婚約者が女友達と浮気をしていたので見限ったら命の恩人の騎士団長さまに拾われました
私――エリューシア・アレントの婚約者であるアレク・ラングラーには、誰よりも大事にしている女性がいる。
もともとアレクは両親が社交場で見付けて来た相手だ。二人はアレクをいたく気に入り、その場で勝手に縁談を決めてきた。彼が三男で婿入りしてくれるというのも大きかったのだろう。
そんなアレクが今日も大事な女性を連れて、うちの屋敷に来ていたのだが――。
「おっ、これいいじゃん。もーらい!」
「え〜ずるーい! じゃあ、私もこれ貰っちゃおっと!」
「な、何をしているのですか!?」
アレクは父のお気に入りの花瓶を手に持ち、女性……ヴァニさんは母の大切にしている茶器を持って、はしゃいで持ち帰ろうとしている。
「それは、両親の大切にしている物です。すぐに元の場所に戻してください!」
「はぁ~? 別にいいだろ。婿入りしたら全部がオレの物になるんだし! ヴァニも好きなの持っていけよ」
「わぁい! じゃあ、このランプとそっち絵も欲しいなぁ〜!」
「泥棒のような真似は止めてください!」
私の言葉に二人は、ケチだのつまらない女だの言いながら屋敷を出て行ってしまった。
あの二人は、何をしにきたのだろうか……。
いえ、そもそも婿入りしたら全部自分の物になるとはどういう意味なのだろう……。
まさか、ご自分がこの家の当主になるおつもりだとか……? いや、そんな勘違いするはずないと私は何度も頭を振るのだった。
「……お姉さま、大丈夫ですか?」
彼らが帰ったあと、妹のルーナに声を掛けられる。
「……ルーナ。ごめんなさいね、騒がしくしてしまって」
「それはいいの。それよりも、お姉さまは大丈夫なの?」
「ええ、私は大丈夫よ。心配してくれてありがとう」
私はルーナを優しく抱きしめると、静かに息を吐くのであった。
◇
――数日後。
呼び出されて街まで向かうと、その日はヴァニさんは一緒ではなかった。珍しいと思いつつ人気の雑貨屋に連れて行かれる。
「どれがいい?」
「……え?」
これは、もしかして……私にプレゼントを買ってくれるということなのだろうか?
思いもよらない出来事に、目を丸くする。
「……アレク、私の誕生日を知っていたのですか?」
「……え?」
「……え?」
「あ、あ~……えっと……お前の誕生日って、いつだっけ?」
「明後日ですが……」
「あ~……ヴァニの誕生日の翌日かぁ〜……」
ああ、そういう……。つまりこれは、私ではなくヴァニさんへのプレゼントを選ばされているのですね。
「お前には、また今度な! 何か買っておいてやるから」
ご自分は先月のお誕生日に高い懐中時計を強請っておいて、これですか……。
私は呆れて、ため息を吐く。
ヴァニさんへのプレゼントは、お店の人に一番人気の商品を聞いてそれを購入したのだが、何故か支払いをしたのは私であった。
「今、金欠なんだよ。けどヴァニの誕生日に何もしないなんて、有り得ないだろ?」
――婚約者に、他の女性の誕生日プレゼントを買わせる方が有り得ないと思うのですが?
