第九話「薩摩という壁」(前編)
準決勝を終えた瑞鳳高校ナインに、緊張の色はなかった。
だが、グラウンドに現れた“薩摩実業”の姿を見た瞬間、空気が変わる。
隊列のように並んで歩く彼らの無言の圧力。
鋭い眼光、姿勢、歩幅さえも揃うその統制に、
観客がざわつき、空気がピリつく。
すると、木下カイの中で何かが反応した。
「……あれは……まさか」
土方歳三の声。カイの意識の奥で、その“気配”を察知していた。
「あいつら……乗ってるな。俺たちと同じく、“向こう”の連中が」
青山シンジの顔も強ばる。
「土方、誰が見えるんだ?」
「確信はないが……あの鋭い視線、重い歩調……。西郷か、それとも大久保……いや、断言はできんが、何者かがいる」
瑞鳳の他の選手たちの中でも、それぞれの憑依霊がざわつき始める。
神谷ハヤトの中の沖田総司がふと呟いた。
「これでようやく、“剣を交える”ってわけか。今度こそ、本気で斬り合えるかもな……面白くなってきた」
観客席では地元ファンが「薩摩が来たぞ……」とどよめき、
「春ベスト8の薩摩実業!今年は打撃も仕上がってるらしい」と噂する声が響く。
だが、瑞鳳ナインには、それよりも遥かに重い“何か”がのしかかっていた。
松平監督だけが静かに呟く。
「いよいよだな。これは、避けて通れない因縁だな」
試合開始。先攻は薩摩実業。
カイは、憑依霊たちのざわめきを振り払うように深呼吸し、マウンドに立つ。
初球。カイが投じたストレート。
打者は微動だにせず、見送り。
「ストライク!」
……だが、何かが違う。
相手打者は、まるで打つ気がない。なのに、その目だけは獲物を狙う獣のようだった。
「……見てるな。こっちの出方を、全部」
宮田タクマの中の山南が唸る。
「これはデータを超えている。戦場の勘か……」
初回、なんとか無失点で抑えるが、全員が確信した。
(こいつらは今までのどことも違う。何かが宿っている――)
一方、瑞鳳の攻撃。
薩摩の投手・黒木一誠。
フォームは無駄がなく、刃のような切れ味。
示現流の構えのように、鋭く、美しい。
第一球目、唸るような速球。
「ストライクッ!」
打者・青山シンジ、バットが空を切る。
その瞬間、近藤勇の魂が小さく呟く。
「……あの球筋。あいつ、斎藤利三の流派かもしれん」
青山は目を細める。
「つまり薩摩の“剣”……ああ、こりゃ簡単にはいかねぇな」
試合は一進一退。得点は動かない。
両軍の投手が魂を込めて投げる。
守備が躍動し、攻撃が跳ね返される。
“見えない戦場”がそこにあった。