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婚約破棄された才女は、辺境で失われた魔法を復興する ――今さら「戻ってこい」と言われても、もう遅いです  作者: 赤枝しゅん


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第四話 旧砦の封印庫


 古い魔法陣が見つかった。


 その報せを聞いた瞬間、エレナの眠気は完全に吹き飛んだ。


 扉を開けて廊下へ出ると、階下はすでに慌ただしい空気に包まれていた。兵たちが灯りを持って行き来し、管理棟の入口ではハインが険しい顔で誰かに指示を飛ばしている。


「どこで見つかったんですか」


 エレナが階段を下りながら尋ねると、先ほど報せに来た若い兵が弾かれたように振り向いた。


「旧砦の地下倉庫です。半分埋もれていた扉の奥で……掃除のために中を確認していたら、床一面に紋様が」


「勝手に触ったのか」


 低い声が割って入った。


 振り向けば、ルークが外套を羽織りながらこちらへ歩いてくるところだった。表情は冷静だが、目だけが鋭い。


 兵は慌てて背筋を伸ばす。


「い、いえ! 自分たちは入口から見ただけです! 床が光ったように見えて、それで危険かと思い、すぐに離れました!」


「ならいい」


 ルークは短く言ったあと、エレナを見る。


「行けるか」


「はい」


 むしろ今すぐ見たい、という気持ちだった。


 古い魔法陣。


 しかも砦の地下倉庫、封印庫らしき部屋。


 その言葉の並びは、エレナの研究者としての本能を強く刺激した。失われた術式の痕跡は、王都の書庫でもごく断片的な資料でしか見たことがない。現物、それも原型をある程度保ったものなら、どれほどの価値があるかわからない。


 だが同時に、危険もある。


 古い術式は、停止しているように見えても生きていることがある。魔力の残滓、遅延起動、封印維持、侵入検知。用途がわからないまま触れるのは、毒の入った瓶を確かめもせず飲むようなものだ。


「兵は二名つける。ハイン、お前も来い」


 ルークが言うと、ハインが顔をしかめた。


「俺もか」


「お前はこの砦の崩れ方を一番知っている」


「……それはそうだが」


 ぶつぶつ言いながらも、ハインは結局ついてくる気らしい。


 管理棟の外へ出ると、夜気が一層冷たくなっていた。空には雲が薄く広がり、月明かりが砦跡の石壁を青白く照らしている。


 旧ラドベル砦は、集落から少し離れた小高い場所にあった。


 近くで見ると、改めてその荒れ具合がよくわかる。半ば崩れた外壁、割れた見張り台、石の隙間から伸びる雑草。かつては辺境を守るために築かれたのだろうが、今では時間と風雨に食い潰されていた。