「ま、助かったわ。じゃあな〜!」
そう言って、軽い足取りで去って行くアレク。
「……こんなことのために、私は呼び出されたのね」
私は、虚しさを抱えながら屋敷へと帰るのだった。
◇
――そんな日々が続いたある日。
その日はアレクと食事の予定だったが、当然のようにヴァニさんも一緒に来ていた。
「あのお店に一度でいいから行ってみたかったの〜! ヴァニ嬉しい〜!」
「予約取るの大変だったんだんだぞ〜!」
「ありがとう、アレク! だ〜い好き!」
「あはは、よせよ!」
私は、何を見せられているのでしょうか? あと予約を取ったのは私で、あなたは何もしていないでしょうに……。
アレクが言うには、彼にとってヴァニさんはただの友人らしい。幼いころから仲が良く、いつも一緒なのだとか……なので私が勘繰ったり、二人の関係に口を挟もうとすると「いやらしい」だとか「浅ましい」などと言われしまう始末。
ため息を吐いて、薄暗い空を見上げる。
いっそのこと、このまま帰ってしまおうかと考えていた時――。
「あ、ここのお店見て行きたい〜!」
「お、いいじゃん。行こうぜ」
突然、宝石店に入って行く二人。こんな高級店に何の用があるというのだろう……冷やかしだろうか? まさか、また私に何か買わせる気なのだろうか? だとしても、そんな持ち合わせなどありはしないが。小さく息を吐くと二人に続いて店へと入って行く。
中に入ると、さすがは高級店。何もかもが綺羅びやかで洗練されている。
二人はすぐ側で、きゃっきやっと楽しそうに店内を物色していた。
「……はぁ……早く帰りたい……」
私が小さく呟いた時、誰かにどんっと背中を押されてよろめく。
「……なっ……」
「全員、動くなっ!!」
私を突き飛ばした男が、手に持っていたナイフを見せつけるように振り回す。
「――きゃああああ!!」
「な、なに!?」
「ご、強盗だ!!」
「騒ぐんじゃねぇ!!」
男は一番近くに居た私を捕まえて、首元にナイフを突き付けて来る。
「大人しくしねぇと、こいつを殺すぞ!!」
「……っ、ぁ……誰か……」
「喋るんじゃねぇ!! 死にてぇのか!!」
ビクリと身体を硬直させると、私はそっとアレクの方に視線を向けた。
ヴァニさんを守るように抱き締めていた彼と目が合うと、バツが悪そうに目を逸らされる。
「……っ……」
アレクにとって、私とは何なのでしょうか……婚約者とはいったい何なのだろうか……。
静かに目を伏せた次の瞬間、私を捕まえていた男が悲鳴を上げる。
「ぐああああああっ!!」
「――っ!?」
誰かが男の腕を捻り上げていた。男の手からナイフが落ちて、そのまま取り押さえられる。
警備の人たちが慌ててやって来ると、男を縛りあげて外へと連れ出して行った。
私は思わず、その場にぺたりと座り込んでしまう。
「君、大丈夫か?」
声を掛けられたので振り返ると、精悍な男性が私を気遣わしげに見つめていた。
艷やかな金色の髪に、凛とした緋色の目……なんて美しい人なのだろうと見入ってしまう。
「君?」
「は、はい……」
返事をしてから、先ほど男を取り押さえていたがこの男性だったことに気付く。
「あ、あの、あなたが助けてくださったんですよね? ありがとうございます」
「いや、俺はたまたま通り掛かっただけだ。それに、市民を守るのは騎士団の務めでもある」
その言葉に、この方は騎士団の人なのだと驚く。
「立てるか?」
差し出してくれた手を取ると、ゆっくり立ち上がる私を青年が支えてくれる。
「……ありがとうございます」
「あー……えっと、大丈夫か?」
私が青年にお礼を伝えていると、アレクが声を掛けて来た。
「……アレク」
「いや、その、なんていうか、ヴァニが危なかったからさ……分かるよな? だいたい、お前も怪我とかしてないし別に平気だろ? それに、か弱いヴァニの方を守るのは当然っていうか……なぁ? エリューシアなら分かってくれるだろ? お前、物分かりがいいもんな?」
つらつらと言い訳を繰り返すアレクに、嫌気が差す。
「――失礼だが、君たちの関係は?」
私が眉を顰めていると、青年が尋ねてくる。
「ああ……こちらの男性は私の婚約者で、お隣の女性は……そのご友人です……」
私の言葉に青年は目を丸くして驚く。
「友人? 君は婚約者ではなく、友人を庇ったというのか?」
「え、あ、ああ……まあ……」
居心地が悪そうに呟くアレクに、青年は呆れたように溜め息を吐く。
「犯人はそちらの女性ではなく、明らかに一人で居た彼女の方を狙っていただろう。それなのに婚約者を守ることなく、君はそちらの女性を優先させたのか?
