乖離
輝幸たちは、二年になり、今度は新入生を迎える側になった。熾烈な勧誘合戦のあと、輝幸達が一年のときと同じように、新歓コンパが開かれた。いつものように小さな居酒屋の、人数に対して狭すぎる部屋に、焼き鳥の匂いと、酒の甘い匂いが混じる。輝幸はいつものように、端の席に座り、隣りに座った新入生の女の子に聞かれるがまま、大学のこと、サークルのことなどを話した。綾子はいつものように場の中央にいて、後輩に囲まれている。笑い声が起きるたびに、彼女の存在が皆の中心になっているのがわかった。
2時間ほどして会は一旦お開きになったが、まだ飲みたい人、話し足りない人だけが、残ることになった。輝幸も、その日は、まだ飲みたい気分だった。終電が近づいたころ、気づけば店に残っていたのは数人だけだった。会計を済ませ、店の外に出ると、夜風が酔いを少しだけ冷ました。店の前で解散して、駅へ向かう道で、自然と綾子と二人きりになった。意図したわけではない。人の流れがそうしただけだった。
「最近さ。」
沈黙を破ったのは、綾子だった。
「ナカジ、楽しそうだね。」
輝幸は一瞬、意味を測りかねた。
「え、そう?」
「合コンとか、よく行ってるって聞く。」
「ああ……まあ。」
彼は笑って肩をすくめた。否定する理由もなかった。
「そんな悪かったっけ?」
「悪いって、何が?」
「女癖。」
言い方は軽かったが、視線は鋭かった。責めているというより、観察しているようだった。
「癖ってほどじゃ……」
言い返そうとして、輝幸はやめた。否定しても、説得力がない。
「アヤコは、忙しそうだね。」
話題をずらすと、綾子は小さく息を吐いた。
「まあね。でも、毎日楽しいよ。」
その言葉に、嘘はなかった。楽しい、という感情が、彼女の表情から伝わってくる。
「ナカジは?」
「俺は……」
言いかけて、言葉を探す。綾子を目の前にすると、自分の生活がひどく惨めに思えた。
こんな気持ちのまま「楽しい。」と答えれば嘘になるが、「楽しくない。」と言えば、見たくもない現実を突きつけられる気がした。
「まあ、こんなもんかな。」
綾子は歩きながら、彼のほうを見た。
「お笑いは?」
駅の明かりが近づいてくる。いつかのように、逃げ場を失っていく感覚があった。
「ボチボチやってるよ。もちろんアヤコほどじゃないけど。」
正直に言ったつもりが、なぜか心が重くなった。
「へえ。」
綾子はそれ以上、踏み込まなかった。その沈黙が、心の重さを増した。
「もうコンテストとか出ないの?」
ホームに降りる階段の前で、彼女は立ち止まった。
問いは静かだったが、真剣だった。
「たぶんね。向いてないし。」
「向いてないって、誰が言ったの?」
「俺が。」
即答だった。
自分で決めてしまえば、これ以上傷つかなくて済む。
綾子は何か言いかけて、口を閉じた。
電車の到着を告げるアナウンスが、会話の隙間に入り込む。
「……そっか。」
それだけ言って、彼女は改札を通った。
改札の向こうで、一度だけ振り返る。
「じゃ、また。」
「じゃぁ。」
手を振ることもなく、輝幸はその場に立ち尽くした。ホームへと続く階段を下りて、綾子の姿が消えていく。輝幸は、彼女との会話を思い出していた。「向いていない」という言葉の裏にある、本当の理由に彼は気付いていた。彼女に対する劣等感。自分には何もないと気付くのではないかという恐怖。それらの感情を正直に彼女にぶつけたら、綾子はどういう言葉をくれただろうと、彼は考えた。しかし、現実の彼にはできそうになかった。言葉は、彼の得意分野だったはずなのに。
綾子は電車の窓に映る自分の顔を見ていた。ガラスからうっすら見える電車の外の景色が、彼女の表情を曖昧にする。輝幸の「向いてない」という言葉が、綾子の耳に残っていた。彼のツッコミを、彼女はずっと評価している。的確で、核心を外さない。あの表現力は、誰にでも持てるものではない。しかし、先程、彼女は輝幸に伝えられなかった。彼のツッコミが好きだ、という言葉も、その延長にある期待も。彼が今、それを受け取れる状態ではないと、どこかで感じていたからだ。それを口に出せば、彼を追い詰めてしまう気がした。電車は次の駅に滑り込む。ドアが開き、誰かが降り、誰かが乗る。電車のドアが閉まると、綾子は胸の奥に小さな後悔を残したまま、視線を窓に映る自分に戻した。
輝幸は、綾子と別れた駅前の自販機で缶コーヒーを買い、ベンチに座った。夜はまだ終わっていない。いつもの通りスマホを取り出し、SNSを開き、誰かを呼び出すこともできる。しかし、その夜、輝幸の指は動かなかった。
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