第10話 知ってしまった寿命
禁書庫の空気は、今日も変わらず重かった。
埃と紙の匂い。
時間が堆積したような静けさ。
リーシェは、老司書の前に座っていた。
机の上には、例の帳簿が開かれている。
「……ここまでが、私の前にいた聖女たち」
老司書は淡々とした声で言った。
「そして、その先はない」
リーシェは、ページの端を指で押さえた。
めくっても、めくっても、白い。
「消えたんですね」
「消えた」
否定しようのない事実だった。
「正確に言えば、“役目を終えた”」
その言い換えが、ひどく残酷に思えた。
「役目を終えたら……どうなるんですか」
老司書は、すぐには答えなかった。
しばらく沈黙し、それから言った。
「人によって違う」
リーシェは顔を上げる。
「感情が先に壊れる者もいれば、記憶が消える者もいる。
最後まで残るのは――」
「……何ですか」
「祈りに反応する機能だけだ」
胸の奥が、ひやりと冷える。
それは“生きている”とは言えない。
「神殿は、それを知っているんですか」
リーシェの声は、思ったよりも落ち着いていた。
老司書は、ゆっくりと頷いた。
「当然だ」
当然。
その言葉で、すべてが決まった。
「……じゃあ」
リーシェは、静かに続ける。
「私がここにいるのは、最初から――」
「終わりを前提にした配置だ」
老司書は遮らず、はっきりと言った。
否定も、慰めもない。
事実だけ。
「いつまで……持つんですか」
今度は、喉が少しだけ詰まった。
老司書は、帳簿を閉じる。
「まだ分からん」
だが、と付け加える。
「巡行の様子を見る限り、長くはない」
リーシェは、息を吐いた。
恐怖はなかった。
驚きも、なかった。
ただ――納得してしまった。
胸の奥の空白。
削られていく感覚。
あれは、気のせいではなかったのだ。
「……不思議ですね」
ぽつりと、言葉が零れる。
「もっと怖くなると思ってました」
「怖くないのか」
「怖いです」
即答だった。
「でも……」
リーシェは、自分の手を見た。
「最初から、そうなる前提で扱われてきたなら」
少しだけ、唇を噛む。
「今さら、驚く理由がない」
老司書は、何も言わなかった。
それが、この場での誠実さだった。
禁書庫を出ると、廊下の向こうに人影があった。
アルヴェルトだ。
「……ここにいたのか」
「はい」
短い沈黙。
彼は、リーシェの表情を見て、何かを察したようだった。
「……知ったな」
リーシェは、隠さなかった。
「私、長く生きられないそうです」
アルヴェルトの表情が、わずかに歪む。
「誰に聞いた」
「知ってる人からです」
それで十分だった。
「……どれくらいだ」
「分かりません」
リーシェは、正直に答えた。
「でも、終わりは決まっているみたいです」
アルヴェルトは、拳を握った。
「そんな話、受け入れる必要はない」
強い声。
「拒否できる」
リーシェは、首を振った。
「拒否したら、世界が壊れます」
「……それでもだ」
「それでも」
リーシェは、彼を見た。
「私は、消える前提で生きることを選ばされた」
少し、間を置いて。
「でも」
言葉が、初めて自然に出てきた。
「それでも――生きたい、と思ってしまったんです」
アルヴェルトの目が、揺れる。
「おかしいですよね」
リーシェは、かすかに笑った。
「聖女なのに」
「……おかしくない」
彼は、低く言った。
「それは、人間だ」
その言葉が、胸に落ちた。
生きたい。
それは、祈りではない。
願いですらない。
ただの、本能だ。
リーシェは、その感覚を否定しなかった。
知ってしまった寿命。
知ってしまった結末。
それでも。
生きたいと思った瞬間から、
彼女は“消耗品”ではなくなった。
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