第3章 3
空高く飛ぶ鳥に憧れた人がいた。誰よりも高い場所を行こうと思っていたのだろう。彼の願いは孤独であり、孤高であった。私には分からない。その苦しみも、その悲しみも。
私はまだ、この地上の上にいる。
- 地上の鳥 -
「他の二人はどうした?」
私達は客室のソファに腰を下ろした。バルハラとディルクが奥のキッチンで茶の用意をしているらしい。私はフェオール国王陛下の向かい側に腰を下ろし、静かに答えた。
「クリフさんは街に出ています。フレイさんなら上にいますが……」
おそらくフレイさんを此処に呼べば、私が思っていることを的確な言葉で表現してくれるだろう。否、私だけではなく誰もが思うことだ。何故、国王がこんな所に一人でやってくるのか。
数年前にも彼は同じように城を抜け出してきた。その前科がある以上、今回も同じ事をしているとしか思えない。
「……何故、と聞かないのか?」
「聞いて欲しいのですか?」
私がそう問い返すと、彼は苦虫を噛み潰したような顔をした。私は深くため息を吐く。おそらく問いただしたところで、私が納得する答えではないのだろう。
バルハラが茶菓子を持ってきた。私は真っ直ぐに陛下を見る。
「咎めるつもりはありません。……私は他人の心配をするほど、優しい人間ではありませんから」
「……。……お前は全く変わらないのだな」
陛下の視線が突き刺さる。私は肩を竦めてみせた。それは自分がよく分かっている。メイやダン……日々成長する子供達を目の前にすると、痛いほどに実感するのだから。
陛下はディルクからティーカップを受け取ると、静かに呟く。
「変わらないというのは、羨ましいものだ……」
「……羨ましい?」
私の言葉に陛下は頷く。成長した彼の横顔に、数年前の面影が重なる。
「ここ数年で何もかもが変わった……私が変えたものもあれば、変わっていったものもあった。私は時折恐ろしく思うのだ」
戦争が終わってから預言書の一件が片付くまで、ネオ・オリの国内は常に忙しなかったと聞いている。政治に本腰を入れるようになったのも一年半前。それまで戦争の傷跡が長引いていた。
陛下は額を押さえ、呻くように呟く。
「何を信じればいいのか分からなくなる。……右も左も分からない子供のようだ」
俯いた横顔に苦悩の色が浮かぶ。私は僅かに目を細めた。ネオ・オリの情勢は安定しつつある。それはこの国に足を踏み入れた時に実感した。しかしまだ油断は許されない。まだ脆さの残るこの国は、どこから崩壊していくのか分からない。柱の少ない建物は弱く、崩れやすい。今この国に必要なのは、全てを支える、大きな柱であることは間違いない。
しかし、今の彼ではそうはなりえないだろう。運ばれてきたカップの中を覗き込み、私は冷たく言い放つ。
「……それが言い訳になるのですか?」
彼のやっていることは、逃げていることでしかない。現実から逃げることは誰でも出来る。立ち止まるのは勝手だが、彼は既に国王陛下という立場にいる。
彼が立ち止まれば、国が立ち止まることになる。国が立ち止まれば、衰退への道が出来上がる。
いつまでも少年のままでいることは不可能だ。少なくとも、彼は不老不死ではないのだから。
