自立
キングオブマンザイ予選当日。
会場に入った瞬間、空気が違った。楽屋には、既に大勢の芸人が集まっていた。スーツ姿の者、カジュアルな服装の者、奇抜な衣装を身に着けた者。ごく一部、輝幸がTVで見かけたことがある顔もあったが、そのほとんどは知らない顔だった。あるも者は相方と壁に向かってネタ合わせし、ある者は、無言で台本を読み、ある者は宙を見つめて考え込んでいた。誰もが、平静を装っているが、空気は張りつめていた。
輝幸は、喉の奥が乾くのを感じていた。
「大丈夫。」
自分に言い聞かせるが、どうしても自信の無さが、顔を出す。
「空気が重いね。」
綾子が、小さく言った。
「うん……」
返事をしながら、輝幸は自分の心臓がうるさく拍動するのを感じていた。
予選の舞台に立った瞬間、輝幸の視界が狭まった。照明が強く、客席の表情はよく見えない。ネタが始まると、時間の感覚が歪んだ。ウケているのか、いないのか。笑い声が遅れて届く。綾子の声だけが、はっきりと聞こえる。ツッコミを入れるたび、頭の中で「練習通りできたか?」と疑念が浮かぶ。考えた瞬間、次の台詞が迫ってくる。
ネタが終わって舞台を下りたとき、輝幸は、シャツが汗でビッショリ濡れていることに気づいた。
―—結果発表
次に進むコンビの名前が、ランダムに呼ばれていく。輝幸には、呼ばれない時間が、異様に長く感じられた。名前が呼ばれなかったときのことを、頭が勝手に想像し始める。
「アペリオ」
輝幸達のコンビ名が呼ばれたが、頭が理解するまでに、数秒かかった。
「……通った?」
「通ったね。」
綾子は、冷静に言った。
輝幸は、喜びよりも先に安堵が来た。
準々決勝は、それまでとは明らかにステージの格が違った。
照明、カメラ、観客の密度。「期待されている」空気。楽屋で、輝幸は自分の手が震えているのを見つめていた。
「緊張してる?」
綾子が聞く。
「……してるよ。」
「覚えてる?‥‥敗退したっていいじゃない。カッコいい漫才をしよう。」
綾子は微笑んで、言った。
輝幸は、手の震えが、少し小さくなったのを感じた。
準々決勝では、輝幸は、予選の時より観客の反応を感じることができた。
笑いが、前より大きく感じられる。
舞台を降りたとき、輝幸は確信めいた感覚を持っていた。
「今のは、悪くなかった。」
――結果発表
「アペリオ」
自分たちのコンビ名が呼ばれるのを聞いた瞬間、輝幸の頭は一瞬真っ白になり、そのあと、喜びと興奮が湧き上がってくるのを感じた。
準々決勝のあと、事務所に取材や、TV出演のオファーの連絡が数件あり、事務所は、にわかに活気を帯びてきた。対照的に、輝幸の気持ちはどんどん重くなった。高まる周囲の期待、「綾子の足を引っ張れない」という気持ちがプレッシャーになる。輝幸は、高校時代のように、何かに逃げ込みたくなったが、父の顔、綾子の顔、皆藤の顔が脳裏をよぎり、「やるしかない。」と踏みとどまった。準決勝が近付くと、輝幸は、夜ベッドに入っても、ネタの一行一行が、頭の中で再生され、寝られなくなった。
――準決勝当日
出番を待つ舞台袖で、綾子はいつもより静かだった。
輝幸は、綾子にしては珍しく、緊張しているのかと思い、
「……大丈夫?」
と、綾子に声を掛けた。
「うん。」
短い返事だったが、声は落ち着いていた。
ネタが始まる。
輝幸の心配をよそに、綾子のボケは、鋭かった。
観客の反応を恐れていない。
迷いがない。
輝幸は、その背中を追いながら、必死に食らいついた。
輝幸がツッコんだ瞬間、客席から大きな笑い声が起きた。
舞台を降りたとき、綾子は一瞬だけ、深く息を吐いて、輝幸に聞いた。
「……どうだった?」
「わからない。でも。」
「うん。」
「逃げずに、やりきれた。」
綾子は、少しだけ笑った。
――結果は、準決勝敗退
彼らにとって、準決勝は通過点であり、目指す場所ではなかった。
だが、彼らに残ったのは、ただの敗北ではなかった。
輝幸にとって、逃げ場だったはずのお笑いは、もう逃げ場ではない。
輝幸は、自分の足で、その場所に立っていた。
輝幸の才能が開花するのを見届けたい方。
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