友人の心配も分かるが、先ずは婚約者である彼女を守るべきだったのでは?」
「……そ、それは……その……」
もごもごと口を動かすアレクに、青年はもう一度大きな溜め息を吐くと、私の方へと振り向く。
「君は、こんな男が婚約者でいいのか?」
「……両親が決めた相手ですので……」
「……なるほど。君も大変だな」
「……あ……」
言葉を発しようとした時、知らない声が入ってくる。
「フェリクス騎士団長」
「なんだ?」
「お休みのところ申しわけございません。先ほどの男ですが……」
「……すぐに行く。では、俺はここで」
そう言って去って行ってしまった。
「(……フェリクス様……あの方の、お名前……)」
私が小さく息を吐くと、アレクの舌打ちが耳に入ってくる。
「チッ! 何なんだよ、あれ。感じ悪ぃな! ヴァニを守ったんだから、十分だろ」
「でも、カッコいい人だった〜!」
「は? おい、何だよそれ!」
「やだ〜冗談よ!」
そのあと、私は食事をする気にはなれず先に帰らせてもらうことにした。
後にアレクに食事代について文句を言われて、やはり私に払わせる気だったのかと、うんざりするのであった。
◇
――それから暫くして、事件は起きる。
事の発端は、私の髪の毛がアレクの上着に引っ掛かってしまったことだった。
「……っ、痛……」
「おい、何やってんだよ!」
「す、すみません……」
ボタンに絡んだ髪の毛を丁寧に解くアレク。その手つきが意外で、唖然としてしまう。
「綺麗な髪の毛なんだから、気をつけろよな」
……私のことを褒めた? アレクが?
思いもよらない出来事に目を丸くする。その時……ふと視線を感じたので振り返ると、ヴァニさんが見たことのない顔で私のことを睨み付けていた。
「……チッ」
剥き出しの悪意に、私は眉を顰める。
その日の夜、アレクの屋敷に呼ばれていた私は彼のご両親たちと食事会の予定だったのだが、ここでもヴァニさんが一緒であった。
ラングラー家の方々は悪い人たちではないのだが、彼女が同席することに何の疑問も抱かないのだろうか?
頬を引き攣らせながら食事を終えると、今日はもう遅いから泊まっていくようにと言われて、客間へと案内される。
部屋に入りベッドに腰掛けると、ほっと息を吐くいてから、髪の毛を摘んでぼんやりと見つめる。
「あの人が褒めてくれたの、初めてでしたわね……」
嬉しいとかではなく、ただただ意外であった。彼はヴァニさんしか見ていないようであったから。
「……とはいえ、あの人とこのまま結婚というのは……」
あの時の、フェリクス様の言葉を反芻する。
『君は、こんな男が婚約者でいいのか?』
「……いいわけなど……」
言いかけたところで、扉の隙間から一枚の紙が入ってくるのが見えた。
読んでみると〝一時間後に部屋に来てほしい〟と書かれていた。差出人はアレクと書かれていたが、どうにも妙だ。筆跡が彼のものにしては、女性的すぎる。
もしかしたら、これはヴァニさんが書いたものなのでは?
まあ、いい。例えそうだとしても時間が来たら行ってみようと手紙を仕舞う。
時間が来たので、客間を出てアレクの部屋へと向かうことにした。
「確か、この辺りでしたよね……」
ランプを照らしながら確認していると、灯りの漏れている部屋があり、覗いてみる。
「……アレ……」
名前を呼ぼうとした時、楽しそうな声が耳に届く。
「ねぇ、アレク。私のこと好き?」
「当たり前だろ。世界で一番好きだよ」
「エリューシアさんより?」
「なんで、あいつが出てくるんだよ。何度も言ったけど、あれはただの金蔓! 俺があの家を乗っ取ったら、さっさと別れてお前と結婚するよ」
「嬉しい〜楽しみにしてる! ねぇ早く乗っ取って私をお嫁さんにしてね?」
「もちろん! 愛してるよ、ヴァニ」
「私もよ、アレク」
二人が口付けを交わし、体を重ね始めたのを見て愕然とする。
女友達だなんてことを、信じていたわけではなかったはずだ。二人の距離はどう見たって近すぎる。ただ、口頭では友人だと言い張るから強く言えなくて……。
しかも、家を乗っ取る? なにをバカなことを……。
ああ、両親と話し合わなくては……私の話を信じてくれるだろうか? ふらふらしながら私は客間へと帰る。
客間に戻ってから暫くすると、扉をノックされたので出てみるとヴァニさんがいた。
先ほどまで、アレクと交わっていたことの分かる出で立ちに辟易する。
「さっきの、聞いた?」
「…………」
「何か言ってよぉ〜惨めな、エリューシアさん? 可哀想よねぇ、あなたはぁ一生アレクの一番にはなれないんだもの! きゃははっ!」
笑ったあと、急に表情を変えて私を睨み付けてくる。
「ちょっとアレクに褒められたからって調子に乗るなよ、ブス! あんたなんか、あのとき強盗に襲われて死ねばよかったのよ!!」
ヴァニさんは叫びながら、私の髪の毛を引っ張る。
「痛っ! 離して!!」
「きゃはははっ、ざまあみろ! バーカ!!」
最後に私の髪の毛をぐちゃぐちゃにすると、満足げに帰って行く。
私は急いで部屋の扉を閉めて、深呼吸する。
「……なんなの、あの人……なんなのよ、あの人たち……」
なぜ、私がこんな目に遭わなくはならないの? 何でこんなことになっているの?
