが出てきた訳か。
『詳しいことはアイルークに聞きなさい。私から聞くより、彼に聞いた方が思い出すことも多いでしょう。……最後に、サーシャさんとクリフさんに宜しく。エメリナより』
最後の一文は伝えなくてもいいだろう。サーシャは手紙から視線をあげると、アイルークを見る。反対側に座っていたクリフは首を傾げていた。
サーシャが手紙の内容を要約する。
「つまり、貴方はカタリナさんから依頼を受けたということですね。それが貴方一人では難しいから、フレイさんに協力を仰ごうというわけですか」
アイルークは肩を竦めてため息をついてみせた。
「いいかい、リリィ。別にフレイの協力は必要ない。単に情報を持ってないか聞こうと思っただけさ。……エメリナ様の依頼だって証拠があれば、多少言う事を聞くかと思ってね」
おい、てめぇ、手紙の内容と言ってること違うぞ。つまりは今回の件、全部自分の手柄にしたいだけじゃねぇか。
俺は手紙を封筒に戻し、未だ状況がつかめていないクリフに投げてやった。そしてアイルークに視線を向ける。協力ってのはこっちもごめんだが、依頼内容が気にならないわけじゃない。
「んで?なんだよ、オフクロの依頼ってのは」
アイルークは酒に口をつけ、そして俺を見る。
「フッ……まぁ、話は早い方がいいな。フレイ、お前、俺の次に里を出た人間を覚えてるか?」
唐突な言葉に俺は顔を顰めた。里を出るってのはつまり、王族や貴族に仕えることが決まって里を出ていくことだ。勿論、俺たちの中ではアイルークが誰よりも先に貴族仕えが決まった。確か、俺が15の時だ。
アイルークが出ていった後、天才魔術師の血を引く子供の噂が更に広まり、バタバタと他の奴らも里を出た。順番なんざ気にも止めていなかったから、覚えていない。
「……覚えてねぇよ。誰だ?」
ガキの数は多かった。遊んだ事があるやつもいれば、顔も知らない奴もいる。知らないうちに知らない奴が里を出ていたこともあった。
アイルークは俺を見て肩を竦める。
「俺よりお前の方が、馴染みがあるはずなんだけどな」
俺は首を傾げた。アイルークは子供達の殆どの奴を知っていた。それは子供心に、こいつは将来有望な魔術師になると誰もがそう感じていたからだ。強い権力に弱い奴らは集まってくる。自然と、こいつは子供達の中心にいた。
そんなアイルークではなく、俺の方が馴染みのある奴。つまり……俺同様の落ちこぼれ組。数人しかいない奴らの顔が浮かんでくる。落ちこぼれ同士あまり絡むこともなかったが、顔と名前くらいは分かる。どいつも、最後まで『売れ残り』になった奴ばっかだった。
アイルークがグラスを揺らしながら言う。
「……いるだろ、一人。落ちこぼれっていわれてたのに、俺の次に貴族仕えになったのが」
「!」
ふと、俺は顔をあげた。落ちこぼれ組の中に、一人だけいた。いついなくなったのかも分からなかったが、知らないうちに姿を消した奴が。
「アラセリ……か?」
脳裏に、背の小さい女のガキが浮かぶ。いつもぼうっとしていて、歩くのも喋るのも遅い。いつも子供達の後ろの方にいる。まるで幽霊のようだと、他の奴らが皮肉っていた。
アイルークが頷く。グラスの氷が音をたてた。ゆっくりと溶けていく様子を見つめながら奴は言う。
「アラセリ・リンドヴルム。爺さんの妹の孫で、両親を早くに亡くして婆さんとこに引き取られた。爺さんが里の南に家を造ってやって、そこに二人で暮らしてたんだ。……覚えてるか?」
そこまで詳細な情報は覚えてない。ただ確かなのは、里の南にどっかの婆さんが住んでたことだ。ガキの頃にオフクロに連れられて行ったことがある。里には珍しい、無欲な目をした婆さんだった。
あの婆さんがクソジジイの妹だとは知らなかった。あそこがアラセリの家だったのか。
「そ、その人に、何かあったんですか?」
手紙を読み終え、状況を把握したクリフが問いかける。アイルークは頷いた。
「仕えていた貴族の所から姿を消した。手紙を残していたっていうから、自発的にいなくなったらしい」
「そりが合わなかったのでは?」
サーシャが言うと、アイルークは苦笑してみせた。
「それは僕の事かな?リリィ。……まぁ、そう考えたくもなるが、違うらしい。エメリナ様曰く、毎年手紙で近況を報告してくれていたけれど、そういった様子はなかったそうだよ」
アイルーク曰く、アラセリはむしろ可愛がられていたようだった。仕えた相手は、子供も成人し、妻に先立たれた老人。孫のように小さなアラセリを可愛がっていたらしい。アラセリがいなくなった後も心配し、手がかりを求めて部下に情報を集めさせ……とうとう、オフクロのところに手紙をよこした。それが全ての発端らしい。
「エメリナ様は協力を求めて魔術師達に手紙を出したけれど、結局応えたのは俺一人。……で、分かったか?フレイ」
「ああ。でも残念ながら俺はアラセリを見た事はないぞ」
「あんまり期待はしてない。どこかですれ違っていても、お前じゃ忘れてそうだ」
ああ、そうかい。お前だって忘れてそうなモンだけどなっ。憎々しげに睨みつけると、アイルークは手を振ってその視線を振り払った。
サーシャは酒を飲み干すと、水を注文してアイルークに向き直る。
「それで……何か情報はあったんですか?」
「ん?ああ、砂漠の方でそれらしき姿を見たってのと、ネオ・オリで魔術師のローブを着た人間に怪我させられたって話を聞いたんだけど……後者はどっかの誰かの可能性もあるから除外しようかな」
ふざけんな。俺はこの街に入ってから一度も喧嘩は買ってないぞ。大体、あの屋敷にいるのに下手に騒ぎを起こしたら、三大戦士に殺され……ん?
