説得
綾子を呼び出したのは、大学近くの喫茶店だった。昼間でも薄暗く、店内も比較的広く、落ち着いて話しができる店だ。綾子は約束の時間ちょうどに現れた。しばらくぶりに見た彼女は、ますます活き活きとしているように見えた。
「はじめてだね。ナカジが私を呼び出すなんて。」
「……時間、ありがとう。」
彼は、回りくどい前置きを省いた。
「俺とコンビを組んでほしい。」
綾子は、一瞬だけ目を見開き、それからすぐに表情を戻した。
「急だね。」
「急じゃない。俺の中では、ずっと前から考えていたんだ。」
嘘ではなかった。空想したことはあった。ただ、巨大な劣等感に押しつぶされて、口に出せなかっただけだ。
「卒業したあと、三年で結果出さなきゃいけないんだ。」
父との約束を、彼はそのまま伝えた。
話しながら、自分の置かれている状況を、改めて自覚する。
「アヤコとじゃなきゃ、無理だと思ってる。」
綾子は、しばらく黙っていた。
指でカップの縁をなぞりながら、視線を落とす。
「正直に言うね。」
やがて、彼女は顔を上げた。
「わかっているの?私が大学で積み上げてきた結果を?この3年であなたは何の結果を残したの?」
「それは‥‥」
最も言われたくないことを言われ、輝幸は言葉に詰まったが、それでもそこで、引くわけにはいかなかった。
「残していない。でも、俺がアヤコのボケを一番活かせると思ってる。」
断言した輝幸が意外だったのか、綾子は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに真剣な表情をして、黙った。
長い沈黙のあと、綾子は口をひらいた。
「いいよ。」
輝幸の顔が喜びを表しかけると、
「ただし。」
と、綾子が続けた。
「はい。」
「お試しって感じね。ちょうど、これまでメインで組んでた子が就職するから、他をあたるか、ピンでやるか迷ってたとこだから。」
「…ありがとう。お試しでも、嬉しいよ。正直、圭介と組むのかと思ってた。」
「圭介?あー、ないない。圭介にはセンスの良いツッコミをする相方がいるし、ダブルボケは、企画的にやるのは楽しいけど、メインでやっていくつもりはないよ。」
「そうか。」
「ただ、ナカジのツッコミはいいセンスしてると思うけど、ほかは全部ダメ。」
その言葉は厳しかったが、正確に輝幸を現していた。
「まず、合コンに行くのはもうやめて。今の芸能界は、何かあれば、すぐに干されて終わる。」
痛いところを、ストレートに突いてくる。
「やめます。」
即答だった。
事実、一歩踏み出すことを決意した輝幸には、薄っぺらい女性関係は、これまでのめり込んでいたのが不思議なくらいどうでもよいものに見えていた。
綾子は表情をくずし、ふっと笑った。
「じゃぁ、しょうがないから、組んであげる。」
その言い方が、彼女なりの照れ隠しだと、輝幸にはわかった。
綾子の方も、迷っていたのは、相方の件だけではなかった。
綾子には既に複数の芸能プロダクションからのオファーがあったが、彼女は、そのどれにも閉塞感を感じていた。
古い慣習、縦の関係、制限の多さ。もっと自由に、自分の道を歩んでいきたい。
彼女の中には、そういう類の欲求が強く存在していた。
「だったらさ。」
綾子は、コーヒーを一口飲んでから言った。
「自分たちでやらない?」
「……自分たちで?」
「個人事務所。まぁ、大変だとは思うけど。」
その発想は、輝幸にはなかった。
だが、考えてみれば理にかなっている。
大手に入って、養成所からコツコツ積み上げている時間は、輝幸にはない。
「わかった。やろう。」
「よし。決まり!」
「でも、そうなると、俺たちだけじゃ厳しくないか?」
「そうねぇ。私が社長になる手もあるけど、私は思う存分プレイヤーをやりたいのよね。」
輝幸の脳裏に、一人の顔が浮かんだ。
KO道場をまとめていた男。
プレイヤーとしては、大きな結果を残さず、一年前に卒業していったが、誰よりも全体を見ていた。
「皆藤さん。」
綾子も、すぐに頷いた。
「うん。あの人しかいない。」
「でも、あの人、確か、大手商社に入ったんじゃなかった?こんな賭けにのってくれるかな?」
「まぁ、なんとかなるんじゃない?当たって砕けろよ。」
そういうと、綾子は拳を握りしめた。
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