第2章 1
女はゆっくりと外へ歩み出る。しかしその顔はまるでこの世で一番面白いものを見つけたかのようだった。上機嫌で店から出ると、玩具を見つけた猫のような瞳でサーシャを見る。
サーシャは気怠げな目でため息をついた。
- 最強の女戦士 -
女の武器は、柄の長い斧にも似ていた。サーシャは上着を脱ぐと、相手を見る。
砂漠に近い過疎の街。外に出れば、足下は既に砂にまみれるような場所だった。俺たちに続いて野次馬達が集まってくる。女の喧嘩ってのはどうやら面白いらしい。俺は額を抑えてため息をついた。
「フレイさん」
「あ?」
いつの間にか周りは野次馬に囲まれている。サーシャは腰のホルスターと、背中に隠しているぶんを俺に放り投げた。クリフが慌てたように口を開く。
「さ、サーシャさん!武器は……」
「……クロノスで相手をするのはフェアではありませんから」
サーシャの言葉に、男達の誰かが口笛をふいて茶化し始めた。お前等、今のとこは余裕だが、これから言葉を紡げなくなるほど絶句することになるぞ。
相手はサーシャの行動に感心したようだった。目をぱちくりさせて、そして周りに集まった人間を見回す。
「……なら、誰か槍を貸してくれないかい?」
「おお、いいぞ。ほらよっ」
誰かがサーシャに槍を差し出した。サーシャは女を見、そして槍を受け取る。そういやコイツは体術、剣術、槍術……武術の殆どが扱えるんだったか。
サーシャは柄の長い槍を構えた。数年旅を共にしてきたが、サーシャが槍を持つ姿は初めて見る。やっぱり何を持っても様になるなぁ、と隣で呟くクリフに、俺は拳骨を一発食らわせておいた。近距離戦に備えて雇われたテメーが使い物にならねぇからだろっ。
女はまるで何かを祈るように胸元で十字を切った。短い髪が砂風に揺れる。
「……この戦い、戦神ミルヤミに捧ぐ」
サーシャは静かに相手の様子を見ていた。女は祈りを捧げると、あの斧のような柄をぐるりと回し、刃を天へと向けた。柄が長い。女の身長の倍はありそうだ。
女の体は、しっかりと筋力がついていて、長い槍を持つ腕に無駄はなかった。自身の力や名声をひけらかすでもなく、スッと武器を構える。
ふと、隣のクリフが首を傾げた。
「あれ……あの武器って、たしか……」
「知ってんのか?」
クリフは忘れたものを思い出すように首をひねる。確かに、あの武器はよく見る槍とは違っていた。珍しいものなのかもしれない。
「ええと……ジャドバラ・アックス、だったと思うんですけど」
群衆の一部と化した俺たちは、急に上がった野次馬達の声に引き戻された。
「!」
サーシャが後方へと跳躍する。どうやら強い突きが放たれたらしい。サーシャは無言のまま、槍の感触を確かめる為に手に力を込めた。
黒髪の女が迫ってくる。同時にジャドバラ・アックスが斜め上から振り下ろされた。アックスと名前がついているだけあって、あれをまともに受けたら相当な怪我を負いそうだ。
「サーシャっ」
女の瞳は砂漠をうろつく獣のように鋭かった。手合わせと言ったから殺す気はないんだろうが、力は殺し合いをしているかのようだ。
サーシャは突き出された攻撃を持っていた槍で組み伏せる。すると相手はそれを予想して、サーシャの槍の柄を掴んだ。そして思い切り逆方向へ力を入れる。
「っ」
サーシャの脇腹に槍の柄の先が入った。無駄に装飾がされていて、鋭利になった部分が腹をえぐる。
「サーシャさんっ」
しかし奴は動きを止めなかった。次に来る攻撃を跳ね返し、そして距離を離すと、頭上で槍を回した。そして次の瞬間、相手の槍を弾く。鳥のくちばしのように付けられた刃が、柄をとらえて地面へと伏せさせた。今度は浮き上がった刃の先をもう一度地面へ向けて弾き、その隙をついて相手に接近する。
男達からどよめきの声があがった。しかし女の表情はゆらがない。むしろ楽しそうにサーシャの突きの攻撃を避けた。
そして今度は別などよめきが辺りを満たす。
「っ!」
女は刃を避けながら、ジャドバラ・アックスを上空に放った。刃を下に向けて手放した槍は、やはり重力に従って落ちてくる。サーシャの槍が引こうとするのを見て、女は僅かに口角を上げた。
刃の部分を避けて右手でそれを掴んだ女は、僅かに片足で跳躍し、もう片方の手で反対側を掴んだ。そして体を捻る速度を利用して、刃をサーシャに向けて振り下ろす。
「く……っ」
サーシャは槍を受け止めず、背後へ跳躍した。女は攻撃を避けたサーシャを見て、また面白そうに笑った。
「へぇ……流石、最強ってだけはあるじゃないかい」
「……それはどうも」
サーシャは構え直してそう言った。俺は顔を顰める。あの化け物女に謙虚さの一つでもあれば、こんな喧嘩を買う必要もないだろう。
ふと、さきほどから悩んでいたクリフが、ぽん、と手を叩いた。
「思い出した!ジャドバラ・アックスの使い手で、女の人って言えば、たしか……」
「っ、サーシャ!」
