隣人。
恐れていたのは隣人ではなく、変わっていく自分だった。
薄暗い廊下の蛍光灯が、時折、小さく明滅する。
私は六階に住んでいる。一フロア四戸の小さな共同住宅。両端はファミリータイプの部屋で、その間に単身用が二つ並んでいる。
両親は飲食店を営み、朝六時には家を出て、帰宅は夜の十時を過ぎることも珍しくない。
だから、この家で一人で過ごす時間は長い。学校から帰ってきてから、夜遅くまで。静寂だけが、私の伴侶だった。その静寂を、最初の男が壊した。
先月、隣の単身部屋に引っ越してきた男は、見た目からして異様だった。
頭はボサボサに乱れ、無精髭が顔を覆い、太った体躯が薄暗い廊下に影を落とす。前歯が欠け落ちている口元が、特に印象に残った。
私が学校から帰宅してまもなくすると、必ず呼び鈴が鳴る。ドアスコープから覗けば、男がそこに立っている。
「すみません。隣の…です」
声をかけられるたび、私は無意識にその欠けた前歯に目を奪われた。気味が悪い、という単純な言葉では足りない。
何か、もっと根源的な嫌悪と恐怖が、胸の奥に沈殿していく。男は私の気配を敏感に察知しているようだった。
毎日、私が家にいるとわかると、ドアの前に立ち、呼び鈴を押し続ける。一ヶ月ほど経った頃から、男の部屋のドアは半開きになった。
エレベーターを降りて、私の部屋にたどり着くには、必ず男の玄関前を通らねばならない。
私は息を殺し、気配を消して歩く。家のドアを開けようとした瞬間、背後から声をかけられた。
慌てて中に飛び込み、鍵を閉める。男は呼び鈴を鳴らし、さらにドアを叩き始めた。
翌日も、その翌日も。そしてある日、鍵を開ける前に、男は私のすぐ背後に立っていた。私は大声を上げて、何とか逃げ込んだ。
警察に話した。すぐに警官が男の部屋を訪れたという。
「挨拶をしたかっただけだと。何事もありませんよ」
警官はそう言って帰った。だが、私は信じなかった。数日後、男は忽然といなくなった。
安堵したのも束の間だった。半年が過ぎた頃、また別の男が引っ越してきた。
眼鏡をかけた、陰気な印象の男。前の男とは違う。だが、本質は同じだった。
私が学校から帰るのを、待っている。呼び鈴が鳴る。今日は、ドアまで叩いてきた。ノックの音は、以前より執拗で、規則正しい。
まるで、何かを確認しているかのように――
私は、もう以前の私ではない。警察は当てにならないと知った。
誰も、この薄暗い廊下の異様さを理解してはくれない。自分で、対処しなければならない。
今日、ホームセンターで買ってきたものがある。
袋の中で、冷たい金属の感触が、私の掌に伝わってくる。呼び鈴が、また鳴った。
今度は、ドアを開ける。背後で、男の息遣いが聞こえる気がした。
私は静かに、袋の口を緩めた。廊下の蛍光灯が、また小さく明滅する。
読んで頂き有り難う御座います。




