第七話 友達
家を出てからしばらく走っていたが、途中で右手に持っているクッキーが心配になって足を止める。
「割れたりしてないかな、」
軽く袋を振ってみる。袋の中からはゴソゴソと音が鳴ったが、クッキーが中で割れている時に鳴るあの砂利を踏みしめたような音は聞こえなかった。ひとまず安心だ。とはいえ、これから何があるかわからない。気を付けて行こう。
それにしても、おばさんたちを心配させないようにと何か言われたら言い返してやると言ったが、正直そんなことできる気がしない。なるべく村では人に会わないようにエメットの家に向かうようにしようと心に決める。
そんなことを考えながら歩いていたら村の入り口が見えてきた。
「たしか、エメットの家はここから入って反対側の村はずれだったかな。」
ポケットからおじさんに行く前にもらった村の地図を取り出す。おじさんの手書きということもあって少し見ずらかったが、今自分がいる位置と目的地はおおまかにわかった。
「.....よし、行くか。」
周りに誰もいないことを確認しながらそっと村に入る。誰かにバレてはいけない訳じゃないが、なるべく最小限の人としか顔を合わせないようにしたほうが良いだろう。そうすれば絡まれたりしないし。
地図通りに向かっていると目の前の家の角から数人の足音と話し声が聞こえてきた。
嫌な予感がしてとっさに近くの建物にしゃがみこむ。
足音と話し声の主たちは案の定、家の角からこちらに曲がってきた。主たちの姿を確認して僕はより一層ばれないように息を止め、体を隠した。
「なあ、今日はどうする?」
「そうだな、村にいるのも飽きたし、ちょっと向こうの森の手前まで遊びに行くか。」
「いいねえ、もしかしたら前みたいに親なしと会えるかもだからな。あの辺に住んでるみたいだし。」
声の主たちは以前村に来た時、散々な目に遭わされたあの子供たちだった。しかもなぜか自分の話をしている。
「次にあいつに会ったら、俺様の必殺キックを味わわせてやるんだ。」
「それ、いいじゃん。とにかくさっさと行こうぜ。」
そう言って子供たちは走って僕が来た方向へと走っていた。
「ふぅ、」
どうやらばれずに済んだようだ。安心して止めていた息を大きく吐く。それにしても必殺キックとか恐ろしいことを言っていたな。しかも、自分の家の方へ向かっていったし。帰りにばったり会わないことを願おう。
それからもなるべく人と会わないように、人がいる場所を避けて通りながら僕は村の中を目的地へと進んだ。
村の入り口から中央の広場を挟んだ反対側の端にエメットの家はあった。
村の中でも他の家と少し離れた位置に立っていて、やや小さいような感じのする家だった。
さて、どうやって会おうか。そもそも彼女は家にいるのだろうか。とりあえず、ドアをノックしてみようかな。
そんなことを考えて家に近づこうとした時、家のドアが開いた。ドアが開くのが見えた時、僕はなぜかわからないが、さっきまでと同じように慌てて少し離れた木の裏に隠れた。
出てきたのはエメットだった。手にはバケツを持っている。どうやら水を汲みに行くようだ。
エメットは家から出て周りを見回した後、僕が隠れている木の方に向かってきた。気づかれたか。僕の焦りとは反対に彼女は何事もなく、木の前を通り過ぎていった。
「はあ、良かった.....」
いや、良かったではないだろう。そもそも自分から会いに来て、ちょうどその目的の人物がいたのに隠れるなんて。自分の行動の意味不明さに思わず頭を抱える。
一体なにがしたいんだろうか。会うのが恥ずかしいのか、はたまた緊張しているのか。多分その両方なのだろう。そんなことを考えている自分をよそにエメットはどんどん先に進んでいく。
とりあえず、僕は考えるのをやめ後ろを追いかけることにした。
水を汲みに行くエメットを後ろから一定の距離を開けて追いかけている。
普通に走って追いついて話しかければいいものの、相変わらずできないでいる。彼女も自分が後ろについてきていることに気付いていないようだった。
しばらくそのままの状態が続いたが、エメットが突然立ち止まった。僕も合わせて立ち止まる。どうやら、目的地についたようだ。彼女の目の前には井戸があった。