ぐちゃぐちゃにされた髪の毛に触れると、哀しみと怒りの感情でいっぱいになる。
もう耐えるのはやめよう……こんなこと絶対に許してはならない。
私は決意すると、翌日の早朝にラングラー家を後にした。
◇
――一ヶ月後。
屋敷の客間に、両親とラングラー家の皆さんとヴァニさんが揃っていた。
「皆さん。本日は、お集まりいただきましてありがとうございます」
「なんだよ、急に呼び出して」
「ヴァニ、今日は予定があったのに〜!」
「何かあったの?」
「いい話だったりするのかな?」
私は皆さんに、にこりと微笑む。
「ええ。まずは、こちらをご覧ください」
手に持っていた書類をテーブルの上に並べる。そこには、アレクとヴァニさんの浮気の証拠がずらりと並んでいた。
「な、なんだよ、これ!?」
「これだけでは、ございません。こちらもご覧くださいな」
別の書類を取り出すと、そこにはヴァニさんが様々な男性と関係をもっている調書が並んでいた。
「なっ、なによ、これ!?」
アレクと同じ叫び声を上げるヴァニさんに笑いそうになる。
「ヴァニさん、人の男性を奪うのがご趣味だそうで。他にもいろんな男性に手を出して恨まれていらっしゃるそうですわね? 私が調べていると皆さん快く協力してくださいましたわ」
私の言葉に、その場に居た全員が顔色を変えて叫ぶ。
「なんなのよ、これは!?」
「どういうことだ!?」
「ヴァニっ! お前、浮気してたのかよ!?」
「なによこれ、なによこれ、なによこれっ!! ヴァニは知らない!! 全部ウソよッ!!」
「あら、他にも証拠はたくさんありますわよ? 何でしたら証言してくださる方をお連れしましょうか? 皆さん、喜んで来てくださると思いますわ」
「ヴァニ……ふざけんなよっ……裏切り者が!! この尻軽女!!」
「知らない知らない知らない知らない!! ヴァニは何も悪くないもん!! だいたい、アレクだって婚約者がいるじゃない! ヴァニばっかり責めないでよ!!」
「それは、お前が贅沢したいからって――」
「お黙りなさいッ!!」
私の声に言い争っていた二人が押し黙る。
小さく息を吐いてから、すっと立ち上がると全員を見渡す。
「この一ヶ月間、お二人のことを徹底的に調べ上げました。そしてアレクは、この家を乗っ取る計画まで立てていたようですわ」
「な、なんだって……?」
父が驚いて震えた声をあげる。
「婿入りしたら、ご自分はアレント家の当主になれると思っていたご様子で……この家の物は全て彼の物になると思い込んでいたようです」
「……なにをバカな……」
「ええ、バカなのでしょうね。この家を自分の物にしたら私とは離縁して、ヴァニさんとご結婚なさるおつもりのようでしたし」
「なんて愚かなことを考えていたんだ、君は……」
呆れた様子でアレクを見つめる父。たが、そんな男との婚約を取り決めてきたのはこの人だ。
「お父様の見る目も大概ではなくて?」
「は? な、なにを……」
「その愚かな男を気に入って、婿養子にしようとしていたのはお父様たちでしょう?」
「そ、それは……」
「お二人とも調子の良いことを言われて、絆されてしまったのでしょうね。昔から甘い言葉に弱かったですもの」
「…………」
ため息を吐くと、両親の隣にいるラングラー家の人たちに視線を移す。
「ラングラー家の皆様も、私という婚約者がいるのに平然と女友達なとどいう存在を同席させるなんて、あまりに配慮に欠けていらっしゃったのでは?」
急に話を振られて慌てるラングラー家の方々。
「え、そ、それは……」
「お二人の距離は友人というには近すぎでした。皆様は、お二人の関係をご存知だったのではなくて?」
「違う! 確かに疑ったことはあったが、アレクがヴァニとはそんな関係ではないと言い張っていたから、信じていた! ……だが、配慮に欠けていたことは事実だ……エリューシアさん、申し訳ない」
ここで初めて謝罪をいただき、少し目を伏せる。どうやら、この中で一番まともなのはラングラー家の人たちみたいね。
