距離
輝幸達のサークルのお笑い選手権打ち上げ会場は、安い焼き鳥屋だった。狭い個室に多人数が詰め込まれ、焼き鳥の皿が回り、皆藤が乾杯の声を上げた。壁の薄さが、隣室の笑い声まで運んでくる。
サークルの後輩が、
「綾子さんマジで神っす!」
と興奮して言うと、
先輩が、
「いや、俺らも鼻が高いわ。」
と誇らしげに言った。
綾子は輝幸の向かいの席の中央あたりに座らされ、次々にグラスを向けられた。
「優勝おめでとう。いや、ほんとレベチ!」
「レベチって言葉、久々に聞いたよ。」
綾子は笑いながらツッコミ、場を盛り上げた。
輝幸は端のほうで、自分グラスのまだ口をつけていないビールを見つめていた。
決勝戦最下位という言葉が、まだ喉の奥に貼り付いて、飲み込めない。
乾杯をした皆藤が、輝幸の隣にビールをつぎにやって来た。それを見た輝幸がビールを飲み干すと、皆藤は空になった輝幸のグラスにビールをついだ。
「おつかれ。」
「おつかれさまです。」
二人ともビールを一口飲んだ後、皆藤がさらに口を開いた。
「ナカジ、今日のツッコミ、やっぱりうまかったよ。」
輝幸は、それを「心にもない慰め」だと感じ、胸が苦しくなった。
「いや、うまくても最下位じゃ、しょうがないじゃないですか。」
口に出した自分の声が、少し尖っていて、彼はすぐに後悔した。
皆藤は苦笑いをして、
「いや、決勝に行けただけすごいじゃん。お前らとアヤコたち以外、みんな予選で落ちてんだぜ。」
と言った。続けて、
「まぁ、アヤコは・・・」と言いかけ、皆藤は言葉を引っ込めた。
その引っ込め方が、輝幸には「触れると壊れるもの」みたいに扱われているようで心が冷えた。
少しの沈黙のあと、皆藤は、
「まぁ、また次頑張ろう。」と言って、席を立ち、別の参加者のところにビールをつぎにいった。
皆藤が去り、輝幸が周りを見ると、向かいの席では、相変わらず後輩が綾子のところに詰めかけていた。
「どうやってあんなネタ思いつくんすか?」
「キレキレでやばかったっすよ~~。」
「そうかな?ありがと。」
綾子はあっさり言って、笑った。
なんでもないように言う綾子に、隣にいた後輩が「かっけー。」と言い、さらに笑いが起こった。
輝幸は、そのやりとりを耳にしていると、自分の中の劣等感が暴れだして、口から飛び出しそうだった。
それを飲み込むように、彼はグラスに口をつけた。
ビールの味はよくわからなかった。
喉を通るアルコールが、自分のこの気持ちを鎮めてくれることを願った。
「ナカジ、決勝のネタ、普通に面白かったけどね。」
同級生の一人が近づいてきて、悪気なく言った。
輝幸は笑って返そうとしたが、表情がうまく動かなかった。
「ありがとう。でも、普通って言われると、なんか……」
「あぁ、悪い。そういう意味じゃないんだけど。」
同級生が慌てる。輝幸は首を振った。
「いや、悪い。どうかしてるな。」
そう言うと、輝幸の周りは一瞬だけ静かになり、すぐ別の話題に押し流された。
ふと視線を泳がすと、グラスを持った綾子と目があった。彼女は何か言おうとしたが、隣の後輩に話しかけられ、そのままそいつの方を向いて、話し始めた。輝幸は、その「言いかけたもの」を勝手に想像して、勝手に傷ついた。
打ち上げの終盤、誰かが「二次会行くぞ」と叫び、何人かが立ち上がった。綾子も誘われていたが、「明日早い」と言って断っているのが聞こえた。店の外に出ると、夜風が頬を冷やした。
駅へ向かう人の流れの中で、輝幸は皆から少し遅れて歩いた。周囲の笑い声が遠ざかる。最下位という言葉が、ようやく胸の底に沈んでいく。沈む代わりに、決勝で負けた理由を、考えはじめた。決勝戦最下位という結果の中で、彼が唯一頼れるのは、理由だった。ネタが整いすぎた。驚きがない。自分が安全を選んだ。舞台で、勝ちにいくより負けないようにしていた。そうやって理屈を並べると、痛みは軽くなる。軽くなれば、耐えて、前を向けるような気がした。しかし、その意志も、すぐに別の声に覆われた。「どうせ俺には無理だ。」あの夜の父のため息が、脳裏をよぎり、自分で自分の形を決めてしまう。
輝幸は葛藤から逃げるように、スマホを取り出し、SNSを開いた。合コンの予定、飲みの誘い、軽い約束。連絡する前に、輝幸は、前日、綾子が言った「負けてもやめないでね」という言葉をもう思い出したが、その言葉を心の中で雑に折り曲げた。見ないようにすれば、心は痛まない。
一方の綾子は、打ち上げの喧騒の中で、輝幸の決勝の舞台でのあるツッコミを思い出していた。ネタ自体は平凡だったが、あのツッコミの切れ味は確かだった。的確にボケの核心を表現する精度。その精度に、彼女は一度だけ息を呑んだ。けれど、それを本人に言うタイミングは、結局見つからなかった。彼の目が、「ここにいたくない」と言っているように見えたからだ。
大学お笑い選手権は終わり、季節がまた一つ進んだ。輝幸の中には確かな力を持った言葉がある。ただ、それを信じる自信が決定的に欠けていた。綾子は光の中へ進み、輝幸はその影に立っていた。二人の差は、確実に形を持ち始めていた。
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