井戸か。自分の家には井戸がないから小川までわざわざ水を汲みに行っているが、村には共用の井戸がいくつかあると聞いていた。彼女は慣れた手つきで井戸から水を汲んでバケツに入れている。
今がタイミング的にもばっちりだと思った。ちょうど止まっているし周りに邪魔しそうな人もいない。
でも、足が動かない。自分から進めないのだ。今思えば、おばさんたちと喧嘩した時だって、おじさんが先に手を差し伸べてくれた。あの時は手じゃなくて背中だったけど。
謝りに来たんだろ、自分から会いに行かなくてなんの意味があるんだ。自分を心の中で叱咤するが、体は反対に石像になったかのように動かない。
そんな自分をよそに彼女は水を汲み終わって、なみなみと水が入ったバケツを重そうに両手で持ち上げようとしていた。
『自分らしく生きるんじゃなかったのかい?』
ふと耳元で誰かの声が聞こえた気がした。知らない声だったが、どこかで聞いたことがあるような気もした。周りには誰もいないはずなのに。再び見渡したが、やっぱり誰もいなかった。
視線を元に戻す。その途端、後ろから誰かに背中を押された。見つからないように物陰からしゃがんでいたものだから、不意の衝撃にバランスを崩した。
「うおっと、」
思わず声が出る。倒れないように踏ん張ったが、耐えきれずそのまま砂利を踏みしめ大きな音を立てて物陰から出てしまった。
急な音と声に、井戸の方を向いていたエメットがびくっとして振り返る。
彼女の表情には恐怖や恐れがあったが、目が合って音を立てた正体が僕だと気づくと驚いたのか手に持とうとしてたバケツを落とした。
「ダニエル?.....なんで....?」
その顔にはさっきまでの恐怖の表情はなかったが、戸惑いが見えた。
「えと、エメット、久しぶり。」
とりあえず、彼女に話しかける。何を話そうかあんなに考えていたのに頭の中が真っ白になって出てこなかった。やっと絞り出した言葉もかみかみになっている。
彼女は相変わらず戸惑いを浮かべていたが、落として水がこぼれたバケツを拾うと僕の方を見ずに走り出した。
「あ、待って、」
思わず手を伸ばす。声をかけたのに彼女は止まらなかった。
僕は咄嗟に立ち上がって追いかける。数分前の自分ならば諦めて帰っていただろう。でも、もう一歩目は踏みだしたんだ。たとえ、誰かに押された一歩目だとしても。
走り出した時は距離があったが、思っていたよりもすぐにすぐ後ろまで追いつく。彼女は本気で走っていなかったのかもしれない。
「待って!」
彼女の手を掴む。足が止まる。また目が合った。彼女は僕と目を合わせたくないのか俯いていた。
走ったから息が上がっている。大きく息を吸い込み、整える。もう彼女は走る気がなさそうだったので手を放す。乱れた呼吸が落ち着いてきた。もう一度軽く息を吐いて話始める。
「あの、エメット、ごめん。」
色々言わなければならない言葉があったが、全部すっとんで出た言葉はごめんの一言だった。
彼女はまだ下を向いたままだ。構わず続ける。
「あの日、僕はエメットの気持ちも知らないで自分勝手に話してた。おばさんたち以外に話を聞いてくれる、友達ができて嬉しかったんだ....。」
まとまった言葉ではないが、自分が言いたかったことが口から出ている気がする。
「でも、あの日喧嘩して、そのあと村に来て理由がわかった。何も知らなかったのに勝手なことばっか言って、....ごめん。」
頭を下げる。しばらく沈黙の時間が続く。顔を上げるのが怖い。もし顔を上げた時に誰もいなかったら、そう思うともう一生このままでもいいかなと思ってしまう。実際には少しの時間だったが、僕にはこの時間が永遠のように感じられた。
もうそろそろ、顔を上げていいだろうか。不安な気持ちになりながらも、おそるおそる顔を上げる。
視線の先にはさっきと変わらず、彼女がいた。ただ、俯いておらず僕を見ていた。
「....なんで?」
しばらくして返ってきた言葉は僕の想像もしていない言葉だった。なんで?ってどういう意味だ。
「え、どういう....」