「地下倉庫がまだ生きてるとはな」


 ハインが前を歩きながら呟く。


「俺も昔、一度だけ中を見たことがあるが、半分以上は崩れて使いものにならなかったはずだ」


「封印庫と呼べるような場所が残っていたなら、意図的に隠されていた可能性があります」


 エレナが言うと、ハインはちらりと振り返った。


「隠されてた?」


「砦の重要設備、あるいは危険物の保管庫だったのかもしれません」


「危険物、ね……」


 ハインは露骨に嫌そうな顔をした。


 気持ちはわかる。


 だがエレナの胸は、不安と同じくらい、あるいはそれ以上に高鳴っていた。


 ようやく辿り着いた旧砦の地下入口は、崩れた石壁の奥に半ば埋まるように口を開けていた。兵たちが瓦礫をどけ、簡易の灯りを立てている。


「この先です」


 兵の案内で中へ入ると、ひんやりと湿った空気が肌にまとわりついた。石造りの通路は狭く、天井は低い。ところどころ崩れているが、想像よりは形を保っている。


 エレナは壁に手を触れた。


 冷たい。だがただの石ではない。微弱な魔力の残り香がある。昔、確かにこの砦は術式で補強されていたのだ。


 通路の奥へ進むにつれて、空気が少しずつ変わっていく。


 乾いた土と石の匂いの奥に、古い魔力特有の、金属にも似た微かな臭気が混ざっていた。


「……生きています」


 エレナが小さく呟くと、ルークが隣で足を止めた。


「何がだ」


「術式です。完全停止していません」


 ハインがぎょっとする。


「おい、それって危ないんじゃないか?」


「下手に触れば危険です」


 エレナは慎重に答える。


「でも、まだ持続しているなら、封印か保全の類である可能性が高いです。攻撃術式なら、ここまで長く安定して残る例はあまりありません」


「“あまり”ってことは、あるのか」


「あります」


 ハインの顔がますます引きつった。


 ルークはそんなやりとりを無視するように、前方の兵へ合図した。


「灯りを低く。足元を照らせ」


 通路の突き当たりには、崩れた木箱や石片に半ば隠れた分厚い鉄扉があった。その扉自体は錆びついていたが、奇妙なことに中央部だけが比較的きれいに保たれている。


 そこには円形の刻印があった。


 エレナは思わず息を呑む。


 見たことのない形式だ。けれど、構造の思想はわかる。


 中央に核。外周に三重の補助環。さらにその外側を囲む歪んだ連結線。王都の一般的な魔法陣より、ずっと古い。無駄をそぎ落とした現代術式とは逆に、冗長なほど重ねて保全性を高めている。