サーシャの瞳の色が濃くなる。クリフもまた、何かに気付いたようだった。
「私の知る限り、フレイさんは今日まで街に出ていないはずです」
「あ、そ、それに……魔術師のローブを普段から着てる人って、フレイさんとアイルークさん以外には見た事ない、ですよね」
俺は椅子を引いて背伸びをする。
「ってことは、つまりアラセリが此処にいるってことか?」
なんでまたこんな場所に。ここは戦士の都で、確かに治安は悪くないが、あまり女の一人旅は好かれない場所だろう。
アイルークは俺たちを見回し、クリフの前に手を出した。何かを寄越せと言ってるらしいが、その格好はガキのころと全然変わってない。いじめっ子の表情してるぞ、お前。
クリフがおずおずと差し出したのはサーシャの世界地図だった。地図なんか借りて何してたんだお前は。
「……ちょっと面白いことに気付いたんだけどさ」
アイルークはサーシャの前に地図を広げてみせた。いくつか薄く印がついている。アイルークは指先で地図上をなぞった。すると紫の光が浮かび上がり、印がついていた場所をなぞるように曲がった線が浮かび上がる。
アイルークはクリフを刺すような目で見る。
「キミは市場で何してたんだっけ?」
「え?あっ、その……フリッツ先生に、海の向こうの国で、突然街が消えたっていう話を聞いて……ちょっと僕なりに調べてて……」
どうやら印は街が消えたという噂のある場所らしい。アイルークはそう言わせると、光で出来た線を指差した。そして今度はサーシャに向かって微笑みかける。お前……相手が野郎と女だとコロコロ変わる奴だな。
「これは、アラセリの目撃情報から出てきた、彼女の移動ルート」
「アラセリの……?」
俺の声に頷くと、アイルークはもう一度地図に手をかざした。
「そしてこれが……」
黄色く太い光の線が、地図を真っ二つにするように大きく流れて行く。紫の線はその一部のように黄色の線に埋もれてしまった。
光の線はトゥアスから、アンブロシアの里、ネオ・オリをも繋いでいる。果ては海の向こうの大陸まで。俺はふと顔を顰めた。どっかで聞いた事がある。川の流れのように世界を横断する、力の流れ。
「ジオ・レイラインさ」
☆
「……陛下が僕を呼び出すのは珍しいですね」
一日の公務が終わった後、僕は陛下から喚び出された。勿論窓の外は真っ暗になっていて、陛下の部屋には灯りが灯されている。
机に座って何かを書き綴っていた陛下は、僕がそう言うと手を止め、そして椅子から立ち上がる。
「……。……呼び出す手間が必要ないから、ではないか?」
陛下は静かにそう呟いた。確かに、そう言われてみればそうだ。常に僕は陛下の傍らにいる。テレジアやジャンと交代する以外は、陛下の側に仕える。それが僕の仕事であり、ゲイツ一族族長としての僕の立場だ。
陛下は僅かに視線を逸らす。あまりいい話ではないことは分かっていた。昼間も行動を共にしているのだから、人気のない時間にわざわざ呼び出す必要はない。
「それで……命令はなんでしょうか、陛下」
僕がそう言うと、陛下は眉根を寄せた。まるで自分の心を見透かされたかのような、そんな顔だった。
けれどすぐに、その表情がいつも通りに戻る。年相応の青年には難しい心の切り替えだろう。だから僕は口を挟むのをやめた。
「……先日報告を受けた、集落消失の件。このところ同じ報告が頻繁になりつつある」
僕と陛下の間には普段よりも大きな距離が空いていた。灯された部屋の灯りが風にゆらぐ。仄かな灯りに照らされた壁には陰影のムラが出来た。
ふと陛下の机に目をやる。書いていたのは手紙らしい。見覚えのある封筒も隣に置かれていた。あの封筒は情報屋のメイちゃんからだろう。たまに手紙のやりとりをしているのは知っている。どうやら集落消失が頻繁になってきているのは、彼女から聞いた情報らしい。
確かに、与えられる情報だけを鵜呑みにせず、自ら調べるのはいいことだ。もしこれが僕の生徒だったなら、褒めてあげるところだ。けれど……。