「なんで謝るの?、ダニエルよりボクの方がずっと酷いことしたのに。ダニエルが村に来た時、村のあいつらにいじめられていたのを見たのにひとりで逃げたんだから!....もっと怒ってよ。」
だんだんと彼女の声量は大きくなり叫ぶような声になっていたが、最後は絞り出したようなか細い一言だった。それは彼女の本心の、心の声だと思った。
エメットはそこまで言うと俯いて、手で目を擦った。
「僕は、もう気にしてないよ。最初はちょっと悲しかったけどね。」
エメットは目を擦りながら、顔を上げる。彼女の顔には拭いそびれた涙と驚いた表情があった。
「村に来るって決めたのは自分だから。エメットは何も悪くないよ。」
「いや、でも、あそこで助けようとすれば、ダニエルのケガももっとましに済んだのかもしれないし。それに風邪を引いたのだって全部ボクのせいだよ。ボクが途中で帰った日、自分勝手の意地をはらなければこうはならなかったんだから....」
なおも彼女は自分のせいだと言い続けた。それは僕にではなく、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
「ちょっと待って。ケガなんてただの切り傷だからそんな大げさな物じゃないしそれも村の子どもたちにやられたもの。風邪を引いたのはあの後、雨の中何も持たずに外に出たからだよ。だから今言った全部エメットのせいじゃない。」
「...だけど」
エメットは頑なに自分が悪いと譲ろうとしなかった。
「僕は、どっちが悪いとかそんなことを決めるために会いにきたんじゃないよ。」
「...だったら、なんで来たの。...」
かすれた声で彼女は僕に訊ねた。
「それは、...エメットは嫌かもしれないけど、僕は、また、一緒に遊びたかったから...。僕の最初にできた友達と。」
「....」
途端に彼女は黙り込んだ。
「改めてあの時の僕はエメットの気持ちも考えないで自分勝手だった。傷つけちゃってごめん。それで、もし嫌じゃなかったら....前みたいに一緒に遊んでほしい。」
やっと全部言いたかったことを言えた。喧嘩したあの日からずっとつっかえていた小さなもやもやがやっと取れた、そんな気がした。彼女の方をみる。彼女は、まだ俯いたままだった。
しばらくしたのち、彼女は口を開いた。
「...ボクのほうこそ。自分勝手で、ダニエルが困ってたのに助けずに逃げてごめん。」
エメットはそこで言葉を切った。そしてさっきよりも一段と小さな声で
「....ほんとうにいいの。また前みたいに...」
と呟いた。その声はさっきより震えていて最後はよく聞き取れなかったが、なんて言ったのかわかった。
ここまできてようやく僕は彼女も自分と同じ気持ちだったことに気が付いた。そうか、彼女も一緒で悩んで不安になってそして...。
僕はエメットを見て頷いた。
「うん、もちろん。」
僕のその言葉を聞いてようやく彼女は、もう一度涙を拭って顔を上げた。そして何回か頷いて
「ありがとう。」
そう言って少しほほ笑んだ。
ーーーーーーー
エメットと話す前に、水を入れていたバケツを落として中身がほとんどこぼれてしまったので水を汲み直すのを手伝う。
「お母さんに、水を汲んできてって頼まれてたんだ。」
「井戸、初めて使ったけど便利だね。うちは井戸が近くにないから小川まで汲みにいかないといけないから少し大変だよ。」
「確かに。ダニエルの家から川だと少し離れてるもんね。」
そう話すエメットの表情はまだ少し硬いものの、さっきより明るく楽しそうに見えた。
汲み終わって、なみなみと入ったバケツを持ってエメットの家へと戻る。バケツは一人で持つには重そうだったので持ち手を一緒に持って運ぶことにした。
エメットの家に着くと、彼女は
「ちょっと、待ってて。」
そう言ってバケツを持って家の中に入っていった。僕は彼女が出てくるのを近くの岩に腰かけて待った。しばらくして彼女が
「お母さん、行ってきます。」
と言いながらドアを開けて出てきた。
「お待たせ。」
「うん、今日はどうする?どこで遊ぶ?」
「....うーん、」
「じゃあ、いつもの小川のとこで遊ぼうか。」
「そうだね。」
そんな他愛のない会話をしながら村を抜けて小川へと向かう。
