第20話 制度の終わり
儀式場は、かつてないほど厳重だった。
幾重にも重ねられた封印陣。
床に刻まれた固定紋。
天井から垂れる拘束具。
それは、祈りのための場ではない。
管理のための檻だった。
リーシェは、その中央に立たされていた。
白い法衣は、聖女の象徴であると同時に、
媒介を固定するための装置でもある。
「これより、強制固定の儀を執り行う」
セリスの声が、場に響く。
感情はない。
ためらいもない。
「聖女リーシェ・アルノートは、
再び祈りの集約点となる」
神官たちが、詠唱を始める。
紋章が光る。
空気が、重くなる。
胸の奥が、ざわついた。
だが――
引き抜かれる感覚は、ない。
代わりに、抵抗が生まれている。
祈りが、集まらない。
「……反応が弱い」
誰かが、焦った声を出す。
「聖女、集中しろ!」
怒号。
リーシェは、ゆっくりと顔を上げた。
「……できません」
静かな声。
「私は、もう“集める場所”じゃない」
セリスが、一歩踏み出す。
「君が拒んでも、儀式は進む」
「それは、奪うということです」
リーシェは、はっきりと言った。
「祈りは、返され始めています」
紋章が、軋む。
無理やり引き寄せようとする力と、
散らばろうとする流れが衝突する。
その瞬間――
儀式場を満たしていた緊張が、ゆっくりとほどけていく。
誰も、声を上げなかった。
勝利を宣言する者も、敗北を嘆く者もいない。
ただ一つ、はっきりしていることがあった。
――もう、戻れない。
祈りを一人に押し付ける仕組みは、
今日この場で、終わった。
リーシェは、拘束具から解放され、床に膝をついた。
息を吸う。
自分の呼吸が、ちゃんと自分のものとして返ってくる。
奇跡は起きていない。
世界は、完全には救われていない。
それでも。
誰かが壊れることで保たれる均衡は、
もう存在しなかった。
セリスは、長い沈黙の末、静かに言った。
「……聖女制度は、ここまでだ」
それは、敗北宣言ではなかった。
責任を引き受けるための言葉だった。
リーシェは、顔を上げる。
自分は、聖女ではない。
英雄でも、救済者でもない。
ただ、祈らなかった人間だ。
奪われる形の祈りを、拒んだだけだ。
その結果、
祈りは、奇跡としてではなく、
人の行為として世界に戻った。
弱く、不完全で、保証のない形で。
だが、だからこそ。
誰のものでもなく、
誰か一人を犠牲にする必要もない。
祈りは、ここにある。
特別な存在を通さなくても。
リーシェは、ゆっくりと立ち上がった。
もう、祈れと言われることはない。
祈らなかったことを、責められることもない。
世界は、これからも揺れるだろう。
救われない日も、間違える日もある。
それでも、人は選び続ける。
誰かのために、
何かを差し出すかどうかを。
それが、祈りだと知らないままに。
祈れない聖女は、
最後まで祈らなかった。
そしてその沈黙が、
世界に、祈りを返した。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
この物語は、
「誰かが代わりに背負うことで成り立つ世界は、正しいのか」
という問いから始まりました。
祈り、奇跡、聖女。
どれも本来は、希望や救いの象徴だったはずです。
けれど、それが“制度”になったとき、
いつの間にか、誰か一人を消耗させる仕組みに変わってしまう。
リーシェは、世界を救おうとしたわけではありません。
ただ、「壊れたくない」と思っただけです。
そして、その小さな拒否が、
結果として祈りを人の手に戻しました。
この物語に、完全な答えはありません。
奇跡は弱くなり、救われない人もいるでしょう。
それでも、人が自分で選び、手を差し出す世界を
「間違いだ」とは書きたくありませんでした。
祈りとは、
願いではなく、
奇跡でもなく、
誰かのために何かを差し出す行為なのかもしれない。
そう感じていただけたなら、
この物語は役目を果たせたのだと思います。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。




