第1話 祈りが届かない日
祈れば奇跡が起きる――
そんな世界で、祈りは少しずつ力を失っていました。
この物語は、
祈りを信じない少女が「聖女」と呼ばれてしまうところから始まります。
奇跡も、信仰も、確かな答えもない中で、
それでも人は誰かを救おうとする。
静かで、少し苦くて、
けれど確かに「人の物語」です。
※バトルより心理描写寄りです。
合う方だけ、そっと読んでいただければ嬉しいです。
その日、村の空は不自然なほど澄んでいた。
雲ひとつなく、風もなく、まるで世界が息を止めているようだった。
神殿の前には人だかりができていた。誰もが声を潜め、けれど視線だけは一点に集まっている。石畳の中央、粗末な寝台の上で、ひとりの少年が横たわっていた。
胸が上下するたび、かすかな音が漏れる。息は浅く、弱い。
――長くはもたない。
誰もがそう理解していた。
神官が祈りの言葉を唱えている。古くから伝わる、癒やしの聖句。
村人たちはそれに合わせるように、両手を組み、頭を垂れた。
「どうか……どうかお救いください……」
震える声。嗚咽。
必死さが、空気を重くする。
その輪の外で、リーシェは一人、壁にもたれてそれを眺めていた。
祈らなかった。
祈れなかった。
祈りが、嫌いだったわけではない。
ただ、信じられなかった。
――祈っても、救われないことを知っている。
神官の声が高まり、聖具が淡く光る。
村人たちの顔に、わずかな希望が浮かんだ。
けれど、光は途中で揺らぎ、やがて霧散した。
何も起きない。
沈黙が落ちた。
神官の顔が青ざめる。
村人の誰かが、喉の奥で声を詰まらせた。
少年の胸は、もうほとんど動いていなかった。
「……そんな……」
祈りは、届かなかった。
誰も責める言葉を口にしなかった。
けれど、空気は確かに変わった。
――まただ。
リーシェは思う。
最近、こういうことが増えた。
奇跡が、途中で止まる。
祈りが、形にならない。
それでも人は祈る。
他に縋るものがないから。
「……」
少年の母親が、静かに泣き崩れた。
誰も彼女に近づけない。
リーシェは視線を逸らした。
見続ける資格が、自分にはない気がした。
祈らない者は、救いの場に立ってはいけない。
そんな無言の線が、いつの間にか引かれている。
そのときだった。
胸の奥が、ひどくざわついた。
理由は分からない。
痛みでも、恐怖でもない。
ただ――空白。
何かが、ぽっかりと抜け落ちたような感覚。
リーシェは思わず、寝台の方を見た。
少年の身体から、何かが離れていく。
目に見えないはずのそれを、彼女はなぜか「理解」してしまった。
――ああ。
終わる。
次の瞬間、少年の胸が完全に止まった。
泣き声が、遅れて広がる。
祈りの場は、ただの別れの場へと変わった。
神官は唇を噛み、何も言えずに立ち尽くしている。
リーシェは、その場を離れた。
足が自然に動いたわけではない。
ここにいれば、自分も祈らなければならない気がしたから。
――祈れない。
それが、彼女の中で確かな事実だった。
村の外れ、小さな丘に出ると、風が吹いた。
遅すぎる風だった。
リーシェは空を見上げる。
「……祈りって、何なんだろう」
答えはない。
神は沈黙している。
世界も、同じように。
それでも、どこかで奇妙な予感があった。
今日の出来事は、終わりではない。
始まりでもない。
ただ――
自分が、何かに巻き込まれていく前触れ。
胸の奥の空白が、まだ消えない。
リーシェは知らなかった。
その空白こそが、彼女を聖女にする“器”であることを。
そして、祈れない彼女が、
この世界で最も祈りに近い存在になることを。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
第1話は、
「祈りが届かない世界」と
「祈らない主人公」を描くための導入回です。
次話から、
なぜ彼女が“選ばれてしまうのか”、
そして聖女という存在の歪さが少しずつ見えてきます。
派手な展開はゆっくりですが、
その分、積み重ねを大切にしています。
よろしければ、ブックマークをして続きをお待ちいただけると嬉しいです。