村から出たところで、来た時に隠れてやり過ごした例の子供たちと鉢合わせてしまった。
「おい、見ろよ。ツノ帽子と親なしがまた一緒にいるぞ。」
「今度は何しに来たんだ。」
帰りに会わないように祈ったのに、つくづく自分は運が悪いようだ。
「せっかくだし、一緒に遊ぶか、おい。」
そう言って子供たちは僕たちと距離を詰めてきた。一緒に遊ぶ気がないのは、一目みただけでもわかる。さて、どうしようか。残念ながら僕だけじゃなくエメットも標的のようだし。
「...どうしよう。」
彼女は不安そうな顔で呟く。
僕はエメットにだけ聞こえる小さな声で話す。
「...三つ数えたら横の藪を抜けて逃げよう。」
エメットは僕を見て小さく頷いた。
「いち、に、」
「おい、お前らこそこそ何話してんだ。」
「さん。」
そう数え終わらないうちに僕とエメットは横の藪に飛び込んだ。草が生い茂って深いように見えていた藪は抜けてしまえば、案外そんなことはなくあっさりと出ることができた。
「おい、待てよ。」
子供たちはあっけにとられたのかすぐには追ってこなかった。
僕らはそのまま走って逃げた。ただ逃げていて絶対絶命の状況なのに、なぜか楽しかった。
ーーーーーーー
どれだけ走っただろうか。僕らは立ち止まって息を整える。追ってきているだろうか。後ろを振り向いたが、そんな気配はなかった。
「はぁ、はぁ、なんとか逃げきれったっぽいね。」
エメットも疲れきったのかその場に座り込んだ。
「あ、」
足元に目線を移した時、そこにあの小さな白い花が咲いていることに気が付く。
エメットも僕の声で、花が咲いているのを見つけたようで、
「この花、たしか前にも見たよね。」
と言った。どうやら彼女も覚えていたようだ。
「この花は、スノータピスって言う名前でね。水のきれいな場所にしか咲かない花なんだよ。」
とおばさんから聞いたことをあたかも前から知ってたという風に話す。
「そうなんだ。」
「ある場所一面に咲いていたのが、雪みたいに見えたからこの名前が付けられたんだって。」
「知らなかった。ありがとう。」
「これ全部ソニアおばさんに教えてもらったんだけどね。」
素直にお礼を言われたのが、恥ずかしくて結局僕はおばさんから聞いたということをバラしてしまった。エメットはしばらく花を眺めていたが、僕の持っていた袋を見て
「そういえば、ダニエル。今日会った時からずっとその袋持ってるけど何が入ってるの?」
と尋ねた。いけない、すっかり忘れていた。おばさんからもらったクッキーのこと。
「おばさんから、二人で食べなってクッキーを渡されたんだ。ちょうど良かった。食べよう。」
そう言いながら、袋を開けてクッキーを取り出そうとする。途端に、僕は固まった。
「どうしたの?」
僕をみてエメットが聞く。
袋の中のクッキーは無残にも砕け散って、小さな欠片ばっかりだった。唯一原型を残しているものも数枚ほどしかなかった。あれだけ走ったりしたから中身がこうなるのは当然だろう。家を出た時は気をつけていたのにと少し後悔する。
「ごめん、走ったから袋の中でクッキー砕けちゃっててちょっとしかないや。」
そう言って僕は袋の中でも一番形が保たれていたクッキーを彼女に手渡す。
次に形が残っているのはこれか。普通のクッキーと比べて半分以下の小さなものだが、ないよりはましだろう。
僕がエメットの隣に座ってそれを食べようとした時。
「ダニエル、半分返すよ。」
エメットはさっきあげたクッキーを半分に割って僕に差し出す。
「もらってばっかりじゃ悪いし...」
「ありがとう。なんかごめんね、」
持ってきたのはこっちなのに彼女に気を遣わせたことを申し訳なく思った。
エメットからもらったクッキーをかじる。少し固かったが、甘くておいしい。
「...おいしい。」
横でエメットが美味しそうにクッキーを食べている。その幸せそうな顔をみてまたおばさんに頼んで持って来ようと心に決めた。
ほんの少しの量だったが食べ終わるころにはお腹いっぱいになっていた。
青空には大小さまざまな雲がゆっくりと流れていた。
僕らはそれを眺めながら、時々話したりして一日を過ごしたのだった。