「どうした」


 ルークの問いに、エレナは目を離さず答えた。


「とても古い型です……たぶん、王国成立以前の系統です」


「そんなことまでわかるのか」


「断定ではありません。でも、現代の宮廷式とは線の組み方が違います」


 もっと近くで見たい。


 だが近づきすぎる前に、確認すべきことがある。


「誰か、ここに触れましたか」


「いえ」


 兵が首を振る。


「扉の前に来たとき、一瞬だけ床の模様みたいなものが光って、それで慌てて下がりました」


「床を見せてください」


 灯りを下げてもらうと、確かに扉の前の石床には、薄く刻まれた線があった。長年の埃と汚れで隠れていたが、兵の足音や振動で表面が剥がれ、一部が露出したのだろう。


 エレナはしゃがみ込む。


 線を目で追う。


 扉だけではない。床から壁、壁から天井へと、術式が立体的につながっている。


「……すごい」


 思わず声が漏れた。


 平面の魔法陣じゃない。空間そのものを封印構造として使っている。王都の書庫に残る断片資料では理論だけしか触れられていなかったが、実物を見るのは初めてだ。


 エレナは無意識のうちに前のめりになっていた。


 その肩を、後ろからルークが軽く掴む。


「近い」


 低い声に、はっと我に返る。


「……すみません」


「気持ちはわからんでもないが、死なれると困る」


 さらりと言われ、エレナは一瞬だけ言葉を失った。


 困る。


 それはとても実務的な言い方なのに、不思議と胸に残った。


 ハインが呆れたように鼻を鳴らす。


「嬢……エレナ様は、そういう顔もするんだな」


「そういう顔、ですか」


「目の色変えてる顔だ」


 言われて、エレナは少しだけ恥ずかしくなった。


 確かに今、自分はかなり興奮していたと思う。王都の書庫でもそうだった。珍しい術式の資料を見つけると、周りが消えてしまうくらい夢中になることがある。


「すみません。少し、その……」


「研究者なんだなって話だ」


 ハインは肩をすくめた。


 ルークは扉と床を交互に見やる。


「で、これは開けられるのか」


 エレナは慎重に首を横へ振る。


「今すぐは危険です」


「理由は」


「封印術式がまだ動いています。構造を読み違えたまま開けば、中身を壊すか、外に何かを漏らすか、あるいは侵入者排除の術が働く可能性があります」


 ハインが顔をしかめた。


「どれもろくでもねえな」


「ええ」


 エレナは立ち上がり、改めて全体を見る。


 扉。床。壁。天井。線の流れ。


 今必要なのは、好奇心ではなく解析だ。


「でも、調べる価値は非常に高いです」


 そう言うと、ルークが目を細めた。


「どれくらい」


「この砦がただの廃砦ではないと断定できるくらいには」


 空気が静まる。


 兵たちもハインも、息を潜めてエレナを見ていた。


「この術式は、単に物をしまうための保管庫にしては大袈裟すぎます。しかも封印がここまで維持されているということは、中にあるもの自体が術式の核である可能性が高い」


「核?」


 ルークが問う。


「魔法陣というのは、線だけでは成り立ちません。長期間維持するには、必ずどこかに魔力の安定源が必要です。魔石か、特殊な触媒か、あるいは……」


「あるいは?」


 エレナは一瞬だけ迷ってから答えた。


「失われた古代術式の原型資料、もしくはそれに類する装置です」


 ハインが間の抜けた顔をした。


「……つまり、すごいもんかもしれねえってことか」


「かなり」


 エレナは頷く。


 かなり、どころではない。


 もし本当に原型資料級のものなら、王都の研究院ですら手が出る。下手をすれば、辺境の荒れ地一つの問題では済まない。


 ルークはしばらく黙り込み、やがて静かに言った。


「この件は外へ漏らすな」


 その声は低く、強かった。


 兵たちが即座に姿勢を正す。


「ここにいる全員、聞いたこと見たことは一度胸にしまえ。口を滑らせた者から、この旧ラドベルを危険に晒す」


「はっ」


 全員が短く答える。


 エレナはルークを見た。


 判断が早い。しかも正しい。


 この情報が外へ出れば、盗掘目的の連中も、王都の連中も動くかもしれない。取水門の破壊が人為的だったのなら、なおさらだ。


「今夜は封鎖します」


 エレナが言うと、ルークは頷いた。


「方法は」


「簡易の遮断式で入口だけでも保護します。完全な封印の上書きはできませんが、外から余計な刺激が入らないようにはできます」


「必要なものを言え」


 エレナは少し考えた。


「塩、できれば粗塩。炭。古い鉄杭が四本以上。あと、布を」


「布?」


「外から見て“何かある”と悟られないためです」


 ハインがそこでにやりとした。


「得意だぜ、そういう誤魔化しは」


「頼む」


 ルークが短く言うと、ハインはすぐに兵へ指示を飛ばしに行った。


 必要なものが揃うまでの間、エレナは再び床の線を観察した。


 見れば見るほど不思議な術式だ。


 線の重なりに、現代にはない発想がある。閉じるのではなく、眠らせる。隔てるのではなく、循環を遅らせる。単純な封印というより、“長い時間をやり過ごさせる”ための構造に近い。


