補完
桶川出版で始まった月一の短編連載は、静かに、しかし確実に読者を増やしていった。TVで注目されている綾子の相方ということで、興味を持つ者も一定数はいただろうが、それだけでないのは、明らかだった。発売日の数日後には必ず編集部に感想が届いた。「自分のことを書かれているみたいで苦しい。」「笑っていいのか、悲しんでいいのかわからないのに、最後まで読んでしまった」。崎本は、その感想を丁寧にまとめ、必要以上に煽らず、輝幸に伝えた。
最初のころ、輝幸はそれがありがたいのか、怖いのか、判断がつかなかった。
感想は評価だ。評価は、父の声を連れてくる。
だが、崎本の伝え方は違った。
「すごいですね」とは言わない。
「売れますよ」とも言わない。
ただ、「ここで、こう感じた人がいました」と事実だけを置いていく。
それは、裁かれない距離だった。
「最近、文章が、前より静かですね」
ある日、喫茶店での打ち合わせで、そう言われたとき、輝幸は返事に詰まった。
「静か」という言葉を、褒め言葉として受け取るほどに、彼は楽観的ではなかった。
「つまらないですか?」
「そういうことではなくて、どんどん飾らなくなっていますよね。最初から、とってつけたようなわざとらしい表現があまりないなとは思ってましたけど、それでも今にして思えば、”書きすぎている”ところがあったんだと思います。でも今は慣れてきたせいか、それを書かない余裕がでてきのかもしれませんね。」
その言い方が、妙に正確で、輝幸は一瞬だけ目を伏せた。
わかっている。
この人は、ちゃんと読んでいる。
東大を出て、大手出版社に入り、エリートコースを歩いてきた人間。
そういう肩書きがあることは、後から知った。
崎本は、輝幸がこれまでに出会ってきた「できる人」とは、少し違っていた。
最初に感じたのは、「この人は、無理に自分を大きく見せようとしない。」ということだった。
輝幸は、崎本の前でだけは、少しだけ気が緩んだ。
無理に自分の良さをアピールしたり、
逆に、自分を下げなくてもいい。
だから、油断した。
連載が軌道に乗り、短編が一冊にまとまり、短編集として刊行される予定が決まるころには、二人は仕事以外の時間を持つようになっていた。
打ち合わせのあと、軽く食事をする。
原稿の話から、大学時代の話になる。
小説の話から、人生の話になる。
輝幸は、崎本の視線に、居心地の良さを感じていた。
否定されない、という安心。
だが、あるとき、ふと気づいた。
――この人、俺に憧れてる。
それは、恋愛的な意味ではなかった。
もっと別の、根の深いもの。
そして、同時に別の視線も感じた。
勉強ができて、正しい選択をしてきた人間が、
「間違え続けてきた人間」を見る目。
その視線に気づいたとき、輝幸の中で、矛盾した二つの感情が生まれた。
優越感と、劣等感が、同時に。
口説いたのは、輝幸のほうだった。
ある夜、酒が入った帰り道。
彼は、いつものように軽い言葉を投げた。
「崎本さんって、完璧っすよね。」
「……私、全然完璧じゃないです。」
彼女のそう言う声は少し震えていた。
その声が、輝幸の中の何かを刺激した。
この人を、こちら側に引きずり込みたい。
きちんとした場所から、少しだけ崩したい。
それが、欲情だったのか、征服欲だったのか、輝幸には区別がつかなかった。
抱いた夜、崎本は何も言わなかった。
彼の不器用な触れ方を、拒まなかった。
優しくもなかったが、突き放しもしなかった。
朝、輝幸が目が覚めたとき、崎本はまだ眠っていた。
カーテンの隙間から光が差し込む。
その中で、眠っている崎本の顔を見た。
征服した、という感覚はなかった。
満たされた、という感じもしなかった。
代わりにあったのは、奇妙な親近感だった。
もしかしたら、劣等感を埋めようとしていたのは、自分だけじゃなかったのかもしれない。
付き合い始めたあとも、劇的な変化はなかった。
甘い言葉も、未来の約束もない。
ただ、会う頻度が増え、連絡が途切れなくなった。
やがて、輝幸の中で、何かが確実に変わっていた。
短編集はやがて、本として出版された。
発売当初の部数は控えめだったが、書評が一つ、また一つと積み重なり、
出版業界のなかで、着実に評価が高まっていった。
輝幸の才能が開花するのを見届けたい方。
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