「先日テレジアさんと話をしたときに彼女が言っていました。『いつか壊れるものを守るために戦ってきたわけではない』と」
事情はどうあれ、彼女は彼女自身の問題から逃げるつもりはなかった。たとえ自分の命運を私に託す形になろうとも、ルヴァの一族のためを思い、苦渋の決断を下した。
「彼女は逃げるという選択肢を考えなかった。……それなのに彼女を動かすべき貴方は、自分自身に向き合うことなく逃げるのですか?」
「……」
彼は何も言わなかった。僅かに握りしめた拳に力が入ったものの、すぐに力が緩む。
私は茶を飲み干して立ち上がり、ソファに置いていたホルスターを腰につけた。そして座ったままの陛下を見下ろす。
「高みを行くという言葉、貴方には体現していただきたいと思っていましたが……どうやら私の見込み違いだったようですね」
「あっ、サーシャさん……!」
ヒヤヒヤしながら私達の会話を見守っていたバルハラが声をあげる。制止を無視して私は部屋を出た。
しばらく外にいた方がいいかもしれない。玄関先に足を向けると、入り口の扉に背をもたれているフレイさんの姿があった。見るとローブを羽織り、しっかり外行きの格好をしている。
私はフレイさんの呆れた顔を見て肩を竦めてみせた。
「……国王相手に随分言うじゃねぇか」
「フッ……盗み聞きは感心しませんね」
私の言葉に、フレイさんは扉から離れる。私は扉を開けて外に出た。フレイさんが後をついてくる。
太陽がジリジリと地面を焼き、町中にも陽炎が浮かんでいる。吹き出す汗を拭いながら、フレイさんが私の背中に問いかけた。
「また楽しんでんのか?」
前みたいに。フレイさんの言葉に私は足を止めた。振り返らずに上を向く。この暑さの中でも、鳥は高い空を飛んでいく。
「……さぁ」
空は鳥にとって涼しいのだろうか。それとも太陽に焼かれる思いで飛んでいるのだろうか。
☆
酒場に入ると、見覚えのある店主がカウンターでカクテルを作っていた。見回すとカウンター席しか空いていない。会話をするにはやりずらいが、仕方なく俺はサーシャと共にカウンター席に腰を下ろした。
屋敷を出てからサーシャは口を開こうとしない。俺が代わりに注文をして、手で顔を仰ぐ。日が暮れて少しは涼しくなってきたが、まだ体感としては暑いままだ。
そして隣には黙り込んだままのサーシャ。
「……で?結局その婚儀ってのはいつなんだよ」
「明日テレジアさんと共にルヴァの一族の所に行って交渉するので、それ次第ですね」
それ次第って、つまりは話が長引けば長引くほど、あの屋敷にいる時間が増えるってことか。マジか。ジャンに、テレジア……フリッツまで出てきたら俺は屋敷を出て宿に逃げるぞ。
テレジアはサーシャ以外をさほど気にかけていないからいいものの、フリッツは確実に俺たち二人を警戒してるはずだ。そう言ってやると、サーシャは髪を耳にかけながら言う。
「……まぁ、クリフさんが会いに行った時点で私達のことも知っているでしょうから」
「お前は本当に肝が据わってんな。中身も化け物並みの精神力か」
「お褒めの言葉ありがとうございます」
酒が注がれたグラスが運ばれてくる。サーシャはそれを受け取りながらそう言ってみせた。今の言葉の何処が褒めてんだよ、何処が!
