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サワダ先生のこと

作者: 白遠

 私はとても不真面目な大学生だったので、正直大学での思い出がほとんどない。ただ、その中にあっても忘れられない授業というものがあり、忘れられない先生がいた。それが「民族・伝承論」であり、サワダ先生であった。


 自分は大学生の頃、サークルも飲み会にしか参加せず、講義も裏シラバスに載っているような「とにかく出てりゃ取れる」というのばかり狙って取り、そんなやる気のなさだったので同じ学科の友達ともすれ違ってばかりだったし、卒論ももう定年を控えているからとにかくゼミ生には卒業してほしいという指導教員の元、月に一回研究室に寄って添削を返してもらって終わりといった調子だった。だから大学時代の思い出ときたら授業の後のバイトの後のバイト達と店員とでコイン不要設定にして明け方まで格闘ゲーム大会をしたとかそんなのばかりだ。


 ただ、卒業までに取った128単位のうちの2単位のことを思うと、ああ、自分はその中で学んだことがあるのだと思う。


 サワダ先生は私が所属する学科の教員ではなかった。その当時のカリキュラムでは、他学部・他学科の科目を必ず何単位かとらなければならず、文学部の国際系の学科にいた自分は、軽い気持ちで同じ文学部の、国文学系学科だったか人文系だったかの開講科目であったその科目を取ったのだった。先に記載の通り、相当に不真面目でやる気のない学生だった自分は、シラバスをきちんと読むこともなく、てっきり「民族伝承」というからには、妖怪とか言い伝えとかそういう講義なんだろうなと勝手に思って履修したのだ。

 ところが1コマ目の講義に出てみると、白板に古典的に自分の名前を殴り書きしたサワダ先生は、「俺の科目名をちゃんと見たのか」と総勢60人ばかりの講義室内を見渡して言った。

 一番前に座っていて、適当に当てられた学生は、「民族伝承論です」と言った。サワダ先生はまた白板に今度は科目名を書き殴った。「民族・伝承論」。


「俺の授業は『民族伝承論』じゃないんだ。『民族・伝承論』なんだ。事務のやつと喧嘩して中黒を付けたんだ。この違いがわからないやつは受けなくていい」


 それがサワダ先生との出会いだった。たぶん座って話を聞いているだけじゃあ単位をもらえないタイプの授業なのはわかった。でも面白そうな先生だなと思った。


 今の時代は、科目を履修して途中で放棄するとGPA(内申点みたいなやつ)に響くから、一回履修した科目はちゃんと最後まで受けることになっていると思う。でもこの時代は違った。成績だって最高でも優までしかつかないし、途中で出るのをやめて不可がついたって痛くも痒くもなかった。だからこの授業を興味本位で受けてみることにした。嫌になったら、めんどくさくなったらやめたらいい。


 サワダ先生は次の授業で、「今日はゲームをする」と言い出した。


 60人ほどの学生を12人1チームくらいに分け、絵でやる伝言ゲームみたいなやつをやったのだ。チームメンバーは多ければ多いほどいい。1番目の学生は先生から絵を見せてもらう。それをその学生が絵で描いて次のチーム員に見せる。次の子はその次の学生に自分が描き写した絵を見せて次に繋げる、というものだ。

 私は4番目くらいだった。ぱっと絵を見せられて、すぐにそれを紙に描いた。槍を持った人間の象形文字みたいに見えた。なのでそのように描いた。


 お絵描き伝言ゲームが終わって、最後の1人、12人目が白板にそれぞれ自分に伝えられた絵を描いた。


 私のチームが一番漢字に近いような絵になっていた。サワダ先生はニヤリと笑って、「さあ、犯人を探そう」と言って、1番目から順に一人一人が描いた絵を確認し始めた。

 一人一人の絵がOHPでスクリーンに大写しになった。あれっと思った。自分は「象形文字だ」と思ったが、映される絵はかなり棒人間に近い。3人目までは漢字というよりはむしろはっきりと棒人間だ。私の絵の番で、突然漢字に変化するような感じになっていて、その後は私の影響でみんな漢字に近い絵を描いていた。サワダ先生は私の絵を見て「誰だこれは?」と言った。私は恐る恐る手を上げた。


「君が犯人か! いきなり飛んだな! でもそうなんだ、伝承っていうのはこんなふうに、ある事柄があったとして、誰にでもわかりやすいように変化していくんだ。オリジナルと同じではなくなるんだ。これが漢字の成り立ちなんだ」


