第3章 1
城を抜け出すたびに、私は彼女に会いに行った。彼女はいつも城下にいた。時には大通りに、時には街の入り口に。そしてある時は、城の目の前に。
何度語らったのにも関わらず、変わらないことがたった一つ。私は彼女の名と、魔術師であるということ以外、何も知らない。
- コンパニオンプランツ -
何度話をしても、彼女は不思議な人物だった。少女の外見に関わらず博識で、様々なことを知っている。辺りの国の情勢から、最近起った出来事……果てはパンケーキの美味しい焼き方まで。
私には疑問でならなかった。旅人というには世間慣れしていないように見えるアラセリが、どうして旅をしているのか。追われている為か、それとも何か目的があるのか。
しかし、それを口にすると決まって彼女は口を閉ざす。
「おはよう、フェオール」
朝早く城を抜け出した私は、城の裏手でそう声をかけられた。城の裏には裏町と呼ばれる小さな街が広がっている。治安はあまり良い場所ではなく、住居もまばらで廃墟となった家屋も多い。道路整備を行って、もう少し見晴らしの良い形にする計画があがっている。もちろん、城の裏側なのであまり日が当たらないのが難点だが。
アラセリは城の裏口から少し裏町に入った場所にいた。体を預けていた壁から離れ、私の所へ歩み寄ってくる。
「あ、ああ……早いな」
私は少し驚いて、彼女に近づいていく。私はいつもアラセリを捜してまわるのだが、彼女が現れるのはいつも突然だった。まるで降って湧いたかのように、そこに現れる。そう例えるのが妥当かもしれない。
私は辺りを見回して首を傾げた。
「こんなところで何をしているんだ?」
「え?あ……この先から見る景色は綺麗だって聞いて……」
アラセリは路地の奥を指差した。私は頷く。この方角は、城の庭園と同じ方向だ。庭園のように高い所から見下ろすことは出来ないが、この先からは遥か彼方に広がるアルジェンナ砂漠が見える。
「……フェオールも行く?」
「ああ」
「じゃあ、はい」
アラセリはそう言って右手を差し出してきた。私は小さな手を見つめて、硬直する。城の常識で考えるならば、この状態はエスコートを意味するのだが……いや、何故私がエスコートされる側なのだ。というよりただ歩くだけではないか。こんなところをもし誰かに見られてしまったら……いや、そうじゃない。
私の考えは巡りに巡って、首を横に振るという結論に達した。
「わ……私は子供ではないぞ」
「うん?」
アラセリはよく分からない、という顔をして、さほど気にした様子もなく手を下ろした。それじゃあ行こうと歩き出したアラセリの後ろ姿を見て、私は何故かとても名残惜しい感覚に陥る。いや、断ってしまったことを後悔しても仕方ないではないか。
「……アラセリはいつまでネオ・オリにいるのだ?」
気持ちを切り替えようと私は話を変えた。アラセリは首だけで振り返ると、ふふ、と笑ってみせた。
「もう少し」
「もう……少し?」
それはどのくらいなのかと問いかけるより先に、アラセリが路地の終点を見つけたようだった。暗い路地の向こうから差し込む真っ白な光。彼女は終点に向かって走り出す。追いかけるように、私も彼女の背中を追った。
二つの足音だけが響いている。人の気配が全くしない路地。こんなにがらんとした場所だったのかと、私は走りながらそう思った。
「……わ、ぁ」
ふと気づくと、路地の終わりにアラセリが立っていた。鉄線で塞がれた下は崖のようになっていて、その真下から一面の砂漠が広がっている。青い空と対照的な黄金色の砂地。風によって地形が日々変化している。いつ見ても同じ風景など一つもない。
私は鉄線を掴んで、向こうを見つめていた。
「……綺麗。だけど、なんだか悲しいね」
「悲しい?何故だ?」
生まれてから今日までこの風景を見てきた私には分からない感覚だ。この光景が何故、悲しいのだろう。
アラセリは向こうから吹き込んでくる風を受けながら、小さく呟く。
「ずっと、砂漠。ちょっとでも花が咲けばいいなって」
私は改めて砂漠を見やる。花か。緑化計画はまだ計画の域を出ていない。少しでも砂漠が緑に変われば、人々の生活も潤うのかもしれない。少しでも違った風景になれば、人々の心も潤うのかもしれない……。
たとえば、と私は口を開いた。
「アラセリなら、どんな植物を植えたいのだ?」
彼女はしばらく考え、そして砂漠を見る。僅かに口元が微笑む。
「……ローズマリーに、セージがいいな」
「ああ、相性の良い植物は互いに成長を助長する。いい考えだな」
人に相性があるように植物にも相性があるという。種類によっては虫がつくのを抑え成長を助けることもあり、逆に互いを殺し合うこともある。
アラセリは寂しそうに笑った。
「植物も……争いなくみんなを育ててあげられればいいのにね……」
