変化
綾子の生活から「余裕」が消えていったのは、売れたから、だけではない。売れたことで、余計に背負うものが増えたからだ。
番組のオファー、取材、ネタの打ち合わせ、ライブの調整。個人事務所の看板として、外に出るのも、内で作るのも、綾子が中心だった。
輝幸は、それを見ているだけで、胸がひりついた。自分は相方なのに、彼女の負担を減らせていない。自分は、彼女の役に立てていない。
――だったら、役に立てる場所を自分で作るしかない。
思いついてからも、決めるまでには時間がかかった。自分が主役になることは怖い。怖いが、逃げたままでは、ますます綾子の背中が遠くなる。
輝幸はある夜、事務所の小さな会議室で、皆藤に言った。
「俺、企画やります。」
皆藤はPCから顔を上げた。
「急だな。何の?」
「YouTube。俺一人でやるやつ」
「……アヤコは?」
「アヤコの負担を増やしたくない。俺だけでやる。」
言ってしまってから、喉の奥が乾いた。
皆藤はしばらく黙って、数字を計算するみたいに指先で机を叩いた。
「やるなら、中途半端はダメだぞ。続かないのは最悪だ。」
「続けます。」
「内容は?」
輝幸は、散々悩んで自分なりに答えを出していた。面白いことをしようとしても滑る未来が見えた。無理にキャラを作って、空回りして、笑われ方が嫌になって、投げ出す未来。
だから、逃げずに「好き」を置いた。
「本の紹介。」
皆藤の眉が少しだけ上がる。
「……お前らしいな。」
「一回一冊。あらすじと見どころと、感想。今話題の本もやるし、昔から好きなやつもやる。」
「地味だな。」
「地味でいい。俺、地味が個性なんで。」
皆藤は鼻で笑ったが、その笑い方は否定ではなかった。
撮影場所は、事務所だった。背景は白い壁。照明も、安いリングライト一つ。カメラとマイクと一緒に、皆藤が用意してくれた。
画面に映る自分の顔が、思ったよりも頼りなかった。曲がりなりにも、テレビに出ているのに、素人みたいだった。
それでも、輝幸は話し始めると、少しだけ呼吸が戻った。
「今日は、この一冊です。」
本の紹介は、不思議な安心があった。
ボケを待つ必要がない。空気の流れを読む必要もない。順序がある。言葉を組み立てれば、ちゃんと届く。「文章を整える癖」が、ここでは武器になった。
一本目。
再生数は、笑えるほど少なかった。コメントも、ほとんど付かない。たまに付いても「声が暗い」「寝る前にちょうどいい」など、コンテンツや輝幸本人を馬鹿にするような内容だった。だが、輝幸はそれを見ても、取り乱さなかった。最初からうまくいかないのは、想定内だった。
二本目、三本目。
話題の新刊も取り上げた。昔読んで擦り切れるほど好きだった冒険小説も取り上げた。恋愛小説も、哲学書も、エッセイも、ジャンルはばらばらだった。彼の読書人生がそうだったから、自然にそうなった。
大学時代も、芸人になってからも、読書だけは辞めなかった。一日一冊。馬鹿みたいなペースだとよく言われる。だが、幼い頃から膨大な量を読んできた彼の読書速度は並ではなく、文庫本なら一冊を一時間ほどで読み切ってしまうこともある。読書を続けたのは、好きだから、というのはもちろんある。でも、それだけじゃない。大学で、綾子に言われた言葉。輝幸のツッコミを「表現が多彩だ」とほめてくれた。そして、それは「読書の影響」だと。あの言葉が、妙に胸に残っていた。誰でもない、綾子からもらった肯定の言葉だからだ。だから彼は読書を続けた。
――自分の言葉が鈍らないように
――自分の価値が消えないように
YouTubeの再生数は、その後も、爆発的には伸びなかった。だが、ネタには困らなかった。何より、好きな本のことを語るその時間は、今の輝幸にとって、数少ない、「楽しくやれる仕事」だった。
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