「――謝罪は受け入れます。ですが、アレク・ラングラーとの婚約は解消させていただきます。そして、アレクとヴァニのお二人には慰謝料を請求いたします」
「はあ!?」
「なんでよ!?」
「当然でしょう? 婚約者がいながら浮気をしていたんですもの。それから、家から持って行った金品も全て返していただきますので」
「はああ!? あんなの、もう全部売っちまって手元にねぇよ!!」
「あらそう。でしたら、相応の金額を支払ってもらいます。あなた方の持って行ったものは全部書き留めてありますから」
「おい、アレク! あれは、貰った物だって言ってなかったか!?」
「まさか、勝手に持って帰っていたの!?」
「そ、それは……俺の物になるからいいかなって……」
「バカ!! お前もヴァニも本物の大バカ者だ!! ……お前のようなクズはもう知らん!! 縁を切る!!」
「は!? ま、待ってくれよ、父さん!」
「話しかけるな!!」
慌てるアレクが、私に縋るような目を向けてくる。
「な、なあ……エリューシア……もうやめようぜ、こんなの。ヴァニのことは悪かったよ、だからさぁ……な?」
触れて来ようとした手を、パシンと大きな音を立てて振り払う。
「触らないでください。今更しおらしくしても意味などありませんわよ。やると決めたら、とことんやります。お覚悟なさいませ!」
「……ぁ……あ……ぁぁ……」
項垂れるアレク。ヴァニさんは忌々しそうにずっとこちらを睨み付けている。
――最悪の空気の中、アレクとヴァニはラングラー家の人たちに引き摺られるようにして帰って行った。
◇
「お姉さま、話し合いは終わったの?」
「ルーナ」
私の部屋の前で妹のルーナが待っていた。
「ええ、終わったわ。騒がしくしてごめんなさいね」
「ううん、いいの。ねぇお姉さま、この家のことは気にしなくていいのよ。いつだって、お姉さまに負担をかけて、長女だからと苦労ばかり背負わせて……あとのことは、私に任せていいから。……だから、お姉さまは自由になって?」
「……ルーナ」
「この家は私が何とかするし、両親にも厳しく言ってやるわ! 二人とも昔から私には甘いし、強く出られなじゃない? それに、今回のことで多少は反省したでしょうしね」
ルーナが私の両手を取り、きゅっと握りしめる。
「我慢してきた分、お姉さまの思うように生きて行ってほしいの」
「……ありがとう、ルーナ」
「でも、たまにでいいからお顔を見せてね? それに本当に困ったことがあれば、ちゃんと連絡は取らせてもらうから」
「ええ、もちろんよ」
こうして、私はこの家を出て行くことを決めた。
◇
その後、アレクはラングラー家が肩代わりしてくれた慰謝料等の借金を返すために鉱山行きとなった。
必死に抵抗したらしいが、親族に殴る蹴るの暴行と暴言を受け半死状態で無理やり連れて行かれたらしい。
今のところ滞りなく肩代わりした借金は支払われているそうだ。
ヴァニの方は、私以外の人たちからも訴えられてしまい、首が回らなくなって逃亡しようとしたそうだが、捕まってしまい娼館送りとなったそうだ。お給金が良い代わりに厄介な客も相手にしなくてはならないそうで、現在の彼女はアレクとはしゃいでた頃とは別人のようになってしまったと聞いた。
必死に慰謝料を支払っているようで、私への返済も今のところ遅れてはいない。
私は、アレントの家を出てこれからどうしようかと考えていた時、街の中であの方にお会いした――。
「あなたは……」
「……君は」
宝石店で強盗に襲われたときけてくれた、フェリクス様。
「お久しぶりです。あの時はありがとうございました」
「いや……それよりも随分と印象が変わったな」
私は短くなった髪の毛を少しだけ摘んで、小さく微笑む。
「はい。いろいろありまして……おかしいでしょうか?」
「そんなことは無い。その髪も似合っている」
ストレートに褒められて気恥ずかしくなり、軽く頬を押さえた。
「あの……このあと、ご予定などはあるのでしょうか?」
「特にないが……」