☆
「あっちぃ……」
俺は部屋の扉を開け放ち、窓も全開にしてベッドに腰を下ろした。熱風が入ってくるが、風の流れがあるだけまだマシだ。ローブをイスの背もたれに掛けると、ため息をつく。
「んで?何だよ、お前」
呼んだからには理由があんだろ。そう言って俺は向こうの椅子に遠慮なく腰掛けているヤツに視線を向けた。
左頬の下の傷跡、浅黒い肌。長い髪が僅かに風に揺れている。襟を重ね、胸の辺りで帯を止めた男の姿。傍目に見ても普通の人間じゃないことが分かる。
コイツはヴァルナ。正確にはイデア・トゥルーン・レ・ヴァルナと言う。その名を呼ぶのは俺以外許されていない。ヤツは魔術師が扱う精霊の中でも最高位に位置する蛉人と呼ばれる種族だ。契約を結んで従えてはいるが、どうも他の魔術師の使い魔とは違い、俺の言う事を聞かない。しかも魔力を大量に消費してくれるので使い勝手が悪い。その上、性格も非常に悪い。悪い事ずくめのヤツを使役にしてしまったもんだ。
『……このところ、下界が騒がしい』
「はぁ?」
騒がしいのはこっちも同じだ。テレジアの婚儀の代わりをサーシャがやるとかなんとか……はっきり言って騒がしいどころの話じゃねぇぞ。
ヴァルナはかまわず続ける。
『デルヴァの再誕が近い。下界はその迎えに緊張状態が続いている』
デルヴァとは蛉人の王だ。俺の祖父、かつて天才魔術師と呼ばれたファーレンが従えたという精霊。俺はその姿を見た事がないが、それは高貴な姿だったと誰かがそう言っていた。
俺は手で顔を仰ぎながら言う。
「ジジイの魂を食ってやっと再誕ってか。随分長い事かかるんだな」
魔術師と蛉人の契約は、一見魔術師有利に見えるがそうでもない。魔術師は生きている間、蛉人を使役する権利を得るが、死んだ後はその魂を蛉人が転生するために使われる。
なんでも、変化を嫌う蛉人の世界では、蛉人は蛉人に……つまり王だったものは王として生まれ変わるようになっているらしい。
『お前の魂なら我の復活に三千年はかかるだろうな』
「お前、それは俺を小物だって言ってんのか……?」
俺に使役されてる立場だってのに、いつまで経っても口が減らない野郎だ。ヴァルナは涼しい顔で外を見る。
「んで、結局何だよ。下界が騒がしくなろうが、お前には関係ねぇ話だろ?」
昔ジジイに聞いた話だと、精霊達は俺たちが住んでいるこの世界とは違う、別な世界に住んでいるらしい。そこには奴らなりの社会があり、奴らの築いた規律がある。
まぁ、蛉人にも王だの王妃だのがいるってんだから、想像できないわけじゃないが。
『……お前に一つ頼みがある』
珍しいヴァルナの言葉に、俺はふと顔をあげた。
「頼み……?」
ヴァルナは頷くと、立ち上がり窓辺に歩み寄る。俺の部屋から見えるのは入り口の庭と、向こうに並ぶ町並みの屋根だけだ。
精霊の築いた国ってのは一体どんな風景なのか。ガキの頃、周りの奴らとそんな他愛もない話をしたことを思い出す。花畑だの、森だの、普通の街だのと、色んな意見が出たが、誰一人として実態を知る者はいなかった。
ヴァルナは外を見つめながら呟く。
『サーティという蛉人がいる。それを探し出してもらいたい』
「サーティ……?」
聞いた事のない名前だ。蛉人の中でも格下なのかもしれない。
「別に、喚び出せばいいじゃねぇか」
誰かと契約していない蛉人ならば、喚び出す事は出来る。最も、俺の目の前にいる誰かのように、相手にその気がなければ出てこない事もあるが。
ヴァルナは肩を竦めてみせた。
『サーティは人間の喚び出しに応じない』
「出てくる気がないってことか?」
『それもあるが……。兎に角、捜し出せ。お前と契約している以上、我は動く事が出来ない』
探し出せとは、コイツ本当に俺の事を下に見てやがる。グッと拳を握りしめ、俺はヴァルナを見た。
人間の喚び出しに応じない蛉人を探せ、か。唐突ではあるが、サーシャが依頼をこなしている間に情報を集めるのも悪くない。
どうせ婚儀まで時間はたっぷりある。酒場で金を浪費してサーシャに毒舌を食らうくらいなら、暇つぶしをした方がいいだろう。クリフも何か知らねぇがそこらでウロウロしてることだしな。
「分かった。……すぐにとはいかねぇが、調べてやるよ」
『そうか』
ヴァルナが振り返ると、フッとその姿が薄れた。完全な召喚を続けるのはやはり消耗が激しい。コイツを自由自在に操っていたっていう俺の親父は、ジジイ並みのバケモンだったんだろう。
影だけになったヴァルナがふとこちらを見る。
『最後に一つだけ忠告しておこう、ファーレンの孫よ』
熱風がカーテンを揺らし、汗が首筋を流れる。俺は顔をあげてヴァルナの影を見た。影が唇を動かし、言葉を紡ぐ。
『……サーティは危険だ』
そう言って、奴は姿を消した。