 まるで何かを、未来まで残すためのように。


「そんなに面白いのか」


 隣でルークがぼそりと言った。


 エレナは少しだけ躊躇ってから答えた。


「……はい」


「危険でも?」


「危険だからこそ、です」


 自分でも変な答えだと思ったが、嘘ではなかった。


 ルークは数秒黙り、それから意外にも否定しなかった。


「なら、今後もその顔をすることが増えそうだな」


 その声音はわずかに柔らかかった。


 エレナは目を瞬く。


「旧ラドベルには、まだ手つかずの場所がいくつかある」


 ルークは扉から視線を外さず続けた。


「倉庫、旧資料室、南塔の地下通路。危険だからと長年放置してきたが……お前のような人間がいるなら話は別だ」


 胸が少しだけ高鳴る。


 それは研究者としての喜びであり、同時に、この土地に自分の居場所が広がっていく感覚でもあった。


「ただし」


 ルークの声が少し低くなる。


「無茶はさせない。解析は明るくなってからだ。今夜は封鎖だけにしろ」


「……わかりました」


 本当は今すぐ朝まででも見ていたい。


 だが、そこは理性で抑えた。疲労した頭で古代術式に触れるのは、自分でも危険だとわかる。


 やがて塩や炭、鉄杭が運び込まれ、エレナは入口前に簡易遮断式を組み始めた。


 床の既存術式に干渉しすぎないよう、あくまで外縁だけを囲う。鉄杭を四隅に打ち、炭で連結線を描き、塩で余計な魔力の流れを吸わせる。


 これは封印ではない。


 “触らないでください”を術式的に表現しただけの、ごく簡易な保護だ。


 それでも、ないよりはずっといい。


「これで一晩なら持ちます」


 最後に小さく魔力を通し、青白い光が一瞬だけ浮かぶのを確認してから、エレナは立ち上がった。


 ルークが入口と遮断式を確認し、兵へ命じる。


「ここは二人で見張れ。交代は二刻ごとだ。誰も中へ入れるな。俺の許可なしに術式へ触れることも禁ずる」


「はっ!」


 ハインは布を入口前の瓦礫へ自然にかぶせながら感心したように言った。


「ぱっと見じゃただの崩れた倉庫だな。これなら余所者にも気づかれにくい」


「それが狙いです」


 エレナは頷いた。


 作業を終えると、どっと疲れが押し寄せてきた。魔力の消耗だけではなく、頭を使いすぎたせいでもある。だが同時に、胸の奥は妙な熱で満たされていた。


 この砦には、何かがある。


 辺境復興だけでは終わらない“核”が、確かに眠っている。


 外へ出ると、夜明け前の空気はさらに冷たかった。


 砦の石壁の向こうで、東の空がほんのわずかに白み始めている。


「休める時間は短いな」


 ルークが言う。


「日の出と同時に動くんでしたね」


「ああ」


 彼はエレナを一瞥し、少しだけ眉を寄せた。


「顔色が悪い」


「大丈夫です」


「その言葉は信用しないことにした」


 真顔で言われ、エレナは少しだけ言葉に詰まった。


 ハインが後ろで吹き出す。


「はは、そりゃそうだ」


「笑ってる暇があるなら見張りの再確認をしろ」


「へいへい」


 ハインは手を振りながら先へ行ってしまう。


 残されたエレナは、隣に立つルークを見上げた。


「……すみません。ご迷惑を」


「迷惑ではない」


 ルークは即答した。


「お前が来てから、旧ラドベルは一晩で井戸が戻り、魔獣をしのぎ、水路が繋がり、封印庫まで見つかった」


 そこで少しだけ目を細める。


「むしろ働きすぎだ」


 エレナは思わず視線を逸らした。


 こんなふうに真っすぐ評価されるのは、まだ慣れない。


「……動けるうちに動きたいだけです」


「倒れたら終わる」


「はい」


「返事はいい」


 相変わらずぶっきらぼうだ。


 けれど、その言葉の端々には確かな気遣いがある。それがわかるようになってきた自分に、エレナは少しだけ驚いていた。


 管理棟へ戻る道すがら、彼女の頭の中は封印庫の術式でいっぱいだった。


 三重環。遅延循環型の封印。空間接続。安定核。


 もし中身が本当に自分の研究に関わるものなら、この地でできることは一気に増える。井戸も水路も防壁も、今は応急的に繋いでいるだけだが、古い技術の原型がわかれば、もっと効率よく、もっと大きく改善できるかもしれない。


 王都では誰にも理解されなかった研究が、ここで完成へ近づく。


 その予感に、疲労の底で心が震える。


 部屋の前まで来たところで、ルークが足を止めた。


「明朝は、水路と防壁を優先する」


「はい」


「封印庫はその後だ」


 エレナは少しだけ残念に思ったが、うなずいた。


 今は住民の暮らしが先だ。それは自分でもわかっている。


「その顔を見ると、不満そうだな」


「少しだけ」


 正直に言うと、ルークはほんのわずかに肩を揺らした。


 笑ったのだと気づくまで、少しかかった。


「安心しろ。封印庫は逃げない」


「……そうですね」


「だから今は寝ろ」


 命令口調なのに、不思議と反発は湧かなかった。


 エレナは扉を開けかけ、それからふと振り返る。


「ルーク様」


「なんだ」


「見つけてくださって、ありがとうございました」


 封印庫のことだ。もし兵が騒ぎを大きくしていたら、あるいは何も知らないまま触れていたら、どうなっていたかわからない。ルークがすぐに自分を呼び、状況を制御してくれたからこそ、守れたものがある。


 ルークは一瞬だけ意外そうな顔をしたあと、静かに言った。


「礼を言うのはこっちだ」


 その言葉に、エレナは胸が少し熱くなるのを感じた。


「おやすみ」


 それだけ残してルークは去っていく。


 エレナは扉を閉め、背を預けた。


 荒れた辺境に追いやられたはずだった。

 けれど今、この土地には、王都にいた頃よりずっと自分の力を必要としてくれるものがある。


 井戸。水路。防壁。人々の暮らし。

 そして、古代の術式が眠る封印庫。


 やるべきことは山ほどある。


 それなのに、不思議と怖くなかった。


 ここでなら、ただ捨てられた令嬢では終わらない。

 ここでなら、自分の研究も、自分自身も、ちゃんと意味を持てるかもしれない。


 ベッドへ倒れ込む直前、エレナは研究ノートを開き、震える手で一行だけ書き込んだ。


『旧ラドベル砦地下封印庫――遅延循環型封印の可能性。原型資料級の価値あり』


 その文字を見つめたまま、彼女は小さく息を吐く。


 そして次の瞬間、眠気に引きずられるように目を閉じた。


 だが浅い眠りへ落ちる直前、脳裏には封印庫の中心刻印が焼きついていた。


 三重の環の中心。


 あの形は、ただの保管庫ではない。


 まるで――

 何か大きな術式体系の“鍵”そのもののようだった。


 翌朝、その予感は思いもよらない形で現実になる。


 夜明けとともに、旧ラドベル砦の南壁から、一本の細い光が空へ伸びたのだ。



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