徐々に客が増えてきたのか、サーシャの左隣に人が座った。店員は注文を取り、再び厨房に姿を消す。俺は握りしめた拳をカウンター席の下に隠しながら、なんとか皮肉ってみせた。
「そうだな、部族の婚儀に出るくらい女を捨ててるからな」
「……へぇ、それは興味深いな。リリィが誰と結婚するんだって?」
サーシャが酒のグラスを口にしながら声のした方向を見る。すると左隣にはカウンターに肘をついた状態で、いかにも優男の笑みを浮かべる野郎の顔があった。
黒のローブに、肩まで伸ばした茶色の髪。赤い瞳が、まるで鏡を覗き込んでいる時のような錯覚を起こさせる。笑みを浮かべて、ヤツの目がこちらを見た。
俺は思わず椅子を後ろに倒して立ち上がる。
「っ……アイルーク!?」
咄嗟に警戒態勢に入る俺を完全に無視し、アイルークはサーシャの頬に手で触れた。
「まだうら若いリリィに結婚は早いんじゃないかな?今からでも良ければ僕と……」
サーシャはアイルークの出現に僅かに目を見開いたものの、すぐにいつもの表情に戻る。そしてアイルークに触られたまま悪魔の笑みで笑ってみせた。
「……正確な年齢をお教えしましょうか?」
そうだ、こいつはトゥアス帝国消滅時には既に不老不死になっていた。つまり正確な年齢は……いや、あまり考えたくない。
アイルークは悪い冗談でも聞いたかのように苦笑すると、更にサーシャに迫る。
「年上も好きだよ?エメリナ様くらいまでなら守備範囲だな」
「テメェ、人のオフクロ狙うなっ!」
ちなみに正確な年齢で考えるとウチのオフクロより、サーシャの方が確実に上だぞっ。大声でそう言ってやろうかと思ったが、あとで痛い目をみそうなのでやめておいた。
サーシャはため息をついてアイルークの手から逃れると、その後ろにいる人物に視線を向けた。呆れた目で見つめながら口を開く。
「それで……また暗示にでもかかりましたか、クリフさん」
アイルークの隣をみると、いつの間にかクリフがカウンター席に座っていた。今にも泣きそうな目で俺をみている。体が固まっているところをみると、呪縛の魔法でもかけられたんだろう。片方しかない腕がぴったりと体にくっついている。
助けて欲しいと目が言っている。俺はため息をついてクリフの背中を叩いた。バチバチと雷にも近い音が響いて、クリフがぐったりとカウンターに突っ伏す。
一番簡単な呪縛の魔法だ。魔術師ならガキでも使える手。背中を向けている相手なら、簡単にかけることが出来る。お前、アイルーク相手に背中見せやがったな。それでも剣士のはしくれかっつの。
「ぶはぁっ……」
息まで止まっていたと言わんばかりに呼吸をするクリフ。俺は呆れて自分の席に戻る。
サーシャはアイルーク達の所に酒が運ばれてきたのを見ながら、静かに問いかけた。
「……我々の前に現れるということは、相応の理由があってのことでしょう。用件はなんですか?」
アイルークはグラスに口をつけると、サーシャを見て笑ってみせた。
「美女と一緒に酒を飲みたい……それ以外に理由なんて必要かな?」
「……」
サーシャが白々しい視線でアイルークを見る。前も思ったが、サーシャのこの目を受けてヘラヘラしてられんのはこの世でお前だけだ。少なくとも隣のクリフは震え上がってるぞ。
アイルークはこれ以上冗談を言っても仕方ないと悟ったのか、苦笑を浮かべてクリフの肩を叩く。
「ちょっと野暮用でネオ・オリに寄ったら、見覚えのある彼を見つけたんだ。呪縛はちょっとした悪戯だよ」
前も上手く暗示にかかってくれたしね、と笑うアイルークに、クリフががっくりと沈んでいる。一番簡単な魔法とはいえ、アイルークが呪縛をかければ相当な圧力を受けるはずだ。俺はサーシャの隣からアイルークを見て、憎々しげに言葉を吐き出す。
「魔法なんざかけなくてもそいつは十分弱いっての。少し会わないうちに臆病になったか?アイルーク」
「ハッ。子供の頃、俺に苛められてピーピー泣いてたお前に言われたくないな、フレイ」
俺とアイルークに挟まれて酒を飲んでいたサーシャが大きくため息をついた。
「それで……用件は?」
心底会話が面倒になってきたらしい。俺が苛立ちながらも会話を切ると、アイルークはサーシャに視線を向けて言った。
「リリィに会いたくて……と言いたいところだけど、残念ながら、相手はリリィじゃない。……おい、フレイ」
お前、俺とサーシャで口調が全然違うのは気のせいか?俺が顔をあげると、アイルークは白い封筒を俺の前に置いた。俺は顔を顰め、中身を取り出す。サーシャが横から手紙を覗き見ている。
手紙には、見覚えのあるオフクロの字でこう書かれていた。




