番外編 ~加納 綾子~
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物心ついてから、私は常に皆の中心だった。
学校でも、部活でも、家でも。
自分の武器も、立ち位置も、見られ方も把握していた。
自分が前に立ち、場を掴み、空気をかき回す。
それは、才能というより、私の習慣に近かった。
そんな私にとって、ナカジのツッコミは、刺激的だった。
大学の入学式の後、誘われて行った部室で、初めて会ったナカジ。
ボソッとつぶやいたその一言で、私の世界が広がった気がした。
しかし、そのときの私は、それを自分の中で単純に「相性がいい」と処理して、
それ以上、踏み込まなかった。
大学四年間を振り返っても、
ナカジのことを「好きだった」と言える記憶は、やはり、ない。
少なくとも、胸が高鳴るとか、触れたいと思うとか、そういう感情ではなかった。
ただ、いつも、気になっていた。
部室で、台本をめくる仕草。
飲み会の端で、会話を半歩引いた位置から見ている目。
視界に入ると、無意識に確認してしまう存在。
しかし、それを「恋」と呼ぶほど、私は、恋愛脳ではない。
彼に、コンビを組もうと誘われたあの日、
最初は、「何を今更。」と思ったが、話を聞くうちに、
彼の言葉が、私の世界を広げてくれる気がして、胸が高鳴った。
事務所を設立してから、彼は長く苦しんでいた。
彼の低迷の原因が、自信の無さであることは、なんとなくわかっていた。
だけど、その自身の無さの原因である彼の父親との関係については、
深く踏み込めないでいた。
転機は、文章だった。
事務所に届いた雑誌。
忙しさに追われながら、「あとで読む」と机に置いた。
夜。
一人になって、ページを開いた。
最初の数行で、身体が固まった。
息が、一瞬、止まった。
――なに、これ。
芸人の文章じゃなかった。
笑わせにいく感じも、技巧を見せつける感じもない。
ただ、胸の奥を、正確に、静かに、殴ってくる。
読んでいるうちに、ページをめくる指先が冷たくなった。
あのツッコミと、同じだ。
核心だけを、すっと差し出す。
ページをめくるごとに、背中が、ぞわっとした。
鳥肌、という言葉では足りない。
もっと内側、骨の近く。
読み終えたとき、しばらく、動けなかった。
「……これだよ。これ。できんじゃん。」
自分の声が震えていることに気づいた。
自分の中で、嬉しいとか、誇らしいとか、そういう整理は、まだできなかった。
ただ、自分が感じた感覚は、正しかったのだという確信だけが残った。
久しぶりに大学時代の仲間達と飲んだとき、
圭介がいた。
大学時代、私と企画で組み、ダブルボケで結果を出した男。
最近、関西の若手の大会を獲って勢いに乗っている。
何気ない会話の流れで、ナカジの話題が出た。
「しかし、」
圭介は、グラスを置いて言った。
「お前の相方のツッコミ、ヤバいな。」
その一言で、 綾子の心臓が、跳ねた。
「え?」
圭介は笑った。
「乗ってるときのあいつのツッコミをみたとき、鳥肌がたったよ‥‥
そして、火が付いた。」
その評価が、妙にリアルだった。
「遊星も」
圭介は、少し苦笑して続けた。
「意識してるよ。口には出さないけどな。」
その瞬間、胸の奥が、ぐっと熱くなった。
――自分だけが、感じていたわけじゃなかった。
――自分だけに、見えていたわけじゃなかった。
決定的だったのは、テレビ収録の平場だった。
深夜の、小さな番組。
正直、期待していなかった。
ナカジは、平場が苦手だ。
それを、誰よりも知っているのは、自分だ。
自分の横で、彼はいつものように不安そうにしていた。
私は、無意識に歯を食いしばった。
――来るな、今は振られるな。
その後だった、
別の芸人にトークがふられ、その芸人が話し始めたが、着地点を探して迷走していた。
場の空気が、どんどん冷えていくのが感じられる。
その隙間に、ナカジの声が入った。
短い。説明しすぎない。切れのいい例えツッコミ。
その瞬間、綾子の腕に、鳥肌が立った。
そして、次の瞬間、スタジオが、弾けた。
カメラが、ナカジの方を向いた。
その反応を見た瞬間、私は、ほとんど興奮に近い感覚を覚えた。
――見つかった。
ようやく、世の中に見つかった。
その夜、独りぼんやりしていると、崎本の顔が浮かんだ。
彼女は、私より先にナカジの言葉を世に出した。
分章で。言葉で。
その事実が、私の胸を、少しだけ、ちくりと刺した。
それが、”嫉妬”だと、私は認めた。
はじめて、感情に名前がついた。
私は、この感情に、恋や愛というは名前をつけない。
でも、もう、「これが”特別な感情”ではない」という嘘はつけない。
そういう感情。
私は言わない。
彼に、何も伝えない。
今は、このままの関係でいい。
言葉を信じ始めたばかりの人間に、
この感情を背負わせるのは、酷だ。
キングオブマンザイに再挑戦すると決めたのは、勝ちたいからというのもある。
ナカジの父親との約束もある。
でも、一番の理由は、今のナカジの言葉が、どこまで届くのか、
それを、一番近くで、見届けたかった。
彼の言葉の力を信じてる。
でも、もし、また、挫折を味わうことになってもいい。
二人で一緒にまた、這い上がればいい。
私たちは、コンビなんだから。
今は、目の前の闘いだ。
感情は、胸の奥にしまったまま。
私は、そうやって、彼の相方でいることを選んだ。
これまで、描いてこなかった、綾子の感情を描いています。
まだ、本人のなかでも、明確な形にはなっていないですが、
二章以降に動きがある予定です。
応援、★よろしくお願いいたします。




