停滞
準決勝が終わったあと、時間の流れは加速した。キングオブマンザイまでは、静かだった皆藤のスマホが、昼夜を問わず震えるようになった。電話のほとんどは、綾子へのオファーだった。お昼の情報番組、深夜のバラエティ番組、トーク番組のひな壇。内容は雑多であったが、数は確実に増えていた。個人事務所という異質さと、女性芸人としてのセンス、そしてキングオブマンザイでの実績。世間は、綾子を次の時代のお笑いを担うかもしれない若手カリスマ芸人として扱い始めた。
綾子は、バラエティー番組の場でも結果を出した。トークを振られれば、エッジのきいたエピソードで場を沸かせ、いじられても機転の利いた返しで、笑いにする。自分の過去の恋愛や、あざとさ、ヒステリックな部分やセクシャルな部分など、多くの女性がこれまで口に出さなかった内容までも、進んでネタとして差し出した。テレビの画面の中で、彼女は軽やかに呼吸していた。収録が終わるたび、スタッフの誰かが「使いやすい」「頭がいい」と囁く。その評価は、綾子に次々と仕事を連れてきた。
一方、輝幸は、たまに綾子のバーターで同じ現場に呼ばれても、綾子とは別の時間を生きているようだった。ひな壇に座ると、言葉が遠くなる。自分の番がいつ回ってくるのか、回ってきたときに応えられるか。その不安で、身体が固まる。振られても、頭が真っ白になり、反応が遅れる。いつもは降ってくるように浮かぶ言葉を、必死で手繰り寄せようとするが、見つかるのは、ほとんどが凡庸な言葉だった。平場では、彼の多彩なツッコミは鳴りを潜めた。
「大丈夫?」
収録後の廊下で、綾子が声をかけた。少し心配そうな顔だった。
「……平場で、言葉がうまくでてこなくて。」
「わかってる。」
彼女はあっさり言った。
「ネタづくりのときとか、いいツッコミ出てるんだけどね。」
それが慰めにならないことを、綾子もわかっていた。テレビはネタだけでない。平場で結果を残せるか、芸人がこの世界で認められるには、それが試される。だが、そこに、今の輝幸の居場所はなかった。
仕事の量は、目に見えて差がついた。キングオブマンザイ前には空白が目立っていた事務所のホワイトボードの綾子の欄は埋まり、輝幸の欄はいまだに空白が目立った。皆藤は、輝幸になるべく綾子との差を感じさせないように調整したが、限界はあった。
「ナカジ、焦らなくていい。」
ある夜、皆藤が事務所で言った。
「今は流れが綾子に行ってるだけだ。お前の時代がきっとくる。」
「……そうでしょうか。」
輝幸は、この状況がいずれ変わることを、イメージできなかった。
輝幸は、次第に現実から目を逸らすようになった。キングオブマンザイを見ていたファンの女性から輝幸のSNSに連絡が来ることが増えた。最初は軽い食事だけのつもりが、流れで部屋に行くこともあった。彼女たちは、テレビで見た彼をそのまま持ち込んでくる。おもしろい、頭がよさそう、優しそう。そう言われると、少しだけ安心した。何者かでいられる時間が、そこにはあった。
朝になると、自己嫌悪する。するのに、夜になるとまた同じことを繰り返す。逃げているとわかっていても、逃げる先があるうちは、戻れなかった。
綾子は、忙しさの中で、その変化に気づいていた。
輝幸の遅刻が増え、連絡をしても返信が遅れる。
打ち合わせの席で、どこか上の空。
ネタづくりのときも、以前ほど踏み込んでこない。
「最近、ちゃんとネタのツッコミ考えてる?」
ある日、事務所で二人きりになったとき、彼女は問いかけた。
「考えてるよ。」
反射的に答えたが、声に強さはなかった。
「考えてる顔じゃない。」
綾子は椅子に腰を下ろし、腕を組んだ。
「ナカジ、大学時代と同じ。また、逃げてる。」
その言葉に、胸がざわついた。
「そんなこと……」
「ある。」
綾子は、きっぱりと言い切る。
「平場が怖いのはわかる。でも、だからって逃げていい理由にはならない。」
正論だった。
正論だから、刺さる。
「俺だって、好きで逃げてるわけじゃない。」
声が、少しだけ荒れた。
「平場だとどうしても、ツッコミが浮かんでこないんだ。」
ようやく絞り出した言葉は、情けないほど単純だった。
「自信がないからだよ。自信は、がむしゃらに努力すれば、後からついてくる。」
「それは、できる人の言い分だよ。」
綾子の眉が、わずかに動いた。
「できるできないじゃない。やるかやらないか。」
二人の間に、沈黙が落ちた。忙しさの中で溜まっていた苛立ちが、少しずつ形を持ち始める。
「それにさ。」
綾子は続けた。
「ファンに手を出すの、やめて」
その一言で、空気が変わった。
「……誰から聞いたんだ?」
「聞かなくてもわかる。」
彼女の声は低かった。
怒りというより、失望に近い。
「コンビを組む時、約束したよね?」
「あのときとは違う。飲み歩いてるわけじゃない。」
思わず、突き放すような言い方になった。
「おんなじだよ。女性に逃げてる。」
綾子は立ち上がった。
「ナカジが問題を起こしたら、全部に影響出る。」
輝幸は、その言葉は、副社長としての言葉だと感じた。
相方としての温度は、そこにはなかった。
その事実が、輝幸の心を冷やした。
「……わかった。」
それ以上、言葉は続かなかった。
その夜、輝幸は家で一人、酒を飲んだ。テレビをつけ、ザッピングすると、綾子が出演している番組が放送されていた。彼女は、楽しそうに笑い、切り返し、笑いを起こしている。画面の中の彼女は、もう自分の知っている距離にはいなかった。
スマホが震え、知らないアカウントからDMが届く。ファンの女性だった。今から会えないか、と。彼は一瞬迷い、そして返信した。「会える。」と。
会話は浅く、身体は近い。相手の体温に触れている間だけ、思考が止まる。止まることが、救いだった。
翌朝、事務所に行くと、皆藤が難しい顔をしていた。
「綾子、相当疲れてる。」
「……俺のせいだと言いたいんですか?」
「全部じゃない。でも、一因ではある。」
皆藤は、輝幸の目を見て答えた。
輝幸は、何も言えなかった。否定したくても、否定できなかった。
ただでさえ、You tubeの企画や単独ライブのネタなど、そのほとんどを考えていた彼女に、次から次にオファーがあり、輝幸はそのバーターで呼ばれるだけ。輝幸は皆藤の言葉に、自分のふがいなさを突きつけられたように感じた。
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