 先生は心底楽しそうにそう言った。そんな授業ばかりだった。隣の人と箸の持ち方を見せ合え! とか。その次の授業でもまた何かこういう先生と学生がやりとりするような内容のことをして、そこでも私は何か1人だけ違ったことをやった。天然で。またそこでサワダ先生は「これ誰?」とやって、また私は恐る恐る手を上げ、私を見た先生は「また君か! 名前は?」と言った。


 それからサワダ先生は、私を見つけると授業中にいじるようになった。いじると言っても、まあ誰でも答えられるような簡単な質問を急にしたりとか、私がニキビを触っていると「触るな!」と突っ込んで来たりとかだ。要するに、授業中にダレた雰囲気を変えたい時にぱっと声をかけられる学生として認識されたと言うことだ。私もこの変な先生の変な授業が楽しくなって、一限目だったが頑張って参加していた。おそらくその「この先生面白いな」と思っているのがサワダ先生にも伝わっていたのだろう。

 サワダ先生は前年はアメリカの大学に研究員として派遣されていて、戻ってきたばかりだった。「お前ら、アメリカで言葉は大丈夫だったんですかとか言うけど、大丈夫に決まってるだろう」と先生は言った。「英語が喋れるのなんて世界の常識なんだ。俺の親は2人とも学者だけど、2人から俺はそう言われて育って、当たり前に英語を話すんだ。そうでないと海外のやつらと渡り合えないだろう、海外ではそれが当たり前なんだから」


 ある日のことだった。サワダ先生がムスッとした顔で登壇した。勉三さんみたいなくしゃくしゃの癖毛が丸坊主になっていた。みんな驚き、クスクスと笑った。しかし先生は何も言わずに授業を始めた。


 あとで聞いたのだが、サワダ先生は、ゼミ生と賭けをして負けたら丸坊主にするという約束を守ったものだったらしい。それを聞いて余計にサワダ先生が好きになった。最近の先生で、そもそもそんな賭けを学生と本気でする先生がどのくらいいるだろうか?


 サワダ先生の授業は15回で終わり、試験はレポートだった。レポートの内容は「自分が民族・伝承を感じたことについて5000字以上書くこと」だった。5000字というのは結構多かった。私は何も思いつかず、前日まで全く書けなかった。あまりに切羽詰まった時、その頃流行っていた漫画で「困った時はカレーについてレポートを書く」とあったのを思い出し、本当にカレーについて書き始めた。いきなり書けた。話はカレーの日本への伝来から、日本のパーティフードとなったカレー、そしてなぜカレーがパーティフードになりえたかに及んだ。私は自分でも大満足のめっちゃ面白い8000字のレポートを提出した。ついた成績は優だった。


 私のサワダ先生との出来事はこれで全部だ。個人的なやり取りもなければ、その後転学科して先生のゼミ生になって卒業し恩師になったとか、いまだに年賀状のやり取りがあるとか、そういう「続き」は一切ない。ただ、このサワダ先生との15回の授業が、私が履修した70科目くらいのうちで最も面白く、尊く、大学らしかった。この授業があったから、自分は確かに大学生だったとあの頃を思い出すことができる。


 ただ一つ、ひどく心残りなことがある。


 サワダ先生の授業は15回で、レポートを出したらおしまいだった。ただ、レポートを提出した日の講義で、先生は「来週16回目をやる。これは成績に関係ない。出席もとらない。出たいやつだけ出たらいい。レポートのフィードバックをやる」と言った。

 自分は「ちょっと出てもいいかな」と思った。というか、出る気満々だった。他の授業なら、出席も取らない、点数に加算しないと宣言された授業なんか死んでも出ない。でもこればかりは別だった。


 しかし、肝心のその日、私は前日にひどい靴擦れをして、歩くのが辛すぎて、一限目のその授業に出るのを諦めてしまったのだった。


 出ていればきっとサワダ先生は私のカレーのレポートにコメントしてくれただろうに。





 

 

科目名やお名前や(下のお名前を忘れてしまった)、私の卒業した大学名で検索したのですが、サワダ先生の現在の消息は分かりませんでした。あの頃お若い先生でしたので、おそらくまだ大学におられるか、御退官されていたとしてもさほど昔のことではないのではないかと思うのですが。

サワダ先生のご健勝をお祈りしております。

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― 新着の感想 ―
わはーいっ、自分も授業料をドブに捨ててたクチで。°(*´ᗜ`°)°。 それで一番心に残ってる先生が、一度投げ捨てた第二外語の代替の単位を取らせるためだけのフランス語。私含め明らかにダルい学生しかいない…
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