「よろしければ、昼食をご馳走させてもらえませんか? あの日のお礼をさせてください」
「あの日も言ったが、市民を守るのは騎士団の務めでもある。だから、気に……」
私は首を左右に振って、真っ直ぐにフェリクス様を見つめながら伝える。
「あなたが助けてくれなければ、私は今頃この世にはいなかったかもしれません……ずっと何かお礼をしたいと思っていたんです。お食事が無理でしたら、欲しいものとか……」
「……いや。そうだな、ならば昼食をご馳走になろう」
フェリクス様は、少し困ったように笑ってから食事の提案を受け入れてくれた。
「あ、ありがとうございます!」
私は深々とお辞儀をする。
お店に着くと食事をいただきながら、さまざまな話しをした。婚約を破棄したこと、浮気されていたこと、家を出たこと……私自身、誰かに胸の内を吐露したかったのだろう。思わず喋りすぎてしまったことを謝罪する。
「申し訳ございません。こんな話しをお聞かせしてしまって……」
「いや、構わない。辛かったな」
その言葉に泣きそうになってしまう。
「お心遣いありがとうございます」
「それで、家を出て今は何をしているんだ?」
「……それが、働き口を探しているのですがなかなか決まらず……慰謝料やら何やらで、何とか生活は出来ているのですが、そろそろちゃんとしないと……」
「それならば、今騎士団の食堂で従業員を募集しているが……いや、貴族令嬢にそれはないな、すまない」
フェリクス様の言葉に私は目を輝かせる。
「いえ! 私でよければ、ぜひ働かせてください!」
こうして私は騎士団の食堂で働くこととなった。
◇
「エリューシアちゃん、今日のおすすめちょうだい〜」
「俺も〜!」
「俺は、肉なら何でもいいです!」
「はぁい! すぐにお持ちしますね!」
食堂で働くのは、大変ではあるけれど楽しかった。専用の寮もあるし食事付きで至れり尽くせりである。あの家に居ては味わえない感情や出来事で満ち溢れていて、ここを紹介してもらえて本当に良かったと毎日のように感謝している。
◇
「エリューシアちゃん、可愛いよな〜」
「分かる〜。控えめだけど、いつも笑顔で癒されるよなぁ〜」
「俺、声かけちゃおうかな〜」
「やめとけ。ほら、あれ見てみろ」
「団長?」
「あ~確か、団長がここ紹介したんだっけ? なんか、いい雰囲気……俺たちの出る幕じゃないね〜」
「そういうこと」
◇
「どうだ、仕事には慣れたか?」
フェリクス様に声を掛けられて、笑顔で答える。
「はい! 皆さんお優しくて、やり甲斐もあって楽しいです。全てフェリクス様のお陰です、ありがとうございます!」
「そうか。……ちゃんと休みは貰っているのか?」
「はい、明日もお休みをいただいています。ですが何の予定もないので、こちらに出て来ようかと……」
私の言葉にフェリクス様が眉根を寄せる。
「それは良くない。休みはちゃんと休んでおけ」
「そ、そうですよね……すみません」
きつく言われてしまい、視線を下げてしまう。
フェリクス様の言う通り、休日はちゃんと休んでおくべきだ。体調管理も大事な仕事なのだと反省する。
「いや、俺の方こそ強く言ってしまったな……すまない。――明日、何も予定がないのなら、一緒に出かけないか?」
「私とですか?」
「ああ。無理にとは言わないが……」
「行きます!」
このことが切っ掛けで、休日の度にフェリクス様と出掛けるようになった。
◇
「このお店のお料理も美味しかったですね」
「ああ、だが俺は君の作った物の方が好みだな」
「え!? あ、ありがとうございます!」
フェリクス様と街で美味しいと評判のお店に来たのですが、自分の料理を褒められて気恥ずかしくなってしまう。フェリクス様は何でもストレートに言葉をくれる方で、こちらとしては嬉しいのですが、毎回心臓が持ちません。
ほう、と息を吐くと正面に誰かが立ちはだかる。驚いて顔を上げると、そこには見知った顔があった。
「……ヴァニ……さん?」
以前の彼女とは違い、やせ細り髪はぐちゃぐちゃ歯はボロボロ……目の下の窪みも酷いことになっている。
