楽園
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中島輝幸にとって、本の中は楽園だった。父親である中島政義は大企業の社長で、家には空気のように「正解」があった。成績は順位で示され、努力は結果でしか評価されない。父の言うことに反論すれば叱責され、従えば無言の肯定が与えられた。その肯定は愛情の代替物で、愛情は常に条件付きだった。しかし、輝幸が恐れていたのは、父の叱責に潜む「怒り」よりも「失望」だった。父の期待に応えられない日々が続き、父の「怒り」がいつ「失望」に変わるか、それを無意識に恐れていた。そんな漠然とした恐怖から逃げるように輝幸は本の世界に入り込んだ。言いようのない不安が輝幸の日常を灰色に埋め尽くすなか、本の世界は鮮やかに色づいていた。ライトノベルの中で彼は、仲間たちと胸躍る冒険に出かけ、恋愛小説のなかで彼は、学園のアイドルと運命的な恋をした。歴史小説のなかで彼は、偉人達の活躍に胸を躍らせ、哲学書の中で彼は、人生の意味に思いを巡らせた。学校帰りの電車で、寝る前のベッドで、本を読む時間だけが、彼が唯一生きている喜びを感じる時間だった。
一浪して臨んだ第一志望の国立T大の合格を果たせなかった夜、父の「怒り」はついに「失望」に変わった。父に不合格の結果を報告したとき、輝幸は、いつものような叱責がくるのを床を見ながら待ったが、それは、やってこなかった。父は大きくため息をついた後、ひとこと「そうか」とつぶやいた。驚いて輝幸は顔を上げ、父の顔を見た。そして、その表情から、自分が父にとって怒る価値のない存在になったことを知った。
自分の部屋に戻ると輝幸はベッドにもぐりこみ、擦り切れたお気に入りの冒険小説を開いた。絶望は物語の行間に溶けていき、輝幸は知らぬ間に眠っていた。