「フリッツ。お前にこの調査を任せたい。周辺の地域も含めて、発生地点の調査を」
僕は目を瞑りながらその命令を聞いていた。そして陛下を見る。
「僕を指名する理由を聞いてもいいですか」
「……お前は、ルクスブルムでの経験もあり、周辺地域の知識には長けているだろう」
小さくため息が出た。……これじゃあ、合格点にはちょっと及ばないな。
周辺の調査といえども、その命を受ければ僕は一定期間都を留守にしなければならない。最も、その調査には数人の兵士に行わせているし、僕自身が席を外してまで向かう仕事ではない。
「……。……テレジアかジャンを向かわせては?」
「テレジアは婚儀に、ジャンは次の戦士の育成に忙しい。……その点、お前はルクスブルムでも名が知れていて行動しやすい。お前が適任だと思ったのだが?」
陛下の表情も険しくなる。僕は静かに陛下を見据える。
「戦士というだけならジャンの方が上ですよ。彼に傾倒する者は多いですから」
ジャンの子守りも、テレジアの婚儀も、実際さほど仕事に支障が出るほどのことではない。もし本腰を入れて消失の一件の調査をしたいなら、二人も手を貸すだろう。それでも、陛下が指名したのはあえて僕。
陛下は僅かに意外そうな表情を浮かべる。
「……お前がそう思っているというのは初めて聞いた」
「そうですね。優劣をつける発言はあえて避けていますから。お互いの為に」
今はこういった状態に落ち着いているものの、国がなかったころ部族は敵同士だった。勿論僕らの生まれるずっと昔の話だけれど、その関係から未だに部族内のことには不干渉と決まっている。
僅かに開いた窓の隙間から夜の風が流れ込んでくる。
「陛下。陛下は僕らをただの仲良し3人組と思っていませんか?」
たしかに性格上、気が合う部分もある。ジャンは必要以上のことを口にせず、戦力としてはかなり力になる。テレジアは場を和ます性格と、戦いのサポートは抜きん出ている。僕にはない部分を持っているからこそ、釣り合いが取れている。
「でも……陛下がまだ物心つく前は、ジャンは他の戦士と共に三大戦士と呼ばれていました。僕が加わったころはテレジアではなく、彼女の父親が三大戦士の一人でした」
メンバーによっては仕事がし辛いこともあった。そして今後も顔ぶれは変わっていくのかもしれない。ジャンは既に次の世代の育成を始めているし、テレジアは結婚の危機にある。顔ぶれが変化すれば、その間に流れる空気も変わってしまう。
「……僕らは、三大戦士という前に一人の人間です。三大部族の一つに属し、それぞれの立場がある。今は同じ目的を見ていても、やがて道は変わっていく。互いに抱えるものが違いますから」
「……何が言いたい、フリッツ」
しびれを切らしたように、陛下がそう言う。悪い癖だ。相手の心裏を読み取らなければ、騙される側になる。答えは、いつまでも結果として出てくるものではない。
「陛下、それが大人というものです」
陛下が更に顔を顰めた。
答えは自分で探さなければならない。左右の道で迷っていた少年時代とは違う。もうすぐ目の前に、道すらない荒野が姿を現すだろう。どう行くか、どう進むのか……そうやって七転八倒して、大人になる。
子供は大人になれば間違いをおかさないと信じている。けれどそれは間違いだ。大なり小なり、大人も間違う。正しい心、強い精神など何処にもない。ただ子供と違うのは、大人は転んだ後の立ち上がり方を知っているということだけ。
「……フリッツ」
陛下が何か言おうとするのを察して、僕は頭を下げた。
「では、明日から調査に向かいます。今後の計画もありますので、これで」
陛下の声を無視して、僕は部屋を出た。階段を小走りで下りながら、静かになった城内に視線を彷徨わせた。
人は死ぬまで間違いを繰り返しながら進む。いつか彼は学ぶだろうか。……この世界に正しいものなど一つもないということを。