再びジャドバラ・アックスが振り上げられる。サーシャは構えを変えた。槍の下を持ち、もう片方で上の方を持つ。構えた槍先は地面スレスレで、振り上げられた刃を叩き上げた。そして構えを更に低くすると、相手の足下に槍を向ける。
女はそれを足で抑えると、サーシャに向かって突きを放つ。
サーシャは槍を引き抜き、手首を返して柄の部分を突き出すと、相手の腕までそれを絡ませた。女は腕を引く。しかし、次の刹那。
「!」
槍の柄でジャドバラ・アックスを弾き返したサーシャは、体を半回転させて接近し、槍先を掴んだまま相手の喉元にそれを突きつけた。
サーシャは女の顔を見つめ、そして大きく息を吐く。
「勝負あり、ですね」
その言葉に、女は目を細めた。
「フッ……流石だね」
ジャドバラ・アックスの先が地面へ降ろされた。サーシャは相手が戦意を喪失したのを確認し、槍を離す。周りの男達からどっと歓声があがった。
俺は深くため息をついて、その場に座り込む。剣術を見ているよりも緊張するもんだ。ハァ、と息を吐くと、隣のクリフが何かに気づいたようにバシバシと肩を叩いてきた。なんだよ、お前。俺は疲れてんだよっ。
「ふ、ふ、ふ、フレイさん、フレイさんっ!!あ、あ、あ、あの人、あの人っ」
「なんだよ、うっとうしいっ。あの女がどうかしたのか?」
女はサーシャの姿を上から下まで眺め回し、満足したように鼻を鳴らした。負けた割に、その顔に悔しさの欠片も見当たらない。女はサーシャの肩を掴むと、焼けた顔で破顔する。
「自分より強い者を探して旅をしていたが、まさか母国の目の前で遭遇するとは思わなかった。このアルバ・ユサク、人生で一本取られたのは弟以外にお嬢さんが初めてだ」
そう言ってウインクする女。俺は何かを訴えるように口をパクパクさせながら女を指差すクリフを見て、呆れた表情を浮かべる。だからなんだよ、この女がなん……なんだって!?
サーシャもまた、気がついたように顔を顰めた。妙なものに関わってしまったと、顔にはそう書いてある。隣にいたクリフが叫んだ。
「あ、アルバ・ユサク!メティスカの三大戦士ジャンさんのお姉さんですよっ」
今回ばかりは、放心状態でクリフを殴ることは出来なかった。
☆
「なんだ、弟を知っているのか?」
とりあえず野次馬のいないところで話をしよう、とサーシャはアルバを連れて宿へと戻った。サーシャの部屋に集まった俺たちは、ジャン・ユサクの姉だという女を囲むようにして座った。
三大戦士というのは、この先にある大国ネオ・オリエントに仕える、3つの部族の代表を指す。その中でもメティスカ部族の戦士であるジャンは、護衛の酒場でよく話題に上がる戦士の鑑だ。何年か前に一度、ある目的の為にそいつと戦う羽目になったことがある。
「ああ。よおーっく、知ってる」
今でも俺は覚えてる。予想外の出来事のせいで危うく殺されかけた。アルバは隣に座る俺の背中を叩く。
「それは悪かった。弟は族長になるために生まれてきた男だからね、冗談も通じないんだ」
ベッドに腰を下ろしたサーシャは、遠巻きに俺たちを見ていた。どうやら言及は俺たちに任せたらしい。元通りにホルスターを取り付けながら、耳だけはこちらに傾けている。
同じくテーブルの反対側に腰を下ろしていたクリフは、困ったようにアルバを見る。
「で、でも……どうしてアルバさんは旅をしているんですか……?」
ネオ・オリの部族は一部を除いてあまり国の外に出たがらない。メティスカも例に漏れず、砂漠に生きることを誇りとした一族だった。
アルバは猫のように目を細めると、遠く彼方を見るような目で言う。
「あれは……そう、弟が生まれた日……」
メティスカでも有名な女戦士の言葉に、クリフがごくりと唾を飲み込む。サーシャは興味なさそうに、最近長くなってきた髪を一つに束ねた。
アルバは何度か頷くと、ポン、と手を叩く。
「『そうだ!大人になったら、自分より強い奴を探しにいこう!』と思った」
……。終わりかよ!クリフが思わぬ回想の終わり方にコケる。
俺の苛立ちは頂点に達していた。これがそこらへんにいるチンピラだったら、早々に蹴りを食らわしているところだ。しかし、俺がこの女の襟を掴むより先に、サーシャが深く長いため息を吐いた。
「……メティスカでは、女性は族長になれない。そうですね?」
「ああ、その通り。私は弟と少し歳が離れていてね。あれが生まれるまでは、もしかしたら初めて女の族長になるかもしれない、なんて言われてたんだ」
アルバは振り返ってサーシャに視線を向けた。サーシャは自分の髪をもてあましている。ふと、クリフが我に返って首を傾げた。
「でも、それでどうして強い人を探す、だなんて」
「ま、趣味ってところだ」
猫のように目を細め、アルバは言う。クリフの期待が再びへし折られるのを、俺は見た。
アルバは俺たちを見回すと、これ以上ないような満足げな表情を浮かべる。この表情の豊かさは、弟とは大違いだ。しかも口数が多い。
アルバの視線はサーシャに向けられた。
「何にせよ、お嬢さんは勝ったんだ。ここは一つ、都に招待しよう」