「……あんたのせいよ……」
「……は?」
「ぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜーーーーんぶ、あんたのせいよ!!!!」
ヴァニさんが大声で叫ぶ。
「あんたのせいで、こんなんなっちゃったのよ!! 見てよ、この痣! この傷跡!! こっちの骨は昨日折られたばかりよ!!」
そう言って、左手の中指と薬指を見せつけてくる。
「あんたさえいなければ、上手く行ってたのに……許さない……許さない……許さない……許さない……」
彼女の言い分に腹が立ち、口を開く。
「元はと言えば、ご自分たちが原因でしょう? 家を乗っ取る計画だとか婚約者がいるのに浮気だとか、他の男性にも手を出していた貴方の言うことですか? 責任転嫁も大概になさい!」
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいッ!!!!」
どろりとした目で、こちらを睨み付けてくるヴァニ。
「あんたなんて、あのとき強盗に襲われて死ねばよかったのよ……死に損ないのくせに……死ね死ね死ね死ね死ね死ねぇぇぇぇぇぇ!!!!」
ヴァニは隠し持っていたナイフを取り出すと、私の方へと向かってくる。
「……っ!?」
「――エリューシア!」
フェリクス様が私を庇うように前に出ると、ヴァニの腕を掴み捻り上げる。
「いだああああああい!!」
「大人しくしろ! 誰か、ロープを!」
フェリクス様の声に、近くのお店の人がロープを持って来てくれる。ヴァニの両腕を縛ると騒ぎを聞き付けた騎士団の方に引き渡した。
「エリューシア、大丈夫か? 怪我はないか?」
バクバクと音を立てている胸を押さえていると、焦った様子のフェリクス様が、気遣わしげに私を見てくる。
「……っ、ぁ……だ、大丈夫です……ありがとうございます……また、助けられちゃいましたね……」
安心させるように、へらりと笑うと彼が苦しそうな表情になる。
「こんな時に、無理に笑わなくていい」
その言葉に涙腺が緩む。
「……ぁ……っ……す、すみません……わた、し……」
涙をこぼし始めた私を、優しく抱き締めてくれるフェリクス様。
「大丈夫だ。俺が側にいるから……」
「……っ、……はい……はいっ……」
フェリクス様の背中に手を回し、ぎゅっと力を込める。
私が泣き止むまでフェリクス様は抱き締め続けてくれた。
◇
気持ちが落ち着き静かな場所へと移動すると、私は先ほどの醜態を謝罪する。
「……す、すみません。お恥ずかしいところをお見せしてしまって……」
「……いや。こちらこそ、すまない。嫁入り前の女性を抱きしめるなど……」
「そ、それは、私のためにしてくださったことですので!」
「しかし……」
難しい表情を見せるフェリクス様に、本当に真面目でお優しい方だなぁと改めて思う。
「でしたら、責任取ってくださいますか?」
私は悪戯っぽく笑う私に、フェリクス様が目を丸くする。
「なんて、冗談で……」
「俺でいいのか?」
「はい?」
「君がいいなら、責任を取ろう」
まさかの返事に、私は顔を真っ赤にして慌てふためく。
こ、こんなことってあるの? だって、まさか、そんな……。でも、でも……。
「よ、よろしくお願いします……」
こうして想いを寄せていた騎士団長さまと、お付き合いさせていただくことになりました。
◇
(おまけ)
「……夢みたいです。ずっとお慕いしていたフェリクス様と……」
「夢、か……」
小さく呟くフェリクス様。
「エリューシア」
「はい?」
名前を呼ばれたので振り向くと、ちゅっと音を立てて口付けされる。
「――っ!?」
「まだ夢みたいか?」
「……い、いえ……うぅ……フェリクス様が、こういうことをなさる方だったとは……」
意外すぎる。でも嬉しい。
「嫌か?」
「……嫌なわけないです」
「もう一度しても?」
「……! は、はい……」
私はフェリクスの唇が落ちてくるのを、静かに目を閉じて待つのだった。
◇おわり◇