岐路
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その日、事務所内の会議の途中、皆藤のスマホに連絡が入った。皆藤が受話器を肩に挟み、メモをとりながら、眉を上げる。
「出版社? ……桶川出版。え、企画? 中島に?」
綾子と輝幸は、顔を見合わせる。
皆藤が電話を切り、輝幸に淡々と伝えた。
「小説、書いてほしいって。連載の企画。」
「無理です。」
反射的だった。
拒絶が先に出る。頭の中で誰かが言った。
「中途半端なお前に、できるはずがない。」
「恥をかくだけだ。」
「俺は読むのが好きなだけで、書いたことなんてないから。」
彼はそう言って立ち上がりかけたが、綾子がそれを止めた。
「断らない。」
短い言葉だった。
輝幸は苛立ちと不安の混ざった目で彼女を見た。
「なんで?俺、芸人だよ?本なんて書けるわけない。」
「作家じゃないから、面白い可能性もある。」
「文章を読むのと書くのは別の話。俺に文章を書く才能なんてないよ。」
「ナカジさ、才能を“自分で無かったことにする癖”あるよね。」
その言い方には棘があった。けれど綾子の棘は、嫌いで刺す棘ではない。信じているからこそ刺す棘だった。
輝幸が言葉に詰まると、綾子は強い口調で言った。
「じゃあ、業務命令。書いて。」
輝幸は、綾子をにらむ。
「てゆうか、事務所のお荷物なんだから働け。」
綾子が今度は少し砕けたトーンで続けた。
彼はさらに、反論の言葉を探したが、出てこない。
皆藤が、現実的に着地させた。
「断るなら断るでいい。ただ、今のナカジにはきっかけが必要なのは事実だ。担当者と会って、話を聞いてきてくれ。」
輝幸が、停滞を続けていることは、誰の目にも明らかだった。
結局、輝幸は、担当者と会うことだけは渋々承諾した。
桶川出版の担当編集、崎本紗枝、指定されたカフェで待っていた彼女は、思っていたより若く、30歳手前といった年齢に見えた。黒髪で、真面目そうな見た目だが、輝幸の好みの「大人の美人」といったタイプの女性だった。
名刺を差し出し、柔らかい声で、
「You tube、拝見しました。」
と言った。
「正直に言いますね。企画の“本好き芸人”って、世の中に溢れてます。」
いきなり刺してくる。輝幸は苦笑いを浮かべた。
「ですよね。」
「でも、中島さんのYou tubeを見て、この人は違う・・・この人は、本というものを私なんかよりずっと深く理解しているって感じたんです。正直、驚きました。」
「そんなことは・・・」
「それだけじゃありません。」
否定しかけた輝幸に、崎本が言葉を重ねる。
「この人は、それを表現する言葉も持っているって感じたんです。」
輝幸は、予想外の言葉に、驚きを隠せない。
何も言わない輝幸を見て、崎本は先を続ける。
「この人の書く文書を読んでみたいなって。だから一度、何か書いてみませんか。」
輝幸は、いつものとおり、逃げをうつ。
「俺にできるかな?読むのは好きでも、書いたことはなくて。」
崎本は、想定の範囲内といったように、すぐに切り返す。
「普通そうですよね。では、いきなり長い文章は難しいと思うので、短編からどうでしょうか。」
しかし、輝幸はの不安は解消されない。
「俺なんかが書いた本が、売れるとは思えないけど。」
少し間をとって考えた後、崎本が再び口をひらいた。
「正直、いきなりすごくヒットするとは思ってはいません。ただ、テレビに少しでも露出してらっしゃるだけでも、そうじゃない人よりはすごく有利なんですよ。」
輝幸には、その続きに「それが、じゃない方芸人であったとしても。」という言葉が続いているように感じられたが、それを言葉にはしなかった。
崎本の言葉には、真実が含まれていると思ったし、なにより、過度に期待していない感じも、輝幸の心を軽くした。
「・・・わかりました。試しに短編を書いてみます。」
「本当ですか?ありがとうございます。」
「でも、何から始めたらいいか、全くわからなくって。」
「そうですよね。何か書いてみたいテーマとかないですか。」
「そう言われても‥‥‥」
そういいかけて、輝幸はふと思い出した。
「小説になるかはわからないですけど、俺、中学や高校のころ、妄想する癖があって。」
「妄想?」
「こうだったら面白いなって感じで、現実をちょっと変えた設定を勝手に作って、その中で生きている人々を妄想していたんです。実際の、学生の僕から見た世の中は、あまりにも面白くなかったから。」
その言葉を言ってしまった瞬間、彼は少しだけ恥ずかしくなった。
だが崎本は笑わなかった。
むしろ身を乗り出した。
「それ、読みたいです。中島さんの“こうだったら”」
そういって眼を輝かせた崎本をみて、輝幸のなかの本好きの部分がドクンと震えた。
そのことが、彼を少しだけ不安から自由にした。
輝幸は家に帰り、PCを開いた。
あの頃妄想した世界を思い出して、プロットを書いてみる。
書いたプロットを読者としての自分で読んでみて、自分の感情が動く話、そういう話をいくつか選んだ。
そして、プロットを広げるように文章を書き始めた。
最初は思うように進まなかったが、書き進めていくうちに、本好きとしての自分が顔を出した。
「こういう場面を書いてみたい。」
「こういう描写を描いたらかっこいいだろうな。」
気づけば輝幸は、自分の書く世界のなかに入り込んでいた。
彼の選んだ舞台は、日常のすぐ近くにあるのに、ほんの一歩ずれている。
ありそうで、なかった世界。
読みながら、彼自身が楽しくなる。
書くことで呼吸が深くなる。
そういう感覚が、新鮮だった。
数日後、短い話を数本、崎本に送った。
PCメールの送信ボタンを押したあと、彼はしばらく自宅のソファーに仰向けになり、天井を見つめた。
会ったときの崎本のキラキラした表情が、失望に変わるのが怖い。
返事は早かった。
「すぐ会えますか?」
メールに返信があった。
事務所近くの喫茶店に現れた崎本は、座るなり言った。
「衝撃でした。」
その一言で、輝幸の心臓が跳ねた。
だが崎本の声は興奮しすぎていない。
冷静な興奮だ。
「文章が、変に“芸人の言葉”じゃない。沢山の言葉を通ってきた人の言葉です。それに、設定が現実と近いのに、ずれてる。その切り口が新しいし、面白い。」
輝幸は、頷くことしかできなかった。褒め言葉が、身体の中に入ってきて、どこに置けばいいかわからない。
「まずは雑誌で、月一の短編連載から始めましょう。好評だったら、短編を集めて、単行本にもできます。」
「そんな……」
「できます。というか、やりましょう。中島さんの言葉を世の中に届けたいんです。」
連載が決まった。輝幸は嬉しかった。嬉しいことが怖かった。だから彼は、表面だけ軽くした。
「どうせ、じゃない方芸人の小説なんて、誰も読まないですよ。」
崎本は笑った。
「読ませます。読まれるようにするのが編集の仕事です。侮らないでくださいね。」
輝幸は、崎本のその笑顔に、胸が暖かくなったことを自覚した。
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