テルマエ
「ほら、岩だよ。」
「岩ね。」
「でしょ?」
「でしょ?って言われても。」
ラヴィとリオナが、岩を見て何やら理解しがたいやり取りをしている。
そんなことより、ルーニャだ。
祝福をしてもらってから、みんなでテルマエに来ていた。
ローニャはカールに巻き付いているし、スパーニャもカールが抱えている。
ならばあたしがやることは、まずルーニャを清めることさね。
「カール、ローニャを見といておくれよ。」
ルーニャが終われば次はローニャの予定だ。
「任せろにゃ。」
「ちっちゃくて可愛いな~。」
ジャンヌもローニャとスパーニャを見てくれている。
その両手からは、黒い炭汚れが流れ出していた。
ドーラが用意してくれた薔薇色の服は、湯気の中でも見えやすく、丸ごと洗うことにした。
ほんのり温かい布切れがあるおかげで、濡れたままの服でも問題なさそうだ。
あたしは熱を診ることができるからね、その点を見誤ることはないさね。
「すっかりお母さんの顔ね。メレナ。」
ルーニャとローニャを祝福する前に、みんなは一度入ったばかりだ。
それでも、リルたちは一緒に入ると言ってくれた。
「あたしは母親なんか知らないからね。リルを参考にさせてもらうよ。」
「ありがと。と言っても、それをしたのは瑠璃なんだけどね。」
テルマエに向かいながら、瑠璃について聞くことができた。
「そんなこと、関係ないさね。そんな考え方があったって、いいだろ?」
「そうね。ありがと。」
リルを逃がしたのはあたしだ。
石を投げられていた場から救い出し、背中に乗せて逃げていたとき、既に瑠璃は薄れていっていたようだ。
糾弾された動揺もあっただろうが、自分の身体を取り戻していく過程で、瑠璃が抜け落ちていくような混乱もあっただろう。
時を同じくして怒れるようになったあたしたちだって、即座に怒りが最大化したわけではない。
少しずつ、怒れることに気付いて、混乱したのだ。
たまたま、怒る理由がそこにあったことで、行動が揃うことになっただけで。
今でこそ瑠璃として切り分けて整理できているようだが、それは理性による後付けのものだという。
あたしが怒るべきなのに怒らなかった過去を、後で見直すときと同じようなものだろう。
願いの魔法が消えたせいだって知らなけりゃ、とてもじゃないが納得なんざできやしないさね。
「メレナ、手が止まっているわ。私が洗ってもいいかしら?」
「ああ、頼む。身体が温まってつい思考が走っちまった。リルの話を反芻してたのさ。」
「その気持ちはわかるわ。私も、思考に沈む癖があるもの。じゃあ、ルーニャは私が洗うわ。祝福代わりにね。」
そう言ってルーニャを首に巻くリル。
驚くほど素直に移動したルーニャ。
あたしにとって安心する場所だったそこが、ルーニャに受け入れられることが嬉しかった。
「じゃああたしは、ローニャを洗おうかね。」
「ぼ!」
「ぼ!」
「ぼ!」
「ぼ!」
「見ろ!ローニャは賢いぞ!」
「ジャンヌが親ばかなのはおかしいにゃ。」
あたしの尾の上を移りながら、ジャンヌの声掛けにいちいち止まって反応してみせるローニャ。
見えていないのだろうから、音に反応するのだろう。
そのせいで、体勢を崩して落っこちた。
「おっと。」
ローニャを両手で受け取って、首に巻く。
しっかりと巻き付くが、まだまだその力は弱い。
動き回るうち、だんだんと力も付いてくるだろう。
だからまだ、リルの首に巻かれていても心配はいらない。
「じゃあしっかりと洗ってしまおうかね。」
◆
「じゃ、ごゆっくり!」
「主役なんだから、今のうちにしっかりくつろいでね。」
「家族水入らずってやつだな!」
そんなことを言い残して、リルたちは先に上がっていった。
「ちょっとのぼせ気味になっちまったね。あたしは冷たい方に移るとするよ。」
「冷たい方には行かんにゃ。」
「そうかい。じゃあスパーニャを頼むよ。茹で卵にならないように、適当に上がりなよ。」
「了解にゃ!」
ルーニャとローニャを乗せて、あたしは洞窟の奥へと進んだ。
地下水の合流もあって、下流に行くほどぬるくなっていくように診える。
ぼちゃん。
ルーニャが水に飛び込んだ。
やや身体が火照っており、冷ましたいようだ。
なんて、悠長に考えている場合じゃないさね。
「ルーニャ!」
流されてる!
「ぼ!」
ローニャが岸に降りた。
さっきまで大人しかったのに!
「ぼ!」
「ぼ!」
ジャンヌのお陰さね!
ぴたりと止まって返事するローニャ。
無事、動き回る前に捕まえることができた。
「ルーニャは!?」
一瞬、薔薇色が見えた。
まだ温かいのも診えた。
ローニャをしっかりと握り、必死で追い掛ける。
「ぼ!ぼ!」
そーかい、楽しいかい。
そのまま大人しくしてなよ。
この先、どうなってるんだったか。
嫌な予感しかしないね。
戦艦ノアから見上げた滝。
まさか、あれに繫がってんじゃないのかい?
例外種になったばかりのイシュの民が、反乱軍に殺された。
例外種ってのは、頑丈さを失っちまうもんなのかね。
一つ湧いた嫌な予感から、芋づる式に次の不安が生まれる。
冗談じゃないよ。
ばかなこと考えずに追い付きゃいいのさ。
ルーニャはどうやら、尾の中いっぱいに空気を溜めているようだ。
あたしが外壁の中を潜ったときのように。
ぷかぷか浮いて、流れに身を任せているようだ。
「そら、捕まえた!」
今ほど半身が蛇で良かったと思ったことはない。
川をせき止めるように、水面を塞ぐ。
「ぼ!」
どっぼん。
ルーニャを捕まえたと思ったら、腕がずしんと重くなる。
ローニャが蹴ったのだ。
その拍子に両手も空振り、ルーニャも取りこぼす。
幸い、ルーニャは上流側だ。
が、ローニャは潜ったまま泳いでいる。
尾をくねらせ、下流へと。
頼むよ、誰か!
気付けば水脈が合流し、吸い込まれるように流れて行く。
その先に、光。
「ローニャ!」
「ぼ!ぼ!」
返事が聞こえた気がしたが、水の流れは下向きに変わっていた。
ルーニャをしっかりと抱きかかえる。
……この子ら、例外種なんじゃないのかい?
押し留めていた不安が、言葉になった。
「誰かっ!ローニャ!」
「ハピィ姉さんだよ!」
気の抜けるような声が聞こえたかと思ったら、あたしの身体は空中で進行方向を変えた。
「ハピィ!ローニャが!」
「大丈夫っぽい。」
「ぼ!ぼ!」
「高い高〜い。」
ルネの腕の中に、ローニャがいた。
◆
「ルネ、ハピィ、ありがとう。」
「気付いたのはルネだよ。ぼくはついて来ただけ。」
「だって、私だもの。当然よね。」
「全く、生きた心地がしなかったさね。」
「うーん、それなんだけど。この子たち、もっかい!って言ってるみたい。手伝ってあげられるけど、どうする?」
親ってのは、そういうのを見極めてやらなきゃならないのかい。
あたしは深く息を吐いて、二人を見た。
「ぼ!ぼ!」
生きた心地がしなかったのは、どうやらあたしだけだったらしい。




